第二話
萎れた表紙が、カウンターの隅に立てかけられていた。
美桜は、それを一瞥して、隣の椅子を引く。
「あっ」
穂乃果は、自分の席に人影を見つけて、一瞬だけ足が止まった。
「場所取り、負けちゃった」
喉の奥で、軽く笑う音が鳴った。
「あ、ええと。すみません、また同じ場所で」
「いいって。ここ、落ち着くし。隣、いい?」
美桜は迷いなく端席の椅子を引いて、穂乃果を促した。
穂乃果が座ると同時に、美桜の視線が穂乃果の足元に置かれた大きなバッグに落ちる。
「それ、重そうだね」
「あー……これ、カメラで」
穂乃果は、耳を赤く染めて、逃げるように手元のトレイを覗き込んだ。
「……写真、やってて」
遅れて出た声は、喧騒に紛れて消え入りそうだった。
「いいじゃん、写真部ぅ」
「――幽霊部員、ですけど」
穂乃果は、笑った美桜の顔を見ることができずに、俯いてパンを一口齧った。
「そういえば……。バイク、乗ってるんですね」
「ん、乗ってるね」
「なんで……って、聞いてもいいですか」
美桜はストローの先を僅かに噛んだ。
かすかな音を立てて、オレンジジュースを啜った。
「父親がさ、飽き性でさ」
「いろんなこと、すぐ手放す人で――」
紙パックの中、液体が揺れる音が小さく鳴った。
「好きなことを話す時だけ、かっこよく見えたんだよね」
「気づいたら、あたしも免許取ってた」
穂乃果の視線が、わずかに落ちた。
「好きなこと、ある人ってさ――」
美桜の言葉は、学食の空気に溶けていく。
穂乃果の指先が、膝の上の萎れた表紙を撫でた。
「そういえばカメラ、次は何か撮るの?」
美桜が顔を覗き込むようにして、穂乃果に視線を合わせた。
「藤がそろそろ開花するから……撮りたいなって」
「ふーん、どんな花か知らないな。どこで咲いてるんだろう」
「亀戸……亀戸天神社でっ」
美桜はストローを軽く噛み、窓の外の曖昧な色を眺めた。
「そうなんだ――行ってみる?」
穂乃果の指先が、本の端で固まる。
「バイクだと、すぐじゃん」
答えを待たず、美桜はパンの袋を丸めて立ち上がった。
「いいの……?」
「端席の縁でしょ」
「行こうよ」
美桜は踵を返し、人波の中へ歩き出す。数歩先で、ふと思い出したように振り返った。
「……あ。今日みたいなスカートは、やめたほうがいいかもよ」
穂乃果は、ひとり残された席で、自分の濃紺のロングスカートを見下ろした。
慌てて顔を上げたときには、もう美桜の背中は人混みの向こう側に消えていた。
言葉だけが、膝の上に熱を残している。




