表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/56

3

金国の工作員らしき男は、お嬢の鋭い指摘にぴくりと肩を揺らしましたが、燕青がその肩を軽く叩いて制しました。


「よせよ、お嬢を怖がらせるな。……いや、怖がってるのは俺の方か」


苦笑いしながら燕青おじさんが差し出したのは、しわくちゃになった一通の書状。

そこには金国の公用文字ではなく、いびつで震えるような漢字がいくつか並んでいました。


鉄の男が流す、墨の涙


「……これ、何?」


お嬢は眉をひそめ、竹べらでその紙を広げました。

工作員と呼ばれた男は、屈強な体躯を小さく丸め、消え入りそうな声で言いました。


「……娘への、……嫁入り祝いの言葉だ」


お嬢の手が、ぴたりと止まります。


「は?」


「この男、名は兀突コツトツ。金国の密偵として十年以上この臨安に潜伏していたんだが、故郷に残してきた娘が来月結婚するらしい。だが、今の立場じゃ手紙一つ送れない。それに、見ての通りこいつは剣の振り方は知っていても、筆の持ち方はさっぱりでね」


燕青おじさんは、いつになく真面目な顔で続けました。


「金国の暗号文を偽装しつつ、その裏に『父親としての祝辞』を忍ばせてほしい。……そんな芸当、この臨安でできるのは、盧家の血を引く天才代筆屋おまえしかいない」


お嬢の独り言


「……呆れた、国家反逆の手助けをしろって言うのかと思えば、今度は敵国のスパイの親馬鹿に付き合えだなんて。

燕青おじさん。あんた、自分が家に居つかなかった罪滅ぼしを、こんなところで他人の親父を使ってしてるんじゃないでしょうね。」


『……お嬢、頼む。こいつの娘は、父親が死んだと思ってる。せめて、遠くの地で幸せを願っている誰かがいることだけでも、伝えてやりたいんだ』


おじさんの目が、ほんの一瞬、私を真っ直ぐに射抜きました。


ずるい人。

そんな目をされたら、代筆料を吊り上げることも、追い返すこともできなくなるじゃない。


お嬢は、深くため息をつき、一番質の良い宣紙せんしを取り出しました。


『いいわ。ただし、燕青おじさん。あんたのツケに上乗せしとくから。……兀突さん、と言ったかしら。娘さんの名前と、一番伝えたかった思い出を話しなさい。私が世界で一番幸せな嘘を書いてあげる』


墨の香りが、部屋に満ちる。

金国と南宋。敵と味方。

そんな境界線が、私の筆先で溶けていく。


おじさんは、満足そうに窓の外を眺めている。


その背中が、今日だけはほんの少し、父親らしく見えたのが――何より癪に障るんです」


この手紙を書き終えたお嬢は、兀突に一言。


「一日でも早く顔を見せてあげなさい、それが、一番の贈り物よ。」


兀突は、銀・銅銭の混じった袋を置いて素早く出ていった。


燕青は、笑顔で見送る。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ