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「……決めたわ。燕青おじさん、翊華印盤の次なる一手は、この都の『情』を彩ることよ」


私は、皇帝陛下から賜った最高級の宣紙を指先でなぞりながら、固い決意を口にしました。


今の印刷物は、邸報にせよ経典にせよ、墨一色の無機質なものばかり。けれど、人の心……特に誰かを想う「恋文」には、季節の移ろいや頬の赤らみのような、微妙な色彩が必要なはず。


一つの版に一色ずつ、寸分違わず重ねて刷り上げる**「多色刷り(套印:とういん)」**。

これが実現すれば、臨安の、いえ南宋の文化は根底から覆る。


「套印か……。お嬢、それは文字通り、版木同士が指先一本分の狂いもなく噛み合わなきゃならねぇ、神業の世界だぜ。小大の奴がいくら腕が良くても、色彩の重なりを計算できる『眼』を持った職人がいなきゃ話にならねぇ」


「だから、おじさんに探してほしいの。36群星の縁者でも、流浪の天才でも構わない。木版画の色彩に精通し、重ね刷りの極致を知る、本物の職人を」


五彩の旋律、套印とういんの幕開け


燕青おじさんが街の闇に消えてから三日。


連れてこられたのは、かつて梁山泊で彩り豊かな軍旗や偽造手形の色合わせを担っていた、**「玉幡竿」孟康もうこう**その一族と親交の深かった、ある老齢の絵師でした。


その男は、使い古された絵皿を抱え、色褪せた着物を着ていましたが、私の書いた恋文の下書きを見るなり、濁りのない瞳を細めました。


「……なるほど。この一画に、夕暮れの茜色を差し、その上から墨の雨を降らせたい、と。盧家の令嬢、あんたはとんでもねぇ贅沢を言う。だが、その贅沢こそが、この国の乾いた心を潤すのかもしれないな」


お嬢の独り言

「……彼の名は、彩雲さいうん

色の配合(調合)だけで、一日はおろか一年を費やすこともあるという、色彩の狂人。

小大さんが削り出した複数の版木に、彼が絶妙な水分量で溶いた顔料を乗せ、私が指定した『感情の揺らぎ』を重ねていく。


『小大さん、版木の四隅に“見当(見当:けんとう)”という印を刻んで。僅かでもズレたら、恋心は台無しよ。文さん、あんたは色の重なりが文字の可読性を邪魔しないか、光の屈折を計算しなさい』


『師匠……ついに代筆屋が、光学の領域まで踏み込みましたか』


文さんは呆れながらも、蕭譲譲りの緻密さで、朱、藍、黄、そして墨が重なり合って生まれる『第五の色』の出現を予測し、配置を組み直していきます。


そして、初めての試作品が刷り上がりました。


それは、水辺の柳が風に揺れ、その隙間から淡い桃色の花びらが舞い散るような、溜息の出るほど美しい便箋。


『……信じられない。これ、本当に木版で刷ったの? まるで今、誰かが筆で描いたみたいだわ』


『ははは! お嬢、これだよ! 邸報で権威を示し、牧谿の本で教養を示し、そしてこの套印で“憧れ”を売る。翊華印盤は、もはや臨安の欲望そのものを刷り上げてるな』


燕青おじさんは、その鮮やかな便箋を光に透かし、満足そうに頷きました。


『お嬢。この第一号の便箋、誰に贈るつもりだ? 皇帝陛下への報告書か、それとも……柴翊の旦那への、密かなお礼状か?』


『……おじさん、余計なこと言わないで! これはあくまで、市場調査用の見本よ!』


私は顔を赤くしながら、刷りたての便箋を大切に引き出しにしまいました。


墨の香りに、微かな岩絵具の香りが混ざり合う。


翊華印盤の工房には、今、この国で最も新しく、最も鮮やかな風が吹き抜けています」


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