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「……宮中への、召喚?」


届いたのは、いつもの趙高官の付け届けではありませんでした。最高級の絹に、皇帝の代理であることを示す龍の紋。それを見た瞬間、燕青おじさんの顔からいつもの締まりのない笑みが消え、文さんは墨を摺る手を止めて真っ青になりました。


「翊華印盤」が世に送り出した牧谿の本が、ついに南宋の最高権力者——皇帝陛下の御手元に届いてしまったのです。


禁裏の静寂、御前代筆の重圧

宮中へ向かう輿の中、私は懐に隠した和田玉の感触を確かめていました。おじさんは護衛として(もちろん、燕青としてではなく、柴家の腕利きの従者という体で)付き添っています。


「お嬢、落ち着け。相手が皇帝だろうが、文字を書くのはお前だ。筆を持てば、そこはお前の世界だぜ」


「……分かってるわよ。でもおじさん、もし私の正体——36群星や、おじい様の血筋がバレたら、このまま首が飛ぶかもしれないわよ?」


「その時は、俺がこの宮殿ごとひっくり返してやるさ」


そう不敵に笑うおじさんの言葉に、少しだけ肩の力が抜けました。

通されたのは、香の高貴な煙が立ち込める、静謐な一室。そこに座していたのは、時代の重圧に少しだけ疲れを見せながらも、圧倒的な威厳を纏った皇帝陛下でした。


お嬢の独り言

「……空気が、薄い。」

目の前に並べられたのは、これまで見たこともないような極上の宣紙と、墨の王と呼ばれる古墨。


『そなたが、あの牧谿の絵に“声”を与えた代筆屋か。……あの掠れた文字、あれはただの技術ではない。この国の、目に見えぬ悲しみさえも写し取っているように見えた』


皇帝陛下の言葉は、驚くほど静かでした。

陛下が私に求めたのは、亡き皇后へ捧げるための、最も清らかな経典の代筆。

私は筆を執りました。

燕青おじさんが陰で見守る中、私は代筆屋としての矜持をすべて筆先に込めました。


それは、柴翊様から教わった学問でもなく、蕭譲譲りの模倣でもない。


母・華流が、そして師師様が愛した、この国の美しさと儚さを織り交ぜた、私だけの文字。


一筆、一筆。

墨が紙に吸い込まれる音が、この広い部屋に響く。

陛下の視線が私の手元に注がれる中、私は自分が『36群星』の一員であることを一瞬だけ忘れ、ただの、一人の書き手としてそこに存在していました。

書き終えたとき、陛下はしばらくその文字を見つめ、やがて小さく溜息をつきました。


『……見事だ。この文字は、余の心にある言葉を代わりに紡いでくれた。蓮華と言ったか。……そなたを、今日より余の“隠れた右腕”……御前代筆人と定める』


その言葉に、私は深く頭を下げました。

御前代筆人。

それは、皇帝の秘めたる思いを代筆する、影の特使。


『……ありがたき幸せに存じます』


心の中では、別の声が響いていました。

“やったわよ、おじさん。これで私たちは、朝廷の喉元にまで筆を差し込んだわ”


宮殿を出る際、すれ違った趙高官が、私と、その後ろに控えるおじさんを見て、腰が抜けるほど驚いた顔をしていました。


『……さて、おじさん。お腹が空いたわ。今夜の蒸し鶏は、最高に豪華にしてもらうわよ? 何しろ、皇帝陛下の御用達になったんだから!』


その夜

「お嬢、大金星だな。これで邸報の検閲も、陛下直々の御指名って言えば誰も手出しできねぇ」


「ええ。でもおじさん、これからが本当の勝負よ。陛下の『影』として書く文字が、この国を救うか、それとも……」


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