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「……ちょっと、小大さん! 手が止まってるわよ。版木を削る音が、さっきから変なリズムになってるじゃない」
私は机に広げた下書きから顔を上げ、隣で作業する金小大さんを睨みつけました。
今回の依頼は、かつての梁山泊で「鉄叫子」と謳われた**楽和**おじ様の孫が営む芸小屋から。演目は、今や臨安で飛ぶ鳥を落とす勢いの人気を誇る、水芸の師匠・**春嶺**の特別公演です。
その広告用の版木を、私の文字と小大さんの彫刻で作ることになったのですが……。
水芸の飛沫と、鉄筆の迷い
お嬢の独り言
「……無理もないわね。」
あの春嶺様。舞台に立てば、扇一本で水を龍のように操り、飛び散る飛沫さえも真珠のように輝かせる。その涼しげな目元と、しなやかな指先……。
硬派で通っている小大さんが、あの美しさに当てられて『岡惚れ』しちゃうなんて。
『……お嬢、うるせぇ。この飛沫の線をどう彫るか、考えてるだけだ』
小大さんは顔を真っ赤にして、いつもより力んで彫刻刀を握っています。
彼の削り出した版木には、確かに春嶺様の水芸の躍動感が、執念に近い細かさで刻まれていました。
燕青おじさんは、そんな二人を面白そうに眺めながら、楽和の孫から預かったという、これまた風流な横笛を弄んでいます。
『ははは、小大。春嶺の姐さんに惚れるのはいいが、版木に穴を開けるなよ? 楽和の孫は、お前の彫った版木で臨安中を埋め尽くすつもりなんだからな』
『……燕青の旦那まで、茶化さないでください!』
私は溜息をつき、春嶺様の名前の横に、彼女の芸を象徴するような『流麗で、かつ力強い』文字を添えました。
『いい、小大さん。この文字の跳ねは、春嶺様が水を弾く時のあの指の動きをイメージして書いたわ。あんたも、ただ彫るんじゃなくて、彼女への想いをその刃先に込めなさいよ。……そうすれば、世界で一番美しい広告ができるはずだから』
小大さんは一瞬、動きを止め、深く息を吐きました。
それから、まるで何かが取り憑いたように、神業のような速度で版木を削り始めました。
『……ああ、分かった。お嬢、最高の版木にしてやる。臨安中の男たちが、この絵を見ただけで水を浴びたような衝撃を受けるくらいにな』
燕青おじさんは、満足そうに笛を吹き始めました。
楽和譲りの清らかな調べが、墨の香る店内に流れる。
数日後。
臨安の街中に貼り出されたその広告は、あまりの美しさに、誰もが足を止めて見惚れるほどでした。
春嶺様の瑞々しさと、私の文字、そして小大さんの『恋心』が結晶となった一枚。
……結局、公演は大盛況。
小大さんは、春嶺様から直接『素敵な版木をありがとう』と微笑みかけられ、そのまま数日間、魂が抜けたようになっていたけれど……。
『おじさん、見てなさい。あの人、きっと明日からもっと凄い版木を彫るようになるわよ。……恋の力って、代筆のテクニックよりよっぽど質が悪いんだから』」




