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「……ちょっと、燕青おじさん。書店から持ち込まれたこの依頼、正気なの?

科挙の予想本なんて、一歩間違えれば試験問題の漏洩を疑われる禁忌タブーギリギリの仕事じゃない。しかも今回は文官だけじゃなく、武挙ぶきょの対策用だって? ……『絵図も大量に必要で、とにかく早く沢山』。

私の右手を、今度は筆の形に固まらせる気かしら」


私は店いっぱいに広げられた、書きかけの経典の草稿と、無骨な武術の型が描かれた図面を眺めて溜息をつきました。儒教の難解な解釈に加えて、槍や太刀の筋道、馬術の心得まで……これを一冊の本にまとめるなんて、代筆屋の範疇を超えています。


燕青おじさんは、棚の奥から古びた道教の教典を引っ張り出しながら、いつもの飄々とした口調で言いました。


「そうカリカリすんなよ、お嬢。科挙の時期は臨安中の紙が金に変わる稼ぎ時だ。それに、武挙の図面の方は俺が手伝ってやる。だが、経典の『予想』……つまり天の配剤を読み解くのは、俺たちの手にゃ余る。


……そうだ。どうしても解決できないことは、**公孫勝こうそんしょう**の叔父貴に聞いてみな。


あの人なら、次にどの星がどの位置に輝くか、つまり試験に何が出るかくらい、朝飯前だろうよ」


入雲龍の託宣と、星の予想本


お嬢の独り言

「……公孫勝。

かつて梁山泊で『入雲龍にゅううんりゅう』と恐れられた、伝説の道士。


風を呼び、雨を降らせ、今はどこぞの山奥で仙人修行でもしていると聞いていたけれど……燕青おじさん、まさかあの人をこんな受験対策の片棒に担ごうっていうの?


おじさんが指差したのは、店の一角、いつもは誰も座らない暗い席。


そこにはいつの間にか、松の枝のような杖を傍らに置き、古ぼけた道衣を纏った男が座っていました。


『……呼びましたか、燕青。そして、盧家の星の子よ』


その声は、耳というより脳の芯に直接響くような、不思議な余韻を持っていました。公孫勝おじ様。


彼は私が広げた経典を一瞥もせず、ただ手にした羽扇うせんをひと振りしました。


『天のことわりは、常に流転する。今年の試験官、趙高官は昨夜、西の空に流れた彗星を見て、己の運勢に不安を感じたはず。

……ならば、彼が選ぶのは“安寧”と“守旧”を説く、礼記のこの一節でしょう』


公孫勝おじ様が指し示した箇所は、誰も予想していなかった難解な章。


けれど、その言葉には絶対的な確信が宿っていました。


『さあ、書きなさい。私は絵図に少しばかりの“術”を混ぜてあげよう。この本を手にした者が、試験場で迷わぬように』


おじ様が筆を執ると、私が描くはずの武術の図面が、まるで生きているかのように紙の上で動き始めました。

これなら、どんなに鈍い受験生でも、一目で力の流れを理解できる。


燕青おじさんは、それを見て満足げに頷くと、私のために新しいお茶を淹れました。


『聞いたかお嬢、これが“36群星”のやり方だ。……さあ、臨安の若者たちの運命を、その筆で書き換えてやりなさい』


私は、公孫勝おじ様が示した星の導きを信じ、再び筆を走らせました。

窓の外では、臨安の夜空に龍のような雲が流れていく。

36群星が結集し、この平和ボケした都に、また一つ、愉快な奇跡が刷り上がろうとしています」


数日後:書店の店頭

「……出たわよ、究極の対策本『龍雲りゅううん予想集』。


燕青おじさん、売れ行きはどう?」


「お嬢、飛ぶように売れてるぜ。書店の前は受験生の行列で、運河の橋が落ちそうだってよ」


私は店の奥で、公孫勝おじ様が残していった不思議な墨の香りに包まれながら、少しだけ得意げに笑いました。


代筆屋。

あるいは、歴史の裏側で未来を書き記す者。

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