第十六話「ヴォルデリアの記憶」
「ヴォルデリアの記録」という本の存在が、ずっと頭に引っかかっていた。
あの日からカイゼル様は何も言わない。
私も聞かない。
でもある朝、中庭の石碑を眺めていた彼の後ろ姿が、あまりにも静かで——思わず声をかけてしまった。
「……カイゼル様。あの石碑は、どなたのものですか?」
長い沈黙。
「……俺の弟だ」
静かな声だった。
「……ヴォルデリア。三百年前に死んだ」
「……」
「弟は、生まれた時から魔力が弱かった。魔界に生きる魔族として、それは致命的だった——俺が守れればよかったが」
彼は石碑に背を向けた。
「……人間界の,例の神殿と戦った際に、弟が前に出た。俺を庇って」
「……」
「それ以来、俺は人間が嫌いだった。神殿が嫌いだった。だが——」
彼は私を見た。
「……お前が来て、この庭に花が咲いた」
その赤い瞳が、珍しく——迷っているように見えた。
「……庭の花を咲かせたのが誰かは関係ない。弟が好きだった薔薇を、また見られた」
「……」
「だから。ここに居ていい」
それは「居ていい」という言葉だったけれど。
私には「ありがとう」に聞こえた。
私は深く、頭を下げた。
「……ありがとうございます。話してくださって」
「……大袈裟だ」
「いいえ。嬉しいです」
カイゼル様は「行くぞ」とだけ言って城内に向かった。
私はもう一度、石碑に向かって頭を下げてから、その背中を追いかけた。
第十六話 完
お読みいただき、ありがとうございます!
カイゼル様の過去が少し明かされました。
弟さんへの想い、そして「人間が嫌いだった」という言葉の重さ……それでもルナちゃんを受け入れた理由が、少しわかった気がします。
この石碑のシーンは、後の話でもう一度登場します。楽しみにしていてください。
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