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# 第一話「断罪の朝」

雪のように白い石造りの回廊に、私の足音が響いていた。


 ルーセル王都に聳え立つ光神殿の朝は、いつも澄んでいる。清潔な光が尖塔から差し込んで、床の石灰岩に金色の格子模様を描く。私はこの光景が好きだった。十年間、毎朝この廊下を磨いてきた。この床の継ぎ目に溜まった埃のひとつひとつまで、私の手が触れていない場所はない。


 それが今日で終わる。


「ルナ・アーシェル。進み出よ」


 大広間の中央に進むと、水晶の天井から差す光が私を照らした。正面には高位の司教たちが並び、一番奥の玉座のような椅子にグリフィス神殿長官が座っている。六十代の貫禄ある顔に、今日はいつも以上の厳しさが刻まれていた。


 私は深く礼をした。


「はい。ルナ・アーシェル、ただいま参りました」


「おい、何きょろきょろしてんだよ。お前のせいで俺たちがどれだけ大変な目に……」


 横から割り込んだ声に、私は静かに顔を動かした。元婚約者のテオが立っていた。端整な顔に、見慣れた苛立ちを浮かべている。隣には、神殿長の娘でもある聖女候補のフィオナが静かに手を組んでいた。


 ああ、そうか。今日はそういう日なのか。


 私は、何となく察した。


「ルナよ」グリフィス長官が重々しく口を開いた。「昨夜、神殿の宝物庫から聖別された水晶石が一つ、消えた。目撃者の証言により、その場を立ち去るお前の姿が確認されている」


「……そうですか」


「言い訳があるならば聞こう」


 私は少しだけ考えた。昨夜の私は夕食後すぐ自室に戻り、就寝していた。誰かに証言を頼める立場ではない。使用人仲間の同僚たちは、既に視線を逸らしている。


「ございません」


 静かにそう答えた。


「では、十年間の奉仕に免じて街道の外まで送り届けることとしよう。荷物はそこの袋のみ許可する。二度とこの門をくぐることはないと心得よ」


 長官の声は、落ち着いていた。とても落ち着いていた。それがかえって、全てが仕組まれていることを物語っていた。


 私は思った。


 ——そうか、十年間ここで掃除をしてきたのに、最後はこういうことになるのか。


 悲しいかと言われれば、確かに悲しかった。理不尽だとも思った。でも、怒りはあまり湧いてこなかった。ただ、ぼんやりと——あのシャンデリアのガラス飾りに、今日もほこりが溜まっているなと思っていた。あそこは私しか掃除できる人がいないのに、もう私はいなくなるのだと。


「……わかりました」


 私は再び深く礼をした。


「十年間、置いていただいたことに感謝します。ありがとうございました」


 場が静まり返った。誰かが喉を鳴らす音が聞こえた。


 フィオナが一瞬だけ、目を伏せた。


 私はそれ以上何も言わず踵を返し、大広間を出た。


---


 神殿の正門が閉まる音を背中で聞きながら、私は王都の大通りに立った。


 手元には、着替えが少しと、銅貨が数枚入った革袋だけだ。


 空は高く、青かった。午前の光の中で、街は静かにざわめいていた。パン屋がシャッターを開ける音。野菜売りの呼び込み。どこかから煮込み料理の匂いがした。


 「さて」


 私は呟いた。


 「どこへ行こうか」


 帰る実家はない。神殿が唯一の居場所だった。街道を歩いていけば、次の村がある。そこで雑用仕事でも探せばいい。私は掃除ならできる。料理も、洗濯も。誰かの役に立てるかもしれない。


 前を向いて、歩き出した。


 ——それが、私の最後の選択だったと気づいたのは、もう少し後のことだ。


---


 王都の外れを過ぎ、石畳が途切れて土の道になった頃、空が翳った。


 昼を過ぎていた。水を飲み忘れていたことに気づいたのは、木陰で立ち止まった時だった。革袋の水筒は空だ。次の井戸まで、どのくらいあるだろう。足が少し、重かった。


 それからどのくらい歩いたのか。


 気づいたら、座り込んでいた。


 大きな木の根元に背中をもたせかけて、私は空を見上げた。木漏れ日がゆっくりと揺れている。綺麗だなと思った。ここの落ち葉は、あまり掃除がされていないようだ。


 目が重かった。


 「……少しだけ」


 目を閉じた。


---


 目覚めた時、私は天井を見ていた。


 知らない天井だった。


 黒と金の装飾が施された、途方もなく高い天井。シャンデリアが幾つも吊り下がり、その全てに炎がともっている。使われている石材は黒い大理石で、人間界では見たことのない素材だった。


 ベッドは柔らかかった。これほど柔らかいものに横たわったのは、生まれて初めてかもしれない。シーツは暗い紺色で、星のような刺繍が入っている。


 私は体を起こした。


 部屋の奥、大きな扉の前に、ひとつの影があった。


 背が高かった。こちらを向いて、腕を組んで立っていた。ダークパープルの長髪が肩にかかり、漆黒のコートが足元まで落ちている。赤みがかった黒い瞳が、こちらを静かに見下ろしていた。


 「目が覚めたか」


 低く、よく通る声だった。


 私はぱちぱちと瞬いて、部屋を見回し、ベッドを見て、相手の顔を見た。


 そして気づいた。


 あちらのシャンデリアのガラス飾りに、すごくほこりが積もっている。


 「……あの」


 「なんだ」


 「こちら、毎日一体誰が掃除をされているのでしょう」


 沈黙が落ちた。


 男が口を開きかけ、閉じた。


 「……余の城だ」


 「そうなのですね。私で良ければ、明日からやらせていただけますか?」


 また沈黙が落ちた。今度は、もう少し長い沈黙だった。


 「……貴様は、ここがどこかわかっているのか」


 「いいえ」私は正直に答えた。「でも、とても広くて立派な場所ということはわかります。こんなに広ければ、掃除も大変でしょうから」


 男の眉が、ごくわずかに動いた。


 「魔王城だ」と彼は言った。「俺はカイゼル。この魔界の王だ」


 「存じませんでした」私は深く礼をした。「ルナ・アーシェルと申します。先ほどは拾っていただき、ありがとうございました」


 カイゼルと名乗った男は、しばらく私を見下ろしていた。


 「……人間を置くつもりはなかった」


 やがてそう言った。


 「だが、まあ……」


 彼は視線を窓の外に向けた。


 「賄い方として、しばらく置いてやる。余計なことはするな」


 私の胸に、じわりと温かいものが広がった。


 「はい! ありがとうございます! では明日から掃除を——」


 「今日は休め」


 「でも、あそこのシャンデリアが……」


 「今日は、休め」


 そう言ってカイゼル王は踵を返し、扉を開けて出て行った。


 閉まった扉を見つめながら、私は思った。


 ——怖い顔をしているけれど、優しい人なのかもしれない。


 そうしてベッドに仰向けに転がり、天井のシャンデリアを眺めた。


 明日、あのほこりを落とさなければ。


第一話 完


お読みいただき、ありがとうございます!


もし少しでも「面白い!」「続きが読みたい!」「ざまぁ展開が楽しみ!」と思っていただけましたら、

ページ下部の【★★★★★】から評価と、ブックマークをお願いいたします!

作者の大きなモチベーションになります!


明日は第2話を更新予定です。

引き続きお楽しみください!

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