はじめに
南山文理大学の櫻井です。 前回の『海洋国家日本の勃興と南山』、大変な反響をいただき驚いております。まさか、象牙の塔に籠もる偏屈な歴史家の戯言が、これほど多くの「現代の知的彷徨者」たちの暇つぶしになるとは。 編集部からは「先生、読者が待っています。次はもっと過激に、もっと皮肉たっぷりに、あの『大脱出』の裏側を暴いてください」と矢の催促を受けました。 やれやれ、私も暇ではありません。学期末の採点もありますし、何より…私事で恐縮ですが、最近愛車を買い替えたばかりでしてね。その慣らし運転に忙しいのです。
今回は、その「新車」の話から、本論のイントロダクションを始めるとしましょう。
はじめに —
国家の「乗り換え」という一大事業について
読者の諸賢は、長年連れ添った愛車を手放した経験がおありだろうか。
実は私、先日ついに愛車を買い替えた。前の車は、それはもう手に馴染んだ良い車だった。シートは私の背中の形に凹み、ハンドルの革は擦り切れ、エンジンの癖も知り尽くしていた。そこには無数の思い出、家族との旅行、恋人との別れ、そして学会へ急ぐ雨の高速道路…が染み付いていた。
しかし、現実は非情だ。燃費は悪化し、サスペンションは軋み、最新の安全基準には到底適合しなくなっていた。修理すればまだ走れるかもしれない。だが、コストが合わない。維持すること自体が「目的」になり果て、本来の「移動する」という機能が損なわれつつあった。
だから私は決断した。古い車を廃車にし、最新のナビゲーションシステムと、静粛でパワフルなエンジンを持つ新車に乗り換えることを。納車の日、私は古い車のボンネットを一度だけ撫でて、新しい運転席に滑り込んだ。新車の匂い。圧倒的な加速。そして、一抹の寂しさと、それを上回る「これからどこへでも行ける」という強烈な万能感。
……さて、なぜ私が冒頭からこんな極私的なカーライフの話をしているのか、賢明な読者諸賢ならお気づきだろう。これが、1869年に我々の父祖が行ったことの「正体」だからだ。
前回の論考では、14世紀から19世紀中盤にかけて、日本人がいかにして南洋へ進出し、富を蓄え、列強の仲間入りを果たしたかをお話しした。いわば、「車の部品を買い集め、ガソリンを貯めた話」である。
今回の続編で扱うのは、その集大成 、すなわち「日本列島(徳川幕府)」という古びた車から、「南山共和国」という新車への、人類史上最大規模の乗り換え(リプレイス)」の記録である。
歴史の教科書において、1869年の「南山大脱出」は、しばしば涙を誘う悲劇、あるいは神話的な英雄譚として語られる。
「敗れた武士たちが、涙を飲んで故郷を捨てた」
「神に導かれし民が、約束の地を目指した」
馬鹿馬鹿しい。そんな情緒的な動機で、80万人もの人間が海を渡れるものか。あれは、もっとドライで、計算高く、そしてある意味で「前向きな」損切り(ロスカット)だった。
当時の東国の人々、特にテクノクラートや資本家たちは気づいてしまったのだ。「この『日本列島』という車体は、もう限界だ。西国という同乗者とは話が合わないし、狭すぎるし、資源というガソリンも足りない。修理するより、新車を買った(作った)方が安上がりで速いじゃないか」と。
だから彼らは引っ越した。夜逃げではない。工場の機械も、銀行の金庫も、学校の図書館も、すべて梱包して持ち出した。これは「敗走」ではない。「戦略的本社移転」である。 本稿では、内戦(戊辰戦争)という泥沼の交渉決裂から、奇跡とも言える兵站輸送、そして熱帯のジャングルに「明望」という摩天楼を築き上げるまでの半世紀を、再び私の偏屈な視点で解剖していく。そこにあるのは、美しい愛国心ではない。「生き残るためなら、住む場所も名前も変えてやる」という、我々南山人の骨髄に染み付いた、あの逞しくも図太いリアリズムだ。
さあ、シートベルトを締めていただきたい。私の新車のように快適とはいかないが、歴史という名のオフロードを、これからフルスロットルで駆け抜けることになるのだから。
それでは、愛車の慣らし運転も終わったところで、本題に入りましょう。 ここからは冷徹な歴史家のメスで、あの「大移動」の腹わたを切り開いていきます。 この序章は、本論文全体を貫く通奏低音となる部分です。心して読んでいただきたい。
最後までお付き合いいただき感謝します。
気に入っていただけたら、ページ下部よりブックマークとポイント評価をお願いします。
*本編未読の方も、この『架空歴史講義』だけでお楽しみいただけますが、下記の講義録の第一弾をお読みいただくと、より講義の解像度が高まるかと存じます。
_______________
講義録「徳川海洋圏の地政学と「南山」の政治経済史 棄民から生まれた「双頭の帝国」の構造分析」
https://ncode.syosetu.com/n5547lt/
本編「南山共和国建国史」
https://ncode.syosetu.com/s0124k/




