第5話:報告
県庁に戻った頃には、空はすっかり夕方の色になっていた。
庁舎の窓ガラスに映る空は薄く赤く、遠くでカラスが鳴いている。
大地はふっと息を吐いた。
(……夢だったら、どれだけ楽だろう)
洞窟。
妙に整った壁。
そして、スライム――リム。
あまりにも現実離れしている。
しかし、泥だらけの安全靴も、作業着の匂いも、全部が現実だった。
大地は自席に戻り、荷物を置いた。
すると背後から声が飛んだ。
「お、松本。帰ったか。どうだった?」
係長の古賀だった。
大地は口を開きかけて、止まる。
(……これ、口で説明できるか?)
洞窟が突然現れた。
中が異様に整っていた。
スライムが喋った。
――いや、無理だ。
ここでそんな話をしたら、
自分がどう見られるか分かったものじゃない。
大地は一度咳払いをして、無難なところから話し始めた。
「洞窟、ありました。現地確認してきました」
「危険そうだった?」
「今のところ崩れる感じはありませんでした。酸素濃度と二酸化炭素濃度も問題ありません」
「ちゃんと測ったか」
「一応、行政なので……」
大地は苦笑した。
古賀は椅子に座り、真面目な目で言った。
「で、何が引っかかってる?」
大地は一瞬だけ言葉を選び、正直に答えた。
「……洞窟として、違和感があります」
「違和感?」
「口で説明するより、まとめて聞いてもらった方が誤解が少ないと思います」
古賀は少し考えてから頷いた。
「分かった。副課長と課長も呼ぶか」
「お願いします」
十分後。
課内の小さな打ち合わせスペースに三人が揃った。
古賀。
副課長の坂本。
課長の黒木。
そして、大地。
坂本が腕を組んだまま言った。
「松本、聞いたぞ。洞窟が出たって?」
黒木も頷く。
「位置は?」
大地はメモ帳を開き、淡々と報告を始めた。
「市の巡回ルート上で、新しい洞窟を確認しました」
「前からあった可能性は?」
坂本が眉をひそめる。
「市の職員も、見た記憶がないそうです。普段からパトロールしてる場所で、新しく踏み込んだ場所じゃないと」
古賀が小さく息を吐く。
「それは妙だな」
黒木が続けて聞いた。
「内部環境は?」
「酸素濃度、CO₂濃度ともに問題ありません。異臭もなく、空気のよどみも少なかったです」
「構造は?」
「現時点で危険性は低そうです。ただ……」
大地はそこで言葉を切った。
黒木が目を細める。
「ただ?」
大地はメモ帳に視線を落とし、慎重に続けた。
「自然洞窟として見ても、違和感があります。壁面が妙に滑らかで、崩れた痕跡が少ない。内部の形状が、あまりにも整っていました」
坂本が口を挟む。
「人工的ってことか?」
「そう断言はできません。ただ……この時代に、あそこまで整った洞窟が、地図にも記録にもなく突然現れるのは考えにくいと思います」
古賀が頷く。
「確かに」
黒木は腕を組んだまま、しばらく黙っていた。
そして、ぽつりと言った。
「熊とか猪の住処じゃないのか?」
その一言で、場が少しだけ現実に引き戻された。
大地は内心で叫ぶ。
(熊や猪どころじゃない……!)
だが、口には出せない。
大地は表情を崩さず答えた。
「可能性はあります。ただ、内部に獣の臭いがほとんどありませんでした。足跡も今のところは確認できていません」
坂本が言う。
「なら、専門家に見てもらうべきだな」
大地はすぐに頷いた。
「はい。自分もそう思います」
黒木が大地を見た。
「心当たりは?」
大地は少し迷ってから答えた。
「……小島先生が適任だと思います」
「小島?」
坂本が聞き返す。
大地は頷いた。
「国立大学の地質学の先生です。フィールドワークが趣味で、こういう現場にも慣れてます。自分も何度か一緒に仕事をしたことがあるので、携帯番号を知っています」
黒木は短く言った。
「呼べるなら呼んでくれ」
「はい」
大地は廊下に出て、携帯を取り出した。
夕方の時間帯。
迷惑かもしれないと思いながらも、かける。
数回の呼び出し音のあと、明るい声が返ってきた。
『はい、小島です』
「小島先生、お疲れさまです。松本です」
『おお、松本くんか。どうした?』
「急で申し訳ないんですが……中山間地で、地図にない洞窟が見つかりまして」
『洞窟?』
「はい。形状がかなり整っていて、自然洞窟として違和感があります。もし可能なら、一度現地を見ていただきたくて」
電話の向こうで、少し間があった。
そして次の瞬間。
『面白いな』
小島先生の声が弾む。
『いつ行く?』
「……明日でも大丈夫ですか?」
『明日? いいぞ。むしろ早い方がいい』
大地は思わず笑いそうになった。
(この人、絶対こういうの好きだ……)
「ありがとうございます。明日の午前中、現地集合でお願いできますか」
『了解。場所を送ってくれ』
「はい、すぐ送ります」
『よし。じゃあ明日な』
電話が切れた。
大地は携帯を握ったまま、しばらく立ち尽くした。
(……明日だ)
課内に戻ると、黒木たちはまだ待っていた。
大地は報告する。
「小島先生、明日行けるそうです。午前中なら大丈夫とのことでした」
黒木が頷く。
「よし。俺も行く」
坂本が目を丸くする。
「課長もですか?」
「現場を見ないと判断できん」
古賀が頷く。
「じゃあ俺も行きます」
坂本も渋い顔で言った。
「……仕方ない。私も同行します」
大地は内心、ほっとした。
(助かった)
少なくとも、頭がおかしいとは思われていない。
打ち合わせが終わると、黒木が大地に言った。
「明日、現地で状況をもう一度確認する。案内は頼むぞ」
「はい」
「市にも連絡を入れておけ」
「分かりました」
大地は頷いた。
その返事をした瞬間、
ようやく現実味が増した。
明日、上司たちが洞窟を見る。
それで、全てが動き出す。
――いや。
動き出してしまう。
その夜。
帰宅した大地はシャワーを浴び、布団に潜り込んだ。
だが、目を閉じても眠れない。
洞窟の暗闇。
異様に整った壁面。
冷たい空気。
そして――リム。
頭の中で映像が何度も繰り返される。
(……明日、見てもらえば)
(さすがに、俺の見間違いってことはないよな)
証明できる。
証明できれば、少しは楽になる。
だが、それは同時に――。
(もう戻れないってことだよな)
大地は枕に顔を押し付けた。
そして、心の底から思った。
(全部、夢でしたって言われたら楽なのに)
そんな都合のいい話があるわけがない。
大地は苦笑し、目を閉じた。
眠気は遅れてやってきた。
意識が沈む直前、最後に浮かんだのは――
洞窟の奥に続く、黒い闇だった。




