コープス&ゴースト
宗方由梨の関節が音を立てて締め上げられていた。
影の手は、まるで蠢く虫の巣のように無数に絡みつき、彼女の四肢を地面に縫い止めていた。
呼吸すら、思うようにできない。
頭の奥で、耳鳴りと心拍が交錯する。
「……ぁ……く……っ」
そんな彼女の右手の薬指で、
金属がきらりと光った。
奪った指輪の発動
指輪が赤く輝く。
その紋様は、かつて相沢遼介が持っていた力――
すなわち、**「世界に壊された男の直し方」**の力。
「……こっちにも、あるの……武器、が」
影の手が由梨をさらに地に沈めようとする瞬間――
彼女の左腕が変形を始める。
カチリ、カチリ……
骨が金属へ、筋肉が鋼線へ。
拳が巨大なバレル構造の回転式ガトリング砲に変貌した。
「喰らいなさい、クソジジィ」
影の手を振りほどくように、指輪の力で変形した左腕から銃弾が放たれる。
ガガガガガガ―――ッ!
影の手が次々にちぎれ、破裂し、地面に黒煙を上げて吹き飛ぶ。
十郎太の顔が驚愕で歪む。
「なっ……! 何を……!? その力は――!」
「奪ったのよ。さっきのオッサンから」
由梨の姿がガトリングの反動で後方に滑りながら、拘束を完全に解く。
地面を転がりながら起き上がると、左腕は元の姿に戻っていた。
「クク……見たか? これが指輪の力。
一度勝った者には“もう一つの答え”が与えられる。
君の影は、美しいが……由梨にも、“武器化”がある。
しかも相沢僚介は銃の構造を理解していなかったため、体を重火器にできなかったが、由利は違う
彼女は相沢僚介よりも“武器化”の能力を、うまく使う」
十郎太は歯を食いしばる。
「……チッ、余計なオマケを拾ってきやがって……!」
彼の足元で影が乱れる。
形を保てない。精神の動揺が、影に出ていた。
「まさか、こんな小娘に、こんなもんが……!」
由梨は無言のまま、グロッグを拾い上げる。
次に狙うのは、影ではなく――大塚十郎太、そのもの。
彼女の瞳は、迷いのない真っ直ぐな**“殺意”**を帯びていた。
銃声が止む。
残響すら、今はない。
ただ夜の空気だけが重く、沈むように張りついていた。
由梨は再装填もせず、立ち尽くしている。
息は荒いが、瞳は鋭く、敵を見失ってはいない。
だが――。
「……こっちはまだ、終わってねえよ」
大塚十郎太の身体から、真っ黒な瘴気が立ち上る。
その中心で、歪んだ笑みを浮かべた男の手が、ぐっと天を指差す。
「――来い。俺の“家族”」
空気が裂けた。
音もなく、空間が引き裂かれるようにして、
そこから――
36体の死霊たちが、完全な同時に姿を現した。
前戦で用いたものとは、比較にならない殺意を纏いながら死霊が現れる。
足の骨が露出したまま這う少女。
顔面に鉄串が貫通したまま微笑む男。
口を縫われた老婆。
全員が、苦痛と狂気を抱えた“笑み”を浮かべていた。
アガレスが囁く。
「――これは悪趣味ね。
最初の戦いじゃ、ここまで出してこなかったのに」
「全部出しちまうさ……」
「今ここで、このガキに喰い殺されるぐらいなら――」
十郎太は自らの肩の傷を抉る。
血が噴き出す――
その生臭さに、死霊たちの苦痛の呻きが歓喜に変わった。
「……ほら、思い出せよ……
俺たちは、こいつを“殺して”楽しんできたじゃねえか」
「……なら今度は、俺が“お前ら”を使って殺る番だ……!」
死霊たちが一斉に咆哮を上げ、由梨へ殺到する。
彼らの体からは、超常の力があふれていた。
痛みの記憶、恨みの怨嗟、惨たらしいほどの愛情――
十郎太が与えた「苦痛」が、彼の「武器」となって襲いかかる。
影の中から伸びる指が、由梨の足を掴む。
別の死霊が、背中から噛みつこうとする。
左肩を狙う腕が、骨の節を鳴らして絞めあげる。
由梨は再び、四方から囲まれていた。
「くっ……!」
ガトリングは解除されている。
幽体化も時間制限がある――
それを見越して、十郎太は死霊の数を増やした。
「殺れ……! 嬲れ……! 嬲って嬲って嬲って嬲って殺せェッ!!!」
三十六の地獄が一斉に牙を剥いた。
その中心に立つのは、血まみれで笑う一人の老人――大塚十郎太。
彼の命を絞り出すような、渾身の一撃は、
死霊たちの暴走という形で現実を襲う。
由梨の防御は追いつかない。
血が噴き出す。
スーツが裂ける。
地面が濡れる。
「――――――っ!」
遠くでアガレスが、静かに言った。
「……見せてごらんなさい、由梨。
本当に、あの男を“殺せる”かどうかを」
死霊たちが咆哮し、噛みつき、引き裂く。
まるで劇場の幕間のように、暗黒の合奏が響いていた。
だが、その音は彼の耳には入っていなかった。
「……ふう……」
血まみれの顔。
ぐしゃりと潰れた左の頬を擦る。
骨が砕け、歯がいくつか抜けたのは分かっていた。
だが、笑っていた。
「なんだ、まだ生きてるじゃねえか、俺……」
「……ハハ。しぶといな……」
かつて、自宅の物置に施した防音処理。
血の匂いを消すために何度も薬品を試したこと。
逃げようとするガキを、鏡張りの檻に閉じ込めた夜――
思い出すたび、身体が疼いた。
「……あん時は……良かったなァ」
「……誰にもバレなかった。誰にも。……誰にもだ」
“バレなかった”
その言葉を反芻する。
口にするたび、背筋がゾワゾワする。
喜びとは違う。恐怖でもない。
快感。
秘密の背徳に包まれるあの感覚。
それだけが、あの老いた男の命綱だった。
「俺は……殺すために生きてきた訳じゃねぇ……」
「ただ……“バレずに生きる”ために殺してきたんだ……」
「なぁ、誰にも気づかれず、普通に、穏やかに、老いて、死ぬ……」
「それが……それだけが……俺の……」
嗚咽が漏れる。
喜びでも、悲しみでもない、意味のない音。
「願いだよ……」
「犯罪者である俺が、罰せられずに、誰にも気づかれず、ただ死ぬ」
それが、大塚十郎太の願い。
彼が人生でたった一つ、**全力で欲している“救い”**だった。
周囲では死霊が再び叫び、由梨の反撃を受け始めている。
だが、大塚は見ていなかった。
彼の視線は、もうどこにもなかった。
ただ、未来に――
“罪を誰にも知られずに終える”という、歪んだ祈りだけが残っていた。
血の匂いが濃くなった。
空気に鉄の味が混じっている。死霊たちが軋む音が途切れた。
その異変に気づいたときにはもう――
「――ッ⁉」
宙から伸びた一筋の鋼の刃。
いや、幽体の如き刃。
宗方由梨の変形した右腕が、再び大塚の胸を貫いていた。
大塚は死霊に力を注ぎ込むのに注意を向けすぎていた。
暴走させたのも、まずかった。
死霊が宗方由利だけではなく仲間の死霊まで共食いしていたのだ。
宗方は、その混乱の隙に、またしても幽体化し、彼の背後を取っていたのだ。
まるで月の影のように、気配も無い。
殺意すら感じさせない、静かな死の使者。
「がっ……! ッ……な……」
喉の奥から赤が溢れる。
胸を裂いた刃が、肺を穿ち、呼吸を断った。
「しぶといね……おじいちゃん……まだ死なないんだ?」
由梨の声が、耳元で囁くように響いた。
彼女は無感情だった。
まるで機械のように。人形のように。ただ“倒すべき敵”を排除しているだけのように。
大塚は膝をついた。
死霊たちは未だ空中に浮かんでいたが、主の意識の希薄化と共に、ぼやけていく。
「……が……あ……」
「バレ……たく……ない……だけ……なのに……」
「なんで……こんな……」
理解できない。
どうしてここまでの力を――
なぜ、ここまでして自分を排除するのか。
彼は“死にたい”わけではなかった。
“逃げ切りたかった”だけなのだ。
平凡を装い、誰にも知られず、静かに死にたかった。
それが――なぜ、こんな理不尽な暴力で終わるのか。
「……お願いだよ……見逃してくれよ……俺……何もしてない……」
「あーあ、またウソだね」
由梨のグロッグが、再び大塚の眉間に向けられる。
だが、引き金はまだ引かれなかった。
月が静かに見下ろしていた。
誰にも届かない、救済の気配だけを湛えながら。
大塚十郎太、瀕死。
ついに、殺人鬼の男の“逃げ道”が尽きようとしていた。
地に伏した大塚十郎太の喉から、血泡が音を立てて弾けた。
肺は潰れ、足は震え、意識は薄れかけている。
それでも、男は動いた。
「……っは……っ、クク……まだ……終わらねぇよ……」
満月の光が血に濡れた顔を照らす。
その顔に、恐怖はなかった。
ただ――獣のような、本能のままの笑みだけがあった。
死霊たちは既に消えていた。
影の手も引き千切られ、もう武器は何もない。
だが、**最後の“声”**が残っていた。
「……アイツらは……俺にとっちゃ宝なんだよ……」
苦しげな声で、どこか誇らしげに笑う。
「あの悲鳴も……涙も……最後の眼……全部……全部俺だけのモンだ……」
血まみれの手を、由梨の足元へと伸ばす。
「俺はなァ……人が苦しんで……死ぬ瞬間にしか……生きてる実感がなかったんだよ……」
その手が、わずかに触れるか触れないかの距離まで達する。
「……お前だって……人を殺すんだろ……?」
「……違うのかよ……!」
由梨の瞳が、冷たい光を放つ。
グロッグの銃口が、大塚の額へと静かに向けられた。
「……ええ。違うわ」
その声は、あまりにも静かだった。
だが――
その直前、大塚の掌が、地面を叩いた。
瞬間、地面から血に濡れた残骸が“跳ね起きる”。
まるで糸に引かれた操り人形のように。
彼が操る**“最後の一体”、最も古い犠牲者の亡霊**だった。
骨が露出した小柄な死霊が、由梨に向かって猛然と飛びかかる!
「……まだ、だァァアアァアアアッッ!!」
大塚が咆哮した。
その叫びには、恐怖も怯えもなかった。
あったのは――最後まで“誰にも捕まらずに終わりたい”という渇望。
その瞬間、月の光がより鋭く照りつけた。
薄闇を裂いて、血と絶叫が交錯する。
すでに大塚十郎太には戦う気力がないと、思い込んでいた宗方由利に、渾身の奇襲が放たれた。
死霊の咆哮。
悲鳴に満ちた影の断末魔。
大塚十郎太の「最後の一体」が、宗方由梨の顔面目掛けて跳躍する。
だが、由梨は一歩も動かなかった。
「……もう、見えたのよ。全部」
瞬間、由梨の右腕が変形する。
滑らかな金属の質感。銃剣と鉤爪が融合した奇怪な武器――
由梨の“武器化能力と幽体化を合わせた”の極限形態だった。
「おじいちゃんの“怖がらせたい”って気持ちも、私の“殺したい”って感情も。」
「どっちももう終わりにしましょう?」
“ガキィィィン!!”
跳びかかってきた死霊の頭部が薙ぎ払われた。
まるで紙のように裂け、絶叫を残して塵となる。
「……そっか。やっぱり……そうなるよな……」
大塚の顔に、今だけは本物の笑みが浮かんでいた。
恐怖も苦悶もない、どこか安堵したような――虚無の受け入れ。
宗方由梨は、迷わず近づいた。
そして、そのまま銃を振り上げ、大塚の頭を真上から打ち下ろす。
**“ドッ”**という鈍い音が響いた。
その瞬間、大塚十郎太の意識は暗闇へと沈んでいった。
感覚は消え、記憶は滲み、ただ「無」だけが広がっていく。
(……そうだ……最期も……静かに……誰にも見つからず……)
それが、彼の**“願いの断片”**だったのかもしれない。
だがその願いは、戦場の砂に混じって、静かに砕けた。
――宗方由梨の勝利。
そして、次のバトルが始まる。
ただし、それはまだ月の下。
死体は静かに、夜の底へ沈んでいく。
満月の下。
黒曜石のような床に囲まれた悪魔たちの円卓では、戦いの観戦が幕を閉じていた。
最初に口を開いたのは、鋭い舌を持つ者――ベリアル。
「くくく……どうやら、俺の依り代は“痛み”に縋ったまま、沈んでしまったようだな。哀れだな? 人間ってやつは」
目の前にある黒いワイングラスを揺らし、血に似た液体を傾ける。
それに応じたのは、白金の髪と静かな声を持つ者――アガレス。
「彼は最初から、敗北の中に“安心”を見ていた……。それでも、最後まで“足掻いた”。それだけでも、優れていたと言える」
「だが、戦いは優しさでは勝てぬ。幽体に刃が届かぬように、弱者の意志もまた届かぬのだ」
ベリアルは、甲高い笑い声をあげる。
「ハッ、慰めか? それとも哀悼か? どっちにしても、あの男には届きはしない!」
「だいたい、“バレずに殺したい”なんて虫のいい願いだ。欲望にしてはずいぶん慎ましいじゃないか?」
アガレスは静かにワインを一口すすり、答える。
「慎ましさは、ときに傲慢よりも始末が悪い。気づかれずに悪を成す者ほど、深い罪を重ねるからな……」
沈黙が一瞬、卓を包む。
だが次にベリアルは口元を歪め、にやりと笑った。
「ま、あの小娘――宗方と言ったか?」
「あの小娘の目、ゾクゾクするな……。“殺す”ことに一点の迷いもない。あれはいい。もっと見ていたくなる」
アガレスも一度目を閉じ、まるで祝福するように言う。
「“誰にも見つからずに生きたい”者が、“誰かの生を終わらせる”……」
「皮肉なものだな。まるで、死が生を暴いていくようだ」
両者、盃を静かに合わせる。
カチン、と月明かりに響く、冷たい音。
そして――
「次の宴も愉しみだな、アガレス」
「ああ。次は“野獣と風”の交差だ。理など無用。血が吼えるぞ」
月は変わらぬ輝きで、夜を見下ろしていた。
戦いの終息を迎えた後、宗方由梨は倒れた大塚十郎太の姿を見下ろしていた。
十郎太の身体が無防備に横たわり、血と汗で滲んだ表情には、もはや命の兆しはない。
由梨はその場で立ち止まり、冷ややかに目を細めながら、大塚の手首に光る指輪を見つめた。
「指輪……」
彼女の指が、何気なくその指輪に触れた瞬間、金属の冷たさが彼女の肌に染み込んだ。
指輪を触った瞬間に、不意に感じる“感覚の変化”。
この指輪は、大塚十郎太が持っていたもので、「影の手」の能力を持つ者の証。
それは、彼が数十人の命を握り、彼の影を操るために求めた力の証でもあった。
「影の手……か。」
由梨の目が静かに細まる。
彼女が今、最も必要としているのは、“物理的な力”ではなく、
相手を無力化するための“術”――まさに、影のように、静かに敵を包み込む力だ。
その能力が、最も今の戦局において役立つ。
「これを使えば……後の戦いで、もっと有利に進めるだろう。」
由梨は影の手の指輪を自分の薬指に嵌めた。
その瞬間、身体の奥から、影が反応する感覚を感じ取った。
「影の手」――
人間の意志を受けて、あらゆる影を動かし、物理的な攻撃を制する。
その能力を制御した瞬間、影が彼女の周囲に蠢くような錯覚が生まれた。
それと同時に由利がアガレルから受けた説明を思い出す。
「指輪の収奪は一回の戦闘で1つしか手に入らない。」
対戦相手を倒した際、彼女は選択肢を手にしているが、これ以上の指輪は得られない。
次の戦いで他の指輪を奪うことはできず、もし次の対戦で相手の能力を使いたければ、直接能力を奪う必要がある。
これは、戦闘の公平性を保つためのルールだ。
指輪を手に入れることが、次の戦いの運命を大きく左右する。
舞台は場所を移し廃墟となったビルの屋上。
そこには冷たい風が吹き抜け、夜空の月がまるで予兆のように白く輝いている。
風巻大吾は、一切の表情を崩さず、冷静にその場に立っている。
かつての自衛官であり、理論派で冷徹な男。
だが、彼の強さは、一切の妥協を許さないところにある。
その硬い精神と無機質な行動力が、彼の最も恐ろしい武器となっている。
対するは、鹿倉翔伍。
背が高く、筋肉質の身体を誇る彼は、本能で動く野生児のような男。
自分の力で生きてきた彼は、直感に従い、戦闘を楽しむかのように戦う。
だが、愚者ではない。彼の直感は常に、危険を見抜く力を持っている。
そして、戦いのルールが明確になった瞬間、風巻大吾はその目を鋭く光らせ、言った。
「準備はできているか? 鹿倉。」
鹿倉翔伍が不敵に笑う。
「お前、俺のことをどこまで理解してるんだ? まぁ、楽しみにしてろよ。」
風巻大吾の右手がゆっくりと拳を握りしめた。その目は鋭く、空気を切り裂くような強い意志を感じさせる。
「目標は決まっている。勝者に栄光を」
そして、戦闘の幕が開ける。
タイトルが前後するのは仕様であって誤表記ではないよ。