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早乙女誠一郎VS鹿倉翔伍



明けることがない永遠の夜の世界、現実に似せて作られ、それでいて明らかに現実と違う

世界に、存在が許された者たちだけが、活動する人工の世界で、水音が響く。

高い天井、空間の奥まで白い蒸気が立ちこめ、視界を曇らせている。

床には湯が流れ、硫黄の匂いが空気を満たす。


ここは──廃墟化した巨大温泉施設だった。


脱衣所も風呂場も天井が抜け落ち、柱には無数のヒビが入っている。

ガラス張りのサウナ室、露天風呂を囲う竹垣、すべてが朽ち、

ところどころに不自然なほど新品同然のタイルが嵌め込まれていた。


鹿倉翔伍はその露天風呂の岩にもたれ、裸にバスタオル一枚という無防備な姿で、出るはずのない

湯に浸かっていた。

だが油断しているわけではない。

その筋肉には余分な肉が一切なく、

本能に従って周囲の空気の流れを探っていた。


「いい湯だな……こんな所で死ぬヤツもいるんだ。面白えな」


片目を開け、霧の向こうに気配を感じ取る。


一方その頃、早乙女誠一郎は建物内の薬草風呂の間を歩いていた。

レザーグローブを嵌め直しながら、壁に触れる。


「塩素タイル、アルミ、コンクリート、炭素成分に微量の硫黄……材料は申し分ないな。

──ここを錬成場に変えるには、少々風流すぎるか」


彼の歩き方はあくまで堂々としていた。

まるで舞台に立つ俳優のように、自分がこの世界の主役であるとでも言うように。


そして──二人は遭遇する。


露天の湯煙を割って、早乙女が姿を現す。


「裸とは……油断か、それとも誘いか?」


「湯船に浸かるにゃ裸が普通だろ、ガキじゃあるめぇし。

──あんたが俺の担当悪魔が、教えてくれた“理屈屋”か?」


「早乙女誠一郎。

君は……鹿倉翔伍。元格闘家で、犯罪歴多数……愚か者ではないが、制御されない野獣」


「ほう……あんたも教えてもらったのか?」


「情報収集は勝利の第一条件。もっとも──それだけでは勝てぬと知っているがね」


湯から立ち上がる鹿倉の身体は、まるで彫像のように硬質だった。

一方で早乙女は特殊警棒を片手に、コンクリートの床に一歩ずつ印を刻む。


この場所が、二人の戦場になる。


湯気に包まれた戦場で、鉄と錬金が交わる。


「さて──開幕といこうか、早乙女誠一郎」


「君が拳を握った瞬間、私はすでに演算を終えている。

……さあ、退屈を終わらせようか」


「行くぜ、理屈屋……!」


バスタオルを軽く投げ捨てた鹿倉翔伍の体が、音を立てて硬化していく。

腹筋、腕、肩、脚──すべてが熱を帯びた鉄の質感に変わり、光を反射する。


床を蹴った。

温泉の床板が悲鳴を上げるように軋み、鹿倉の拳が一直線に早乙女へと迫る!


その瞬間。


──バチィッ!


床に指先で触れた早乙女の足元から、青白い電流が走る。

錬金が発動。


タイルが変形し、斜めの石の盾が斜面状に突き出した。


「反射角48度──“直進バカ”には効くと思ったが」


「なっ──」


鉄拳が盾を正面から殴りつけた瞬間、跳ね返る衝撃で鹿倉の巨体がバランスを崩す。

湯気に包まれた中で、鍛え抜かれた巨体が仰け反る。


「だが……おもしれぇ!」


鹿倉の足元が火花を散らす。

左足を踏みしめた瞬間、彼の膝から下がさらに漆黒の鋼鉄へと変化した。


「次は真正面じゃねえ!」


湯煙を切り裂きながら鹿倉は横に回り込み、ローキックを放つ。

分厚い鋼の脚が、早乙女の膝へと迫る。


──だが。


早乙女は寸前で床に右手を置いた。

バチィッ!


床が一瞬で隆起し、鹿倉の膝を受け止める壁となる。


ゴッッ!!!


「ちっ……その青い電気、ムカつくな」


「怒りは判断を鈍らせる。君の欠点だ」


距離を取る鹿倉。

ただしその目は、明らかに楽しんでいた。


「……お前、強ぇな」


「知っている。だがまだ全力ではないよ?」


早乙女の冷たい視線が鹿倉を射抜く。


「この戦いは……最終的に“理性”が勝つ。構築された理性が、君のような本能を凌駕する」


「へぇ。だったら潰してやるよ、お前の理性ごと!」


鹿倉の全身がさらに鉄化を進め、肩口が赤く染まり始める──熱鉄化の兆候。


(熱……いや、発火までいくつか段階がある。まだ本気ではないな)


早乙女は冷静に分析しながら、指先で浴槽の縁に触れる。

バチッ──


鉄とタイルの複合物が再構成され、伸びる槍となって鹿倉へと向かう。


「勝負だ、野蛮人」


「上等だ、理屈野郎──!」


再び二人が火花を散らしながら衝突する。


戦いは今、蒸気と火花の中で劇的な開幕を迎えていた。


「面白い。君の筋肉、見事な鋼だ。

──だが所詮、無機的な単一素材だ。複合構造には敵わないよ」


早乙女誠一郎は、床の割れ目に手を置き、電流のような放電を走らせた。

瞬間、地下の配管から湯が噴き出し、その湯を構成するミネラル分をも巻き込んで、巨大なスクリュー状の槍が地中からせり上がった。


「錬成対象:水・塩素・炭酸カルシウム・鉄成分──

これを“複合穿孔槍アブレイシブ・ドリル”と名付けよう」


回転しながら伸び上がるその槍が、鹿倉を真正面から貫こうと迫る。


「ッラァッ!」


鹿倉は真っ向から殴り返す!

その腕は熱した鉄筋と化し、蒸気を立てながらドリルと激突──


ガァアアアアン!!


しかし、錬成された槍は回転の摩擦で鹿倉の拳を弾いた!


鹿倉「ぐ……おおおっ……!」


槍の根元が地面ごと傾き、鹿倉を壁へと押しやる!

露天風呂の縁に鹿倉の背中が叩きつけられ、壁が崩れ湯が溢れ出す。


「君の攻撃は直線的すぎる。

反射率、運動量、熱変換率……どれも計算済みだ」


早乙女は隠し持っていた警棒を手に歩み寄りながら、別のタイルを指先で撫でる。

またしても放電が走り、今度は鋭利な羽根のようなブレードが6本、風呂場のあちこちから飛び出す!


「“羽刃陣シェアード・カット”──

囲まれたね。鹿倉翔伍」


「ちっ、囲むってのはよォ……セコい奴のすることだ!」


鹿倉は全身を鉄化しつつあるが、まだ熱変化には踏み切っていない。

明らかに攻撃のリズムを握られている。

一撃一撃の重さは鹿倉のほうが上──だが、攻撃の“組み立て”において、完全に早乙女の術中にある。


(今のところ……僕の想定どおりだ)


早乙女の目は、まるで子供のように輝いていた。


(“本能型”は、こうして囲んで、閉じて、削っていけばいい──思考の迷路に落とせば、理論のほうが必ず勝つ)


「では──潰れろ」


早乙女の合図と同時に、四方のブレードが鹿倉を中心に襲いかかる!


「潰れろ」


早乙女の指先から走る電光の合図とともに、六方から飛来する刃が鹿倉翔伍を襲う。

空気を裂く金属音が温泉場に響きわたる。


「……へっ、囲んで狩るってか?」


鹿倉は、ブレードの軌道を瞬時に把握するや、両足を床に叩きつけた。


ゴッ──!!!


床が砕け、彼の全身が一気に“赤熱”する。

真紅の鉄が、溶解寸前の熱を帯びて蒸気を吹き出す!


「ならよ──囲ってるブレードごと、焼き潰しゃあいいんだろ!!」


**


ジャアアアアアッ!!!


**


瞬間、鹿倉の体を中心に半径3メートルの空間が“熱風”で一掃された。

襲い来る羽刃が空中で熱膨張と焼き崩れを起こし、四散する。


早乙女「なに?」


ブレードは確かに鋭利だった。だが、熱に弱い素材を含んでいた。

ミネラル成分、再構築の構造的な脆弱性──


(しまった、温泉場の鉱物含有率が……)


判断が一瞬遅れる。


その隙を突いて──


「おらあッ!!」


鹿倉の灼熱の右拳が一直線に早乙女へと迫る!

避けるには遅い──!


ガッ!


早乙女は咄嗟に、床に手をついて地面を盛り上げ──だが不完全!


拳が錬成途中の壁ごと貫き、早乙女の腹部に叩き込まれる!


「ぐっ……!!」


壁越しに拳の熱が伝わる。

ただの衝撃ではない、肉の深部を焼く鉄の灼熱。


早乙女の身体が横薙ぎに吹き飛ぶ!


ゴン──!


柱に激突し、うずくまる早乙女。

蒸気に包まれた中、鹿倉は肩で息をつきながら笑う。


「構造がなんだって? てめぇ、熱で肉が焼ける怖さ……知らねぇだろ?」


早乙女は、腹を押さえながら立ち上がる。


(深部に損傷……内臓が……)


冷や汗が額を伝う。

しかし目だけは冷たく光を宿していた。


「──君はやはり、ただの野蛮人じゃない。

“敵”としては……申し分ない」


焼けた拳とは別に殴られた衝撃で折れたあばらが

内臓を傷つけ、その傷から吹き出した血を袖で拭い、早乙女は新たな物質に手を触れる。


戦局が動いた。

鹿倉翔伍、錬成を“焼き崩す”力で、今ここに優位を得る。


蒸気の帳が立ち込める中、早乙女誠一郎は呼吸を整え、静かに周囲を観察していた。


(なるほど……赤熱化した鉄の拳。あれは一撃で致命傷になりうる)


腹部の痛みは深く、肋骨の一部がきしむ。

だが、早乙女の思考は止まらない。

敵の能力、敵の心理、敵の肉体構造──


(翔伍の肉体がいかに硬質でも、熱変化による自己強化には必ず弱点がある)


──「熱伝導」。


鉄は熱を通す。

だが、それはすなわち──温度差のある部位を強制的に冷やせば、金属の応力が集中するということ。


(そして、赤熱状態の拳──その“最も冷やされていない部位”を一点集中で破壊すれば……

奴の“拳の威力”を削げる)


「さて、実験開始だ」


早乙女は、温泉場の一角に転がっていた炭酸ガス消火器を拾い上げた。

中身は残っている──そして、スチール製のカバーを解体。

中身の薬剤と構造を即座に理解し、錬成が始まる。


バチバチッ──!


電光が走り、消火器から伸びた数本の管が編み込まれ、一本の“凍結槍”が形成される。

その先端からは極低温のガスを噴出する仕組みが構築されていた。


「“極槍クライオ・スパイン”──さあ、君の肉体を砕こうか」


鹿倉「チッ、また何か仕込んできやがったな」


灼熱の拳を振りかぶる。

だが──


ギュウゥゥゥウウウ……


白煙とともに放たれた極冷の槍が、鹿倉の右拳に直撃!

瞬間、赤熱の鉄が急冷されて白く濁る。


「なっ──ぐおおっ!!?」


金属が熱応力によりミクロのレベルで割れ、拳の硬度が一気に落ちる。

拳が割れるわけではないが、“打撃の威力”が完全に鈍る。


その瞬間、早乙女は駆けた。


「君の拳は美しい──だが、

解析された美は、模倣に堕ちるだけだ」


ガキィィッ!!


早乙女の手にあった警棒が、赤熱を失った拳と真っ向から交差する。


今度は、警棒が勝った。


鹿倉「ぐっ……!!」


拳を後ろへ引いた鹿倉が、わずかに態勢を崩す。

その隙を逃さず、早乙女は床を触り、錬成。


次の瞬間、鹿倉の足元からコンクリートの針が直上へ噴き出した!


ガスッ!!


脛を貫くことはなかったが、足場を破壊し、鹿倉のバランスを完全に奪う!


早乙女「理は、力に勝る。

君の火力はもう通じないよ」


鹿倉翔伍、動揺。

熱拳の優位を失い、錬金術による構造解析と冷却の連携に主導権を奪われつつある。


「……ククッ」


崩れた足場の中、鹿倉翔伍は顔を上げた。

鼻の奥が焼けるような焦げ臭さ──それは、自分の熱が奪われた証。


「へぇ、冷やしゃ拳の威力が落ちるってか。頭いいな、おい」


だがその言葉に、怒りも焦りもない。

あるのは、野生動物のような勘に裏打ちされた確信。


「だったらさ──“頭のいいお前”のクセってのを、こっちは嗅ぎ取るだけだ」


翔伍は、ゆっくりと身を起こすと、今度は構えを変えた。

それはもはや格闘技ではない。

獣が地を這うような、匂いを追うような低い姿勢。


「お前さ──“構築の途中”が一番隙あるよな?」


早乙女の目がわずかに細まる。


(……見抜かれた?)


そう──鹿倉が狙ったのは、「錬成の途中に隙がある」というタイミングの穴、

構築には一瞬ラグがある。


早乙女は再び錬成に入る──

だが、指先に触れた瞬間、電光が走るその“瞬間”──!


「そこだッ!!」


鹿倉が床を蹴った。

構築中の床が瓦解する寸前、まさにその空白時間に飛び込み、


ズガアァァッ!!!


翔伍の膝蹴りが早乙女の胸元を貫いた!


早乙女「……ぐ、ぁ……っ!!」


鉄と筋力の合成、灼熱こそなくとも質量は殺しの重量。

肋骨が数本、音を立てて砕け、早乙女は後方に吹き飛ぶ。


がんっ!!!


背後の構造壁に頭をぶつけ、反射で地面を転がる。

視界が揺れ、意識が一瞬飛びかける。


翔伍「オメェは材料がないと何もできねぇ!

材料に触れる時間すら与えねぇ!!」


そのまま猛追──!


翔伍は、今度は周囲にあった鉄パイプを手に取り、

火のついていない鉄棒をそのまま大上段に振りかぶる。


ガッ!!!


早乙女は腕で受けたが、骨ごと軋む重量。

逃げる暇も、触れて構築する暇もない。


(……違う。力じゃない。

これは、“呼吸の奪取”だ……)


それは理論ではなかった。

鹿倉翔伍の戦い方は、まさに動物が“獲物の息”を奪うような戦術だった。


錬金術という知性の武器を、

“タイミング”という本能で押し潰しに来た。


鹿倉「喰らえ!!」


仕上げの拳が振りかぶられる。


早乙女の目の前に、鉄と肉の融合した“野性の槌”が迫る。


構築する時間が──ない。


不利、明白。

ここで崩されれば、次の錬成に手が届かない。


早乙女誠一郎、初めての“野性の読み”に追い詰められる。


(……本能に負けた?)


倒れながら、早乙女誠一郎はうっすらと笑う。

その笑みは、侮辱でも皮肉でもない──

狩人が獲物に頬を叩かれたような微かな驚きと、静かな歓喜だった。


「お前……このゲームにしては珍しく、“まとも”だな」


ぼそりと呟くと、血に濡れた口元から歯を見せて笑う。

そして──ゆっくりと、掌を自らの背中に這わせた。


その背後は、コンクリ壁。

崩れた足場、打ち捨てられたコンクリートの塊、

そして──天井からぶら下がる、鉄筋。


「今までのは、“即興”だったんだよ。

 だが……素材を仕込めば、“演出”ができる」


翔伍「なんだそりゃ?」


バチッ──!


放電の音と共に、早乙女の掌が壁に触れる。

次の瞬間、壁の表面が幾何学的な文様を描き、蠢き始める。


翔伍「!」


ズズッ……


壁から延びる鉄筋が、

自在に折れ曲がり、絡まり合い、そして“拘束具”へと形を変えていく。


ガッ!!


翔伍の腕に巻きついた!

鉄の蔓が蛇のように動き、瞬く間に彼の左腕を絡め取り、壁へと固定する!


翔伍「っ……ちっ!」


早乙女「お前が本能で読むなら──

 こっちは演出で“動線”を潰すだけだ」


その言葉と共に、足元の瓦礫が溶けて動き出し、

翔伍の足元を**半分コンクリートの“沼”**に変える!


翔伍は力任せに足を抜こうとするが、

既に太腿まで呑まれていた。


早乙女「君の攻撃は、確かに強い。だが、それは接近戦という“舞台”に限った話だ」


パキィッ!


手に嵌めた革手袋を引き締め、拳に電流が走る。


「ならば──君に近づかせなければいい。

 俺はもう、“この空間すべて”を武器にできる位置にいる」


翔伍「……ハッ!」


顔をしかめるが、

鉄の拘束具がまだ片腕を塞いでいる。


熱による焼き切りも、いまはコンクリに呑まれて発動が難しい。


早乙女「君は、強いが単純だ。本能に従っているうちは、選択肢は限られる。

 その選択肢を……潰したよ」


天井の鉄骨が、剣のように尖り、翔伍の頭上にぶら下がる。


翔伍は、動けない。


──主導権は、再び“理論の手”へと戻った。


「終わりだな」


早乙女誠一郎は、段差の上から冷ややかに見下ろしていた。

鉄筋に縛られ、片腕を封じられた鹿倉翔伍は、足元をコンクリートに囚われて動けない。

だが──その目は死んでいなかった。


翔伍「……おい、理屈屋のアンちゃんよ」


早乙女「なんだ?」


翔伍「1つだけ聞いとく。

 このコンクリ、何年モンだ?」


早乙女「……何年モン? おそらく30年は経ってるだろう。どうした?」


翔伍「なら──十分だ」


早乙女「……?」


そのときだった。


ドゴッ!!


錬成された拘束の根元が──内側から膨らみ、ひび割れた!


翔伍「古いコンクリは中に空洞がある。そこに熱をブチ込んでみな。

 ──爆ぜるぜ?」


早乙女「ッ……!」


次の瞬間──

翔伍の左腕が紅蓮に輝いた。


鉄に変えられたその腕は、内側から熱せられ、錬成された拘束具ごと爆裂音を伴って破壊された。


コンクリ壁の一部も吹き飛び、階段の壁に大穴が空く。


翔伍はその隙に、足元の“錬成沼”を強引に引き抜きながら、咆哮を上げた。


翔伍「うおおおおおッ!!!」


早乙女は咄嗟に、天井の鉄骨を刃に錬成して降下させる。


しかし──


翔伍は右足を熱鉄化させ、跳ね上がったガレキを踏み台にして

避けた。


翔伍の足を呑み込む、ひび割れた露天風呂の石畳。

そこから伸びたコンクリの触手は、彼の腰まで絡みついていた。


だが。


翔伍「──それで終わりか、脳ミソ小僧」


一瞬、蒸気が立つ。


コンクリの地面がジュッと音を立て、蒸発した。


身体が、赤熱化している──!


早乙女(……! 熱で溶かす気か!)


翔伍「俺は“殴り合い”でしか興奮できねぇんだよ」


ぶちぃッ!!


腕を絡めていた鉄の拘束具が、焼き切れた。


翔伍は右腕を振り上げると、その熱のこもった拳を床に──ではなく、空間に向けて振り抜く!


バキィ!!


熱でゆらいだ空気が一瞬で爆ぜる。

その圧で、天井から吊るされた剥き出しの**湯管(給湯パイプ)**が千切れ──


ドォォォォッ!!


大量の熱湯が、かつての露天風呂にぶちまけられる!


早乙女「……っ!」


逃げ場のない円形露天──全方位からの熱湯攻撃。


翔伍「場所選びが悪かったなァ、理屈屋」


彼は、ドロリと溶ける腕を再び真紅の鋼に変える。

空になった湯船の中央に立ち、地面を踏み抜いて突進!


バキンッ!!!


早乙女の足元の石畳が砕ける!


早乙女(上書きが追いつかない──!)


一歩、二歩と後退しながら、拳を壁に当てる。


バチィ!!


温泉施設の岩盤浴用の黒石が錬成され、盾のように立ち上がるが──


翔伍「おらぁッ!」


ドゴォン!!!


拳で粉砕された。

そして──


ズガァァァァァン!!


次の一撃で、早乙女の胴体が浴槽の縁に叩きつけられ、血が飛び散る。


翔伍「終わりだ!」


もう一撃。

灼熱の拳が振り上げられる。


だが──


早乙女「……“全部”燃やしたな。お前の酸素も、熱源も」


翔伍「?」


早乙女は、後方の温泉ポンプ室に手を伸ばしていた。

バチィ!!


放電と共に──全体の熱エネルギーを取り込んだ黒鉛プレートが生成される。


早乙女「“導電性蓄熱板”。それを足場に──」


彼は跳躍した。

背後の壁を蹴り、宙返りしながら翔伍の背中に拳を当て──


バチィィィィィ!!!


“人体と鉄パイプと黒鉛の融合体”を翔伍の背中に貼り付け、即座に帯電。


翔伍「グッ……!」


まるで焼却炉の中に押し込まれたかのような苦痛が翔伍を襲い、膝をつく。


その瞬間、早乙女は空いた湯船の縁に着地した。


「“温泉”ってのは、湯だけじゃない。熱、蒸気、鉱物……

 舞台がわかれば、演出もできる。

 それが──“知性”だ」


戦局は再び、早乙女誠一郎の側に傾いた。


湯気の壁が、世界を隔てていた。

熱で白濁した空間に、ひとりの男の呼吸だけが律動を刻む。


早乙女誠一郎は、焼け落ちた天井から射し込む陽の中で、濡れた革手袋を握りしめた。


──この世界は、退屈だ。


少年のころから感じていた。

教科書に書かれた問いは、読む前に答えが浮かんだ。

教師の声は、退屈のリズムだった。

テレビのニュースも、街の騒音も、他人の言葉すら、全ては「想定内」だった。


世界が自分に遅れてついてくる──それは、苦痛だった。


「人はなぜ、人を殺すのか」


哲学書を読み、精神科医の言葉を聞いても、それは愚問だった。

自分なら、殺す必要などないと分かっていた。

証拠を残すからバカなのだ。

動機を語るからつかまるのだ。

自分のように、完璧に黙って処理し続ければ、何も問題はない。


だが──それでも、殺しはやらなかった。

それはリスクを取るほどの**「興奮」ではなかったから**だ。


「……このゲームは、少しは楽しめているよ」


鉄の匂いと蒸気の中で、早乙女は笑った。

冷たく、乾いた、虚無のような微笑。


──だが、願いはある。


心のどこかで思っていた。


もしこの世界にもう一歩、先の知的興奮があるのなら、

もし自分を「退屈」から救い出す未知の領域があるのなら、

この命を懸けて、踏み出してみるのも──悪くはない。


「願い事は優勝してから考えるさ。

 ──それくらいの猶予は、あるだろう?」


彼の願いは、まだ明確な言葉にはならない。

だがその心には、常に**「問い」だけが燃えている。**


──この世界の果てには、何があるのか?

立ち昇る湯気の帳が、地を這うように揺れていた。


浴場全体を覆っていた蒸気の中から、鉄を焼いたような匂いがさらに濃くなる。


鹿倉翔伍──

彼の体からは、もはや肌色など一片も残っていない。

全身が赤熱化した鉄塊へと変貌していた。


早乙女(……熱が限界を超えた? いや、違う。これは──)


「テメェ、まだ足掻く気か……」


早乙女の口元に、嘲るような皮肉が浮かんだ。


「次は、どうやって焼け死ぬつもりだ?」


翔伍は応えなかった。

代わりに、足元の床がぐずりと崩れ、彼の両足がドロドロと溶け始めているのが見えた。


──奥の手、熱による鉄化した体の完全融解。


鉄が溶鉱炉のように液状化していく。


それでも翔伍は立っていた。

眼光だけは、なおも獣のように鋭く。


「お前みてぇなヤツが一番ムカつくんだよ、頭だけで勝った気になるヤツがよ──」


翔伍の両腕が、熱を帯びた鉄の波へと溶けていく。


そして次の瞬間──


彼は飛び込んだ。


「……!」


早乙女が反応したときにはもう遅い。


翔伍の両腕が液状の鉄となり、波のように空間を這って迫る。

まるで生き物のようにうねり、跳び、全身にまとわりついてくる。


「──っ!!」


早乙女は即座に床のタイルへと手を当て、錬成を試みる。


バチィィッ!!


だが、次の瞬間。

彼の右手は、熱に焼かれて脱落した皮膚の下から骨が覗く。


「がッ……!!」


左手を伸ばす──しかし、鉄の液は左腕ごと肩口から包み込み、身体の自由を奪っていく。


翔伍の声が、ドロドロの鉄の中から響いた。


「勝ちてぇヤツはなぁ……自分がどうなっても構わねぇヤツなんだよ!!」


そのまま──翔伍の液状の鉄の身体が、早乙女を包み込んで押し倒す。


床へ、壁へ、天井へ。

焼けた鉄が、焼けた男を押しつける。


まるで鉄の棺桶。


逃げ場は、どこにもない。


そして──


ドシュッ!!!


翔伍の鉄拳が最後に固まり、早乙女の胸を粉砕する一撃を見舞った。


血が、飛ぶ、そして灼熱に焼かれて瞬時に蒸発。


煙の中、早乙女はそのまま沈黙した。


翔伍「理屈も戦術も……最期の根性ひとつには勝てねぇんだよ」


火傷まみれの顔で、翔伍はニヤリと笑った。


焦げついた空間に残るのは、溶けた鉄の臭いと、焼けた肉の匂い。

誰のものかはもはや区別すらつかない。


その上空──

瓦礫と湯気の合間に、紅の空間が裂けるようにして開いた。


そこに現れたのは、黒いドレスに身を包み、蛇の耳飾りを揺らすグラシャ=ラボラス。

その足元で煙管をふかしているのは、筋張った腕を組んだ金色の獅子の顔をした男、マルバス。


グラシャ=ラボラス「ふふっ。人間というのは、実に滑稽な生き物だわ」


マルバス「……野蛮なほうが勝ったか。だが、私は嫌いじゃないな。あの獣は“本能”で人を殺すことを、悪いことだとは一度も思っていなかった」


グラシャ「反対に……負けた男は“知性の果て”に、何を見ていたのかしら?」


マルバス「退屈、だろう。脳が世界より速く動きすぎる者は、いずれ遊戯の虜になる」


グラシャ「けれど、ね? 最後の最後、彼はほんの少し“楽しかった”のよ。わかる? だって……表情が、ほんの僅かに緩んでいたもの」


マルバス「死に際に笑うのは、負け惜しみか、それとも……ようやく“自分が死ぬ”という事実に興奮したか。どちらでも構わんがな」


湯気の向こう、鹿倉翔伍が立ち尽くしている。

腕の皮膚は剥がれ、鉄だった表面も黒く焼けただれている。


マルバス「……それでも生きて帰るんだ、あの男は。負けを知らず、勝ちだけを信じて」


グラシャ「ふふっ。勝者に与えられるのは、ただ“次”という舞台だけ。願いなんて、まだ先よ」


マルバス「……踊る者は、まだ踊る」


グラシャ「そして、見ている私たちは──踊らない」


空気が落ち着きを取り戻していく。

歪みきった金属音も、焦げた風も、今はただの静寂へと沈み込んでいた。


焼け焦げた壁を背に、鹿倉翔伍が息を吐く。

熱がようやく皮膚から抜けていくのを感じながら、肩を鳴らす。


「……死んだか?」


目の前には、完全に沈黙した肉塊と化した、早乙女誠一郎のなれの果て。

最期まで計算し尽くして戦い抜いた男の死は、静かで、そしてむなしかった。


そのとき、空間の歪みが現れる。

見ているだけで権威を語る禍々しい指輪が、地に落ちた早乙女の指から、音もなく抜け落ち、赤く揺らめきながら鹿倉の手元に収まる。


鹿倉はそれを手に取り、しげしげと眺めた。


「……で、これがまた“次”ってやつか」


皮肉のように笑い、血のにじんだ手でそっと指にはめる。


「よく分からんが……もうちょい、遊べそうだな」


彼はそう言い残し、立ち去っていく。

戦いの余韻だけを残して──


空の裂け目、再び現れたのは黒衣の悪魔たち。


グラシャ=ラボラス「ふふ……知恵の男は炎に焼かれ、野蛮な男は、炎の中を歩いた」


マルバス「皮肉なもんだな。“合理”の男が“衝動”に焼かれるとは」


グラシャ「でも、これが人間。知も、理も、ただの化粧。最後にものを言うのは、燃えたぎる本能の方」


マルバス「……さて、次は誰が舞台に立つ?」


グラシャ「そろそろ、歪な欲望が混じり合う番よ。ああ、楽しみ──」


空間はまた、静かに閉じていった。


地鳴りのように、次の舞台が構築されていく。

欲望が、また一つ交差しようとしている。

どんどん投稿するぞぉ!

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