間宮一輝VS東堂可奈
ライトが点いた。
薄暗く湿った空間に、唐突にスポットライトが差し込む。
そこは──朽ちかけた遊園地の一角にある、屋内劇場だった。
かつて笑い声と拍手に包まれていたステージは、
今や埃をかぶり、赤いベルベットのカーテンも破れている。
だが──その場所を、ひとりの男が**“舞台”として再定義した**瞬間、
空間そのものがざわつきはじめる。
「フッ……照明はもう少し暖色の方が良かったかな?」
間宮一輝は、観客のいない舞台の中央に立ち、
まるで千人を前に芝居をしているかのように軽やかにポーズを決めた。
黒いタキシード。
丁寧に巻かれたスカーフ。
そして完璧な笑顔。
「──王が舞台に降り立った。
さあ、始めようか……この“悲劇の幕開け”を」
誰に言うでもなく、彼は静かに呟く。
アンドラスの声が、その背後で囁く。
「お前が求めるのは喝采か、隷属か。
それとも──演じる自分自身に溺れたいだけか?」
「答えは、舞台の上で見せるさ。
僕の“人生そのものが演劇”だ。
最も美しく、最も正しく……演じきってみせるよ」
そのとき、劇場の片隅──非常口の扉が軋んだ音を立てて開いた。
現れたのは、小柄な影。
ぼろぼろの防護服を着込み、フルフェイスのガスマスクをかぶった、
まるで世界から拒絶されるために生きているかのような存在。
引きずるようにチェーンソーを持ち、声も発さず、ただ舞台に上がる。
観客はいない。
照明もない。
だが彼女にとって、それはどうでもよかった。
──見られることが、嫌だ。
東堂可奈。
誰にもその名を呼ばれず、戸籍にも存在しない少女。
舞台の真ん中にいる彼女の姿を、
間宮一輝はじっと見つめ──やがて目を細め、満面の笑みを浮かべた。
「ほう……無言劇ってわけかい?
それもいい、無表情もひとつの“演技”さ。
ならば、僕は君の台詞の代弁者となろう」
彼女は答えない。
チェーンソーの起動音だけが、場の空気を切り裂いた。
バアルがその様子を、劇場のバルコニーから見下ろしていた。
その口元が、ゆるやかにほころぶ。
「孤独な亡霊と、自惚れた王。
──さて、誰の物語が“舞台の主役”なのか。
答えは……誰にも語られないだろう」
舞台の上で、王は剣を取る。
いや──彼がそう“演じた”瞬間、それは本当に剣になる。
「──僕は、“騎士王アルフェン”!」
間宮一輝の声が響いた瞬間、
彼の手には古風な両刃の剣が現れ、マントが風をはらんだように靡いた。
背景の朽ちた劇場が──一瞬だけ、石造りの玉座の間に変わる。
「この地を穢す亡者よ、我が剣の裁きを受けよ……!」
観客はいない。
喝采もない。
だが間宮にとって、それは些末なことだった。
彼が“演じる”限り、
この世界の真実は、彼の舞台上にある。
対する名無し──東堂可奈は、言葉ひとつ発さず、
ただゆっくりとチェーンソーを掲げる。
ギィィィィィ……ギィィィン……!!
機械の回転音が、剣の煌きに似た殺意を放つ。
彼女の意識はただ一つ。
「相手を殺せば、また一人になれる」
それだけだった。
自分に向かって来るものは、誰だって“敵”だ。
どれだけ華やかでも、どれだけ優しく語りかけられても──
その関係が続く限り、自分は孤独になれない。
だから殺す。
そうすれば、また元の“誰もいない”世界に戻れる。
間宮が斬撃を放つ。
東堂が踏み込む。
剣とチェーンソー。
演技と沈黙。
それぞれの意志が激突する。
バアルとアンドラスが舞台袖からその光景を見下ろしている。
アンドラスが、ひとつ息を吐いた。
「始まったな。台詞なき演劇は……演者の命を賭けて語られる」
バアルは無言のまま、微かに首を振る。
仮面の少女は、言葉を持たぬ代わりに──“拒絶”そのものを刃として振るう。
──舞台は火蓋を切った。
「……じゃあ、始めようか。観客がいなくても、舞台は舞台さ」
間宮一輝のつぶやきは、照明のように空気を照らした。
彼は深く一礼すると、その手に握った剣を振るい、虚空に一閃を描いた。
風が鳴る。
衣がはためく。
そして──彼は走った。
「さあ、幕を開けよう! “白銀の騎士王アルフェン”、出陣だ!!」
まるで演劇のセリフを朗読するかのような戦いの始まり。
彼の動きは洗練されており、ただの剣技ではなく**“舞台としての剣舞”**であった。
その剣筋は美しく、優雅で、それでいて殺意に満ちていた。
──だが、対する名無し(東堂可奈)は、一切動じなかった。
チェーンソーのエンジン音が、鳴る。
それは返答ではなく、ただの拒絶。
台詞も演出も拒む、“誰ともつながりたくない者”の唯一の意思表示だった。
ギィィィィィ……ギィィィィィィン……!!
その轟音とともに、彼女は突進する。
防護服の下にある少女の体は小柄で非力。
だがその動きには、一切の迷いも、遠慮もなかった。
──殺す。
ただそれだけの動機が、彼女を走らせた。
間宮の剣が閃く。
東堂のチェーンソーが唸る。
カンッ──!
火花が飛ぶ。
演じる者と、沈黙する者。
見栄と拒絶。
それぞれの意志が、金属音となって空間に響き渡った。
「……なるほど。あくまでも“無言劇”か。ならば僕は、君の沈黙を言葉に変えてみせよう」
間宮はにやりと笑う。
だがその目には、かすかな焦りが浮かんでいた。
──おかしい。
あのチェーンソー……小柄な彼女の体では重すぎるはずだ。
それでも彼女はブレずに振るう。
そして何より──
まるで、攻撃が効かないような感覚がある。
間宮は直感した。
この少女は“ただの異形”ではない。
何かが──おかしい。
バアルは、舞台の高所から一言だけ、楽しげに囁く。
「王の剣は、観客の心を射抜くためのもの。
だが彼女には……観客も、心も、存在しない」
アンドラスが、ふっと笑った。
「舞台に立つ者は、いずれ知る。
観客がいなければ、“王”はただの道化だと──」
舞台は始まった。
剣とチェーンソー。
演技と拒絶。
主役の座を巡る戦いが、今、幕を開けた。
「──見せてあげよう。これが、“王”の剣技だ」
間宮一輝の声が空間に響く。
その声音には焦りはない。むしろ確信に満ちていた。
──なぜなら、彼は“騎士王アルフェン”なのだ。
演じることに迷いはない。
彼にとって、現実こそが舞台。
演じることで、真実が従うのだ。
「はあっ!」
一閃。
東堂可奈──名無しの防護服に刃がかする。
火花が散り、布地の一部が裂ける。
彼女はひるむ。
一歩、後退する。
その視線が一瞬だけ、剣に向く。
「……ふふ。効いてる効いてる。君、案外“普通”なんだね?」
間宮は剣を持ち直し、華麗に一回転して構えを取り直す。
演技が決まった。
自分は“強い”。
この戦場の“主役”は、間違いなく自分だ。
「次は──“聖剣の舞踏”、見せてあげよう!」
彼は空中に三度、剣を振り抜いた。
空気が裂ける。
その動きに合わせ、剣がまるで本物の“魔剣”のように発光する──もちろん、それは演出だ。
だが、演技が極まれば、現実さえ追いつく。
振るった剣が空を斬り、
虚空から放たれた三本の“光の斬撃”が名無しの元へと走った。
──バチィン!
閃光が彼女の周囲に火花を散らし、防護服の袖口が破ける。
たまらず、彼女は下がった。
手にしたチェーンソーを一度、床に叩きつけるようにして身構え直す。
アンドラスが天井近くで笑みを浮かべる。
「舞台の支配者は、いまや“王”だな」
バアルは腕を組み、無言のまま瞳を細める。
その目は、戦場の空気にまだ漂う違和感を捉えていた。
──この戦い、“見えないもの”が多すぎる。
だが今はまだ、“王の演技”が舞台を支配している。
「さあ──幕を進めよう。
この世界の中心に立つのは……この僕、“王”だ!」
間宮の勝ち誇った笑みが、
剣のきらめきに照らされて浮かび上がった。
「……なあんだ、やっぱりただの子どもか。
いいね、こういうのも──悲劇の相手役としては申し分ない」
間宮一輝はそう言いながら、剣を軽く構え直した。
さきほどまでの攻撃で、東堂の防護服には数箇所の裂け目が生まれていた。
だが──それでも、彼女は一言も発さない。
声も、感情も、怒りすらない。
ただ、立っている。
そこに「意思」があるかも不明なままに。
ギィィィン……ッッッ!!
チェーンソーの音がふたたび響いた。
だが次の瞬間、彼女はそれを手放した。
間宮の眉がピクリと動く。
「──え?」
東堂は床に落としたチェーンソーを踏みつけ、代わりにポケットに収まる長さのチェーンを取り出す。
それも、何の変哲もない安物の鉄製。
「……なんだそれ、演出としても地味すぎない?」
間宮が剣を振ろうとしたその瞬間。
ガン──!
彼女の鉄製のチェーンが剣を叩いた。
響いた金属音が、奇妙に間宮の剣を持った腕に響いた。
ズン……!
まるで腕の内部に電気が走ったかのように、彼の腕が一瞬だけ痺れる。
「ッ……!? 何だ今の……演出か?」
違う──これは、演出ではない。
現実が乱れた。
そのとき、彼の腕にズシリと何かがのしかかった。
見れば、右手の剣が重い。
いや、違う。重く“感じる”だけなのだ。
感覚だけが鈍る。頭に困惑が広がる。
「……もしかして、何か、能力か……?」
彼はすぐに切り替え、跳躍して距離を取ろうとする。
だが──その瞬間。
ガンッ!!
東堂が再び、チェーンで床を叩いた。
バチン──!
間宮がの頭に、違和感が流れる。
動きがわずかに遅れる。
「ちっ……」
剣を振るう。
だがその一撃は、確かに命中したはずなのに──
「……当たってるのに、切れない……?」
東堂の身体は確かにそこにあるのに、剣が“止まった”。
まるで、斬る対象そのものが現実から切り離されたかのような感覚。
彼女の“防護服”が──いや、“彼女自身”が、
どこか別の位相に存在しているかのようだった。
高所の観客席で、アンドラスが目を細める。
「……なるほど。あれは、“遮断”か」
バアルがうっすらと笑った。
「自分に届くものだけを、拒絶している。
世界から、物理法則から、他者の暴力から。
まるで、“孤独”そのものが形になったようだ」
「くそっ……舞台に上がってもセリフを言わない演者なんて……そんなの、観客にも失礼だろ……ッ!」
間宮は叫びながら剣を振る。
しかし、東堂はまるでその刃を拒絶するように、歩を進める。
彼女の目は見えない。
防護服の中の、感情なき存在。
──それでも、その無言の歩みが、彼を確実に追い詰めていく。
間宮は、明確に悟った。
“これは、僕の演技が届かない敵だ”
「……いいだろう。君がその気なら……」
間宮一輝は、剣を捨てた。
その手が、今度は虚空に向けて広がる。
彼の口元が、静かにほころぶ。
「ならば舞台を変える。“王”では勝てない? なら今度は──“魔術師”だ」
ゆっくりと、両手を胸の前で組む。
深く、深く、呼吸を整える。
──そう。
今演じているのは、かつて誰も見たことのない、
だがどこかで“知っている気がする”、虚構の存在。
「我が名は“灰燼の導師”、ディ・クレイター。
灰の大地に火を灯すものなり……!」
周囲の空間が、変わる。
冷たいモルタルの床が、ひび割れ始める。
蒼黒い炎が吹き上がり、瓦礫が溶ける。
──いや、溶けているのではない。
舞台が“書き換え”られているのだ。
間宮一輝が演じる“魔術師”の影響で、
現実が演出に従い、形を変え始めた。
「行こうか、“名乗らず”の少女よ……この魔炎の舞台で、僕に触れられるものならば……!」
バチィィッ!!
彼の両手から、蒼黒い雷が弾けた。
それは東堂可奈の体と足元に着弾し、視界を奪う。
同時に、床が崩れた。
ドォオオン!!
防護服姿の少女が、遊園地の広場が変形した、どことも知れぬ二回のフロアから
一段下の影へと崩れ落ちる。
それは“実際に起こった崩落”ではない。
“そういう演出がされた舞台”──つまり、現実そのものを間宮の演技が変質させたのだ、それが
彼の能力。
演技と舞台の現実化。
観客席からアンドラスがうなるように言った。
「……あの男、舞台ごと“召喚”したか」
バアルは頷く。
「演技による現実操作。自己の演出と空間の一体化──
あれが“奥の手”の前段階だな。だが……危うい。演技をやめれば、全てが無に帰す」
崩れ落ちたフロアの下から、ようやく東堂が姿を現す。
防護服はすすけ、マスクの表面に亀裂が走っていた。
「……」
彼女は黙って立ち上がる。
しかし、腕をバタつかせて服の煤を払いのけている。
思わぬ一撃が通った。
遮断能力の解いた瞬間、防護服にこびりついていた熱が彼女の体に伝わったのだ。
間宮が手を広げ、空に向かって叫ぶ。
「この物語の主役は僕だ!
君の沈黙すら、僕の演出の糧にしてみせる!!」
雷鳴と共に、彼の魔術が再び渦を巻く。
──“舞台”は、間宮一輝の掌中にある。
「……ふふ……いいね、これは。
あの無表情な少女が、僕の舞台に引きずり込まれた……
これ以上ない演者だよ」
間宮一輝は、高く掲げた手から雷撃を落とす。
蒼黒い炎が、まるで観客の喝采のように、東堂可奈を囲む。
だが。
──その中心にいたはずの東堂が、消えていた。
「……ッ!?」
魔術演出の地面を砕き、警戒を高めた瞬間。
ガリィィィン!!!
後方から、チェーンソーの轟音が肩越しに迫った。
間一髪、間宮は体をひねって躱すが、マントの裾が裂ける。
視線を向けた先には、亀裂の入ったガスマスクの奥で、静かにこちらを睨む少女の姿があった。
「どうして……」
「……舞台の“法則”に従わない……?」
間宮の脳裏に、初めての“困惑”が走った。
東堂可奈の能力──遮断。
それは単なる防御ではない。
彼女の「認識」できるものは、効果そのものを“遮断”される。
魔術?
演出?
環境そのものが変わったと思い込ませる幻想?
──そんなもの、“無視できる”。
彼女にとって、それはただの舞台装置の演出でしかない。
照明も、舞台転換も、火柱も──“影響を無視できる”にできる。
「……そっちが幻想で世界を上書きするなら、
私は現実を拒絶して閉じるだけ……」
彼女は無言で、次のチェーンソーを握り直した。
この空間で唯一、彼女が“認識”している存在。
──間宮一輝。
彼女の遮断の中において、彼だけが世界の唯一の“実在”として浮かび上がっていた。
「……チッ!」
間宮が再び詠唱を始める。
“氷の魔王”“溶岩の王”──舞台の書き換えを試みるが、
東堂はその一歩一歩で、“それらすべて”を拒絶する。
炎が吹き上がるはずの床は、
ただのコンクリートでしかない。
天井から氷柱が降ってるはずだが、
藤堂可奈に何らの効果も及ぼさない。
世界そのものが、“彼女の認識に”拒絶されていく。
「おいおいおいおい……待てよ、
どうして、どうして君は……舞台の上に立ってない!?
演技に乗ってくれよ!!
僕は“演じてる”んだよ、君を倒すヒーローを!!!」
彼の叫びに、返事はない。
──バァアアアアン!!!
至近距離から放たれたチェーンソーの一撃が、
ついに彼の左腕を裂いた。
演技で得た魔術の加護すら、遮断される。
世界はもう、彼の“舞台”ではなくなっていた。
高所の闇から、バアルが呟いた。
「演技で世界を支配する者と、
認識で世界を拒絶する者……これは、噛み合っていない戦いだ」
アンドラスは静かに首を振る。
「……だからこそ、舞台は面白い。
“絶対にかみ合わない”二人の芝居ほど、観客は息を呑む」
間宮はふらつきながら下がる。
流血は止まらない。
蒼炎の演出は消え、照明も落ち、舞台は元の遊園地へと戻りつつある。
彼の“演技”は、今──
完全に、“観客不在”となった。
「……僕の舞台に、君は乗ってこなかった」
間宮一輝の視界は滲んでいた。
左腕は血に濡れ、演技のために杖代わりにしていた鉄パイプも、既に折れていた。
東堂可奈子の足音が、静かに響く。
ただただ、無言で、無機質に。
感情も戦略もなく、彼を“世界から遮断する”ためだけに近づいてくる。
「だけど、それで終わりだなんて……」
彼の震える指が、もう一度、天を指す。
「認めない……!
僕の“人生”は、舞台だ!
僕が主役で、僕が脚本家で……僕がこの物語を終わらせるッ!!」
バンッ!!
彼が足元のコンクリートを踏み鳴らすと、
周囲が赤黒く染まりはじめた。
舞台変化──
能力の奥の手のひとつ手前、
“現実そのものに嘘を押し通す”演技の限界点。
──間宮一輝は、嘘を真実にする。
──この世界は、城の地下牢に変わる。
金属の檻、火を噴く壁、揺れるシャンデリア、剣を持った騎士像──
「そうだ」と言い張る彼の意思と演技が、空間そのものを変えた。
そして──
「登場してもらおうか……僕の最後の共演者を!!」
バァン!!
漆黒のマントを羽織った異形の影が、
空中に出現する。
彼が演じるのは、“炎を統べる王”──架空のファンタジー作品で彼が主演したことのある伝説の魔王。
「《我、炎王エグザ=ルーベリア……我が名に誓い、舞台を灰に染める》ッ!!!」
ドォォン!!!
彼が振り上げた手のひらから、
灼熱の奔流が弧を描き、東堂可奈を呑み込んだ。
蒼炎の鉄鎖、溶岩の奔流、天井から降り注ぐ剣──
それらすべてが**“演技として描かれたもの”でありながら、“現実として成立している”**。
「遮断しようとしても、逃れられないぞ……
これは“世界”が君を拒絶する舞台だ!」
演技による世界の再構築──
彼の“命を削った脚本”が、観客のいない劇場に火を灯す。
「この瞬間だけでいい……
僕が、世界で一番美しく、最も恐ろしい“主役”であると証明してやる!!」
「君には物語の“敗者”を演じてもらう!!」
東堂の姿が、ついに炎の中でぐらつく。
可奈の遮断能力は、あくまで**“彼女が意識できる限り”**が条件。
だが今、彼女は初めて“演技”の勢いに圧倒され、錯覚した。
──「これは、現実なのかもしれない」と。
その一瞬。
その一滴の揺らぎが、彼女の遮断の能力を不安定にさせた。
──間宮の魔炎が、彼女の肩を焼く。
──遊園地の広場が、崩れた。
──“現実が演出に屈した”。
そして……
その場に倒れ伏す少女を見下ろし、
間宮一輝は、胸の奥で叫んだ。
「観客がいなくても……
僕は、僕を信じる……!」
彼は再び演技に入る。
──今度は、“死者を焼く葬送の騎士”を。
魔術の炎が、再び渦を巻く。
だが。
その背後には、もう一つの“静かな殺意”が迫っていた──
照明がない空間に、火花の残光だけが揺れている。
焦げた鉄の匂いと、まだ立ちのぼる煙。
焼け焦げた遊園地の一角で、間宮一輝は膝をついた。
だが彼の目は、まだ死んでいなかった。
「……僕は、ずっと考えていた。
この“舞踏会”に、どうして僕が呼ばれたのか……いや、違うな。
僕が選ばれた、という事実だけで、もう“価値”があるんだよ」
彼はポケットから、小さな金属製の栞を取り出す。
それは、幼い頃に親からもらった「初舞台」の記念品だった。
「子供の頃、初めて舞台に立った時……
両親が“お前は世界の主役だ”って言ってくれた。
僕はずっと、それを信じていた。
でも──世の中は、拍手してくれない。
期待もしない。
讃えもしない。
何をやっても、ただ消費して、次に行くだけ……」
彼は微かに笑った。
それは俳優の笑顔ではなかった。
誰にも見られていない、役を脱いだ“素顔”だった。
「だったらさ、僕がこの世界を“観客”にしてしまえばいい。
僕に拍手するような世界を創って、
誰もが僕を目にして、
僕に支配されて、
僕を讃えて、
僕を、僕だけを、王様として崇めるんだ──」
指先が震える。
「僕の願いは、
“世界中が、僕の舞台になること”
……それ以外に、僕の存在を証明する方法なんてないじゃないか」
アンドラスは遠くから見下ろしていた。
その目は冷ややかで、けれど少しだけ憐れみが混じっていた。
「世界そのものに愛されたい、か……
可愛げのない願いほど、演じるに値する。
なぜなら、それは“本音”だからな」
バアルは小さく鼻で笑った。
「この芝居……幕が降りる気配がしてきたな。
さて、客席の少女は、次にどう動く?」
舞台が終わるその前に──
背後の影が、ゆっくりと立ち上がる。
ボロボロになりながらもなお、チェーンソーを握り締めたままの東堂可奈が、
燃え尽きた舞台に“現実”を取り戻すために、歩み出していた──
「……幕は下ろさせないッ!」
炎王の演技は終わっていなかった。
間宮一輝はなおも両手を掲げ、**“第二幕”**を強引に開こうとする。
彼の脳裏に、かつて自らが主演した「終焉の黙示録」の台詞がよみがえる。
「我が城は、滅びの中でこそ真実となる……!
ならば──燃え尽きるまでが舞台だァァア!!」
叫ぶと同時、城の地下牢の舞台が壊れ、天から流れ込むマグマの幻が空間を染める。
間宮の奥の手──《劇場世界の完全化》。
現実そのものを虚構に屈服させる“最終演出”。
石畳の床は熱で裂け、
レンガの壁が歪む。
城の地下牢が、まるで地獄の劇場と化した。
東堂可奈子の姿は、紅蓮の中にかき消えたように見えた。
間宮は荒い息を吐きながら、膝をつく。
「これで……終わりだ……これで僕は……世界の中心に……」
だが──
その言葉を遮るように、
足音が**“現実の地面を踏みしめる音”**として、ゆっくりと近づいてきた。
カツン、カツン……
火炎に焼かれたはずの床を、まるで何もなかったかのように歩いてくる。
全身焦げ、右手からは血が滴る。
しかしその目は、はっきりと一点を射抜いていた。
「……やっぱり、それも演技だったんだね」
間宮の瞳に、かつてない恐怖が走る。
「なんで……!? 遮断できるはずがない! これは現実だ! 現実なんだぞ!」
「違うよ。私にとっては、最初からずっと“他人の演技”でしかなかった」
彼女はチェーンソーのスイッチを入れる。
だがそれは間宮の耳には“役者の歓声”のように聞こえた。
「演技っていうのはね……観客が“演技だ”と知っていても、信じさせる力がある。
でも私は、信じなかった。
あんたの台詞も、炎も、空間も……
全部“他人の世界”だったから」
チェーンソーの刃が回転し、
間宮の“演技の衣装”を切り裂くように振り下ろされる。
「私が欲しかったのは、そんな世界じゃない──」
ブオン!!
肩口に刃がめり込み、間宮が仰け反る。
幻の炎が消え、炎に包まれた地獄の劇場が本来の姿に戻る。
「う……ぐ……あ、あああ……!!」
舞台は──潰えた。
彼の演技は、
たった一人の観客にも届かなかった。
彼が望んだ王座は、
ガスマスクをつけた無表情の少女に、無関心に踏み潰された。
間宮一輝の身体が、灰色のコンクリートに倒れ込んだ。
その目はまだ演技の続きを求めていたが、
もうどこにも舞台はなかった。
彼の“劇”は、終わったのだった──
マグマの幻影が消え去った遊園地の広場。
そこに、黒と金の装束をまとった2つの影が佇んでいた。
一方は、青白い肌に鋭い鷲の目を持つ軍服姿の男──アンドラス。
もう一方は、蛇の尾をひきずるような口元に笑みを浮かべたバアル。
そのどちらも、今しがた終わった戦いに、憐れみも感傷もない。
「……哀れだな。王を演じた道化の末路としては。」
アンドラスが冷淡に言う。
「いや、見応えはあったさ。何もない男が“全てを持っている”演技を通して、何者かになろうと足掻いたんだ。
──我らが魔王も、それくらいの滑稽さは好まれる」
バアルは楽しそうに指で炎の幻をくるくる弄びながら続ける。
「けれど見たか?
最期の瞬間まで“観客”が欲しいと求めてた。
自分を認める誰かを、崇める誰かを──
だが、相手がよりによって、“誰にも見られたくない少女”だったとはな」
アンドラスの口元がわずかに吊り上がる。
「皮肉なものだ。“存在を見てほしい者”と、“存在を見られたくない者”が殺し合うとは。
これは、寓話だ。
世間という観客を求めて舞い踊る者と、
その観客の目に殺されることを恐れて逃げ続けた者の──運命の皮肉。」
「……しかしバアルよ、あの少女は本当に無表情だったな。
泣きも、笑いも、叫びもしない」
「当然だよ。あれは“物語から逃げたい”者の目だ。
我々がいくら脚本を用意しても、あの子には必要ない」
アンドラスは屋上の縁から、下で崩れ落ちた間宮一輝の姿を見下ろした。
彼はもう二度と舞台に立つことはない。
「では、次の幕だな。
そろそろ──“他人に殺される覚悟のある者たち”が、動き出す時間だ」
「そうだな……観客諸君。
次の劇にご注目あれ」
悪魔たちは声をあげて笑うことはなかった。
ただ静かに、残酷に、次なる殺し合いを楽しみにしていた──
遊園地の広場に、空虚な足音が響く。
倒れ伏した間宮一輝の指から、リングがゆっくりと抜き取られる。
それは無言のまま──誰の名を呼ぶこともなく、
無機質な光の粒となって、東堂可奈の手のひらに吸い込まれた。
「……ありがとう。これで、また一歩、遠くなれた」
少女はそう呟いたかのように、ゆっくりと歩き去っていく。
その背に、拍手はない。
観客もいない。
ただ、悪魔たちが興じる次なる劇が──水面下で幕を開けていた。
「ところで次の一戦、なかなかの対比ではないか?」
不意に、どこからともなく聞こえる悪魔の声。
──グラシャ=ラボラス。
黒いロングドレスに蛇の耳飾りを揺らしながら、優雅に舞うように現れた。
その隣には、紫煙を纏ったような男──マルバスが肩を揺らして立つ。
「ふん……分析する者と、嗅ぎつける者の戦いか。
面白いが、私の贔屓は決まっている」
「おやおや? 理論家のほうを?
それとも、直感で斬り伏せる“動物”のほうかしら?」
「どちらでもない。ただ──どちらが“生き残るべき命”か、興味があるだけだ」
暗黒舞踏会の空間に、静かにスポットライトが灯る。
そこに現れたのは──
白銀の縁取りが施された軍服のようなスーツに身を包み、眼鏡越しに冷静な視線を落とす男、早乙女誠一郎。
その瞳は冷ややかに空間を分析し、あらゆる角度からの死角を頭の中で計算している。
対するは、鍛え抜かれた肉体に野趣を纏い、全身を本能で駆動させるような漢──鹿倉翔伍。
彼の動きは野生的だが、決して愚かではない。
むしろ──理性と本能が拮抗する、生得の殺人者の目をしていた。
「やるのか……頭でっかちが。
まあ、考えてる間に拳が飛んでくるかもな?」
鹿倉がニヤリと笑う。
「君のような“衝動”こそが、統計的には先に死ぬと決まっている。
だが、データと現実が一致するかどうか──
検証してみる価値はある」
早乙女が眼鏡を指で押し上げる。
舞踏会の広間に、緊張が走る。
第4戦──理論の早乙女誠一郎と、野性の鹿倉翔伍。
次なる殺戮の舞台が、いま整った。
どんどん投稿して参ります。