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プリンセス・オア・クイーン

カツン…カツン…

ハイヒールのかかとが、コンクリートの路面にリズミカルに鳴る。


夜の帳に包まれたビル街の路地裏。そこはオフィス街の一角、かつてスーツ姿の人々が行き交っていたはずの場所。今はただ、満月が不気味な静けさを照らしていた。


「……あら。随分と趣のない場所ね。せめて赤絨毯くらい敷いてくれても罰は当たらないと思うのだけれど?」

天満宮紅子はいつもの余裕に満ちた微笑みを浮かべながら、ブランド物の黒のロングコートを翻す。


そんな彼女の前方、ビルの陰から足音ひとつなく現れた影。

ガスマスクと防護服にチェーンソーという異様な出で立ち。まるで戦場から迷い込んできたような格好をした少女がそこにいた。


「……来ましたわね。あなたが東堂可奈さんですわね?」


返答はない。ただ、可奈はじっと紅子を見つめていた。ゴーグル越しの視線が読めない。が、紅子はどこか楽しげだった。


「いいわ。その眼差し、気に入りましたわ。さあ、遊びましょうか、わたくしの“庭”で──」


直後、路地裏のアスファルトにパキッと音が走った。

それは地面から突如として生え出した、一本のツタ。

やがて二本、三本とそれは拡がり、まるで天満宮紅子の足元から闇の植物園が開かれるかのように広がっていく。


東堂可奈は微動だにしない。紅子はひとり優雅に笑う。


「わたくしの“花園”へようこそ。あなたを、最も美しく飾って差し上げますわ」


路地の壁を這う蔦が、ゆらりと首をもたげ、可奈を取り囲む。

地面を這うそれはまるで獲物を狙う蛇のようだった。


そして──


天を仰ぐかのように咲いた、一輪の赤い花。


次の瞬間、決闘の開幕を告げる鐘の音が鳴り響いた。


満月が照らす路地裏、決闘の幕が上がった。


「……っ!」

東堂可奈が反射的に身を引くより早く、蔦が地面からずるりと這い出して、彼女の足元を絡め取った。

防護服の布地が締め付けられ、身体が引き倒されそうになる。


「逃げ場はありませんわよ?」

天満宮紅子が手を掲げると、無数の蔦が彼女の腕から蛇のように解き放たれ、ビルの壁や地面、さらには空中までも覆い始める。


可奈はしゃがみこみながら、静かに手を伸ばした。

その手に握られていたのは、重厚なフォルムのチェーンソー。


「──切断、開始」

ゴォォォン……!


唸りを上げて始動した刃が、絡みつく蔦を**ずばずばずばっ!**と裂いていく。繊維が飛び散り、赤黒い汁が宙に舞う。

紅子の目が細められた。


「まあ、無骨な道具。……でも、その程度でわたくしの蔦を裁ち切れるとでも?」


天満宮の指先が弧を描いた瞬間、周囲の壁や天井に這っていたツタが一斉に可奈へ襲い掛かる。


ゴゴゴ……ズルルルルッ!!


「遮断」


短く呟くと、可奈の周囲にわずかな空間の揺らぎが生じた。

ツタがその揺らぎに触れた瞬間、ボロリと力を失い、地面に崩れ落ちる。


天満宮紅子は眉をひそめた。

「……面白い。力の流れに、なにか細工を……。ああ、思い出したわ。あなた、たしか“遮断”の力を持ってるのでしたわね?」


返答はない。可奈は蔦を裂きながら、なおもじりじりと距離を詰めてくる。紅子が一歩下がる。


「ふふ……でも、距離を詰めるだけが戦いではありませんわよ?」


紅子の足元から、新たなツタが芽を出し、花弁のように開いていく。

植物たちは踊る。紅子の意志のままに。


──そして、再び二人の距離が詰まった瞬間、紅子がひとつ手を掲げた。


「あなたを、美しく装飾して差し上げますわ。覚悟なさいな──」


地面全体が、蠢く根の絨毯に変わっていた。


「──捕まえましたわ」


次の瞬間、天満宮紅子の唇が、優美な弧を描いた。


無数の蔦が、まるで意思を持つかのように地面から這い出し、天から垂れ下がり、四方から東堂可奈の身体を締め付けていく。


ぐちっ、ぐちゅっ……ブカブカな防護服の上からでも構わず、締め上げる。

東堂の身体は宙に浮かされたまま、蜘蛛の巣のように絡まってゆく。


「くっ……!」

声は漏れない。重く不気味なガスマスクが呼吸の音だけを響かせていた。

しかしその目だけは、沈着冷静な光を宿している。


「このまま縛られていれば、少しずつ血の巡りが止まって、眠るように死ねるでしょうね」

紅子は美しく笑った。

蔦の先端から紅い小さな花が咲く。死の装飾だ。


「でも、安心なさいな。あなたをただ葬るだけでは、つまらなくってよ」


紅子の手がふわりと掲げられると、蔦はまるで絞首刑の縄のように、可奈の首元にまで巻き付く。


「わたくし、自分の作品を完成させる前に破壊されるのが大嫌いなの」


ぎゅるるるる──ッ!


しかしその瞬間だった。


ゴォォンッ!!


地響きのような咆哮をあげて、蔦を巻かれたままの東堂可奈がチェーンソーを始動させた。

その刃は、彼女の両腕に絡みついていた蔦を一気に薙ぎ払った。


ブンッ!!ズシャアアアアッ!!


「なっ……!?」


紅子が目を見開く暇もなく、可奈子は自らの身体を回転させながら、宙でチェーンソーを振り回す。


一気に周囲の蔦が斬り裂かれ、血のような液を撒き散らして地面へと叩きつけられた。

可奈子はそのまま空中から落下するように、ゴツン、と膝を着くように着地。


「……遮断」

囁くような一言。

紅子の操る蔦の一部が、その場でくたりと力を失った。


紅子の笑みが引き攣る。

「フフ……これはこれは、面白くなってきましたわね。遊び甲斐があるわ」


彼女の背後に絡みつく、螺旋を描く大輪の蔦の構造体が揺れた。


「もっと素敵な悲鳴を聞かせてくれますか? それとも……あなたのその仮面の下、どんな顔をしているのかしら」


満月の下、花と鉄の刃が再びぶつかり合う気配が満ちていた。


何度か攻撃を仕掛けるうちに、天満宮紅子が気づいた。


「……攻撃がやけに、ぬるいと思えば、それが、あなたの唯一の牙なのね?」


紅子は、月明かりの下で静かに可奈の武器――チェーンソー――を見据えた。

ガスマスクの下からは何の声もない。ただ、風を裂く刃のうなり声だけが、オフィス街の空虚な通路に反響していた。


「可愛らしいわ。たったひとつの、おもちゃにしがみついてる。まるで子どもですわね」


紅子が片手を広げると、その指先から蔦が再び伸びる。

今度は蔦の動きが異様に早い。まるで毒蛇のように地面を這い、音もなく可奈の背後へと回り込んでいく。


──気付いた時には遅かった。


「……っ!」


チェーンソーを振りかざそうとした瞬間、その取っ手が蔦に絡み取られた。


ズルズルと引きずられるように、可奈の手から愛用の凶器が奪い去られる。


「返して……それ……」


呻くような声が、ガスマスクの内側から洩れる。

だが紅子はその声を一瞬、愉悦の吐息に変えた。


「フフ……これでもう、あなたはただの人形ですわ」


蔦に絡め取られたチェーンソーは、紅子の背後の空中に持ち上げられる。

そして、そのまま宙に浮いたまま、まるで戦利品のように紅子の手元へ収まった。


「あなたの牙、わたくしが預かっておきますわ。ふふ……安心して、あなたの“最期”には丁寧に使って差し上げます」


紅子は片手でチェーンソーを構え、わざとゆっくりと起動レバーを引く。


──ブォォン……ブオオオオオオン……


機械の咆哮が、今や彼女のものとなって響き渡る。


「もう踊れないでしょう? それなら、観客としてでも舞台に残りなさいな」


そう言い放ち、紅子はチェーンソーを肩に担ぐと、モデルのような脚で可奈子に一歩ずつ近づいてくる。

その歩みは嗜虐と美の結晶のように、恐ろしく、そして美しかった。


次の瞬間、東堂可奈の目が静かに燃えた。


まだ終わっていない――そんな確信だけが、彼女の中に生きていた。


「……返して……それ、返して……!」


ガスマスクの内側で唸るような声が響く。

チェーンソーを奪われた東堂可奈は、まるで手足をもがれた獣のようにその場で立ち尽くしていた。


「どうしてそんなに執着なさるの? あなたに似合うのは、その無骨な機械だけってこと?」


天満宮紅子は、可奈の愛器を玩具のように振り回し、宙に一閃の弧を描かせる。


──ブオオオオオオンッ……!


唸る刃。

響く騒音。

夜の街路に、獰猛な音の波がこだまする。


「ねえ……お願い……それ、私の……!」


可奈の足が、無意識に一歩前に出る。


紅子の笑顔が冷たく歪む。


「取り返しにいらして? フフ……面白い。じゃあ、試してご覧なさいな」


紅子がチェーンソーを軽く構え、地面に向かって振り下ろす。

アスファルトが一筋に抉れ、粉塵と火花が舞い上がる。


その隙に――


可奈が突っ込んだ。


ガスマスクの呼気が荒く鳴る。

ぶかぶかの防護服を引き裂くような勢いで、彼女の細い手がチェーンソーへと伸びる。


「わたしの……それ、わたしの……!」


だが。


──ビシィッ!!


彼女の手は、再び生い茂った蔦に遮られた。


「残念。でも、あなたの必死な顔……とてもいいわ」


紅子の目が召使いをいたぶる貴族の目に変わっていく。


蔦が可奈の腕を再び締め付ける。

だが彼女は諦めなかった。


腕を使えなければ、足だ。

足で蹴るようにして紅子の手元へ飛び込む。

防護服の下の、むき出しの執念が暴れる。


「それがないと……私、何もできないの……!」


「フフ……じゃあ、無くしてあげるわ」


紅子はチェーンソーを可奈の頭上へと振り上げた。


だが、次の瞬間――


可奈のマスクの奥の目が、鋭く閃いた。


「それでも、私は……あんたを……殺すッ!」


可奈の足が、紅子の膝へと直撃した。


──ガンッ!


紅子がわずかによろける。


その瞬間、チェーンソーが手から滑りかけた。


「……あら」


冷ややかな声の中に、初めて僅かな驚きが混じった。


可奈は即座にそれを奪い返そうと身を投げ出す。


宙を舞うチェーンソー。

血のような月明かりの下で、それは再び主人の手に戻ろうとしていた。


————が。


ガッツ!!


手を伸ばした東堂可奈だが、慌てたため可奈の手がチェーンソーを弾き飛ばし、取りそこなった東堂可奈代わって、チェーンソーの持ち手を掴んだのは天満宮紅子だった。


「そんなに返して欲しいの? ……フフ、まるで捨てられた子犬みたい」


天満宮紅子が細く笑う。

指先でチェーンソーをゆらゆらと揺らしながら、月下の舞台を軽やかに歩く。

その足取りはまるで、オペラのヒロインを演じる舞姫のようだった。


可奈は地面を這いながら、なおもそれを追う。

防護服は土埃にまみれ、マスクの中の呼吸はもう激しいノイズと化している。


「……つまらないのよ。あなた、ずっとそれだけ。まるで……」


紅子はふと、空中に指を走らせた。

能力が発動する。


彼女の口元が、詩を紡ぐ。


「モゾモゾモゾ、夜に蠢く、盲目の芋虫。

その頭上には欲望の鎖を縋りながら、

救いを知らず、ただ吠える。

可哀想な、鉄食い犬――」


その瞬間、“ポエム”が具現化した。


地面を走る金属質の犬型の影。

その隣には無数の歯車とチェーンで構成された獣が、可奈へと吠えながら突進する。


「────あああッ!」


可奈は咄嗟に身を翻し、それを避ける。

防護服が裂ける。腕が擦り切れる。

だが彼女は止まらない。


「遊びなさい。もっと、もっと踊って見せて?」


紅子は高笑いを漏らしながら、詩の続きを指先で描いた。


「汚い汚い、汚れた肉に、鉄の抱擁を。

匂い立つ汗に、絶望を撒け。

壊れた瞳が嗤う時、

その声は、地獄を招く。」


三体目の詩の獣が出現。

今度は蛇腹状のムチを持っち醜くただれ切った容姿の少女の形をした幻影が、可奈の足を狙ってムチを跳ねる。


「……うるさいんだよ」


東堂可奈が呟いた。

立ち上がる。

その手は、まだチェーンソーを狙っていた。


「そんな……気取った言葉で、何が変わる……!」


可奈の目が、紅子を睨む。

その瞳に、演じる意志が宿る。


──彼女が間宮一輝から奪った能力、『演技の実体化』が発動しかける。


「私は……私は……っ、あんな女になんか負けたり……し、な──」


だが。


演技は、途切れた。


発動しない。


紅子が冷たく笑った。


「あら?いま何かしようとしまして?」


演技力の拙さ。感情の演技と真の表現とのズレ。

可奈の力は、空を切った。

あらゆる虐待をされ育った東堂可奈には、演じるための感情が、いや、感情を表現するだけの技術がなく指輪が“演技”として認識しなかったのだ。


「……っくそがっ……!」


再び蹲る可奈。

チェーンソーはすぐ目の前にあった。

だが紅子の“ポエムの獣”がそれを守るように巡っている。


「あなたが“主役”になれる器かどうか……この舞台が判断するわ」


紅子の目が、再び冷たい蔑みの色に染まる。


「――そして舞台の答えは、幕引きよ」


天満宮紅子の足元に、無数のツタが広がる。

コンクリートを裂き、アスファルトを砕き、蔦の女王が目を覚ます。

紅子の影が大きく揺らぎ、ブティックで新調したばかりの真紅のドレスが月光に浮かび上がる。


「もう飽きたのよ、あなたみたいな薄汚れた玩具には」


ポエムはもう不要。演出も無用。

紅子の本領は、冷酷なる美による圧殺。


彼女は指を軽く弾いた。


地面が呻くように隆起し、巨大な花弁が開いた。

その中心から現れたのは、棘付きの蔦――その太さは大人の胴ほどもある。


「さようなら」


紅子が手を振る。


「咲き誇れ、茨の裁き(バインド・ジュディカメント)」


ドォン――!


可奈の身体を狙い、複数の蔦が空を裂いた。

それは獲物に対する情けもなく、上空からの鉄槌のように襲いかかる。


「ッ……くっ……!」


可奈子は間一髪で跳ねる。

だが防護服のフードが裂け、ガスマスクがズレる。

背後に回り込むもう一本の蔦が、可奈の腰を直撃した。


「ぐっ……ぅあッ!」


その衝撃で彼女は車道脇の電柱に叩きつけられる。

全身が痺れ、手足が動かない。

視界が揺れ、ガスマスク越しに紅子のシルエットだけがぼやけて見える。


「これが“上流”の戦いなの。理解したかしら?」


紅子が歩み寄る。

一歩ごとに、蔦が滑らかに彼女の背後で舞い、まるでドレスの裾を飾るレースのように揺れる。


「見苦しい負け犬の演技は、舞台を汚すだけ」


倒れた東堂可奈の前で天満宮紅子が蔦を振り上げる。

それは先程とは比較にならない、神経質なまでに鋭利な棘を備えていた。


「散りなさい、雑草ウィード


蔦が振り下ろされる――!


だがその瞬間――

何かが動いた。


紅子の手元に、ズシリと重さを感じた。


……それは、チェーンソー。


そのチェーンソーの持ち手に、可奈の手が伸びていた。

だが、紅子もまたチェーンソーから手を離すことはなかった。


「……あら?」


紅子が動きを止める。


その一瞬の“舞台の静寂”が、

次なる狂気の幕開けを告げていた。

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