ファイアー・トゥ・トルネード
「さァて……いよいよ佳境じゃねェか」
薄暗い虚空に、歯を剥いて笑う大塚大吾の声が響いた。
ビルの屋上で出会った大塚翔伍と風巻大吾は、近くで戦闘の気配がしていたため、戦っている間に奇襲されるの警戒し、場所を移して工場倉庫に移動していた。
その工業倉庫を見下ろしながら。沈黙とともに宙に浮かぶ黒曜石の玉座で、悪魔《グラシャ=ラボラス》が退屈そうに脚を組んでいる。
「第二回戦は――そう、野獣と鉄火場の番だ。工業倉庫って舞台も粋じゃねェか。俺の趣味だ」
裂ける空間から現れたのは、かつて裏格闘界で血と金に塗れた日々を過ごしてきた漢――鹿倉翔伍。
193cmの巨体は筋肉で引き締まり、鋼のような黒皮のタンクトップに身を包んでいる。目の奥に宿るのは獣の光。
「クク、またガキかよ。背ぇ低いクセに、気圧されねえ面してやがる……」
対するは、かつての爆心地から生還し、超常の風を操る青年――風巻大吾。
その白髪混じりの短髪と鋭利な目つきには、死地から帰還した者の冷徹な静けさが宿っていた。
「あんたが……鹿倉翔伍か?」
「そういうお前こそ……見た目は猫背の坊やって感じだが、何でこの殺し合いに出てんだ?」
「さあな……答える義務はない」
やり取りの最中、鹿倉が指で弾いた指輪が宙に舞う――前戦の報酬が鹿倉の拳に握られた。
鹿倉が握りこんだ指輪には、錬金術の力。風巻が得た力は、獣化能力。前戦で敗者から奪い取った能力だ。
「俺の最初の能力を見せてやるよ。こいつは便利だぜ。硬てぇし……熱すりゃ凶器になるんだよ」
鹿倉が指を鳴らすと、手足がじわじわと鉄へと変化していく。皮膚は灰色に濁り、耳を劈くような金属音が響く。
風巻もゆっくりと右腕を上げると、大気が揺らぎ、音を響かせ波を打った気流が、埃を巻き込みながら蛇のようにうねりだした。
「……では、始めようか」
工業倉庫の広大なスペースに、乾いた鉄骨の軋みが響く。積み上げられた鉄製のコンテナと機械設備、足元には油と埃。薄暗い照明と満月の光が交錯し、まるで舞台装置のように整えられていた。
「これ以上ない殺しの舞台だな。気に入ったぜ」
風が唸り、鉄が軋む。
戦が、いま幕が上がる。
廃工場の空気が、ぴたりと静止する。
鉄の梁のきしみ音も、埃の舞う風音も、すべてが息をひそめたような刹那。
――次の瞬間。
「おらァアッ!!」
鹿倉翔伍が鋼のような肉体を一気に躍らせ、鋭い踏み込みから拳を叩きつける。
風巻は即座に身を引き、スライドステップで横に流れる。だが、その動きすら読んでいたかのように、鹿倉の膝蹴りが追いかけてきた。
「ほう……っ」
風巻の口元が吊り上がる。
拳と膝を紙一重で避けた風巻が、体勢を崩さず回し蹴りでカウンターを狙う。
しかし鹿倉は、体を捻るだけでその攻撃を受け流し、さらに肘打ちで返す。
工場の床が鳴る。鉄板が軋む。
異常に洗練された原始性――格闘のプロと、野生を研ぎ澄ませた異端者の応酬。
だが、違和感が生じ始める。
「……おい。何だその皮膚」
風巻が目を細めて言った。
鹿倉の拳を受けた右腕に、ほんの一瞬、打撃の重さに釣り合わない金属音が響いた。
次の瞬間、鹿倉はニヤリと笑いながら拳を突き出す――その肌が、鈍く光を放つ鉄の質感に変わっていく。
「オレの体はな……鉄にもなる。なかなか面白れぇだろ?」
「……ほう。これは面倒だな」
風巻が距離を取ろうと半歩下がる。
その時だった。
「……逃がすかよッ!」
鹿倉が体を低く構え、床を割らんばかりの踏み込みで突進する。
風巻が身を翻した瞬間、鹿倉の鉄の拳が寸前まで迫っていた。
「クッ……!」
風巻の胸元をかすめた拳が鉄柱を叩き、その一撃で柱はぐしゃりと凹んだ。
「威力も防御力も段違い、か……。だが、風は縛られない」
風巻が後ろへ跳び下がると同時に、足元に渦巻く風が彼を持ち上げ、梁の上へと退避させた。
だが、それすらも読んでいたように鹿倉が叫ぶ。
「てめぇ、風で飛ぶために距離取ったな? もうその動き、二度とさせねぇ」
その眼は、野生の獣の本能と、喧嘩師の経験が融合したような鋭さを宿していた。
「様子見はここまでだ」
梁の上から見下ろす風巻が、息を吸い込む――ただの吸気ではない。
彼の周囲に空気が集まり、渦を巻き、螺旋となって風巻の手元に収束していく。
「風の砲――《ガスト・スマッシュ》」
風巻が右腕を振るった瞬間、目に見えるほど圧縮された風の塊が――
爆音と共に一直線に鹿倉へと解き放たれた。
轟――!
工場全体が震える。
衝撃波は瓦礫と鉄片を巻き上げ、コンクリの床に大きな亀裂を走らせながら突き進む。
「ほぉら来いよ……ッ!」
鹿倉は構えを低くし、胸を張って迎え撃った。
その身体は既に全身がくすんだ銀のような金属で覆われている――
まさに一個の“鉄の壁”だ。
ドゴォン!!
衝撃波が命中する。だが――
「……チッ」
風巻が舌打ちした。
視界がクリアになった時、そこにはびくともしない鹿倉の姿。
「……ハッ! 終わりか?」
鉄の身体がきしむ音と共に、一歩、また一歩と踏み出してくる。
風巻はすぐさま次の一手に備えるが、それを待たずして、鹿倉の身体が再び跳ねた。
「文字通りの鉄拳制裁とくらぁっ!!」
全身のバネを使った低い踏み込みからのストレート。
バキィッ!
風巻の腹に重い衝撃が走る。風をまとった防御ごと、その拳は風巻の体を床に叩きつけた。
「ぐ……はっ……!」
風巻が床を滑りながら数メートル吹き飛ぶ。
鉄骨の支柱に背を打ち、咳き込みながら立ち上がる。
「鉄の防御だけじゃない……攻撃力も予想より重い……!」
「見ての通りだ、風男。てめぇの薄っぺらな風じゃ、オレの体は貫けねぇ!」
風巻の瞳が細まる。
それは警戒ではない――観察だ。
自分の風に反応する“重み”を、今確かに感じ取っていた。
「……いいだろう。では、風の本性を見せてやる」
風巻の足元に再び風が集い始めた。
「……渦巻け!風の牙!」
倉庫の中央で風巻大吾が両手を広げた。
その身体の周囲――否、倉庫全体の空気が、どこか不穏に揺れ始める。
無数の小さな風が、床を撫で、鉄骨を軋ませ、埃を巻き上げる。
その風が、渦を描き始めた。
「お前の鉄がどれほど硬かろうと……これに耐えられるものか!」
ゴオォォオオオ――――――!!
突如、轟音と共に、巨大な竜巻が風巻を中心に発生した。
空気は一点に集まり、暴風は支柱をねじ曲げ、天井の鉄骨を引きちぎっていく。
「ククッ……ほざけ、そんなモンで――」
鹿倉翔伍が身構えた瞬間。
――吹き飛んできたのは鉄骨そのものだった。
ビュゴッ!!
「ぐっ……!!」
反射的に顔面を覆う鹿倉の腕。その“鉄の身体”が、瓦礫の直撃で凹んだ。
竜巻の中で巻き上げられた瓦礫が、音速で叩きつけられてくる――それも一発ではない。
鉄の棒、コンテナの扉、床に転がっていた工具箱。
次から次へと暴風にのって、超加速された質量攻撃が雨のように降ってくる。
「くっ、しつけぇぞッ!!」
鹿倉は叫びながら跳ねのけるが、竜巻は止まらない。
全方位から押し寄せる風と瓦礫が、ついに鉄の装甲を裂いた。
ガギィッ!
腹部の鉄が一部、削り取られ、内側の人肌が露出する。
「ほら、硬いだけでは、折れるのだよォッ!!」
風巻の叫びと同時に、風の斬撃が、竜巻の中心から放たれる。
それは竜巻に巻かれた鉄骨をブーメランのように加速させ、鹿倉の肩口に直撃――!
ズシャァアアアン!!
鉄に裂け目が走り、鹿倉の巨体がぐらつく。
「ハァ……ハァ……」
風巻の肩も上下していた。
竜巻の維持には膨大な体力と集中力が必要だ。
「……威力は、認めるぜ」
血を滲ませながら、鉄の装甲を再び覆っていく鹿倉。
その眼には、怒りではなく、本能による直観の光が灯っていた。
「だが、お前の“風”は……大気を加速させるのに時間がかかるな?」
「……!」
風巻の顔に、初めてわずかな焦りが走る。
「つまり……距離を詰めりゃ、それで終わりだ」
鹿倉の鉄拳が、再び地を蹴った――
今度は、隙を潰すための反撃が始まる。
「お前の“風”が加速に数秒必要なら――」
鹿倉翔伍の目がギラリと光る。
その鉄化した脚が床を蹴った。まるで機関車のような重量感とスピードが倉庫を揺らす。
「その“数秒”を潰しゃ、勝てるって話だッ!」
――ズガァン!!
距離など存在しない。
一瞬で詰めた鹿倉の拳が、風巻の顎を狙って打ち上がる。
風巻は反射的に回避するも、拳に帯びた異常な熱気が肌を焼いた。
「くっ……! なんだ、これ……!」
「俺の本当の能力はな!熱した鉄になることなんだよ!!」
――そう、鹿倉の能力は身体の鉄化による、単なる硬化ではない。
正確には、熱した鉄による灼熱化なのだ。
「加速中のお前に、こいつが触れたら……風ごと焼けるぜ」
風巻が咄嗟に風圧で後方へ飛ぶ――が。
「逃がさねぇって言ってんだろォッ!!」
鹿倉の全身から鉄の蒸気が噴き上がる。
温度上昇による膨張、そして圧縮――彼の体温すらも武器となっていた。
「てめぇの“数秒”なんざ、一生分もねぇってことを教えてやるよ!!」
風巻は空中でバランスを取りながらも、再加速のための風の形成が間に合わない。
その間にも鹿倉は鉄の拳で、空気ごと空間を支配する。
「この……クソッ……!」
再び風を纏う前に、風巻の脇腹へ拳が突き刺さる。
ドゴォ!!
「ぐぅっ……!」
拳の衝撃だけでなく、拳に蓄えられた熱が体内に流れ込む。
皮膚が焦げ、血が煮え、肋骨が軋んだ。
「お前の戦い方、もう読めてんだよ」
鹿倉の目は冷静だった。
その姿は野蛮な獣ではなく――状況を計算し、隙を潰す戦士だった。
「悪ィが、次で終わりだ……“風”ごと焼いて溶かしてやるよ」
「――はっ……言ってくれる」
吹き飛ばされた風巻は、血を吐きながらも笑った。
「こっから先は、獣と狩人のケンカだ……!」
焼けた鉄の拳が、もう一度風巻の頬をかすめた。
「くっ……!」
二発目の衝撃で奥歯が砕け、頬から熱い血が噴き出す。
視界が揺れ、耳がキンキンと鳴る――だがその中で、風巻は“あること”に気づいていた。
(こいつは、なぜ……わざわざ接近してくる?)
鹿倉の灼熱化は――たしかに強い。
拳ひとつで鉄を纏い、炎のように熱を宿す。
だが。
(……この間合いに、固執しすぎだ)
もっとも恐るべきは、風巻の“風”。
距離を取れば、風は渦を巻き、刃となる。竜巻となって倉庫ごと吹き飛ばせる。
(つまり、こいつは……)
風巻の脳裏に、ひとつの可能性が浮かぶ。
(――中距離以遠への攻撃手段が乏しい。接近戦しかできんのではないか?)
風巻の予想は正しかった、鹿倉翔伍は頭を使うのが苦手で、素材構成を理解しなければ、ろくに使えない錬金術師の力を持て余していた。
「なら――離れるしかッ!」
血を吐きながらも風巻は、足元に小さな旋風を生む。
その風が、彼の身体を前後逆に回転させ――
まるで跳ねる獣のように、一気に後方へと飛び退く!
「逃がすかッ!」
鹿倉が追撃に動く。
足元の鉄床を砕き、飛び石のように跳躍する――
「今だ……!」
風巻が両腕を広げると、腕から旋風の螺旋が伸びる。
轟音とともに、倉庫全体に空気の渦が巻き起こる!
ガラスが割れ、鉄骨が軋む。
制御されない暴風が、鹿倉の跳躍をわずかに狂わせた。
「チッ……!」
着地が乱れた一瞬――
風巻は距離を確保する。
「ふぅ……ったく……さすがに、ただの獣ではないか……」
顔面にまだ血を流しながらも、彼の口元には薄い笑みが浮かんでいた。
「やはり、お前は……つよい」
「……だが」
風巻が右手をゆっくりと掲げた。
その指先に集まる風――音速を越える新たな刃が、再び生まれようとしている。
「今度はこっちの番だ――“風”の領域に入ったこと、後悔させてやる」
「風だ……またあの風を溜め込んでやがる……」
鹿倉の額から汗が垂れる。
あの竜巻――距離を与えれば、今度こそ致命的な一撃が来ると、本能が告げていた。
風巻の手がゆっくりと振り下ろされる、その寸前――
「逃がさねぇ……って言ってんだよ、クソが……!」
鹿倉は地面に手を触れる。
その瞬間、コンクリートの床がぐにゃりと変形した。
「っ……!」
風巻の足元から、金属の輪が立ち上がり、まるで蛇のように跳ね上がる。
「なっ……!」
一瞬で、風巻の右手首と鹿倉自身の左手首に、重厚な鉄の手錠がガチンと嵌まった。
「っち、てめぇ……!」
「これで……逃げられねぇだろ。風も竜巻も関係ねぇ。お前が風を加速させるのにかかる“数秒”、その猶予は、もう無ぇ」
鹿倉の口元に、冷ややかな笑みが浮かぶ。
「なあ……知ってるか?」
「風はな――自由がなきゃ、吹かねぇんだよ」
鹿倉の腕が紅く熱を帯び始める。
その熱は手錠を伝い、風巻の腕にも灼けるような痛みを届ける。
「ぐぅッ……!」
「さぁ……今度はこっちが焼いてやる番だ――」
鹿倉の拳が紅蓮の鉄塊となって振り上げられる。
「ッハ……上等だッ……!」
風巻は右腕を引っ張るが、手錠に繋がれた鹿倉も引き寄せられる。
至近距離で火花を散らすような攻防が始まった。
ふたりを繋ぐのは、鉄の絆ではなく、殺意の鎖。
今この瞬間、戦いは“風の間合い”から“鉄と炎の死闘”へと移った――
「ッハ……!」
風巻は手錠に繋がれた右腕をぐっと見据えた。
――このままじゃ終わる。
風が溜められない。奴の熱で焼かれる。俺の風が、死ぬ。
「では……右腕など、もういらんのではないか?」
鹿倉の熱を帯びた拳が迫る――が、その瞬間。
ズルリ、と風巻の右肩が崩れ落ちた。
「……ッ!?」
鹿倉が目を見開く。
風巻の右腕が、人間のそれではなくなっていた。
骨ごと抜け落ちたように変形したその腕は、毛皮と筋肉に覆われた虎へと姿を変え、手錠を咥えたまま地面に着地していた。
「右腕が……抜けた……?」
「違う。獣にしたのだ」
風巻は右肩から新たな肉塊を膨らませると、そこから別の獣の腕を再構成していく。
「俺の体は変えられる……形も、性質も、数も、な」
虎の腕――いや、もはや独立した猛獣の片腕が、手錠を咥えたまま鹿倉に跳びかかる。
「ぐっ……!」
鹿倉が応戦するが、すでに風巻の本体は跳躍し、頭上を取っていた。
「獣は檻に入らない。手錠では俺は縛れない。
……では今度は、俺が“狩る”番だな」
風巻が左腕を狼に変え、爪を広げる。
右足が豹に変わり、鋭い跳躍力を発揮する。
「お前の鉄を削ぐ爪、引き裂く牙、踏み砕く脚……全部、俺の身体だ!」
風巻の全身が、次々と異なる獣の部位に変わっていく。
虎、狼、熊、豹――
それは**“一つの体に宿った獣の軍団”**しかもただの獣ではない、犬飼京介が変身した幻獣“マンティコア”並みの膂力を持った獣の軍団だった。
「いくぞ!!」
風巻の体が獣の混成体となり、鹿倉に襲いかかる。
ドンッ!
鹿倉の鉄の鎧と化した皮膚を砕き
胸部に、虎の前脚が突き刺さる。
肺が圧し潰され、咳と共に血が溢れる。
「が……ハ……!」
「どうだね?刺された箇所が、熱くなったろ? 今度は……血の熱だ」
風巻の目が猛獣のそれに染まっていた。




