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帰ってきた夫

25/7/14までにブックマークしていただいた方へ。

「ep.3 帰ってこない夫」がどうしてもしっくりこず、8割書き直しました…。

部下のレージュ視点→ヒーロー視点へ書き換えました。結果、2000文字ほど増えましたが、展開に変更はありません。

大変申し訳ございませんでした。

ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いいたします。

 

 それは、いない夫にぷんぷんと怒っているチェルシーを宥めてから、わずか二時間後のことだった。

 談話室で実家から持ってきた本を読んでいると、執事のアーロンが慌てた様子で一通の電報を持ってきた。


「旦那さまが、夕方ごろお帰りになるそうです!」


 差し出された電報には、確かにただ一言「夕食時には帰ります」と書かれている。


「本当に帰ってくるのかしら……?」


「帰る」と言って二週間帰ってこなかった夫だ。

 思わず呟いたわたしに、アーロンが冷や汗をかきながらも「それはもう!」と何度も頷いた。


「もちろん、帰ってこられますとも! 私は料理長に旦那さまのお食事について伝えてきますので」


 そう言って食堂へ足早に向かったアーロンの後ろ姿を眺めていると、そばに控えていたシェリルがわたしに話しかけた。


「奥さま、旦那さまをお迎えする準備をいたしましょう。夕食の時間なんてすぐですわ」


 シェリルを見ると、話し方や声はいつも通り穏やかなのに、そのオレンジがかった茶色の目だけがらんらんと輝いている。


「唐変木の旦那さまに、奥さまの可愛さを存分に理解してもらわなくては。夕食まであと二時間…チェルシー!」

「はい、シェリル先輩!」


 すぐさま、チェルシーが歩くと走るの中間ギリギリの速さでやってきて、シェリルの隣に並んだ。


「メイド長のマリサさんから、シェリル先輩を手伝う許可はいただいています! 全力で奥さまをお姫さまに!!」 

「語彙が少し違う気がしますが、概ね一致しているので良いでしょう」


 シェリルはにこりと笑うと、わたしを立ち上がらせて言った。


「奥さまを、ひと目見たら忘れられないような美姫にいたしますよ」


 ◇◇◇


 時間が経ち、夕闇が空の端をオレンジ色に染め始めた頃。

 鏡越しにわたしを見ていたチェルシーが、化粧筆を片手に、満足げに頷いた。


「奥さま、とってもお綺麗です! 本物のお姫さまみたい!!」


 隣に並ぶのは、目をキラキラと輝かせるチェルシー。そして最終チェックに呼ばれたマリサが、両手を胸の前で組み合わせ、わたしの姿を見てほおっと息を吐いた。


 シェリルによってお化粧と髪型を綺麗に直されたあと、慎重に選ばれたのは淡いミントブルーに花柄のミモレ丈のワンピース。足元には、踵がさほど高くない白いヒールが用意された。

 外食に出かけるほどは派手すぎず、けれどお客さまを出迎えられるぐらいには、華やかな装い。


 この場合、旦那さまがお客さまなのかしら?


「さすが、『深窓の妖精姫』ですわね……」


 マリサの言葉に、思わず苦笑いが漏れた。


「そんなんじゃないわ」


 それは学生時代、仲の良い友人から面白半分につけられた大袈裟なあだ名で。

「深窓」と言われたのは、あまり社交に積極的でなかったからだし、「妖精姫」は亡き母から譲り受けた淡い金髪が、絵本に書かれている妖精のようにふわふわしていたからだ。


 どうしてそのあだ名をマリサが知っているのかと、一瞬不思議に思ったけれど、きっとシェリルかチェルシーから聞いたのだろう。


「いえいえ、本当に。とてもお綺麗ですよ」

「ありがとう、マリサ」


 この二週間、わたしの実家から一緒に来てくれたシェリルとチェルシー、料理人のロバートはもちろん、マリサを含む夫の実家から来てくれた使用人たちもみんな、わたしに優しかった。

 夫が帰って来ない分、余計に気を遣ってくれているのだと思う。


 空が半分紺色に染った頃、軍服を着た夫が家の門をくぐるのが見えた。

 遠目でもわかる高い身長。ズンズンと歩いてくる広い歩幅。

 あっという間に、夫は玄関までたどり着く。


「おかえりなさいませ」


 アーロンと一緒に出迎えたわたしへ、片手に荷物を持つ夫は、かぶっていた軍帽を脱いで言った。


「しばらく家を空けてしまって、申し訳ありませんでした」

「いえ、お仕事ですもの。気にしないでください」


 わたしが答えると、なぜか夫は「うっ……」と小さく呟き、一歩後ろに下がった。


「あの……?」


 戸惑いながら尋ねると、夫は青灰色の目を少し揺らして、小さく首を振る。


「いえ、何でもありません。大丈夫です」


 頭を下げるアーロンに荷物を渡した夫は、「着替えてきます。そのあと、食事にしましょう」と言って、先に屋敷の中へ入っていった。


  アーロンと会話をしながら廊下を歩いて行く夫の、軍服に包まれた真っ直ぐで綺麗な背中。

 夫は、わたしの知らない世界で生きる人。


 結婚二週間目にして、はじめて夫と二人で食事をした。

 向かい合って座る夫の皿には、わたしが普段食べる量の二倍の食事が盛られていた。


「おいしいですね、さすが侯爵家から来てもらった料理人だ」


 そう言いながら、夫はわたしの何倍も速い速度で食事を進めて行く。

 みるみる空になっていく夫の皿をわたしが目を丸くして見ていると、夫は少し困ったような顔をした。


「粗野ですみません。軍に長くいるうちに、早く食べる癖がついてしまって。あなたは気にせず、ゆっくり食べてください」

「……お忙しいのですね」


 思わず呟いた後、そんなわかりきっていることを言った自分に恥ずかしくなる。

 夫は国を守るために生きている人なのに。


 けれど、特に気にした様子なく夫は言った。


「そうですね。来年、王太子の選定式が控えていることもあって、特に忙しい時期かも知れません」


 当たり前のように言われたことに、パチリと瞬きをする。


 そうだった。

 ここしばらく、結婚という新生活のことで頭がいっぱいだったけれど、世の中は王太子の選定式の話で賑わっているはずだ。


 この国には王子が三人いる。

 穏やかで人気があるけれど、子供の頃から体が弱い第一王子。

 武術に優れ、体が丈夫な第二王子。

 まだ学生だけれど、成績優秀で利発な第三王子。


 通例では第一王子が王太子だけど、体が弱いことから、他の王子に代わるのではという噂も流れていた。


 一見穏やかなこの国にも、貴族間の派閥はあるし、権威争いもある。

 今は第一王子の派閥が優勢だけれど、長い間、一つ年下の第二王子が王太子の座を狙っているのではないかとも言われていた。


 王立軍も密やかに、第二王子を推していると聞いたことがあるけれど、実際はどうなのだろう。


「無粋な話をしてしまいましたね。すみません、食事を続けましょう」


 夫に促されて、わたしは視線を料理がのった皿に移した。


 今日の夕食は、春の野菜を使ったスープ、仔羊のトマト煮込み、ソラ豆とチーズのパスタ。


 片側を海に面しているこの国では、肉も魚も、同じぐらいよく食べられている。


 実家から一緒に来てくれた料理人のロバートは、わたしが魚料理の方が好きなことを知っているから、普段はそちらが多めなのだけど、今日は夫の好みに合わせて肉料理にしたのかもしれない。


 ——夫の好きな食べ物は、知らないけれど。


 最後に、デザートとして甘酸っぱいイチゴとカスタードクリームのタルトが出てきた。


 イチゴのタルト以外、わたしが食べる量の二倍をペロリと平らげた夫は、ミルクを少し落としたコーヒーを飲みながら、ふと思い出したように言った。


「少しお話があります。のちほど、あなたの部屋に伺っても良いでしょうか?」

「え? は、はい。もちろん」


 わたしは紅茶が入ったティーカップを思わずギュッと握りしめて頷く。


 一体、何の話だろう……。

 もしかして、まだ二週間なのに離婚するとか言われるの?

 それとも、実は愛人がいますとか……?


「ああ……言葉が足りなかったみたいですね、すみません。特にこれといった、変な話ではありません」


 不安な気持ちを顔に出したつもりはなかったのだけど、夫には勘づかれてしまったみたいで。

 ほんの少し、夫が安心させるように、わたしを見て笑った。


 ……この人も、笑うんだ。


 夫の笑った顔をはじめて見た。


 夫婦ではあるけれど、一緒に過ごしたのはたった一日。結婚式もその後も、夫の生真面目な表情は、ほとんど変わらなかった。


 この二週間、頭の中で思い返す夫はあまり感情を見せない、隙のない年上の男性に見えていたけれど。


 そうだ。この人も、笑うんだ。


 じっと見つめすぎたのかもしれない。

 夫は笑顔を消してわたしから視線を逸らした。


「あと」

「は、はい!」


 言葉を選んでいる様子に、思わず背筋が伸びた。


「……そのワンピース、よく似合っていますね」

「え?」


 予想していなかった、思いがけない言葉に、間が抜けた声が出てしまう。


「か……」


 夫はさらに何かを言いかけたけれど、それは最初の音以外は、聞き取れないぐらい小さな声だった。


「か?」

「いえ、なんでもありません。では、少し仕事が残っているので、またあとで」


 そう言うと、夫は立ち上がって食堂を出ていった。


 その後、なぜかわたしは、シェリルとマリサ、二人揃って初夜の時と同じぐらい丁寧に風呂で全身を磨かれた。


 ううん、今回はシェリルも一緒だから、前よりもずっと丁寧にお世話されている気がする。


「あのね、シェリル……」


 わたしの全身をピカピカに磨いたあと、温かなお湯で満たされた浴槽に放り込んだシェリルとマリサは、これ以上ないぐらい真剣な顔で、風呂上がりにわたしが着る予定の夜着(ネグリジェ)について話し合い始めた。


「ですが、メイド長。ここは一発、ガツンと旦那さまに衝撃を与えるのも良いのでは?」

「うちの坊ちゃんは鈍いので『寒くありませんか? もう一枚何か着ますか?』と言うかもしれません」

「くっ……それはそれで、腹が立ちますわね。仕方ありません。今日は奥さまの可愛さと清楚さを強調する方向でいきましょう」

「ねえ、シェリル! そろそろお風呂から出たいのだけど……」


 わたしが視界を遮るための衝立ごしに、少し大きな声を出すと、シェリルが慌てて大きなタオルを用意してやってきた。


「申し訳ありません、奥さま。どうすれば入浴後の奥さまの魅力を旦那さまにお伝えできるのかと、つい熱が入ってしまいました」

「旦那さまとは少しお話しするだけよ?」

「それでも奥さまのレディースメイドとして、朝から寝るまで、いいえ! 奥さまが眠られている間も、その可愛らしさを保つのが私の役目なのです。本当は初夜の準備もお手伝いしたかった……」


 わたしの長い髪を別のタオルで丁寧に拭き始めたシェリルは、名残惜しげに呟く。


「本日は、こちらの夜着(ネグリジェ)を用意しました」


 雫として落ちない程度まで髪の水分を拭き取ってもらい、下着を身につけた後、シェリルが広げたのは柔らかいコットンで作られた薄いピンク色の夜着(ネグリジェ)


 胸元から肩にかけてと、袖口、裾にレースのフリルが付いていて、丈は膝より15センチほど長い。


「体が冷えてはいけませんから、こちらを」


 最後にふわりと肩から薄手のガウンをかけられる。


「では、引き続き髪を乾かしますね」


 脱衣所で用意された椅子に座ると、シェリルが新しいタオルとブラシを手にしてまた髪を乾かし始めた。

 最後に、ローズマリーの香りがする髪油をつけてもらう。


「さあ、奥さま。寝室へ参りましょう」


 満足げなシェリルに手を引かれて、寝室へ向かった。

 寝室の扉を開けると、夫はまだいなかった。


「お茶をお持ちしますね」と言ったシェリルは、静かに寝室の扉を閉めた。


 あの初夜の後も、眠るときだけこの部屋を使っている。


 日中、わたしが使う部屋も用意されているけれど、そこにベッドは置かれていない。


 実家を離れてから、今日で一週間。

 少しずつ新しい環境に慣れてきたと思う。

 あいかわらず寝つきは悪くて、一人で暗闇を見つめていることも多いけど。


 夫からの話って、何だろう。

 変な話ではないと言っていたけれど。


 ほんのりと、薄暗い不安が心の中に湧き上がってくる。


 大丈夫……大丈夫よ。

 あの人は父の後ろ盾が欲しいと言っていたのだから。

 お父さまが元気なあいだは、()()()()()()()()()()()()


 一つ深呼吸をして、ドキドキする心臓を落ち着かせる。


 そのまま、一時間ほど待っただろうか。

 ベッドサイドで、シェリルが運んできたお茶を飲んでいるときだった。

 コツコツコツと、寝室のドアを叩く音がした。


「入っても良いですか?」


 扉の向こうから聞こえる夫の声。


「あ、はい。どうぞ」


 わたしがティーカップをサイドテーブルに置いてベッドから立ち上がるのと、夫が扉を開けたのは同時だった。


「お待たせしました」


 夫は夕食の時とは違う、少しゆったりめのシャツとトラウザーズを身につけていた。

 きちんとセットされていた前髪は自然に下ろされていて、やわらかいライトブラウンの髪は湿っているのか、濃いミルクティ色に変わっていた。


「隣に座っても良いですか?」


 夫の問いかけに「もちろん」とわたしが頷くと、夫はわたしと並ぶように、ベッドサイドに腰かけた。


 ……あれ?

 夫と一緒にベッドサイドに座っているこの状態。何か既視感があるわ。

 ちょうど二週間前もこんな感じじゃなかったかしら。


 なんとも言えない沈黙が寝室を満たす中、突然、夫がわたしの方に上半身を向けた。


「この二週間、すみませんでした」


 あれ。

 やっぱり既視感。

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