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謝罪から始まる結婚生活

 

 祖父は政治家、父も政治家、歳の離れた兄は政務次官。

 政治にどっぷり関わってきた侯爵家の末娘に生まれたわたしは、十九歳の春、父が選んだ人と()()()()政略結婚をした。


 相手は五歳年上の軍人で、名前も知らない人だった。


 わたしの中にあった軍人のイメージは屈強な体、広い肩幅、力強い眼差し……そういうものだったけれど、結婚式の開始三十分前にはじめて顔を合わせた夫は、そのどれにも当てはまらなかった。


 身長はわたしよりずっと高かったけど、軍服を身にまとった姿は細見で、黒髪に黒い目の、意外にも優しげで整った顔立ちをしていた。

 皺ひとつない軍服の左胸には、キラキラと輝くバッジがいくつも並んでいて、夫の優秀さを物語っていた。


 お互いの家族だけが揃った大聖堂で、彼と一緒に誓った言葉は、どこか欠けた音のようだった。


 貴族の結婚であれば、普通行われるはずの披露宴は、夫の職務上の都合とやらで、行わなれなかった。

 わたしはドレス姿で馬車に詰め込まれ、そのまま新居へ運ばれた。


 軍の独身寮で暮らしていた夫が、わたしと結婚するために購入した新築の屋敷。

 出迎えた使用人に案内された部屋は、どこもピカピカだったけれど、その輝きが部外者のわたしを拒んでいるようにも思えた。


 軽い夕食を出されたあとは、初夜ということで、夜着(ネグリジェ)に着替えて大人しく寝室で夫を待つ。


 少し暗めの室内に、コチコチと鳴り響く時計の男。その一音一音の間隔が、とても長く思えた。


 何回、秒針が円を描くのを見たのだろう。


 あと少しで日付が変わろうとした時、寝室のドアがガチャリと音を立てて開いた。

 そこには、夜の冷たい空気と一緒に、結婚式で見た夫が白いシャツを着て立っていた。


「遅くなってすみません」


 そう言って後ろ手にドアを閉めた夫は、ベッドに座っているわたしに近づくと、いきなり頭を下げた。


「この度はこのような、むさ苦しい男の元に嫁いでいただき、ありがとうございます」

「へ? あ、あの」


 戸惑っているわたしへ、夫は腰を九十度に曲げたまま言った。


「この結婚は、僕があなたのお父上の後ろ盾を得るためにお願いしたものです。そのために、あなたに初対面の男との結婚を強いてしまったことを謝罪させてください」


 謝罪……?


「本当に申し訳ありませんでした」


 重ねて言葉を続けた夫は、さすがは軍人というべきか、九十度に曲げた体をピクリともぶれさせない。

 その真っ直ぐな背中は、男の人なのにすごく綺麗で——いえ、そうじゃなくて!!!


 政略結婚ということで、それなりに心づもりはしてきたつもりだった。

「お前を愛することはない」と言われたり、愛人を連れてくる可能性だって充分あった。


 だけど。


 どうしよう……。

 夫から謝罪されるパターンは想定してなかったわ。


 夫との政略結婚が決まったあと、仲の良いメイドから借りた令嬢雑誌の特集『実録! 政略結婚で令嬢たちが言われた言葉4選〜その傾向と対策〜』にも、夫から謝罪された場合の対処は書いてなかったし……。


 悩んだわたしは、とりあえず、頭に浮かんだことを口にした。


「あの、どうか顔を上げてください。わたしは……この結婚を嫌だとは思っていません」


 貴族であり、政治家でもある家の娘に生まれた以上、遅かれ早かれ、父が決めた「誰か」と結婚することになるのはわかっていた。


「父の後ろ盾が目当て」なのも政略結婚なら当然だし、突然の結婚も、夫が謝罪することではないと思う。


 わたしの言葉に、月夜に透かされる空のような黒い髪を揺らして、ゆっくりと顔を上げた夫は、同じように黒い目をわずかに細めた。


「あなたは……このような結婚で良いのですか?」

「貴族の結婚ですもの。そういうものではないでしょうか」

「……そう言っていただけると、助かります」


 一瞬、どこか痛ましいものを見るような目でわたしを見た夫は、形の良い唇から小さなため息を漏らした。


「隣に座っても良いでしょうか」

「あ、はい。もちろん!」


 わたしは夫を立たせたままだったことに気づいて、慌てて頷く。夫はきっちり人一人分の隙間を空けてわたしの隣に座った。


「……実は、この結婚について、あなたにお願いしたいことがあります」


 夫は大きな手を膝の上で組み合わせた。

 そして、わたしの方をチラリと見たあと、矢継ぎ早にこの結婚についての要望を口にした。


 屋敷の外で会った時は軍の任務中である可能性があるから絶対に声をかけないでほしいこと。

 もし接触してしまった場合は他人のふりをすること。

 所属している部署や仕事内容については、守秘義務があるので話せないこと。

 長期間、屋敷に帰れない場合もあること。

 結婚指輪はつけられないこと。


 早い話が、夫の仕事に関しては何も詮索するなと言うことだった。


「その『お願い』は父も知っているのでしょうか?」

「はい」

「でしたら、それで構いませんわ」


 父も知っていると言うことは、その要望込みの政略結婚なのだろう。

 事前に知らせて欲しかったと思わなくはないけれど、わたしのことを政治の駒と思っている父に、そんな気遣いは多分ない。


「……その代わりと言っては何ですが、あなたはこの屋敷でお好きに過ごしてください。ご実家に比べれは手狭で申し訳ありませんが、家具の配置も装飾も、全てあなた好みに変えていただいて結構です。馴染みの商会があれば、屋敷まで呼んでもかまいません。使用人を増やす場合は、先に相談していただきたきたいですが」

「……もし、旦那さまにお伝えしたいことがあった時はどうすれば?」


 わたしが尋ねると、夫は少し考えた後に言った。


「軍の陸軍本部へ電報を打ってください。ただ、すぐに返信できると約束はできません。やり方は執事が知っています」

「わかりました」


 夫からの要望も指示も、特に拒否する理由はなかった。

 あっさり頷いたわたしに、夫は何か言いたげな様子をしたけれど、結局何も言わずに寝室の扉へ目を向けた。


「今晩ですが……知り合ったばかりの男と一晩過ごすのは、あなたにとっても負担でしょう。僕は別室で寝ますので、あなたはここでゆっくり休んでください。明日、また話しましょう」

「え?」


 夫はわたしの返事を聞かずに立ち上がると、そのままドアへ向かった。


 え、待って。

 確かに知り合ったばっかりだ。

 だけど、今日から夫婦になったのに?


 初夜のために、初対面の使用人たちにドレスを剥ぎ取られ(脱がされ)、浴室で一時間以上擦られ(磨かれ)、さらに肌の艶が良くなるらしい謎の粉まで振られたのに?


 それに、


『初夜を乗り越えてこそ、夫婦生活の始まりとなるのです。夫を支える良き妻になりなさい。それがあなたの役目なのですから』


 思い出されたのは、淑女教育をわたしに叩き込んだ家庭教師の声。


 そう、わたしは——良き妻にならなくちゃいけないのに。


「あ、あの……」


 引き止めようとわたしが腕を伸ばしかけた時、すでに夫はドアノブを掴んでいた。ガチャガチャとドアノブを回す音が部屋に響く。

 少しして、何故か夫はがっくりと肩を落とした。


「やられました……ドアが開きません」

「えっ」

「おそらく使用人の仕業でしょう……クソ、ドアを壊すわけにもいかないしな」


 困った顔をして振り返った夫は、ぐるりと部屋を見まわした。寝室なのだから、もちろん部屋にあるのは大きなベッド。それ以外の家具といえば、クローゼットと小さなサイドテーブルに鏡台だけだ。


 ふと夫がサイドテーブルの上の、輪切りのレモンと水が入った硝子製のポットに目を止めた。

 それは夫を待つ間に、使用人が「明日の朝、旦那さまとお飲みくださいね」と言って置いていったものだった。


「……この水、飲みました?」

「いいえ」


 夫はサイドテーブルに近づくと、ポットの蓋を取った。そして、少し匂いを嗅いだあと、その整った顔を顰めた。


「何か入っているかもしれません。飲まない方が良い」

「え」

「ああ、体に悪いものは入っていませんよ、多分。ドアのことといい……明日、使用人には言い聞かせておきますので」


 夫はポットの蓋を元に戻すと、大きめのため息をついた。


「仕方ありません。僕は床で寝ます」

「ゆ、床!?」


 夫は入り口付近の床へ、わたしに背を向けて寝そべった。わたしは慌ててベッドから降りて夫に駆け寄り、その肩を揺さぶる。


「ゆ、床だなんて! 風邪を引いてしまいますわ」

「これでも軍人として鍛えていますから、少々のことでは風邪をひきません」

「体が痛くなりますよ!?」

「任務によっては山中で眠る日もあります。それに比べれば、ここは絨毯もありますから問題ありません」


 で、でも結婚して早々、夫を床に寝させるわけには。


「でしたら! わたしも床で寝ます!!」

「いや、何であなたが床で寝るんですか」


 パッとこちらを見た夫と目が合う。夫は少し困った顔をして諭すように私に言った。


「僕のことは気にせず、あなたはベッドで寝てください」

「で、できません!」


 わたしは夫のシャツの裾を掴む。


「旦那さまが床で寝ているのに、妻のわたしがベッドで寝るなんて、そんなことできません!!」


 夫の動きが数秒、ピタリと止まった。


「……わかりました。そこまで言うなら、ベッドを半分お借りします」


 どこか根負けしたような顔で言った夫は、床から立ち上がるとベッドを指差した。


「あなたは窓側で寝てください。僕は扉側で寝ます」

「は、はい……」


 夫の様子を伺いながら、静々とベッドに近寄ると、夫は丁寧な仕草でベッドの上掛けを捲ってくれた。


 ——その左薬指に、結婚式でつけていた指輪はなかったけど。


 わたしがベッドの片側に収まると、夫は上掛けでわたしの体をぎゅっと包み込んだ。


「寒くないですか?」

「はい……」


 ベッドサイドのランプを残して、部屋の明かりを消した夫は、ベッドの空いた空間にわたしに背を向けて横になった。

 どうやら夫に上掛けは不要らしい。


 沈黙が続く。チラリと横を見ると、白いシャツと広くてまっすぐな背中が目に入った。

 大聖堂では細身に見えた夫も、こうして近くで見ると、さすが現役の軍人。

 シャツに包まれていても、肩から腕にかけての筋肉がすごいことがわかる。


 それより、わたし、この状態で眠れるかしら……?


 幼い頃から寝つきは良い方じゃなかった。

 ベッドに入ってから二、三時間眠れないのはいつものこと。

 慣れない場所で、夫になったばかりの人が隣で横になっている。明日の朝まで一睡もできなくても、おかしくない。


 一日、二日寝なくても大丈夫なのは知っているし、顔色はいつものようにお化粧で隠せばいい。

 あ。でも、いつもお化粧をしてくれるメイドが実家から来るのは明日だわ……。


 そんなことを考えていると、耐え切れないぐらい体が疲れていたのか、珍しくそのままストンと眠ってしまって……気づけば、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。

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