第二章 鉄砲玉ちゃん2
姫宮華英は指定暴力団、千石組七代目組長姫宮三造、三姉妹の内の末っ子である。
華英がこの学校に来たのは始まってしまった抗争から長く遠ざけさせる為だった。
千石組はその本拠地を愛知に置く。そして愛知には厳重に周囲を警戒されているとはいえ、長女次女は未だ居り、華英だけが抗争から遠ざけられることとなった。
何故か。
一重に華英の性質にある。
暴力団でさえ、ヤクザでさえ、今の時代より余程暴力に溢れていた時代を生き抜いてきたじじいでさえ、
「あの娘っ子はここがおかしい」
と、頭に指やって云った。
口より先に手が出る――だけならまだ良いのだ。
華英は体を張った。
小学四年生時のエピソードである。
華英がいつもの如く学校帰りにそのまま近所にある組事務所に走ってやって来、当時の華英の兄貴分とパーティゲームで大盛りあがりしていると、事務所に敵対している組の若いのがサブマシンガン片手に真正面から突っ込んできた。華英は破壊されるゲームに我慢ならず、抑えつける兄貴の鼻に肘鉄を喰らわせ、周囲が唖然とする中、若いのに正面から向かっていき、腕にぶら下がって指齧りそのままサブマシンガンを奪い取った。
額から頬に掛けての傷は、その際若いのに蹴飛ばされ、飛び散ったガラス片に顔面から突っ込んで出来た傷である。
幸い、目に傷はなかった。
ちなみに、若いのは死んだ。
続いて、小学六年生時のエピソード。
華英によくしてくれた一人が、組の縄張りにおいて無断でシャブを売り捌いているのがバレた。激高しヒートアップしていく周囲。華英のいることも忘れ、華英の眼前でけじめを取らされようとしていた。けじめ。つまりはエンコ。ヤクザの行う指詰めの義。これから行われようとしていることを察した華英は、刃が振り下ろされる瞬間狭間に自らの手を差し入れた。
「痛いからやめようよ」
発した言葉と共に、千石組で語り草になっている逸話である。
右手にある肌が引き攣ったような傷跡はその時出来た傷である。
ちなみに、よくしてくれた一人は、『華英ちゃんに免じて階級引き下げに留める』と、された。その壮年の男は今では華英を兄貴分のように慕っているという。
異名、鉄砲玉。
愛称、鉄砲玉。
「あの鉄砲玉には敵わねえ」
「ちげえねえ」
とは、組内酒の席においてよくよく交わされる会話である。
冗談半分じゃなし。父、三造からは本気で次期組長をやらないかと口説かれているし、周囲もそれを認めている節があるから困っていた。
華英は云う。
「むり」
だから、
「好きな花はテッポウユリ、好きな魚はテッポウウオ、祭りに行ったら必ず射的はやっちゃうかなー、あんなの絶対倒れないって身に沁みて分かっててもねえ。寿司ネタ!? うーん。鉄砲巻き? え? ううんううん。違うよ。静岡出身じゃないよー。あははー秘密~。漫画? ガンガンに載ってるやつはよく読む。小説? あたし小説はたまーにしか読まないからなあ。あ、でもね。先週たまたま読んだのは中村文則の……。好きな音楽? そりゃあもうキャノンボール・アダレイ一択。映画? 映画はアウトレイジとゴッドファーザーとそれから。うわ。雨いっぱい降ってきた。鉄砲雨だ鉄砲雨。てっ、姫野さんはどこ出身? あ、まってまって当ててあげよっか。あ・て・ずっ・ぽ・う・だけどっ。えっとねー」
「どこの組の回しもんじゃワレ」
なんて――、巻き舌で相手を追い詰めてしまうのも致し方ないと云えよう。
「コントの台本?」
「どこの組のもんか聞いとるんじゃこっちは」
「あは。同じ組なのに忘れちゃった?」
五階。人があまりやって来ない廊下の片隅で今日一日の恨みを目いっぱいぶつける。わあわあ後ろで喚く同級生の手を取り、ここまでやって来た。同級生は華英の突然の行動に目を白黒させていた。ように見えた。教室を出るまでは。
「同じ組?」
同級生を改めて下から上から見やる。睨めつけるような、因縁つけるような視線は長年染み付いた癖だ。特に意識していない。小学校時代からこれで何度喧嘩吹っかけられたことか。
緩く巻いた髪先、前から後ろに掛けて小さな三つ編みが一周している。この学校にぴったりなお嬢様っぽい髪型。つんと尖ったあひる口。強気な眉。意思の強そうな瞳。そして、ぶかぶかした所謂萌え袖と反らした胸は『生意気』という言葉がぴったり合った。身長は華英とどっこい。
萌え袖は違っていたか。
何より目を引くのはその――
「鮫島さんとこに同じくらいの子がいるって……木島のおじさんとこの……一個下か。そういえば豪田くんに娘がいるって聞いたことが……」
「同じ組なのになあ。クラスメイトの顔、忘れちゃった? あたし悲しいな」
華英が必至に脳みそから千石組の家族構成を参照掛けていると、目の前の女が頬に指やって言った。ぶりっ子っぽい仕草にイラッとする。が、本当にこちらの早とちりの可能性が浮かんだ。そう。いきなり連れ出すのはそれこそ無鉄砲が過ぎた。勘違いしてごめん。
と、口開こうとしたところで、
「ま、違う組でもあるんだけど」
茶化すように、ぶかぶかした袖をひらひらやられた。
「?」
「今バチバチやってる我籐清新会」
「まじ?」
華英は遠慮なし、彼女の顔面を指差した。
我籐清新会。
今バチバチ抗争やってる戦争やってる敵対している組である。つまりはヤクザ。華英がこんな辺鄙な場所まで飛ばされた主原因。そこの誰かの子だかなんだか知らないがつまりは関係者だと云っているのだ。
我藤は戦後の動乱期から続く暴力団。その時期跋扈した中国マフィアを潰し取り込み大きくなっていった。我藤は元々関西の組だった。愛知には平成から乗り出してきた。だからか地場の千石組とはめちゃくちゃに仲悪い。
「あなたみたく、組長の娘じゃないけどね~」
知られていても特に驚かない。華英は地元じゃ有名だ。顔の傷でバレる。敵対方でさえ、華英の逸話の数々は知られているだろう。だからこそ華英はこんなところにいる。
「鉄砲玉ちゃん」
改めて呼びかけられ――もうそれに応える気力も失せていた――華英は言う。
「その腕」
萌え袖。ひらひらした制服の袖。明らかに肩から先がなかった。
こくりと頷き、口を開く。
「四年前にうちの事務所にトラック突っ込んだ事件あったでしょ? 覚えてる?」
「そりゃもう」
今の抗争のきっかけのひとつ。全国では大した報道はされなかったが地元では大々的に報じられた。
四トントラックが市内の某事務所に激突。犯人もその目的も火を見るより明らか。
敵対している集団にダメージを与えるという、目的の線上ではこれ以上ない成果だった。ダメージが想定を遥かに嫌な方向に上回っただけで。
「あたしね。たまたまそこにいたの。あ、今度は嘘じゃないよ」
今度とは。今日一日のやり取りのことを云っているのか。
「複雑骨折。腕の神経ずたずた。切るしかなかったから切った」
抗争が激化しっていった最たる理由。その最初の炎。それまで例え着火しても火には至らなかった。霧に濡れたように湿気っていたから。
所詮チンピラ、社会の癌。
傷ついて、死んでしまって当たり前。
けれど――。
「……なんでもするよ?」
華英は言った。
「じゃ、生徒会入って」
「うん。入る」
気付けば答えていた。間髪入れず了承していた。家のもんがやったことだろうが、若いのが突っ走って無茶苦茶したんだろうが知ったこっちゃなかった。
華英は、気持ちで動くのだ。
「あたしの左腕になって」
これが霧ヶ浦女学校中等部、初代生徒会のはじまりだった。