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第十四章 暴力

 その場がビリビリと震えるほどの咆哮を聞いた瞬間、時子は、


「この子は、暴力の世界に生きる人間だ」と理解した。


 手を出してはいけなかった。これ以上手を出してはいけない。自身の過去の想起。種種雑多な感情記憶――諸々、思う暇なく、ぶらりと下げた左手に


 噛み付かれる。


「いぃっ」

 悲鳴を上げる。肩を組んでいた京極が押され、尻もちを付く。その場にただ転がっていた園の背中に思い切り尻を乗せ、園が蛙みたいな呻き声を上げた。

「ひたいいたいいたいいたい!」

 時子は躊躇うことなく思いっきり華英の腹に膝を入れた。思わぬ激痛に時子はスタンガンを取り落としてしまう。呻く華英は、唾と共に指を離したが、

「がうっ」

 と、犬染みた鳴き声と共に、眼の前に残されていた小指に再び齧りついた。

「いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい」

 ごりごりと。がりがりと華英は削っていく。

 相手の皮膚を。骨を。小指を。ただ、ただ渾身の力を顎に乗せていく。やがて、

「ぺっ」

 と、華英は口を離した。

 離れた、というべきだろうか。

 ころん、と床に何かが転がっていた。血と唾液が指から口から糸を引いている。

 華英は笑う。先程まで京極の浮かべていた笑みとはまるで違う。嗤うというより、相手を挑発するような、嘲笑うと云うのがそれは正解だ。

「エンコだエンコだ」

「姉さん」

 まりあが怯む。赤くなっていた顔は青ざめている。対する華英は口元から赤い血が流れている。

「なんだ、こいつ」

 京極は後ずさりしながらも立ち上がった。誰も園を見ていない。それをいいことに、園はゆっくりと体を起こそうとする。足の親指を縛られている為、立ち上がるまではいかず。

「どけ」

 脱兎の如く駆け出した京極の後を華英は追い掛ける。進行方向上にいたまりあが華英にどつかれ、尻もちをついた。ぴちゃり、と床に飛沫が散った。室内には静かなすすり泣きが聞こえていた。彼女は蹲って痛みに必至に耐えているようにも見えたし、溢れ出る血を必至に抑えているようにも見えたし、失ってしまった小指の為にただ涙を流しているようにも映った。

 開きっぱなしの扉の向こう側へ華英が姿を消す際、園の耳を捉えたのはひとつの音。間違えようもなくそれは、矢が放たれた音をしており、一度もそれを撃ったことのない園でも分かるくらい矢の放たれた音だった。

「あ、ばっ」

「きゃあ!」

 声が聞こえた。意味を成さない声を発したのは廊下を覗き込むまりあであり、彼女は今、園にむき出しの尻を向けて四つん這いしている。かわいらしい乙女の悲鳴を上げたのが京極だということは分かるが、何故悲鳴を上げたのかまでは分からなかった。

「どうしたの?」

 はさみはさみ、カッター、何か切る物を……、と室内を見渡しながら園は訊いた。既に親指は青くなっている。

 立ち上がり、まりあが叫んだ。もう体を隠してもいない。


「落ち、お、お、お、落ちました! 姉さんと、あいつがっ!」


 それを聞き、園は冷静になって云う。

「よし。今のうちに警察呼ぼう」

「救急車が先でしょう!? ここ五階っすよ!?」

 まりあがつっこみ、園が「ああ、そっか」と、独りごち納得する。まりあが素っ裸で慌てふためき、「ああっ、スマホない!」とひとり騒ぐ中、外も騒然としてきていた。

「誰か落ちた?」「やばい」「動かないって」「救急車」という声が聞こえてくる。園は目の前に落ちていたパイプを回収した。


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