第一章 お嬢様学校の表層
霧ヶ浦女学校。
昭和中期に地元住民の反対を押し切って設立されたこの女学校。
霧ヶ峰高原(標高1740メートル)の上層に位置するこの学校は、毎朝の通学の時間帯、必ずといっていいほど霧に沈んでおり、当時の業者はなんだってこんな場所につくるんだと工事しながら不思議に思ったというし、当時反対した住民もなんだってこんな場所につくるんだと抗議しながら設立者の頭を疑ったというし、今現在通っている学生もなんだってこんな場所に通わねばならないのと自身の不幸を嘆いているという。
だって濡れるから。
だってだって、濡れるから!
もう朝からぴっちゃぴちゃなんだから!
毎朝の通学路を歩くだけでブレザーがなんだか湿っているし、これが夏場になったらと思うと今から気が滅入る。
下着のラインが見える、なんてのは、対策のしようがあるからまだいいが、冬場こんな高原地帯で霧に塗れたら朝から凍ってしまう。
「はあ……さっむ」
最早霧なんだか息なんだか分からない白い塊。
頭は靄が掛かったよう。霞が掛かったよう。
霧が掛かったよう。
なんだってこんな場所に通わなければいけないんだろう。
四月上旬、だというのに一向に蕾のまま花開く気配のないこの桜並木道。聞けば、開花は四月下旬、下手すれば五月に入るという。東北か! と、聞いた際、声に出してツッコんでしまった。ここは長野だ。
校舎が見えてくる。
霧ヶ浦女学校中等部。霧ヶ浦女学校高等部。霧ヶ浦女子大学。
す、と歩みの向きを左へ――霧ヶ浦女学校中等部へ。
「ま、分かるけどね」
こんな学校をつくった意味は。
中高大の一貫制女子学校。エスカレーター式による将来性の安心感、豊かな自然で学ぶ心を育む、同じルートを辿った仲間が近くにいることで一体感を……など学校説明パンフレットには載っているが、一番の理由は我が子の安全である。
で、あったとするべきか。
学校設立の昭和中期。つまりは戦時。第二次世界大戦末期、東京大空襲。終戦直後、政府の中枢が機能を失った混乱の十年。米軍がいた。火事場泥棒を働く輩がいた。そんな中、我が子が乱暴された。狼藉された。そういう歴史が確かにあった。
都会に住まう当時の富豪たちが金を出し合い、意見を出し合い、見栄を張り合い、設立されたのがこの霧ヶ浦女学校。
男性の排除。小学校が存在しないのは、当時の背景、乱暴の対象が誰であったのかを、考えると納得がいく。けれど。
「分かるけど。分かるけど、ねっ……!」
山の中腹。どころか、日本の中腹長野。山に囲まれ、樹木に囲まれ、霧に沈み、ひたすらに安心。上から爆弾の降ってくる心配はない。好き好んでこんなところまでやって来る軍隊もいない。泥棒や変態だって乙女にえっちなことしたいが為に登山まではしないだろう。
「でも」
――もういいでしょう。
そう嘆かずにはいられない。
令和だ。昭和じゃない。平成飛び越えて令和だ。戦争は終わった。いや、今でもどこかでは起こっている。が、そういうことじゃない。今じゃこんな場所に通っているのは親が見栄っ張りのお嬢様か、それかよっぽど頭のおかしい奴だけ。
「わたしみたいな」
「何があたしなの?」
「わっ」
声と共にひょこりと顔が出てきた。
白い霧の中から。
「びっくりする」
不満顔をつくり漏らした。その顔に相手は得意そうな笑みを向けると、ふ、とない肩を竦め目を逸らした。それから後は言葉を発そうとしない。つかつかと石畳を歩むのみ。歩調を合わすこともしない。それで満足したのか。いつも華英が好き放題やっている仕返しか。
「こんな場所に通う己の不幸を嘆いてたんだ。あー、わたしはなんて不幸」
「他人の自虐と不幸自慢ってあたし嫌いなの。実家思い出すから」
「えー。わたし好きだったけどなあ。どれも面白くって。聞いているぶんには」
「面白おかしく盛ってんのよ。大抵大概そう。低俗。俗悪。馬鹿の集まり」
――全員、死んだ方が世の為よ。
それには答えず華英は、
「これからこの学校で増えるかもねえ。わたしたちも。自虐風不幸自慢武勇伝。夏休み帰ったらみんなに聞かせてあげようか」
と、顔面に華咲かせてみせた。
見えていないだろうが。
「そうならないことを願うわ」
ようやく校舎に入りようやく霧が収まった。
その瞬間、わっと溢れかえったように感じられた。
白、白、白。
純白。
白い艶やかな制服に身を包んだ『表面上は』汚れていない乙女たち。すっと入った深緑のラインは、囲われる樹木を意識してのことか。
霧に紛れ、一様に沈んでいた乙女たち。
まるで一斉に芽吹いた花のよう。
――ここがわたしの新たな戦場。
「何か言った?」
「いいえ」
同級にそう微笑み、姫宮華英は白の群れに埋没する。