真 side 5
ショウコはすっかり、美香に気を許したらしい。哀以外の感情を初めて零した。
「ふふっ」
「どうしました?」
「あなた、お姉ちゃんね。下にご兄弟がいるでしょ?」
「ええ、そうです。よくわかりましたね」
「わかるわよ。優しくて、頼もしくて、面倒見がいいもの。私は末っ子だったから、面倒見のいい人を見ると、亡くなった兄や姉を思い出すわ」
そういえば、美香には歳の離れた弟が一人いた。話題に出るまですっかり忘れていたな。
美香は続けて、
「昔は可愛かったんですけどね。最近は反抗期なのか、反発が強くて……言葉遣いも荒いし、手がかかって仕方ないです」
と、困ったように笑った。
そうだろうな。私は美香に、心の中で同情した。
私が美香の弟に初めて会ったのは、彼が部活帰りの時だった。何の部活動をやっていたのかは覚えていない。上下が学校指定のジャージ姿で、茶色の髪を短く切り揃えていた。きっと運動系だろう。顔立ちは美香に似て可愛い子だったが、行動が過激だった。出会い頭、彼から蹴られて、鞄を投げつけられたこともある。あの時は美香が彼を叱っていたが、今にして思えば彼氏の私に姉を取られまいと必死だったのだろう。シスコンというやつだ。
彼は今……いや、未来で、どうしているのだろう。まだなお、姉を待ち続けているのだろうか?
美香を失った後、私は美香の家族と疎遠になってしまった。何より、会わせる顔がなかった。所詮、私は美香の彼氏だ。失踪以前に婚姻関係を結んでいれば、その後も関わりがあったのかもしれないが、今となっては赤の他人。愛した女を守れなかった甲斐性なしの男だ。
私は静かに、やる気に満ちていた。今度こそ、私が美香を守るのだと。いちいち、他人の言動に翻弄されている暇などない。しっかりしろ。そして不器用ながらに姉を想う弟のもとへ、彼女を返してあげなければ。
「年頃の男子なんてそんなものだよ。かくゆう私も、中学から高校にかけて、言葉遣いが荒くなったし、反発心もあった。君の弟の行動が激しいのも、このクソガキー! くらいに思っておけばいい」
そう言うと、美香は一瞬きょとんと目を丸くさせた後、クスクスと可笑しそうに笑い出した。
「ふふっ。クソガキだなんて、酷いわ」
ああ、やっと本当の笑顔を見せてくれた。くしゃりと破顔する美香は、とても可愛かった。
私も、「確かに、クソガキは酷かったな」と笑い、
「それは冗談としてもだ。美香は肩の力を抜くくらいでちょうどいいんだよ」
そう言って、美香の肩にポン、と手を乗せた。
この私たちのやり取りを、乾パンを食べながら見ていた潤美が、「はんっ」と鼻で笑った。
「反抗期なんて、都合のいい言葉ね。あんなのただ我が儘よ。うちにも一人暴れん坊がいたけれど、元々仲はよくなかったし、親が離婚して縁が切れたから、離れられて清々しているわ」
「へえ。潤美さんのところは兄弟仲が悪かったんですね。私とは真逆だ」
鈴木が二枚目の乾パンを食べながら、関心を示したように言った。
「君、兄弟がいたのか」
「え、いるように見えませんか?」
驚いて、口をついて出てしまった。私と同じ一人っ子だと思っていたからだ。
そう思っていたのは、私だけではなかったようで、潤美もうんうんと頷いた。
「全然見えないわよ。少なくとも、兄って感じはしないわね」
「そうですか? まあ、学生の時にゲイがバレて、母親から家を追い出されましてね。別れていた父親のもとへ行ったんです。だからかな。兄弟がいるように見えないのは。こう見えて弟がいるんですよ。あと、姉も。つまり真ん中ですね。これでも、一緒に暮らしていた頃は、仲がよかったんですよ」
「だからそんなに口が回るのね」
「真ん中だから饒舌っていう説、初めて聞きましたよ」
それから鈴木は首だけを動かし、
「あっちでふざけた発言をしたぽっちゃり君は、一人っ子っぽいですけれどね」
と、ロビーに向かって親指を向けた。
缶に入った乾パンを取る手が、急に止まる。
私は目を細めて鈴木を見た。それに対し、鈴木は「彼をどうするのか」と同じく目で訴えた。
ここから脱出したいという気持ちは、全員同じ。平の言うことが本当なら、彼を煽ててでも聞き出さないといけない。しかし平は、恋人の私がいる前で、美香を抱かせろと言ってきた。人の恋人を、だ。それで全員の命が助かるなら、安いものだとでも? ふざけるな。それは美香を、生贄に差し出せということだ。
平の言う突破口が、本当であるという裏付けもない以上、おいそれと恋人を差し出す馬鹿がどこにいる。ロビーにいただけの平にわかったというのなら、きっと私たちにも答えがわかるはずだ。
いや、待てよ。平が突破口を見つけたことが本当なら、まさか彼が十二年前の生存者なのか? あの男が? だとしたら、そうだとするなら……。
私は乾パンの缶を開けた時に外した、プルタブの付いた蓋に視線を落とした。殺傷能力などないただの蓋だが、縁は鋭利で、むやみに掴めば手を傷つける。
ずぶ、ずぶ、と得体の知れない何かが、私の心を侵食していくようだ。それは私であって、私ではないもの。きっと、この身を委ねてはいけない、闇の深淵。
机の上にあるそれをしばし見つめた後、私はゆっくりと手を伸ばした。
「あの……」
突如、美香が声を出した。ピタッと自分の手が止まり、慌てて引っ込めた。
いったい私は、何を考えていた? 美香の声がなかったら、私は何をしようとしていたのか。
わからない。考えたくはない。何やら恐ろしい気がするからだ。
それより、美香だ。見ると、乾パンの入った缶を手に抱えて、彼女は丸椅子から立ち上がっていた。
いったい何をしようとしているのか。そう尋ねる前に、美香は意を決したように、とんでもないことを口にした。
「私、平さんに乾パンを持っていきますね」
「何だって!?」
私は驚き、大きな声をあげた。




