お姉さんは心配性
メルトリア侯爵家の後継ぎはリドルだ。
そんなリドルには姉がいる。
彼女は嫁に行く事が決まっていて、あと数日もすればこの家からいなくなる。
姉と家の中で顔を合わせるのもあと数日、と考えるとなんだか妙な感慨深さがあった。
たった数日。その後はもう、姉に会おうと思ったって気軽に会えるものではない。会いたいと思っても、そう簡単に会えないのだ。
そう思うとそりゃあ感傷に浸るのも仕方がない話である。
そう、目を閉じれば思い出す……姉との思い出の数々。
庭でみつけた芋虫を投げつけられたり、池に突き落とされたり、足を引っかけられて盛大にすっ転んだり……
いや、何か思い出したやつ全部ロクでもないな?
姉は別に自分の事を嫌っているわけではない。
芋虫に関してはなんかやたらでっかいのを見つけた姉が見てみてすっごい! とテンション高く持ってきたのが途中で転んで姉の手から離れた芋虫がリドルの顔面に着地しただけだし、池に突き落とされたのは侯爵家に逆恨みした賊が侵入して、それから守ろうとした結果だ。
足を引っかけられたのは確か……それ以上進むと蜂が威嚇音を出していたからそれ以上進まないようにしようと思って、だったか。
決してリドルの事が嫌いだとか憎くてだとかで怪我をさせようとした事は一度もなかった。
結果的に大怪我をした事なら何度かあったけれど。
自分の好きなお菓子が出た時は自分の分まで分けてくれた姉。
熱を出して寝込んだ時にお見舞いにと庭から花を摘んできてくれた姉。
うん、ちゃんとした思い出もある。
そんな姉はというと現在……
「いやでもあの弟だもの。多分うっかり引っかかりそ~」
「えぇえ? 仮にも弟さんでしょう? 何もそんな言い方……」
――現在、仲の良い友人が訪ねてきたので茶飲み話に夢中である。
本日のお勉強を終わらせて部屋に戻ろうとした途中、リドルはその場面に遭遇した。
弟、という言葉からして姉とその友人はどうやら自分の事を話しているらしいぞ、というのは理解できた。
けれども何故だろう。あまり良い感じがしない。
挨拶の一つくらいはしておくべきだろうか……と悩みながらも、しかし話の内容が気になるのでどうしたものかなと声をかけるのを躊躇った。
このままここにいたら話の続きが聞こえるのではないか、という思いもあったし、盗み聞きはよろしくないというのもわかっている。
気になってしまって、どうするべきだろうか……と悩んでいる間にも、姉と友人の会話は進んでいた。
「でもねぇ、言っちゃなんだけどうちのリドルって素直なのよ。だからコロッと騙されても何もおかしくないと思うわ」
「それでも流石にそんな簡単に騙されたりなんて……」
「いーえ、騙されるわ。断言してもいい。なんだったらこの前買ったブローチ賭けてもいいわよ」
「まぁ、もしかしてそのブローチってナジュレ商会の限定商品の……? 随分大きく出たわね……」
「えぇ、だってうちの弟は素直で人を疑う事を知らないもの。私にだって何度も騙されてきたのよ」
「あら、騙してきたの……?」
「えぇ、数えきれない程騙してきたわ」
ふふん、と胸を張って言う事だろうか。
というか、数えきれない程騙してきたのか……えっ? どういう内容で?
騙された自覚のないリドルは、姉の言葉に衝撃を受けた。
後になってから騙された! 悔しい! というような事があったならわかる。けれどもリドルにそういったものはなかったのである。
「そうね、例えば私がダイエットしてる時とか。お菓子とか控えたくて、でも残すのは折角作ってくれた人に失礼でしょ? だからね、そういう時は弟に押し付けていたの」
「それは……騙したうちに入るの?」
「私が騙したって言ってるんだから騙してるのよ。ふふふ、弟はそんな事に気付きもしないで高カロリーなお菓子を食べる事になって、一時期ちょっとふくよかになった事もあったのよ。
あの時は一生懸命運動してひぃひぃ言ってたわね」
「あらまぁ」
姉の言葉に何となく思い当たる事があって、あぁあれか、とリドルは頷いていた。
確かに姉から色んなお菓子を分けてもらった事がある。美味しいお菓子をいっぱいもらえてリドルとしてはラッキーだったのだが、あれは体よく押し付けていたのか……
その後確かにちょっと食べすぎが原因で太ったけれど、その頃から護身用に武術を学ぶようになって身体をめいっぱい動かす事になったから、むしろあのお菓子がなかったら食事の時間まで待ちきれず空腹で切ない気持ちになっていた事だろう。
成長期も相まって、一時期ちょっと太ったな、と思った体重は正常な範囲内に収まった。
他にも、と色々暴露していた姉の言葉にあったなぁあんな事そんな事、と思いを馳せたが、懐かしい思い出ばかりで騙されたという実感はやはりこれっぽっちも出てこなかった。
「姉さん、悪女ムーブはその辺にしておいた方がいいよ……」
どれもこれも微笑ましい姉と弟のやりとりでしかないと思ったリドルは、ちょっといたたまれなさを感じて話に花を咲かせていた二人の前に姿を現した。
姉の友人はその前からリドルがいた事に気付いていたらしく、リドルの登場に特に驚きもしなかった。
逆に姉はちょっとびくっと肩を跳ねさせていた。
えぇ、気付いてなかったのか……となんだか生ぬるい気持ちになる。
「悪女ムーブなんてしてないわ。私は弟限定で惡の華なのよ」
「うーん、いやまぁ、本人がそう思いたいならそれでいいんだけど」
姉に何を言ったところで納得してくれる気がしない。それならそれでまぁいいかと受け流すのが処世術というものである。
軽く挨拶をして立ち去った方がいいかな、と思いつつもしかし先程の話題が気になってリドルは不作法だと思いながらも、それでさっきの話は? と問いかけた。
「さっき? あぁ、あれね。
学院で貴方に言い寄ろうとしてる女がいるんだけど、それに貴方が引っかかるかどうかって話よ」
あまりにもあっけらかんと言われたせいで、リドルは理解するまで数秒を要した。
「何言ってるのさ姉さん。僕には婚約者がいるんだよ? それなのに言い寄る女性なんているはずが」
「甘いわね。私の情報網を舐めてもらっちゃ困るわ。今はまだ貴方の周囲をうろつくだけみたいだけど、そのうちとんでもない大胆な行動に出るわよ」
リドルの言葉を遮るように姉は断言する。
リドルの婚約者は現在隣国へ留学している。学院の制度の一つとして交換留学というのがあって、婚約者はそれを利用して現在隣国で学んでいる真っ最中だ。
隣国の学院からも留学生が来ていて、そちらは現在リドルが通っている学院で学んでいる。
そしてリドルの周囲をうろついて言い寄ろうとしている女というのが、その交換留学でやってきた女性である。
とはいえ、リドルからすれば言い寄っている……とまでは思っていなかった。
言い寄っているらしき女性の名を、サンディという。
学ぶという点はさておき、学内のあれこれにはまだ慣れてもいないだろうと思える部分もあったから、リドルとしては親切で何度か声をかけた事もある。けれどもそれはリドルだけではない。他にも数名、困った様子の彼女に声をかけていた者はいる。
自分と同じく留学生として選ばれたリドルの婚約者に興味を示し、話を聞きたいと言ってきたこともあった。
交換留学に選ばれる生徒は当然の事ながら優秀であり、自分と同じように選ばれ今はサンディが通っていた学院に留学しているリドルの婚約者に興味を持つ事も、別におかしな話だとは思えない。
良き友、良きライバルになれるかもしれない、と思える部分があるのなら、興味を示すのはある意味で当然と言えるのだから。
けれどもリドルのその反応を、姉はお気に召さなかったらしい。
「まったく、暢気なものね。確かにあの女、優秀かもしれないけど優秀な人物がマトモな人間かっていうのはまた別の話よ。彼女の噂とか何も聞いてないの?」
「噂?」
なぁにそれ、とばかりに困惑してみせると、姉は大袈裟に溜息を吐いた。
「男ってそういうところ疎いのよね。だから引っかかるのよ。いい、あの女、確かに優秀でこうやって留学生として選ばれたけど、本来なら別の相手がそうなるはずだったの。
けどね、あの女、自国でやらかしたのが原因で一時的に国を離れるようにってなったからこうしてこっちに来たのよ」
「やらかした……?」
「なんでも婚約者のいる相手に言い寄って、奪おうとしたらしいのよ。自分から愛人の立場を選ぶとかじゃなくて、本妻狙いね。家同士の政略の間に割り込もうとしたものだから、両家の怒りを買って彼女の実家はとても肩身の狭い思いをしているのだとか。
とはいえ、実家の人間はマトモで誠心誠意謝罪した事でどうにか難を逃れたっぽいけど。
でも、そんな醜聞をしでかしたのだから、マトモな結婚は無理そうじゃない?
下手に友人になったら自分の婚約者も奪おうとするんじゃないか、って女なら思うでしょうし、男も男で遊びで手を出すならともかく正当な妻として迎えるってなると……マトモな家柄のところは特に、ねぇ……?」
「そんな風には全然見えなかったけどな」
「甘いわね。いい、人間なんて見た目で中身がわかるなんて事ないのよ。いかにも悪人みたいな外見してる人が本当に悪人である可能性は確かにあるけれど、いかにも善人面してるとんでもない悪党だってゴマンといるでしょ!?」
そう言われてしまうと否定はできない。
年を取るとそれなりに内面が外見ににじみ出る、とは言われているけれどだからといって見た目で中身まで決め打つのは大間違いというものだ。
「自分の国でマトモな結婚はもう絶望的。だからまだ醜聞がそこまで知れ渡ってない所で相手を見つけてしまおうって算段なのよきっと」
「そうかなぁ……?」
醜聞知れ渡った自国でどこかの家に嫁ぐのが難しいとなれば、他国で……と考えるのはわかる。けれどもしかし。
「自国の醜聞が仮に知られても、その時には既に結婚してしまった、とかならいくらでも言い逃れはできるわ。
あれは色々とすれ違いと誤解が起きてしまって招かれてしまった、だとかね。そんなつもりはなかったのだけれど、周囲がそうは思ってくれなくて、だとか。事実と真実は似てるようで異なるもの。結婚した後でその醜聞を知って家から追い出そうなんてすれば、そこでは何もやらかしてない嫁を追い出すって事になったらその家の評判だって落ちるでしょ? 結婚さえしてしまえばこっちのもの理論がないとは言い切れないわ」
暴論が多い気がするが、全否定できる部分も特にない。
「そして今狙われてるのが……貴方よ」
ビシッと指を突きつけられて、リドルは「えぇ……?」と戸惑った。
「同じ交換留学生に選ばれた相手の事が知りたい、なんて話題がまずあって、しかもその相手は貴方の婚約者。つまり、今邪魔者がいないのよね。
婚約者が国にいない間に魔が差して別の女に手を出してしまった、話をしていくうちに惹かれてもうどうしようもなかった、お互いそんな言い分が広まれば周囲は勝手に納得するでしょうね。冗談じゃないわ」
「ホントだよ」
確かにその状況なら、男なら魔が差して……なんて話はリドルもいくつか耳にした事がある。だからこそ有り得ない話ではないなと思えるけれど、しかしその相手が自分であるとなれば話は別だ。
婚約者が隣国で勉学に励んでいる間、自分だって何もしないわけではないのだ。彼女が戻って来た時に自分を見てがっかりされる事のないように、リドルだって努力を重ねている。
婚約者がいなくて寂しいからって他の女に言い寄るなどするわけがない。
そんな男と一緒にするなと言いたかった。
「あの女の頭が中身スカスカお花畑だったらこんな風に外に出して厄介払い紛いな事もできなかったんでしょうけど、中途半端に優秀だったのが運の尽きね。
万一どこぞの家と縁付いてごらんなさい。過去に色々と思う部分はあったかもしれませんが、今はこうして他国で幸せになっているだとかの美談にされかねないわ。
全部知った上で彼女を妻にする、って決めてるならいいけどそうじゃなかったら考え物よね……知らないうちに利用されてるようなものだし」
「悪く受け取りすぎじゃないかな……」
なんというか、とても偏見に満ち満ちている気しかしない。
「いいことリドル! 常に最悪の事態を想定しておかないと、いざって時にマトモに対処できずに更なる地獄に……なんて事は余裕で有り得るのよ!」
ビシッと指を突きつけて言われても、リドルとしては大袈裟だなぁとしか思えない。
「今はまだ普通の範囲内の会話だけで済んでるかもしれないけれど、もうちょっとしたら地味~にアプローチとかされたりするかもしれないんだから!」
「たとえば?」
アプローチって言われてもな……なんて思いつつ、リドルは冷めた口調で問いかけた。
「そうね……あからさまに密着したりはしてこないでしょうけれど、それでもふとした瞬間に手が触れあったりだとか、いつもより距離が近いだとかでじわじわと自分が近距離にいても何もおかしくはない、っていう土台を作るでしょうね」
姉の言葉をリドルは否定できなかった。
何故なら最近確かにちょっと近いかな? と思える事が増えてきたので。
「そうして身近に常にいてもおかしくない、って相手に思わせたあたりで、自分は貴方の事が好きですよ、みたいな好意を態度に徐々に出していくでしょうね」
その言葉も否定できなかった。
直接お慕いしております、というような言葉を言われた事はないけれど、確かにこう……好意的な態度である、とは思ったのだ。
ただ、リドルはそれを今まで留学先でできた学友としてだと思っていた。
けれども、とよくよく思い返してみる。
そういった近しい距離感は、果たして他の人にもそうだっただろうか……? と。
確かに他にも友人と呼んでよさそうな相手はいたと思う。
けれども、リドルの記憶の中のサンディとそういった相手との距離はリドルほど近しくはなかったように思う。
そんなリドルの態度から、何かを察したのだろう。
姉の友人が「あらまぁ」なんて訳知り顔になって頷いているし、姉も姉で「……え、もしかして……」とか言いそうな顔をしている。
「え、やだ、ちょっと本当に? えっ、大変じゃない何暢気にアホ面晒してるのよ。
やっだこの後の展開とか本当にあっさり引っかかりそうで怖いわー」
パサッと扇子を広げて口元を隠しつつ言う姉だったが、隠さずともどんな表情をしているか、リドルにはハッキリとわかってしまった。
多分、ひきつってる。
「ちょっとこれから先何があっても二人きりになんてなるんじゃないわよ? 常に第三者の目がある場所にいて、おかしな言質とられたりしないでちょうだいね?」
そして凄い念押ししてくる。
数分前までならそんな事あるはずないだろ姉さんは心配性だなぁハハハ、と笑って言えたけれど今となってはちょっと笑い飛ばせそうにない。
「いい? まず二人きりにならないっていうのは絶対条件だけど、万が一二人きりになってしまったとして」
「はい」
笑い飛ばせそうにないので、流石に神妙になって話を聞くしか……と思ったリドルはすっと姿勢を正した。
「その場で告白されたとしても、貴方なら断ると信じているわ」
「それはもちろん」
婚約者がいるのだ。留学して今はこの国にいないけれど、彼女がいない所で彼女を裏切るような真似、するはずがない。
頷いたリドルに、しかし姉はそっと首を横に振った。
「それは当然よ。わかっているわ。
でもね、そこで、思い出が欲しい、なんて言葉でもって口づけをねだられたりしたとして」
「はい」
するつもりはないけれど、しかしそれで諦めてもらえるのならば……とリドルは一瞬揺らいだ。
しつこく言い寄られるよりは、それできっぱり諦めてもらえるのならその方が手っ取り早い。
そんな考えを姉は見抜いたのだろう。甘いわね、という呟きが漏れた。
「もしそれをやった場合、実は周囲に誰かしら目撃者を用意されてる可能性がとても高いわ」
「えっ」
「偶然その場に居合わせた、ならまだしも間違いなく仕込みよ。
そして目撃者と泥棒猫はさも思いが通じ合いましたみたいなツラで噂をばら撒くでしょうね」
「なっ……」
「ハニートラップの初歩よ初歩」
「その噂を訂正するとして」
「無駄よ。一度きりと頼まれただとか思い出が欲しいとか言われたからって言ったところで、キスしたのは事実なら手遅れね。
それどころか貴方は乙女の純情弄んだくそ野郎よ」
「くそ野郎……」
姉の口から出るには中々のインパクトである言葉に、ちょっと傷ついた。
いやまぁ、それですんなり終わるなら実行したかもしれないが、まだやってもいないのだ。なのにくそ野郎認定はちょっと心にくる。
「まぁそこを華麗に回避したとして。
次に狙われそうなのって、学院の創立パーティーの日なのよね」
「あぁ、そういやあったね」
今年は婚約者が留学していていないので、参加してもすぐ帰るだろうなと思っている。
なので創立パーティーの事は姉に言われるまで割と忘れていた。
「ダンスを踊ろうと誘われる可能性はまぁあるとして。一曲くらいなら別に問題はないわ。
でもその後よ問題は」
「何かあるの?」
「大ありよ、ちょっと飲み物取ってきますね、とか言われて戻って来た相手から渡されたドリンク、さぁ貴方はどうする?」
「え、そりゃ飲むけど」
「もしかしたら薬盛られてるかもしれないのに!?」
「えぇっ!?」
薬を盛る……?
「えっ、そこで毒殺でもされるの?」
「違うわバカタレ。こういう時に盛られる薬というのは大抵媚薬と相場が決まっているのよ。もしくは睡眠薬」
「えっ、えぇ……?」
「薬の効果が出始めて、ちょっとクラッとしてきたな、なんて時に少し休んだ方が……なんて言われて二人きりにでもなってごらんなさい。密室に男女が二人きり、何も起きないはずもなく……なんて勘繰られるのは言うまでもないわ」
「でも具合が悪い相手の介抱だよね……?」
「薬盛った相手と二人きりって時点で介抱は既成事実と読むわね」
「ひぇ……」
パチン、パチン、と扇子を閉じたり開いたりしつつ、姉は続ける。
「たとえその時に何もなかったとして、なかった証明って難しいのよ。あったかもしれない疑いがある時点で、何もなかったことを証明するには最初からその部屋で何があったかを証明できるような……魔導式カメラで動画撮影しっぱなし、とかでもないと無理でしょうね」
「流石にそれは難しいかな……」
事前に必ずあると見越しているならともかく、あるかどうかもわからない事実のためだけに魔導式カメラの動画撮影は無理がありすぎる。まず物が高価すぎてそう簡単に設置できるものでもない。
「貴方が完全に眠っている状態で、その間に何かありましたよ、を装う程度ならまぁ……そうね、本当は何もなかった可能性もあるけれど。
中途半端に意識があって、朦朧としながらもやる事やっちゃった、っていうならもうアウトね」
「うわぁ……」
「仮に何もされてなくても密室に数時間。しかもこの後どういう展開になるかなんてとてもわかりやすいわ」
「ぐ、具体的には……?」
「数か月後くらいに呼び出されて、子供ができたって言われるでしょうね十中八九」
「えっ」
「この時本当にできてるかどうかはどうでもいいのよ。けど、子供ができたなら責任をとってほしいと言われるのは言うまでもないし。
その時どうするの?」
「そ、れは……もし本当に子どもができているなら、責任は取らないとだけど……」
「はぁ、ホンット素直ないい子ちゃんね。そうして事情を説明して婚約者との婚約を無かったことにして、その女と結婚する事になったとしましょう。
でもね、断言するけどその時点で子供ができていたとして、本当にあなたの子かどうかはわからないのよ」
「えっ」
「大体婚約者のいる相手に言い寄るんだから、他の男にも言い寄ってないって誰が言えるの。他の男の子かもしれないじゃない。顔とか家柄とかの身分だとか資産状況でこっちのがいい条件だったから貴方の子って事にしておきましょう、みたいな打算がないとも限らないのよ」
「えっと……じ、じゃあ、さっき言ってた本当にできてるかどうか、の部分でもしできてなかったら……?
数か月経過して実は勘違いだった、って場合ならなるべく穏便に話を終わらせたりは」
「無理ね。できてなくてもできたって言った場合、実はできてなかったならこの話はなかったことに……なんて言われるのは相手も想定済みでしょうよ。
そういう時はね、事故を装って流産した事になるのよ」
「事故、って」
「妊娠した初期の状態って色々と不安定だもの。安定期入ったから絶対安全ってわけでもないけど、ちょっとした事で残念な事になったりなんてのはよくある話よ。
つまりね、例えば落っこちなくても階段のちょっとした段差から足を踏み外してしまっただとか、馬車が脱輪してその衝撃で、だとかのちょっとした、命にかかわるほどでもない事でも赤ん坊にとっては大惨事なの。
それは……男性には理解しづらいかもしれないでしょうけど。
でも、そうして流れてしまった事になれば、もう下手に別れられなくなるわ」
実際子なんてできていなくとも、流産したと言われてしまえば流石にそれを嘘だと断定するのは難しいものがある。
しかもその後でお別れしようとすれば、そんな状態の女性をこっ酷く捨てたなんて噂が出るのは言うまでもない。
「いい? そうなったらもうどうにもならないんだから、それを回避するためにはそもそも最初から二人きりにならない・しない・させないを徹底しなさいな。
食べ物だとかも直接受け取るのはお勧めしないわ。何が入ってるかわかったものじゃないものね。
一番いいのはこれから先やんわりと距離をとって絶対に相手と二人にならないように他の友人たちと常に一緒にいる事かしら。
創立パーティーの時にダンスを誘われても踊らない、っていうのもそうだけど、いっそ他の誰かと約束して踊る暇もないようにしておくのも有りね」
「え、でも今から距離を置こうにも、逆にそれって不自然にならないかな……?」
「そんな甘い事言ってると容赦なく付け入られるわよ。エスコートとか頼まれてもどうにかして断る事ね」
「いやでも、流石にそこまでは……」
「あのねぇ、普通のご令嬢ならそういう態度酷い、可哀そうってなるけど、相手は既に隣国でやらかしてるのよ!? そこわかってる?
姉の言葉が信用できないならまず自分でそこら辺調べてみなさいな。
婚約者との仲が破局してもいいっていうならそのままで構わないけれど」
「そ、こまで言う? いや、そこまで言うなら調べてみるけども」
留学してきた彼女の事をひたすら悪しざまに言うだけならまだしも、最悪婚約者との仲もご破算なんて言われてしまえばリドルとしても受け流すわけにはいかない。
リドルは婚約者との仲を解消するような事望んでいないので。
「あ。距離置くにしても、上手くやんなさいよ。そうしないと今までの状況から露骨に手の平返した、なんて言われるかもしれないから」
「わかってるよ!」
そこまで言われたならば何もしないわけにもいかない。
早速、とばかりにリドルは留学してきた彼女の事を調べるべく踵を返して部屋を出た。
「……いいの? あんなこと言っちゃって」
「いいのよ。というかあれくらい言わなきゃわからない鈍チンなんだからむしろ全然」
大人しく姉と弟のやりとりを見ていた友人に、姉は平然と返した。
「展開、変わるかしら」
「これで変わらなきゃ原作の修正力ってこわーい、ってなるわね」
「そうね、そうなんだけど……」
――などというやりとりをしている二人は、実のところ転生者である。
とある乙女ゲームの世界に転生し、割と早い段階で前世の記憶が蘇っている。
姉の弟であるリドルは乙女ゲームの攻略対象の一人であり、姉は悪役令嬢――などではない。
そもそもこの後姉は嫁いで家からいなくなるので、乙女ゲームのヒロインに嫌がらせをするような事できるはずがないのだ。
姉はモブである。
ただ、姉の友人、彼女は別の攻略対象者のシナリオに入った時に現れる悪役令嬢であった。
同時進行して攻略できるタイプの乙女ゲームではないので、その攻略対象者のシナリオに入らない限り友人が悪役令嬢として振舞う事はなかったのだが、しかし同じ転生者であると知ってしまった相手の弟が狙われているとなれば黙ってもいられない。
この乙女ゲームのヒロイン、それが先程言っていた留学生の彼女である。
本来乙女ゲームのヒロインってこう、身寄りがなかっただとか、貧しい出身だけどそれでも腐らず日々をまっとうに生きているだとか、そういう生活をしていたけれど実は貴族の生まれであっただとか、まぁゲームプレイヤーがそれなりに共感できそうな生い立ちだとか性格だとかなのだが。
この乙女ゲームはそうではなかった。
ヒロインは既に自分が生まれ育った自国でやらかした後なのだ。
燃えるような恋をして、そうしてその果てにその恋が終わりを迎えてしまって傷心真っ最中。
傍――プレイヤー――から見ればいやそりゃそうだろ、としか言いようがないのだが、ヒロイン視点で語られるストーリーはまるで悲劇で。
恋をしていたのに引き裂かれて、相手は自分を捨てて違う女のところにいって。
周囲は心無い噂ばかり。
そんな感じの四面楚歌だと言わんばかりの境遇で、けれどいっそ処刑するにしてもそこまでの罪は犯しておらず。
留学という形で一時的にでも自分が住んでいた国から離れて、もう少し視野を広げるとかそういう感じでどうにか更生できるといいね、みたいな温情でもって実のところこの国にやってきた、というのが乙女ゲームのプロローグである。
キャッチコピーは、次の恋は失敗しない、である。
中途半端に生々しい。
なんでそんな乙女ゲームが世に出てしまったのか、というのは多分製作者側が色々トチ狂ったか、乙女ゲームブームで色々出すぎて特色出そうとして失敗したか、何かもう迷走した感が半端ない。
そもそも乙女ゲームのヒロインって割とこう……プレイヤー目線、この子は私の手で幸せにしてやりたい、とか思えるようなタイプが多いと思うのだが、このヒロインは違った。
お前どうやったら幸せになれんの? である。
悪役令嬢が意地悪をする、というのだってヒロイン視点からすればそうかもしれないが、悪役令嬢視点からすれば割と真っ当な忠告しかしていない。
ヒロインの倫理観とか常識がちょっとこう……アレなせいで、ぶっ飛んだ話ではあるのだ。
ただ、そのせいで幸せになれそうにない。
幸せになるためにはまずヒロインに真っ当な常識だとか世間の価値観だとかを植え付けて、今までの事が間違っていたのだ、と認識させなければならない。
攻略対象のところに通い詰めて適当に会話して選択肢選んでれば勝手に仲良くなってエンディングにいくようなお手軽なゲームではなかったのだ。
留学生として他国へ行ける程度には頭もよろしいはずのヒロインだけど、しかし色んな常識がすっぽ抜けているのでそのままストーリーを進めるとどんどん勝手に不幸になる道に突き進んでいく。
真人間になってようやく攻略対象とのルートがひらけると言っても過言ではない。
乙女ゲームっていうよりは、何かカウンセリングゲームとかいかに一人の人間――ヒロインである――を洗脳して真人間にしていくか、を模索するゲームと言われた方がしっくりくるとプレイヤーの間で色々な物議を醸しだしたとんでもねぇ乙女ゲームであった。
姉が先程リドルに言ったあれこれは、ゲーム内ヒロインがやらかすバッドエンドルートでの行動である。
恋愛が絡まなければヒロインはそれなりにマトモな人間関係が築けるのに、恋愛が絡んだ途端真っ当な常識をどこかにすっ飛ばすとんでもねぇゲームであった。
プレイヤーたちの間では、恋愛エンディングよりノーマルエンディングが一番マトモなハッピーエンドなのでは……? とか言われていたくらいだ。
無理矢理リドルと既成事実を作って結婚したとしても、ヒロインのその先の未来が幸せであるとはとてもじゃないが言えない。
何せリドルは本来婚約者を愛していた。けれども、思い出が欲しいというヒロインにほだされて一度口づけをした事で、彼は自分の未来から愛する婚約者を失う事となるのだ。
その後もどうにか自分に縛り付けておこうとしてやらかした既成事実。
できてもいない子供をできたと言って、結婚を迫るヒロイン。
リドルと婚約者の事はなかったことにされて、リドルは大して好きでもないヒロインと結婚。その後、ちょっとした不注意で子供が流れてしまった、と言われたリドルの心境は、果たしてどうだっただろうか。
ゲームでは描かれていない部分だが、もしかしたらそこで今更のように不信感を抱いたかもしれない。
けれど、そこでヒロインを追い出そうにも、そんな事をすればリドルは鬼畜外道と称されるだけだ。
婚約者がいながら他の女に手を出して、子を孕ませた挙句その子が流産した途端女を家から追い出す。
なんて、いくら事情があっただとかリドル側が実のところ被害者であったなんて言われても、とてもじゃないがすんなりと信じられるはずもない。
プレイヤー目線で見ればリドルくん可哀そぉ……ってなるのに世間一般の人間目線で見るととんでもねえ奴なのだ。何故ってヒロインがヤバイ女だなんてわかるはずもないので。
ヤバい女に引っかかった可哀そうな被害者は、しかし世間から見ると被害者ではなく加害者に見える不思議マジック。
そりゃあ結婚しても幸せになれるはずがないわけである。
いくらリドルが素直な性格で姉の言葉をすんなり信じるとしても、流石に今回ばかりは正直に言えるはずもない。
あんたゲームの攻略対象者でこのままだとヒロインに狙われて自分の人生バッドエンドよ、とかいくら転生した身の上である姉であっても、自分が言われたら頭大丈夫か? と返してしまいそうな言葉なのだから。
それとなく調べた結果ヒロインがリドルルートを狙っているのが判明したので、先駆けてヒロインがやらかしそうなバッドエンドへの道を言ったけれど。
婚約者がその場にいないという状況で、リドルルートだけは悪役令嬢になり得る相手がいないのである。
なので攻略は比較的簡単であった。
とはいえ、ヒロインが真っ当な常識を持ち合わせていなければハッピーエンドにはほど遠いのだが。
ヒロインも転生者であった、とは考えていない。
もし転生者でこのゲームをプレイした事がある人間なら、先程言ったような行動はとらないはずだ。だって確実に幸せになれないもの。
で、あればゲームという原作通りの人間性でこの世界に生まれ落ちた存在だと思った方がまだマシである。
流石に乙女ゲームの世界に転生してヒロインだと自覚したなら、少なくともそれなりに幸せになれるルートを模索するだろうし。
「……結果がどうなるか、見届けられないのが残念ね」
「心配しないで。手紙書くから」
「情報はなるべく詳細にお願いね」
「まかせて」
姉はゲームではほとんどモブで、リドルルートでちらっと名前が出てきたかな? くらいの存在感でしかない。
結婚して家を出て行った姉。ゲーム内で分かる情報はこれくらいである。
なのでヒロインに狙われてリドルが毒牙にかかったとしても、その頃にはもういないのだ。
バッドエンドルートに入ったとしても、まぁちょっと周囲の人間からリドルの評判が下がったりする程度で、別に家が没落するだとか王家の不興を買って処刑されるだとかはない。
一度の過ちで結婚することになってしまった女と、周囲の人間関係がちょっとこう……今までの友人たちから距離を置かれて寂しい感じになったりだとか、外でも家でも安らげない環境になったりはするけれど。
それでも生きてはいけるのだ。
ただ、幸せになれないだけで。
幸せになるためのルートだと、ヒロイン側だけではなくリドルもヒロインに惹かれるようになっている。婚約者がいるのにどうしてこんなに心が惹かれるのだろう……? なんて感じでリドルも恋に苦悩するような展開があるのだが、しかし先程の様子からリドルは婚約者一筋のままでヒロインに関しては単なる学友という認識。
けれどヒロインがリドルに接近しているとなればバッドエンドルート確定という、事情を知っている人間から見るとこの時点で地獄。
姉は相当悩んだのだ。これでも。
放っておいても死にはしないが、可愛い可愛い弟が不幸になるとわかっていて放置するのも忍びない。
同じ転生者仲間の友人に相談して、そうして事前にありがちな展開をぶちまけるという結果となったのだ。
さも世の中にはこういうハニートラップが溢れていますよ、とばかりの顔で弟に言ったけれど、実際どうかは姉も知らない。正直そこまで経験豊富でもないので。
賭けだった。
確かに弟は割と素直に姉の話を聞くけれど、今回の一件に関しては忠告をすんなり聞いてヒロインと距離をとってくれるかどうかはわからなかったのだ。
原作の展開通りに自分が何を言ったってなってしまうかもしれない。そう思えば不安な気持ちは中々消えてくれなかった。
とはいえ、先程あれだけ言ったのだ。
ヒロインに関して調べて、彼女の国でのやらかしを知ればリドルは間違いなく距離を取るだろう。
そうなれば、無理矢理既成事実を作ろうとしても、きっと姉の言葉を思い出してそう簡単に引っかかったりはしないだろう……と思いたい。
それでも引っかかった時は原作の強制力に恐れる以外、何もできそうにない。
最後まで見届ける事ができない姉の不安は、しかし友人によって払拭された。
手紙が届くまではやきもきするだろうけれど、それでも事情を知ってる相手からの情報が齎されるとなれば多少なりとも安心はできる。
結果によっては完全に安心できそうにないけれど。
そうして不安な気持ちが残ったまま、姉は嫁いでいったのである。
――結果が判明したのは、そこから更に数か月先の事だ。
学院の創立パーティーが終わりを迎えて少し経った頃。
友人と弟から手紙が届いた。
弟の手紙には、姉の忠告が大変役に立った事、あの助言がなければどうなっていたかわからなかった、などと書かれていた。
どうやら弟はヒロインのハニートラップを見事回避できたようである。
とはいえ、流石にそこら辺あまり細かく記されてはいなかった。
まぁ、一歩間違えたら己の恥でしかない事だ。詳細に書き連ねるなどするはずもない。
なので友人の手紙を続けて開封。
友人は学院に知り合いが数名いた事もあって、それとなくリドルの動向、ヒロインの様子を確認させていたらしい。我が友人は人をそれとなく使うのが得意だなと感心する。
というか、中にはヒロインに頼まれて買収され目撃者となるはずだった者もいたようで、とんでもなく詳細に経緯が記されている。感心していた気持ちは一瞬で「こわ……」と切り替わった。
姉が言ったように、ヒロインはどうやらリドルに対して無理矢理既成事実を作って結ばれようとしていたらしい。うーん、真人間ルートにいけなかったヒロインマジで手段選ばないな……と思いつつも読み進める。
これで諦めるから最後に思い出が欲しい、と口づけをねだったもののリドルは既に姉から色々言われた後だ。
口づけ一つで諦めがつくようならそもそもその程度。むしろ余計忘れられなくなりました、なんて言われても困るから何があってもしない、と拒絶されたヒロインの顔は凄い事になっていたらしい。
それでもめげずにヒロインはリドルを狙っていたようだ。
ヒロインが転生者でないのはこのルートに入った時点でわかりきっているけれど、この時点でそれでも他の誰かを狙えばもしかしたらワンチャンあったかもしれないのに、それでもリドルを追いかけ続けた。ある意味で一途だけれど、追われる側からすれば勘弁してほしいものだろう。
その後もどうにか二人きりになってさも何かありましたよとばかりの噂を立ててそこから外堀埋めていこうとしていたヒロインだが、リドルは鉄壁の守りを発揮してヒロインと二人きりになる事態を完全に回避していた。
うむ、流石我が弟。素直さがちょっと貴族としてこれから先大丈夫かしら、と思う部分もあったけれど、姉の助言を無駄にしないその意気は良しとする。
ここまできても諦めなかったヒロインもある意味で一途かもしれないが、単純にお邪魔虫がいないから落としやすいと判断しただけだろう。他の攻略対象者は割と身近に悪役令嬢だとかヒロインの妨害をする人物がいて攻略もそこそこ大変なのだけれど、リドルだけは婚約者がヒロインと入れ替わるように留学している。一番の壁が存在していない分、ヒロインの人格さえマトモになっていれば攻略はとても容易いキャラだった。
生来の素直さもあって、下手に腹の内を探りあうような選択肢もほとんどなかったし。
ヒロインの人格がマトモになってさえいれば、一番攻略しやすいのだ。
なんだったら必要なフラグさえ押さえておけば親密度が最高に達していなくてもエンディングを迎えられる。ちょろい。大丈夫かと思うくらいちょろい。
そりゃあ姉として転生したら心配にもなるだろうというものだ。
そんなヒロインは創立パーティーでリドルの飲み物に薬を混入して実力行使に及ぼうとしていたようだが、どうやらそこもリドルは警戒していたようで見事に回避――どころか、その飲み物に薬を入れた瞬間をどうやら事前に相談されていたらしきリドルの友人が目撃していたらしく、その場でこれは一体どういうつもりだとなったようだ。
相手が王家の人間だったら一発アウトだが、リドルの家もそれなりに良い家柄である事に違いはない。
そんな相手に薬を盛ろうとしていたという事で、ヒロインは取り押さえられ色々と調べられ、自分の国でのやらかしはそれとなく噂になる程度だったのがここで大っぴらに周知され、学院で大きな悪事はやってなくとも小さな、いちいち取り上げる程でもなかったものまでここで大量に暴露され、創立パーティーどころじゃなくなったらしい。
なおヒロインはその後強制送還されている。
国家間でのやりとりがどうなったかは知らないが、向こうの国は肩身が狭かろうなぁと姉はしみじみ思った。
そもそも国から出すなそんなもの、と思うがしかし中途半端にマトモな部分があったが故に向こうも扱いに困ったのだろう。他の国で、ヒロインの事を何も知らない相手の中で今一度冷静に学び直しなさい、という気持ちで送り出したはずなのに何も成長していないどころか悪化しているという点で、向こうの国はさぞ恥ずかしい思いをしただろう。
こちらの国にヒロインが来る時、国の上層部には多少情報が流れていたとは思うけれど、まぁ結婚に関する醜聞だけでそれ以外の犯罪は何もしていないお嬢さんの情報を最初から周知させるわけにもいかない。反省して、一からやり直してみなさい、という思いが台無しどころか木っ端微塵。
普通の恋愛だったならこうはならなかっただろうけれど、流石に相手の合意なしで薬盛って無理矢理はあかん。
とりあえず国から追い出されて自国へ、となった時点でそれ以上先の事はわからない。
だが、どうやら弟は毒牙にかかる事もなく無事であったようだし、姉からすればハッピーエンドである。
もう一度弟からの手紙に目を通す。
姉の忠告によって今回の件を回避できた弟の、最後の一文。
ありがとう姉さん。
その文字を見て、姉はようやく穏やかな笑みを浮かべたのである。