魔女がいる戦場
パラアンコと西方蛮族の戦争は早期に集結すると思われた。腐ってもパラアンコは大国だ。崩壊寸前といえどもまだ三十万ほどの兵力が残っており、さらに平民から徴兵したことで頭数だけならばシャルマーンに匹敵する数になる。
それに対して西方蛮族は約十万人。防衛戦であればいざ知らず、パラアンコに侵攻するとなれば圧倒的な兵力差がある。ゆえにパラアンコ軍の上層部は誰もが西方蛮族の脅威を甘く考え、主力をシャルマーン側に割いた。
結果として西方蛮族との戦争は長引いた。戦線が南北に広がり、多くの城塞都市が戦火にまみえるほどに。戦争が激しくなるほど徴兵される平民も増加し、彼らはろくな訓練も受けられないまま民兵として戦場に送られた。
そもそも西方蛮族は単一民族に過ぎないというのに、なぜパラアンコの戦力と拮抗しているのか。それは西方蛮族とシャルマーンの結びつきが非常に強かったからだ。
パラアンコは北方のシャルマーンを抑えつつ、西方蛮族も警戒しなければならない。長い戦争状態は少しずつパラアンコの戦力を摩耗させた。対して西方蛮族は背後にシャルマーンの支援を受けている。彼らの戦力は額面以上に大きく、結果としてパラアンコは当初の予測よりも厳しい戦いを強いられた。
さらに言えば、開戦当初にとある戦場で起きた、西方蛮族の快進撃による影響も大きい。もしもこの戦いでパラアンコ側が多くの英傑を失わなければ、のちの被害は大幅に抑えられただろう――。
◯
「おい、あれは何だ……?」
水疱のようなものに顔を覆われた人がふらふらと戦場を歩いている。大きく腫れ上がったまぶた。粉が降ったように白い頭。まさに亡者。前が見えているとは思えないが、亡者は確実に一歩ずつ兵士へ近づいてくる。
兵士は剣を振りかぶった。敵であることは間違いない。ならば斬る。仕掛けられる前に殺す。
力一杯に振り下ろされた剣が亡者の頭をかち割った。果実を潰したような柔らかい感触が手を伝う。直後、亡者の頭部が弾け、白い胞子のようなものを周囲に撒き散らした。
「なんだ、これ……」
とっさに後ろへ下がる兵士。彼は違和感を覚えて自分の右腕を見ると、亡者と同じ水疱のようなものができている。兵士の体に途方もない悪寒が走った。亡者からすぐにでも離れようとする。だが飛び散った胞子がすでに兵士の肺へ吸い込まれ、体の奥深くに根を伸ばしていた。
「ガッ……ァア……!」
身悶える兵士。体のいたるところから茸のような菌が成長し、みるみるうちに全身を覆った。周囲から悲鳴が上がる。撒き散らされた胞子が他の兵士も巻き込んでいたからだ。
やがて兵士の瞳がぐるんと裏に回ると、両腕をだらりと下げたまま歩き始めた。彼は西方蛮族ではなく、味方のパラアンコ兵に向かう。
同じような惨劇が戦場の各所で起きていた。
「種は問題なさそうだね。上級呪痕持ちが出てきたら対処されるだろうけど……まあいいや。ある程度は削れるでしょ」
高台に立つピッチ。自らの生み出した菌糸人形が敵を食い破る様を満足そうに見下ろしている。
菌糸人形はピッチの制御から離れるという特性上、簡単な命令しか与えられないうえに効力も弱い。それでも凡兵を屠るには十分すぎるほどの威力だ。二級を超える魔術士や騎士が現れるまでの時間稼ぎができれば良い。
「義勇兵はまだ現れないか。うーん、どうしよ。私も他の任務があるからあまり長居できないんだけど……ねえ君、どう思う?」
「ま、魔女様のご意向に、お、お任せいたします!」
「そんなに怯えなくてもいいのに。というかもっと自分の頭で考えなよ。はあ、私ってあまり団体行動が向いていないんだけどなあ」
近くの仲間から返ってきた面白みのない答えに肩を落とす。一応、隣にいる男が西方蛮族の指揮を執っているのだが、ピッチに怯えてろくな意見を出さない。
「とりあえず人形たちで騎兵隊を引きずり出したいな。うまく誘えれば私が潰せるし……右翼をもう少し進めていいよ」
ピッチの合図と共に西方蛮族の右翼が進軍する。最前線を走るのは菌糸人形たちだ。その勢いは凄まじく、一度放たれた胞子は次から次へと犠牲者を増やし、津波のごとくパラアンコ軍を飲み込んだ。彼らに理性はない。つまり戦場で障害となる恐怖がない。恐れ知らずの人形たちは命の温もりに導かれるままパラアンコ軍に襲いかかった。
◯
ピッチの存在はほとんど知られていない。ロネによる隠蔽工作によって徹底的に秘匿されたからだ。西方蛮族に魔女がいるという情報はあれど、その正体が菌糸の魔女だと知る者は限られている。
ゆえにパラアンコ軍の南側を指揮する将兵は見たことのない戦場に唸りを上げた。彼のもとには勇敢に立ち向かった戦士たちの悲惨な末路が矢継ぎ早に届いていた。
「魔術士本隊はまだ到着しないのか……」
防衛陣の再構築が間に合っていない。西方蛮族の進行が予想以上に早いからだ。将兵は何十年も軍に従事した優秀な指揮官だが、いくら経験豊富な指揮官でも兵がいなければ戦えない。
「報告します! 南野営基地壊滅! 敵の進行が止まりません!」
「あそこはバーミュルがいただろう。奴は西武開拓の第一人者だぞ」
「例の魔術に飲まれました! 生死は不明、開拓部隊は潰走中です……!」
例の魔術、というのは菌糸のことだ。将兵が拳を握りしめる。彼は敵が魔女だと気がついていた。だが余計な不安を兵に広めないために、彼はあえて部下に伝えていない。だが勘の鋭い者はすでに察しているだろう。自分たちの戦っている相手がいかに世の理から外れた存在かを。
拭えない不安が汗となって伝う。握りしめた拳はいつの間にか強い跡になって残っていた。空が暗い。あふれ出した胞子が徐々に戦場を飲み込んでいる。
「民兵を下げて砦の防衛に回せ! 騎兵隊はまだ出すな! 魔術士を南に固めろ!」
将兵の命令によってパラアンコ軍が下がる。徐々に見え始めるおぞましい集団。ついに将兵の目にも見えるほど菌糸人形が攻め込んでいた。奴らの先頭には準一級騎士の呪痕を刻んだ戦士がいる。
開拓部隊隊長バーミュル。西部開拓で多くの戦果を上げた英雄が、体中を菌糸に覆われた状態で立っていた。すでに正気はない。
「バーミュルめ……静かに眠ることすら、許されんかったか」
かつての同胞に巣食う菌糸を憎々しげに睨んだ。将兵の声が届いたのか、バーミュルが頭を抱えて大きな叫び声を上げる。地を震わすような咆哮。
将兵はしばし目を閉じた。落ち着かせるように息を吸う。ひどい腐敗臭とカビたような匂い。彼にとって嗅ぎ慣れた戦場の空気。やがて覚悟を決めた将兵は槍を握った。戦友の仇、ここで討つべし。
「バーミュルは私の手で眠らせる! 誰か本隊に連絡を――」
そんな将兵の頭上を猛烈な勢いで何かが飛んだ。矢だ。風を切るような音が聞こえた直後、バーミュルの頭部がはじけ飛んだ。さらに勢いの落ちない矢が背後の菌糸人形を貫き、三体目の胸に突き刺さってようやく止まった。
「この弓は……!」
将兵が振り返った。丘の向こう、そそり立つような騎士の気炎が昇っている。太陽に光る銀の弓。準一級を示す強大な呪痕。
「弓騎士だ! 破弓部隊が間に合ったぞ!」
パラアンコ兵が歓声を上げた。続け様に超遠距離から放たれた矢が戦場の空を駆け、菌糸人形やその後方にいる西方蛮族を貫いた。魔術では到底届かない距離。呪痕によって生み出される破壊力。
弓騎士・アルジェブラが戦場の土を踏んだ。目元まで完全に覆ったヘルムをかぶっており、兵たちから彼女の表情は見えない。片足を塹壕に乗せながら戦場を俯瞰する弓騎士。それは普段メヴィたちに見せる雰囲気とは真逆であり、彼女は正しく、国に忠を尽くす戦士であった。たとえ自らの体を未知の魔術に蝕まれ、意識が混濁していようとも、戦場に立った瞬間から彼女は弓騎士となった。
機械のように弓を絞る。西方蛮族への並々ならない殺気を乗せて。




