また会う日まで
「そういうことなので!」
走り去っていく小さな背中を見つめながら、アルジェブラは「どういうことよ……」と呟いた。それから追いかけようかと迷う素ぶりを見せたが、彼女は踵を返して義勇兵の指揮所に向かった。途中でメヴィの仲間と思われる義勇兵たちがいたから「強襲作戦は中止になったわ」と伝えると彼らは「メヴィ隊長万歳!」と喜んだ。何も知らされていないはずだが、なぜメヴィのおかげだと知っているのだろうか。アルジェブラは不気味に感じながら指揮所の扉を叩いた。
「フィリップはいるかしら?」
返事はすぐに返ってきた。開けるとちょうど服を脱いで汗を拭くフィリップがいた。隆々とした筋肉がわずかに上気し、上半身には一級騎士の証拠たる呪痕が羽のように広がり、そして体のいたるところに大小様々な傷がある。
「弓騎士殿が来るにはいささかむさ苦しい場所だろう。一言くれれば私から出向いたというのに、どうしたのかね?」
「そう言って素直に顔を出したことがあったかしら。いつも私の手紙には返事を寄越さないし。あなた、懇意の軍人以外とは関わらないでしょう」
「それは少し違うぞ。必要があれば私とてきちんと返事をする」
「私に返事をするのは無駄だって言いたいの?」
「ガハハ」
笑うフィリップ。誤魔化す素振りもみせない。
この二人は昔から仲が悪かった。アルジェブラが義勇兵だった頃から衝突を繰り返し、二人が言い争う光景は一種の風物詩になっていた。アルジェブラは最初こそ歩み寄る姿勢をみせたが、彼女の友好的な態度をフィリップが受け入れることはなく、それどころか会うたびに両者の仲は悪化し、ついにはアルジェブラも時間の無駄だと諦めたのだ。
フィリップが側に控えている副官を呼んだ。親衛隊の一人だ。
「君、弓騎士殿に茶を出してくれ。彼女はこう見えて階級が高いから、貴重な砂糖をうんと入れてあげなさい」
「結構よ。私は甘いものが苦手なの。前にも言ったはずだけど……もしかしてわざとかしら?」
「おっとすまない、最近は物忘れがひどくてね。大事なこと以外は忘れてしまうのだ」
「それじゃあ覚えていなさい。私が嫌いなのは甘いものと配慮が足りない男よ」
フィリップは「冗談が上手い」と笑った。
「無駄話はあなたも嫌でしょう。率直に言うわ、メヴィとエマを借しなさい」
「断る」
「そう言うと思って正式に上層部から依頼を出したわ。たぶん、あなたのもとに届いているはずだけど?」
フィリップはちらりと机に置かれた羊皮紙に視線を向けた。封が解かれているため既に読んでいるはずだ。フィリップはわざとらしく長いため息を吐いた。
「軍の正式な依頼よ。まさか私情を挟むわけないわよね?」
「私情を挟んでいるのはどちらだと言いたいが……まあいいだろう。二人を今後の作戦から外す。好きに連れていくがいい」
ついでに義勇兵でのメヴィの扱いについて物申そうとしたが、「私は忙しいのだ。用が済んだのなら去りたまえ」と追い出された。一秒でも早く視界から遠ざけたいとでも言いたげな様子。アルジェブラが「これだからせっかちな男は嫌なのよね」と愚痴った。
指揮所を出ると外はすっかり日が昇っており、朝の鍛練をする兵士や、うずくまったまま動かない義勇兵、一心に祈り続ける信者らしき者、物資を運び込む商人、彼らから包帯や薬を受け取って医療所に運ぶ人、と各々が慌ただしく動き始めている。アルジェブラはいち早く伝えたくてメヴィの姿を探した。もう仲間のもとへ戻っているだろうか、と義勇兵がいた場所へ向かう。
メヴィはすぐに見つかった。彼女は井戸の近くでエルマニア騎士に「一人で戦うなんて死にたいのか!」とか「相棒を置いていくな馬鹿者!」と怒られていた。本人も珍しく反省しているようだ。しゅん、とうつむく様子に周りの仲間が「メヴィ隊長は悪くないですよ!」「そうだそうだ、俺たちが力不足だったから悪いんだ!」「ほう、私は相棒として頼りないと言いたいのか?」「めっそうもない! 言葉のあやです!」「俺もエルマニア姐さんに睨まれたい!」と騒いでいる。朝から落ち着きのない連中だ。
「そのあたりで許してあげて、エルマニア。その子も悪気があったわけじゃないのだから」
「弓騎士殿……しかし、ちゃんと言っておかないと繰り返すぞ。こいつは何を隠しているかわからんからな」
メヴィの肩がぎくっと跳ねた。その動きをエルマニアが見逃さない。
「心当たりがあるのか?」
「い、いえいえ、隠していることなんて、なにも……」
「あるのだな。ここで洗いざらい話せ」
「ひええ、これじゃあ尋問ですよお」
再びヒートアップするエルマニアと、目を泳がせながら言い訳を探すメヴィ。そろそろ止めないと周囲の視線が痛いのだが、男たちはおろおろするばかりで役に立たない。
「二人とも落ち着きなさい。誰だって隠し事の一つや二つはあるでしょう。ほら、メヴィも顔色が良くないし、あまりいじめたら駄目よ」
「弓騎士殿は甘いのだ。こいつは見た目こそ反省しているように見えるが、絶対にまたやらかすぞ」
「相棒からの信頼が低くて悲しいですう」
拳骨がとんだ。下手に喋らなければいいものを。
「とにかく二人に用があって来たの。場所を移すからついてきて」
三人は義勇兵用の作戦室に移動した。アルジェブラが「肌寒い場所でごめんなさいね。これをつけてくれるかしら」と言いながら小型の魔導具をメヴィに渡した。最近は日に日に気温は下がり続けており、城内には厚着用の毛布が運びこまれ、火を扱える魔術士が馬車馬のごとく働かされている。メヴィが魔導具に火をつけると、魔導具の周囲がほんの少しだけ暖かくなった。
アルジェブラが地図を広げた。パラアンコではなく、シャルマーンが記された地図だ。
「あなたたちに新しい依頼よ。これから私と一緒にシャルマーン国内に潜入してほしいの」
「戦争中の相手国に潜入か……危険じゃないのか?」
「ああ、これは軍事作戦じゃないから安心して。目的地も戦場とはほど遠い場所だわ」
「どこへ行くんですか?」
「サルトリア魔術学院よ」
アルジェブラが指差したのはシャルマーンの西側、緑豊かで多くの人が住む地域だ。
「最近、国内で神隠しが多発しているの。身分は様々で、平民から貴族まで多くの若者が消えているわ。彼らの共通点は呪痕持ちであること。そしてサルトリア魔術学院で神隠しにあった人物の目撃情報が入ったの。どうやら元気に学院生活を送っているらしいわ」
「無事なら問題ないんじゃないですか?」
「ただの家出ならいいのだけど、どうも妙なのよね。置き手紙もなしにふらっと消えちゃうの。それに、消えた人々の中には、パラアンコの第三王女が含まれているわ」
「なに? 大問題じゃないか。我々だけじゃ手に負えんぞ」
エルマニアが困ったように腕を組んだ。第三王女といえばシャルマーンや西方蛮族との関係修復を目指す、融和派の筆頭だ。そしてアルジェブラは第三王女の派閥に属している。愛国心の強い彼女はじっとしていられなかった。
「まだ第三王女が学院にいると確定したわけじゃないわ。だから手分けして探していて、私たちは学院を担当するってわけ。とりあえず学院で講師と学院長を兼任している人がいるから、会って話を聞くつもり。メヴィなら知っているんじゃないかしら。メルメリィ教授という魔術士よ」
「メルメリィ教授!」
「す、凄い食いつきね」
メヴィの椅子が勢いよく引かれた。隣のエルマニアが首をかしげている。
「有名な人なのか?」
「知名度は高くありませんが、教授の論文は滅多に世に出回らないので謎に包まれているんです! まさかシャルマーンにいたとは!」
メルメリィ教授は獣学者――つまり原初の魔女サルファが残した使い魔たち、“サルファの獣”の研究者だ。謎多き獣についてもっとも理解を深めている人物であるが、彼女自身も謎が多いためほとんど情報が出回らず、実在するかすら怪しいといわれている。そんなメルメリィ教授と会えるとは、とメヴィの表情が華やいだ。
「ちなみにサルトリア魔術学院はシャルマーン国内に建てられているけど、ある種の自治区みたいな状態らしいわ。だから学院の人たちは基本的に中立だと考えていい」
「わかりました。なるべく目立たずにいきましょう」
「うむ。不要な戦いは避けるべきだからな」
「あなたたちの口からそんな言葉が聞けるなんてびっくりね」
「私は平和主義者ですよ?」
「あら、そうなの? 今回の戦場でもノリノリで戦ったって聞いたけど?」
はっはっは、とメヴィは笑った。弓騎士は耳が早いらしい。それともどこぞの新聞屋が広めたか。
「それじゃあよろしくね。部隊のみんなに伝えてきなさい」
話し合いを終えた三人は部屋を出て、砦の中庭で待つ仲間のもとに戻った。彼らはメヴィたちが戦場を離れると聞き、自分たちも連れていって欲しいと懇願した。さすがに一部隊規模の人数が抜けるのはフィリップも許してくれない。残念ながら彼らは居残りだ。
「それじゃあみんな、悪いけど私たちは先にシャルマーンへ行きますね」
「サミダラ要塞を崩せばお前たちもシャルマーン入りだ。また向こうで会おう」
涙ぐむ男たち。口々に「どうかご無事で隊長!」「しっかり食べないと背が伸びませんよ!」「エルマニア姐さん、隊長をお願いします!」と叫んでいる。どちらかというと命の危険があるのは戦場に残るほうなのだが、彼らは敵国に行く二人を本気で心配しているようだった。そんな優しさに触れたメヴィは、姿勢を正して仲間たちを見据えた。
「隊長らしく、それっぽい言葉を残しましょうか」
「ついに認めたんだな」
「私には向いていないんですけどね。ついてきても幸せになれないと思いますよ?」
間違いない、とエルマニアが笑った。男たちもつられて笑った。寒気だつ砦にさわやかな風が吹いた。
「サミダラ要塞は堅牢です。すでに三人の仲間を失いました。たぶん、みんなも無事じゃ済まないです。もしかすると、この中の誰かが欠けてしまうかもしれません。でも、私の部隊の一員である以上、ただで死ぬのは許しません」
メヴィの呪痕がじんわりと光を帯びた。首元まで伸びたソレが禍々しい魔力を帯び、毒のように暗い紫色の魔導元素を放ち、エルマニアや部下たちの呪痕もまた、共鳴したように光り始めた。
「最後まであがきなさい! 敵に私たちの強さを見せつけなさい!」
彼女が叫ぶ。珍しく声を張り上げる。死地へ向かう仲間たちへ、彼女なりの激励を送る。
「死ぬときは、誰かのために死になさい!」
男たちが「はっ!」と力強く返事をした。彼らの瞳に恐怖はない。腕を後ろに組み、一切の震えを見せず、隊長に向かって直立する彼らは、歴戦の兵士を思わせる風貌だ。この即席要塞で最も士気が高いのは間違いなく彼らだろう。少女の中にうずまく狂気が少しずつ、だが確実に伝染する。本人すら気づかぬままに。
こうしてメヴィとエルマニアは地獄の戦場から一足先に離れることになった。




