守るための選択
エレノアが追ってこないことを確認した後、私たちはカタビランカの外に向かった。地下水門への出入り口が街の外縁にあるからだ。同行者は相棒とエチェカーシカ、アルジェブラと彼女の部下が三名。魔女に挑むには到底心細い人数である。私たちは痛いほど激しい大雨の中を走った。外套越しに感じる雨粒はまるでエレノアの怒りを表しているかのようだ。
やがて石造りの小さな建物に着いた。昔は管理者がいたらしいが、魔導回路の発達とともに人が必要なくなり、今は無人の廃墟と化している。長く放置されていたため埃やクモの巣がひどく、一歩入っただけで湿った苔の匂いがした。
「傷の具合はどうだ?」
「揺れが響いて痛いですう」
「泣き言が言えるなら大丈夫だな」
まだ体力が回復していない私はエマに背負ってもらいながら移動している。隣のエチェカーシカも心配そうな表情だ。祈祷士である彼女は患者が無理をするのが不安なのだろう。そりゃあ私も休んでいいなら寮に帰って寝たいけどね。魔女が少しでも消耗しているうちに水門を破壊したいのだ。
「ちなみに何食わぬ顔で参加してますけど、エチェカーシカはよかったんですか? 魔女と敵対するのは教会的にまずいのでは?」
「大丈夫です。魔女エレノアは人類進化の系譜から逸脱しました。教会は此度の戦いを看過します」
さてはアルジェブラが手を回したに違いない。いくら積まれたんですか、と聞きそうになったけど我慢した。たぶんシスターの懐はホックホクだろうね。
義勇兵組の私たちは呑気に会話をしているが、軍人組は雰囲気が堅い。というかアルジェブラが険しい表情をしているから部下も空気を読んで黙っている。もうちょっと肩の力を抜いたらいいのに。まあ私の提案が原因なんだけど。そんなことを考えているとエマが小さな声で話しかけてきた。
「なぜ憎まれ役を買って出たのだ?」
「なんのことですか?」
「あんな提案をすれば印象が悪くなるだろう。ただでさえお前は魔女の弟子という悪評があるのだ。本当に悪者だと思われるぞ」
「あらあら、心配してくれるんですか?」
茶化すな、と体を揺すられた。怪我人にひどい仕打ちです。
「やだなあ、義勇兵としての務めを果たしただけです。助かる命は多いほうがいいでしょう」
「ふん。どこまで本心だか」
「納得していないですね?」
「むしろ納得すると思われたなら心外だ。短い間だがお前のことはそれなりに理解している。お前は卑屈だが気弱ではない」
「ふんふん、それで?」
「火の粉を払うためなら進んで動くし、問題が起きれば巻き込まれないように傍観する」
「うんうん……うん?」
「つまり面倒くさがりだ」
「それこそ心外ですけど」
私への印象を改めさせねば。もっとも、彼女の言葉を否定する材料はないんだけどね。気持ちの問題である。
「まあ、大した理由はないです。私たちが今後も含めて危険を冒す以上、彼女の性格を知っておきたくて。水門の破壊を決めたときのアルジェブラさんの顔、見ました?」
「ひどく悩んでいたな」
「ふふ……まさに『責任は私が取る』って感じでした。良い。非常に良い心がけです!」
アルジェブラはカタビランカを選んだ。大を生かすために小を殺す。カタビランカを守るために下流域の農民を見捨てる。それは国のため、民のために仕える彼女にとって苦渋の決断だったはずだ。まあ決断を下すのが彼女の役目だからね。私たちは雇われているだけだし。上に立つ人は大変だなあと思う。
「エマが主人を選り好みするように、私だって選びます。清濁併せ呑む人は好きですよ」
「なるほど。依頼主を試すとは悪い魔術士だ」
「私が悪い魔術士なら、相棒のエマは悪い騎士です」
「それなら聞き耳を立てているエチェカーシカも悪い祈祷士だな」
「ちょ、ちょっと! 私は関係ないでしょう!」
ごほん、と咳払いをされた。後ろを振り返るとアルジェブラの部下たちが睨んでくる。真面目にやれってさ。当のアルジェブラ本人は難しい顔をしているから、おそらくまだ悩んでいるのだろう。たとえば水門を破壊する以外の解決策はないかとか。あるかもしれないけど、もう話し合う時間はないのです。
時間をかけるほど失われる命がある。今も貧民街の水位は上がるばかり。えいやあと決めて腹をくくるしかないのだ。
「怒られちゃいました。エチェカーシカの声が大きいせいです」
「まったくだ。我々は悪くないというのに」
「私のせいではありません。二対一は卑怯ですよ」
「相棒とはそういうものです」
まあ私とエマは歳が離れているから、相棒というよりも親子ですが……ひっ、殺気が飛んだ。野暮な考えはやめよう。
「お二人は長い付き合いなのですか?」
「長いかと聞かれたらむしろ短いな」
「そのぶん内容は濃いですけどねえ。なにせ厄介事ばかり増えますから」
「困難とは才ある者に集まる……つまり我々は優秀だということだ」
「フィリップ隊長にうまく使われているだけじゃないですかねえ」
私は慎ましく生きているだけなのにね。なぜか目の敵にされるんです。いやはや、不思議ですね。
やがて私たちは大きな地下水道に着いた。街中の地下水道とは比べ物にならないほどの広さだ。地下を流れる水は全てこの地下水道に集約されている。
水道の先に見えるのがカタビランカ西魔導水門だ。見上げるほど大きな水門にはびっしりと魔導回路が刻まれており、これだけで途方もない資金と資材が投入されているのがわかる。もしも壊れれば向こう数年は修復に時間がかかるだろう。
「立派な水門ですね。ウサック要塞を思い出します」
「動かぬ水門は瓦礫と同じだ。どれほど立派でもな」
「それじゃあ瓦礫撤去といきますか」
エチェカーシカは危ないから水路の階段まで下がらせた。私はエマに背負われているから大丈夫。アルジェブラや部下たちも優秀な軍人なので問題ないだろう。
「アルジェブラさん。いいですね?」
念のために振り返った。いつになくアルジェブラの表情は苦しそうだ。私たちの間を冷たい風が走り抜ける。今から無数の命を奪う。敵ではなく、無辜の民を犠牲にする。その重みを噛み締めるようにアルジェブラは天井を見上げた。
「ええ。破壊しなさい」
許可は下りた。賽は投げられたのだ。
呪痕に魔力を込め、十分に魔導元素を練り、エレノアのように力を凝縮させる。どろりとした魔力が私の右腕から染み出した。腐敗たっぷりの真っ黒な水が頭のうえで渦巻く。もっとだ。より大きく、より鋭利に。背丈の三倍ぐらいまで肥大化させると、大きく引き絞るようにして水門に向けた。
「――“腐蝕の槍”」
引き絞る力を解放した。直後、腐蝕の槍が水門を穿つ。衝撃から発せられる風が私の前髪をかき上げる。堅牢なはずの水門にヒビが走り、瞬く間に全体まで広がった後、水門は轟音を上げながら砕けた。ある種、カタビランカの裏の象徴たる古き水門が崩壊する。
とんでもないことだ。でも必要なことなのだ。
せき止められていた地下水が一気に溢れ出し、濁流のごとく水路を埋めながら私たちに迫った。せき止められていたせいで水が濁り、瓦礫や家屋の破片が混じっている。巻き込まれれば、まず助からない。
「流される前に逃げますよ! エマ、走って!」
「誰かエチェカーシカを頼む! 私はメヴィを背負うので精一杯だ!」
「私に任せなさい!」
弓騎士が片腕でエチェカーシカを担いだ。いくら小柄とはいえ、人間を俵のように持ち上げるのは上級騎士だからこそ成せる技だろう。
私たちは全力で走った。こんなことなら私とエマだけで破壊すれば良かった気もするが、とにかく走った。背後から濁流が迫る。階段をのぼっても溢れ出した濁流の勢いは止まらない。振り返る余裕すらない。無人の監視所を抜けて地上に戻ったとき、ようやく音が遠くなった。
「ハッ、ハァ、なんとか逃げ切れた……」
「お疲れ様ですエマ。流石の身体能力ですね」
「他人事のように言うな……」
そりゃあ私とエチェカーシカは担がれていたからね。体を動かすのは騎士の本分。これぞ適材適所というやつだ。
地面から細かい揺れを感じた。解放された水が下流へ押し寄せているのだ。アルジェブラは静かに地面を見つめている。今は声をかけないでおこう。
「さて、あとは魔女がどうなったかですが……」
たぶん、あの実力なら平然と現れるんじゃないかな。水を操る魔女が水流に負けるとは思えない。正直、今の状態で魔女と戦うのは相当厳しいけど、やれるだけやってみよう。最悪の場合は相棒だけでも逃がしてあげたい。
そう思って呪痕を構えながら待っていたが、いつまで経っても魔女は現れなかった。相変わらず地面の揺れはおさまらないけど、エレノアが放つ重厚な魔女の気配は感じられない。もしかして本当に流された? あのエレノアが? たかが水流で?
「これだけ待って現れないなら追ってこないんじゃないか?」
「うーん……納得いきませんが、まあ戦わなくて済むならいいでしょう。私も疲れましたし」
アルジェブラに判断をあおると、彼女は「私は残るから先に帰っていなさい」と言った。この大雨の中で残すのも気が引けるけど、本人が言うならばそっとしておこう。
立ち去るとき、アルジェブラは数人の部下に囲まれていた。彼女の背中はいつもより小さく見えた。
「とりあえず街が沈むのは避けられたので良かったです。頑張ったので追加の報酬が欲しいですね」
「期待しないでおこう。ただでさえ財政難だったのにこの被害だ。すでに我々は火の車だよ」
「ひええ、世知辛い」
エマと並んで帰路に着く。雨は少し弱まっていた。




