気が短い人たち
マダム・リンダ。かつて無法地帯だった地下二階をまとめ上げ、娼館を支配して花街を生み出した夜の女王。決して善人とは呼べないが、彼女のおかげで地下街が賑わったのも事実であり、カタビランカにおける権力者の一人である。彼女の不興を買えば地下街で暮らせない。悪辣にして強欲。そして辣腕。マダム・リンダの影響力は大きく、それゆえに多くの情報が彼女のもとへ集められる。
「やあマダム、調子はどうだい?」
「ああ、気分が良いよ。良すぎて今すぐにでもお前にプレゼントを贈りたいぐらいだ」
「ハッハッハ、そんなに俺と会いたかったのか。光栄だが年上は好みじゃないんだ」
ピュン、と宙に浮かんだナイフがパシフィックの頬をかすめた。彼の素晴らしい反射神経がなければ眉間に突き刺さっていただろう。パシフィックは引いたような笑いを浮かべながら両手を上げた。
「素敵なプレゼントだ。俺、ちょっと震えちゃった」
「安心しな、まだ殺さない。お前から金を返してもらっていないからな」
殺す気だったじゃん、とパシフィックが聞こえないようにつぶやいた。
小心者の私は内心ひやっひやである。パシフィックの軽薄な態度が私にまで飛び火しそうだからだ。実際、マダムは蛇のような目をちらちらと私に向けてくる。完全に獲物を見定めている顔だ。もう少し穏便に進めるようにパシフィックの脇腹をつつくと、それはもう見事なウィンクを返された。任せろってさ。
「一応聞くが、お前たちはイカレ野郎に寄越されたのか?」
「イカレ野郎ってのがフィリップ隊長を指しているなら違うぜ。イカれてるって点には同意だが」
「ならば安心だ。仮にお前たちがここで不幸な事故にあったとしても、義勇兵との契約を破ったことにはならん」
「えーっと……地下街の冗談?」
返答の代わりにマダムの呪痕が光った。直後、男たちのナイフが宙に浮かび上がり、私たち目掛けて一斉に飛来した。魔術の発現に気づかなければ防御が間に合わなかっただろう。私は瞬時に腐敗を展開して触れると同時に崩壊させた。パシフィックも幻術でのらりくらりとかわしている。性格どころか魔術まで掴みどころのない男だ。
「平和的にいこうやマダム。俺たちは話し合いをしに来たんだぜ?」
「まずはお前の口を縫いつけてやろう。バラす時にうるさいからな。お前では大した金にならんだろうが、それでも死んだ者の弔い金程度にはなるさ」
「まずいですよパシフィックさん。すごく怒っています」
「困ったねえメヴィちゃん。どうしてこうなったのか……」
今度はナイフだけではなく、周囲の割れた瓶やら椅子やら何もかもが宙に浮かび、今にも飛び出さんと固定された。マダム・リンダの空間魔術。その発現速度と威力は二級魔術士に匹敵するだろう。明滅する呪痕。再度、マダムの魔術が放たれそうな時――。
「……メヴィ?」
私の名を聞いた途端、リンダは爆発しそうだった魔導元素を霧散させた。
「お前、魔女の弟子か」
「弟子をやらせてもらってますう……」
「シャトルワースから来たのか?」
「そうですけど……」
宙に浮いていた物がもの凄い音を立てながら落下した。陶器の破片が散乱し、ワイングラスは割れ、無数のナイフが床に突き立っている。私たちの周りは嵐が過ぎ去ったかのような状態だった。
「そういうことなら先に言いな。話が変わった」
「言う前に襲ってきたのはマダムじゃん……おっと、失礼、なんでもないぜ」
「死んだのは誰だい? ああ、ビスチルか。かわいそうに。仲間の無念は私が背負ってやろう」
床に倒れた男の傍らで片膝をつき、マダムは短く黙祷をした。それから仲間に指示を出して死体を片付けさせた。ビスチルとは私が最初に腐敗をぶっぱした男だ。なんとなく居心地が悪くてそわそわしていると、パシフィックが耳打ちをしてきた。
(ああ言っているけど、あえて質の悪い者を放置しているのは、最初から捨て駒にするつもりだったからだ。問題を起こしたらそれを口実に金をふっかける算段さ。恐ろしい女だろ)
(じゃあ殺さないほうがよかったんですか?)
(そんときは別の口実を作るだけ。まあ結果は同じってことよ)
私の肩がポンと叩かれる。恐ろしい世界だ。私のような平和主義には縁遠い。
「さて、ちょいとすれ違いもあったが本題に入ろうぜ。“雨乞いの魔女”に関する情報と、魔女捜索の人員、地下街の住民の避難、それから俺の借金返済をあわせて、金貨百枚でどうだ?」
パシフィックが我が物顔でどしんっと金貨袋を投げ渡した……借金返済? あのー、それ、交渉用にアルジェブラからもらったお金ですけど?
目の前で堂々と横領がおこなわれている。しかも止めなかったら私まで共犯者にされるかたちで。なんと悪逆非道な男なのだ!
「少ないね。ビスチルの弔い金と酒場の修繕費をあわせて、金貨百五十だ」
「んー、ぼったくられてるけど、まあ俺の金じゃないしいっか。のった。そら、追加の五十枚だ」
そりゃあ、そのお金はアルジェブラの、ひいてはパラアンコ軍から出たお金ですからね。パシフィックの懐は痛くないでしょう。むしろ踏み倒していた借金がなくなって万々歳か。
「ふん……シュターク!」
「はっ」
マダムが突然叫んだかと思えば、どこからか強面の男が現れた。
「枚数を数えてきな。もしも足りなければ、不足の枚数分だけこいつの穴を増やしてやれ」
「ハッハーッ、顔は勘弁してくれよ? 女の子たちが泣いちゃうからな……っと、睨まないでくれよ。あんたの目は怖いんだ」
シュタークと呼ばれた男が心配そうに声をかける。
「マダム……お言葉ですが、魔女に関わるのはお勧めしません。奴らと関わって利が生まれることなどないのです」
「リスクに見合う報酬だ。それに魔女だからってまた逃げるのは癪だろう? 受け入れなシュターク。私が決めた」
獣のように鋭い目つきをした男だ。歳は三十ぐらいか。胸元に呪痕が見えるためおそらく「騎士崩れ」だろう。彼は私たちを睨むように見ながら金貨袋を受け取った。
(あれはシュターク。マダム・リンダの右腕だよ)
パシフィックがそっと耳打ちをする。なるほど、たしかに腕が立ちそうだ。たぶんエマと良い勝負をすると思う。フィリップ隊長や弓騎士には劣るけど、裏組織をまとめるには十分ってぐらいの力量。
「金貨は受け取った。それから次の要求だが……」
「待ったマダム、追加の要求は一つだけにしようぜ。十分な金貨は払っただろう?」
「安心しな、はなから追加は一つだけだ。そこの小娘。シャトルワースから来たなら、当然、帰り方も知っているな? 私たちをシャトルワースまで案内しろ」
交渉というよりも命令のような口調だ。でもまあ、シャトルワースに連れていくだけなら構わないか。セルマは嫌がるかもしれないけど、ルル婆がいれば問題ないだろうし。
マダムがあえて私を指名したのは、シャトルワースが外界から隠されているからだろう。私はセルマからもらった首飾りに触れた。魔女の屋敷につながる秘密の鍵。
「念のために理由を聞いても?」
「我々は元々、シャトルワースで活動していた。それをお前の師匠が街ごと破壊したんだ。けじめってものが必要だろう?」
「あー……そのけじめって、私は含まれていませんよね?」
「それは魔女の出方しだいさ」
「ひええ」
あっちもこっちも疫病神だ。私、ルル婆の弟子ってだけで目をつけられすぎている気がする。新聞屋には付きまとわれるし、パシフィックには交渉のダシにされるし……もしかしてパシフィックは、私がいればマダムが食いつくことを予想していたのかな。だとしたら要注意人物かも。パシフィックやフィリップみたいに策を巡らせるタイプは苦手だ。
「それじゃあ交渉成立ってことで。仲良くやろうぜマダム」
「ああ、一時的な同盟だ。私もお前も、魔女に食われないように足掻こうじゃないか」
とにかく同盟が結ばれた。頭痛の種がいくつか増えた気がするが、考えるのはあとにする。まずは“雨乞いの魔女”の解決だ。彼女がいると雨があがらないし、みんなの笑顔もなくなってしまう。そうしたら楽しい宴会もひらけない。だから頑張ろう。シュタークが空気を入れ替えるように扉を開けた。雨の香りが地下にまで届いた。




