29 女神様の隠し事
「姫奈ちょっといいか?」
「はい、なんでしょう?」
急に呼ばれて驚いたのか、姫奈はきょとんとした表情をする。何も感じていないような無防備な今の彼女に、現実を突きつけるような気持ちで何だか胸が苦しくなってくる。
「ちょっと、聞きたいことがあってだな」
そう言って姫奈をリビングの椅子に座らせる。自分はなんとなくで姫奈の隣に座ることにする。
その言葉で彼女の瞳は少し不安げが掛かったように見える。彼女も小林先輩から質問などをされて、少しは感づいているのだろうか。
「聞きたいことってなんですか?」
「あぁ、ちょっと言いにくいんだけど」
声が震えてくる。こういう相談をするのには慣れているはずなのに、姫奈相手だと不思議と普段の調子に慣れない。
彼女もきっと不自然に思ってる。でもここは、彼女に少しでも不安を持たせてはいけないところだし、普段と同じ様に温かみを持って話していきたい。少しでも安心できるように。
「姫奈ってさ、その、男に対して何か苦手意識とか持っているか?」
ゴクリと固唾を呑んで、彼女の瞳をしっかりと見ながら聞いてみる。
すると、姫奈は何か見通されたように体を震わせて、自分の目から視線を外してくる。
「え、え、どうしてそう思ったんですか?」
「他の男の人と会話しているのを見ていると違和感を感じるんだ」
「え、ど、どんな風にですか?」
「なんというか怯えているような……」
姫奈の顔はどんどんとこわばっていって、頬も少しずつ赤くなっていっている。
原因は多分父親だから、この話は家庭内の話にも繋がっていくことだ。
当然、学校の同級生でもある自分にとって話しにくいのは分かるし、いくら治安維持隊というちゃんとした組織の人間でも自分の事を話すのには不安があるだろう。
でも、今はちゃんと彼女と話をしなければならない。話してもらわなきゃいけないし、ちゃんと聞かなければいけないことだ。
彼女は少し下を向いて、少しの間黙り込んでしまった。
「無理しなくても良いんだ。でも、なにか困っていることがあるならちゃんと相談してほしい。少しでも姫奈の役に立ちたいんだ」
「は、はい」
「別に俺に相談しにくいなら他の人でもいいぞ」
「い、いえ、湊斗くんがいいです……」
姫奈はまだ下を向いたままで、さっきと違うのは、声がもう泣く直前のようで手が震え始めている。
不思議と自分との相談を断らなかったのは、彼女ももう、限界が近づいてきていたのだろう。
(これはやってしまったかもしれない)
何だかもう見ているのに耐えれなくなっていて、いつの間にか姫奈の手を握っていた。
彼女は少し体をビクンとさせる。
「み、湊斗くん?」
「姫奈、本当に無理しなくていいからな」
突然の行動に驚かせてしまったが、もう自分の意志が働く暇のないほどに体が動いてしまっていた。今は、こんなに近くにいるだけじゃ彼女の事を放っておけない。
「あ、ありがとうございます」
「う、うん」
姫奈の顔は増々赤くなっていて今にも泣き出しそうだ。
「そ、そうです。に、にがていしきあります…………湊斗くんには見通されちゃいましたか」
そう言って、少し黙り込んだあと姫奈は不器用に笑ってみせた。
無理やりという言葉が一番似合う今の彼女の笑顔。下を向いていて口元しか見えないが、自然と和やかな気持ちではなく、見ているのが悲しくなってくる笑顔だ。
「無理に笑わなくていい、落ち着いてでいいし、今は無理に顔を見て話さなくていいから」
「は、はい」
手を繋いだままそのように言えば、姫奈は少し安心したかのように、ほぅっと息を吐いた。
「湊斗くんは分かっていますが、私は親から虐待を受けていました。母親は私が小さい時にはもういなくなっていて、父と二人で生活していました。私が小学生ぐらいになった時からでしょうか。あまり、はっきりとは覚えていませんがその頃から虐待が始まりました」
姫奈の声は今だに震えていて、顔も真っ赤なものの自分の手を握ったまま話し続けている。
「最初は悪口を言われるなどの精神的なものだったと思います。それから、徐々に暴力を振るわれるようになってきて、いつの日か父だけでなく周りの男の人が怖いって思うようになってました」
「そうか……」
父親と同性である周りの男性が怖い存在になっていくのはおかしい事ではない。女性は男性よりも弱い人間だし、威勢があって強いというイメージがあり、どことなく圧力がある。
だから、父親からの虐待が続く中で、父親と同じ性の自分よりも強い存在への恐怖心が日に日に増していったのだろう。
ある程度は大切に育てられてきた自分が同情しても、あまり説得力はないし、ふざけてるようにしか見えないかもしれないが、彼女の事を思うと本当に死にたいぐらいにつらかったと思う。
だから姫奈は……
「それで、学校では女神様を演じていたのか?」
「え、?何ぜそれを?」
「友達から聞いた。人当たりが良くて優しい人だって」
「そ、そうだったんですか」
「うん、それでね……俺は姫奈がとても強い人だと思うよ」
「ど、どうしてそう思うんですか……」
その言葉に姫奈は体をビクンっと震わせる。彼女の声の震えが一気に強まって、もう、一歩間違えれば泣いてしまいそうな雰囲気だ。
自分で考えていく中で分かったことがある。姫奈は父親のせいで周りの男が怖くなり、でも絶対に男とは関わらなければならない状況で少しでも自分が良く見てもらえるようにしていて、父親からの虐待に苦しみながらも、陰で血の滲むような努力をして、自分磨きして、愛想を振りまいて、表面上の女神様として生活していたんだと思った。
初めて会ったあの日、家族の、それも実の父親に無惨にもボロボロにされて、傷だらけにされて、血だらけにされて、喋れなくなる状態にまでされていた。
弱い立場の彼女は、何も出来ずにされるがままに殴られたのだろう。
その情景が脳裏に浮かんできて、とても心が痛んでくる。姫奈が奇声を上げながら、抵抗出来ずに傷だらけになっていく姿。暴言を吐きながら、お構いなしに殴っていく父親の姿。
きっと、何度「やめて」と言っても父親はやめなかっただろう。あの時の家の荒れようは完全に狂っていた。
男が強いのは女を守るためのはずなのに、彼女の父親は自分の欲のまま、女を傷つけるために使った。
俺は無念にも、心の底から父親に対しての怒りでいっぱいになっていて、口の中が血の味でいっぱいだ。
普段から努力している子が報われないのが悔しいし、悲しい。
もう考えただけで苦しい状況じゃないか。生きていただけで褒めてやりたい。自分みたいに関わらなければそれはそれで済んだのかもしれないが、姫奈はちゃんと人と関わろうとしていたと思うし、家族から愛されなかった分、人から愛されたいと思ったんだと思う。
彼女はきっと泣き虫だ。普段の子供っぽい仕草や表情がそれを物語っている。だから、誰も見ていないところでいっぱいいっぱい泣いて、いっぱいいっぱい苦しんだんだと思う。
そのまま握る手を少し強めて、姫奈の事を見た。
「もう女神様なんてならなくていい。そんなの、本当の姫奈じゃない」
「み、みなとくん……」
「大丈夫だよ」
「……怖かったよ……みなとくん……」
姫奈が自分の目を見つめてくる。その瞳は余分に水分を含んでいて目元が赤くなっている。
それから彼女の頭を撫でて。
(…………)
その後、嗚咽が漏れて…………
もう苦しそうで見ているのが耐えれない。こっちまで泣いてしまいそうだ。
「我慢しなくていいから、いっぱいここで吐き出しな」
「……」
それから姫奈は自分の胸に飛び込んできて、そのまま泣き崩れてしまった。




