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4.きちんと向き合って

 草地に座り込んだわたしと、わたしを呆然と見つめているヴィンセント様。そしてそんなわたしたちを、ネージュさんがにやにやしながら眺めている。


 あわてて立ち上がってスカートについた草を払っているわたしに、ヴィンセント様がそろそろと髪飾りを差し出してきた。とても、ぎこちない動きで。


「あ、ありがとうございます」


 髪飾りを受け取る時に、ほんの少し手が触れた。彼に触れるのは、これが初めてだ。彼の上着の袖口に、ネージュさんの白い綿毛が何本かくっついていた。


 そういえばさっき、ヴィンセント様はネージュさんのことを撫でまわしていたような。ちょうど、犬か何かを可愛がる時のように。脇腹の毛の中に隠れていても、声と振動でなんとなく分かった。


 そんなことに親しみを感じてしまい、つい口元に笑みが浮かぶ。けれどそれがいけなかったのか、ヴィンセント様ははじかれたように手を離し、機敏な動きで背を向ける。


「……さっき聞いたことは忘れろ」


 わたしがどうしてここにいるのか聞きもせずに、ヴィンセント様は立ち去っていく。ああ、やっと彼の新たな一面を見られたと思ったのに。


 返してもらった髪飾りをぎゅっとにぎりしめた時、様子をうかがっていたネージュさんが動いた。


 彼は助走もなしに、いきなりぽんと高く跳ねた。そうしてヴィンセント様の目の前にすとんと着地し、帰り道を体でふさいでしまったのだ。


『逃げるな、弱虫堅物』


「どうしたんだ、いきなり道をふさいで。……仕方ない、こちらから行くか」


 ヴィンセント様は戸惑いつつも、道を外れて森の木々の間を無理やり通り抜けようとする。そんな彼の行く手に、またネージュさんが先回りする。右へ左へ、せわしなく。


『おい、エリカ。おまえも黙って見ていないで、今のうちに思ったことを言ってやれ』


 その言葉に、我に返る。そう言えばさっき、ネージュさんは『ここからはおまえが頑張れ』とか言っていた。


 わたしは、ヴィンセント様に避けられていることが悲しくて、ヴィンセント様とろくに話ができないことが悲しくて、そうしてネージュさんに泣きついたのだった。


 今ならば、ヴィンセント様に声をかけることができる。ネージュさんが退路を断ってくれている、今なら。


 髪飾りをにぎりしめたまま、ゆっくりとヴィンセント様のほうに近づいていく。緊張でひざが震える。でも、今逃げたらもう好機はやってこない。


「あ、あの、ヴィンセント様」


 裏返った声で話しかけると、ヴィンセント様がぴたりと動きを止めた。こちらに背を向けたまま。その向こうでは、ネージュさんが楽しそうに目を見張っている。


「貴族は何を考えているか分からないって、さっき、そうおっしゃいましたよね……ですからわたしは、今まで考えていたことを、そのまま言おうと思います」


 正直なところ、わたしもヴィンセント様が何を考えているのかさっぱり分からない。


 わたしのことを気遣ってくれているようなのに、態度はどこまでもそっけないし、どうにかしてわたしを追い返そうとしている。わたしの幸せがどうとか言っていたけれど、そのこととこのふるまいに、何の関係があるのだろうか。


 そしてきっとヴィンセント様も、わたしが何を考えているのか分からなくて困っているのだと思う。


 初対面からずっと冷たくしているのに、それでもどうにかしてあいさつをしようと食い下がってくる、政略結婚でやってきた妻。しかも実家に帰ってもいいと言っているのに、一向に帰ろうとしないのだから。


「……わたしは、両親に命じられてあなたのもとに嫁ぎました。いわゆる、政略結婚です」


 ぴくりと、ヴィンセント様の肩が動いた。彼は確かに、わたしの話を聞いてくれている。そのことに勇気づけられるように、さらに言葉を紡いでいく。


「わたしはあなたのことを、何も知りません。それにあなたも、わたしのことを知らないのだと思います」


 耳を澄ませると、ああ、という声が聞こえた気がした。返事をしてもらえた。嬉しくなって、力いっぱい言い放つ。


「でも、わたしはあなたと、ちゃんとした夫婦になりたいと思っています。こうやってわたしたちが出会ったのも、何かの縁です」


 小さく息を吸って、声を張り上げる。


「わたしはあなたのことを、愛せるようになりたい。あなたの妻として、あなたを支えていきたい。このままさようならじゃ、悲しすぎます」


 そのままゆっくりと踏み出して、ヴィンセント様のすぐ後ろに立った。ネージュさんのにやにや笑いが大きくなったけれど、ひとまずそちらは無視する。


 今はとにかく、ヴィンセント様の気持ちを、少しでも動かしたい。今を逃したら、もうヴィンセント様と話す機会すら訪れないかもしれないのだから。


 そろそろと手を伸ばして、ヴィンセント様の袖口をそっとつかむ。拒まれなかったことにほっとしながら、両手でぎゅっとヴィンセント様の手を取った。


「だから、わたしに機会をください。お互いを知っていく、そのための機会が欲しいんです」


 そのまま、じっと返事を待つ。ヴィンセント様は、さっきから全く動かない。ネージュさんは大きな笑みを張りつけて、興味津々でわたしたちをじっと見ている。


 沈黙だけが辺りに満ちていた。時折、不釣り合いにのどかな鳥の声が聞こえてくる。


 ヴィンセント様の手は、とてもがっしりとしていて固かった。国を守るために剣を取って戦い続けた、その年月がその手に表れているように思えた。


 彼はこの手で、わたしたちの国を守ってくれていたのだ。そう感じたら、胸が熱くなった。かつて友人たちに聞かされた彼の悪い噂など、少しも気にならなくなるくらいに。


 思わず手に力がこもってしまう。けれどそれでも、ヴィンセント様はわたしの手を振り払おうとはしなかった。彼は戸惑ったように首を振り、わたしに背を向けたままつぶやく。


「……分かった。折を見て、少し話そう。それくらいなら……」


「本当ですか!? ありがとうございます!」


 自分でも驚くくらい、はしゃいだ声が出てしまった。ヴィンセント様は静かに、やはり少し困惑したような声でつぶやく。


「……ああ、本当だ。だから、いい加減手を離してくれ」


「あっ、ごめんなさい」


 あわてて手を離すと、ヴィンセント様はゆっくりと息を吐いた。ずっと緊張していたような、そんなため息だった。


 ネージュさんが小さく笑いながら、道を開ける。ヴィンセント様はこちらを見ることなく、そのまま立ち去っていった。


 ヴィンセント様の後姿を、わたしとネージュさんは並んで見送っていた。


『さっきの演説は、中々面白かったぞ』


 やがて、ネージュさんがそう言った。


「演説なんてすごいものじゃないですよ。思ったことを、そのまま言っただけですから。……子供っぽい妻だって、あきれられてないといいなあ……」


 今さらながらに、あれでよかったのだろうか、もっと他に言いようがあったのではないかと、そんな考えが浮かんでしまったのだ。


『いや、おまえはよくやったさ。あの時のヴィンセントの顔、見せてやりたかったぞ。おまえの言葉は、間違いなくあいつの心を動かした』


「……そう、なんですか?」


『ああ、そうだ。これからもその調子で、思ったことをばんばん言っていけばいいんじゃないか? それと、どうせなら話し合いの場にはおれも同行させろ。こんな面白そうなものを見逃す手はないからな』


「それは、ヴィンセント様との話をこの森でしろ、ということですか? どうやって説得しよう……」


『ああ、説得はしなくてもいいぞ。今までと同じようにここに通っていれば、自然とあいつもやってくるからな』


 そう言って、ネージュさんは含み笑いをする。こくりとうなずきながら、わたしは心躍るものを感じていた。


 一歩だけ、ヴィンセント様に近づくことができた。彼に触れることができた。これから、もっと彼を知ることができるかもしれない。


 そんなうきうきとした思いが、心の中でぴょんぴょんと跳ね回っていた。

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