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27.赤文字の封書、再び

 わたしとヴィンセント様、それに幻獣たちの距離はどんどん近くなっていた。もう、みんなで一つの家族のようなものになっていた。


 とっても幸せで、穏やかな日々が過ぎていった。けれど、その幸せは、あまりにもあっけなく吹き飛んでしまった。


 わたしの手の中には、王宮からの手紙が一通。ヴィンセント様の名を記したあて名は、赤いインクで書かれていた。また、出陣だ。今度はどこに行くのだろう。


 ヴィンセント様は、無言で手紙の中を見せてくれた。それをじっと見つめながら、呆然とつぶやく。


「……南の大国が、攻めてきたんですか……」


「ああ。前の出陣の時とは比べ物にならない、大掛かりな戦になるだろう。そして俺は、総大将の任をおおせつかった」


 前の時は、西の国境での小競り合いだった。隣国の兵が、こっそりと国境を越えて偵察に来ているだけだった。


 あちらは戦うための部隊ではなかったし、そもそも数が少なかった。だから決着はあっという間についていた。ヴィンセント様の部隊と遭遇したとたん、敵兵はさっさと逃げ出したのだそうだ。


 でも今度は違う。双方とも大規模な軍を編成して、正面からぶつかり合うことになる。南の大国は、以前から我が国の資源を狙っていた。それが、いよいよ本気を出してきたらしい。


「……どうあってもここで敵軍を圧倒し、追い返さなくてはならない。我が国に攻め入っても利は少ない、そう思い知らせるために」


 前の時と違って、ヴィンセント様の表情は硬い。それだけ、状況がひっ迫しているのだろう。軍のことも戦のことも知らないわたしにも、そのことはすぐに分かった。


「今度はしばらく、戻れないだろう。寂しい思いをさせるかもしれないが……」


「だ、大丈夫です。ネージュさんたちもいてくれますし……それに、待つのは騎士の妻のつとめですから」


 泣きそうになるのをこらえながら、精いっぱい力強くうなずく。どこからか現れたフラッフィーズをにぎりしめて。心配しているかのように、フラッフィーズが次々と空中に姿を現し、わたしの足元に寄り添ってくる。


「……済まない。できることならここを離れたくない。だが……」


「大丈夫です。わたしはここで待っていますから、頑張ってください」


「ああ。俺は必ず、君の待つこの屋敷に戻ってくる。だから、それまでは耐えていてくれ」


 既に足首までフラッフィーズの群れに埋まっているわたしに、ヴィンセント様が注意深く近づいてくる。そうしてそのまま、わたしをぎゅっと抱きしめた。


「急いで出陣の準備をしなくてはならない。けれど少しだけ、こうさせてくれ。君の温もりを覚えておきたい」


 体中で感じる優しい声に、ぽろりと涙がこぼれ出た。目を閉じてヴィンセント様にぴったりと寄り添いながら、わたしはただ静かに涙を流し続けていた。




 そうしてまた、ヴィンセント様は旅立っていった。ブラッドさんと共に。


 ヴィンセント様を迎えにきたブラッドさんの顔から、いつもの軽やかで明るい表情は消えていた。「何かあったら、すぐに伝書鳩で君に知らせる」と彼は言ってくれた。


 たぶん、そんなことを言わずにいられないほど、わたしは暗い表情をしていたのだろう。


 留守番の日々が始まってから、わたしは毎日、屋敷の裏の森に通った。前の時と同じように幻獣のみんなに囲まれて、ぼんやりと過ごしていた。


『しかし、また戦とはな。よく飽きないな、人間たちは』


『ヴィンセントは戦いとうはないようじゃが、売られた喧嘩を放置しておくと大変なことになるからのう』


『トレも戦いは嫌い。草が汚れる。草原が嫌な感じになる。空気がちくちくする』


 みんなのそんなお喋りの合間に、ぴよぴよというフラッフィーズの鳴き声が聞こえてくる。いつも通りのなごやかな光景に、ヴィンセント様だけがいない。


『エリカ、泣きそう? きれいな花、見る?』


『こら、泣くな……おまえは一日中べそをかいているな。そんなだと、ヴィンセントも落ち着いて戦えないだろう』


『励まし方が雑じゃぞ、ネージュ。乙女というものは、とかく繊細なのじゃからな。エリカ、なんなら気晴らしに空の散歩でもするかの? どこへ行きたい?』


「……ヴィンセント様のところに行きたいです」


 無理だと分かっていても、そう言わずにはいられなかった。スリジエさんは困ったように頭を振って、ふうと息を吐く。


『さすがにそれはちょっと、のう……わらわの翼は強いし、見えずの霧もあるが……それでも、万が一のことがあってはならぬし』


『あいつの荷物に大きめの鏡を忍ばせようとしたんだが、直前でばれたんだよなあ』


『ヴィンセントは草原に行った。トレだけならすぐに追いかけられるけど、トレは他のヒトを運べないの』


 みんなのそんな言葉を聞いていると、自然とため息がもれた。仕方がないと分かっているけれど、それでもがっかりせずにはいられない。


 いつか、慣れる日が来るのかな。戦いに出たヴィンセント様を、どっしりと構えて待てる日が。


 ううん、そんな日はきっと来ない。わたしはきっといつまでも、こうやってひたすらに彼のことを心配し続けるのだろう。


 でも、さすがに何か気晴らしを覚えたほうがいいかもしれない。そうやって強引に気分を変えようとしたその時、屋敷のほうから誰かが走ってきた。


「エリカ様、こちらにおられましたか。その、こちらをご覧ください」


 それは若い執事だった。彼の手には、小さな小さな紙の筒のようなものが乗っている。


「つい先ほど、伝書鳩がやってきました。エリカ様あてとなっていたため、そのまま持ってまいりました」


 嫌な予感を覚えながら、紙の筒を手に取る。その筒ははらりとほどけて、一枚の細長い紙になる。


 そこには、こんなことが書いてあった。


『敵の策略にはまり、ヴィンセントが行方不明だ。私は代理として全軍を率い、後退している。今彼を探させてはいるが……覚悟は、しておいてほしい。そもそも私たちも、そう長くはもちそうにない。じきに、大幅な後退を強いられることになると思う』


 ブラッドさんの署名がされたその手紙に、目の前がすうっと暗くなる。


『どうしたの?』


『おれたちは文字が読めないからなあ』


『何か、悪い知らせかの?』


 わたしの様子にただならぬものを感じ取ったのか、幻獣たちが心配そうな顔で尋ねてくる。がくがくとひざが震えそうになるのをこらえて、短く答えた。


「……ヴィンセント様が、行方不明です」




 執事にはひとまず口止めして、屋敷に戻ってもらった。このことが屋敷の使用人たちに知られたら、きっとみんな動揺するだろう。


 これからどうなるか分からないけれど、みんなにはいつも通りでいてほしい。そんな、わたしの判断によるものだった。


 森の向こうに執事の背中が消えていく。それと同時に、わたしはその場に崩れ落ちた。自分自身をしっかりと抱きしめたけれど、震えはちっとも止まらない。


「どうしよう……ヴィンセント様が、ヴィンセント様が……」


 涙が勝手にあふれて落ちていく。怖い。嫌だ。認めたくない。そんなことをうわごとのようにつぶやきながら、ひとりで震えていた。


 と、急に目の前が白くなる。どうやらネージュさんが、その長くふわふわの毛をわたしにかけてきたようだった。


 気がつくと足のところにトレがすりよっていたし、目の前の地面にはフラッフィーズがずらりと並んでこちらを見上げていた。必死にぴよぴよと鳴いて、わたしの気を引こうと頑張っている。その向こうには、スリジエさんの桜色の鼻面が見えていた。


「……みんな……」


『泣く、ダメ。怖いの、もっとダメ。このままはよくない。スリジエ、ネージュ。行こう。トレたちの出番』


『仕方あるまい。こうなったら、わらわたちも腹をくくるかの。危険は承知の上じゃな』


『あいつがいなくなったら、おれたちも面白くない。よし、やってやるか』


 みんなが何を言っているのか分からずにぽかんとしていると、ネージュさんがこちらに向き直ってにやりと笑った。


『おれたち幻獣は、本来人間とあまり関わらない。そういう生き物なんだ』


『人の子より遥かに長い時間を生き、まるで違う優れた力を持つゆえにな。何もかもが、あまりにも違いすぎるのじゃ』


『ヒト、せわしない。トレ、もっとのんびりが好き』


 いつもと同じ調子で、三人がわいわいと言い立て始める。やがてネージュさんが、ゆったりと言葉を続けた。


『だがそんなおれたちも、おまえたちと出会って変わってしまった。おまえたちの時間に、おまえたちの決まりに縛られて動くのも、案外面白いものだと思うようになってしまったんだ』


『特に、お主たち夫婦は見ていて飽きぬわ』


『またみんなで、のんびりしたい。だから、トレたち頑張る』


『あいつが行方不明だっていうなら、探せばいい。おれたちが力を合わせれば、不可能ではない』


 頼もしいネージュさんの言葉に、また一粒涙がころんと落ちる。けれどもう、さっきまでの絶望は薄れ始めていた。


 みんながいれば、きっとヴィンセント様を見つけられる。そうしてみんなで、またここに戻ってくるんだ。


 わたしの心に差したかすかな希望は、ゆっくりとふくれあがっていった。

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