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2.驚きの出会い

 君を愛するつもりはない。妻など不要だ。そう言い切ったヴィンセント様は、それからも徹底してわたしを避け続けていた。


 あいさつをしようと声をかけても、無言で会釈してすぐに立ち去ってしまう。何かお喋りしませんかと持ちかけても、忙しいからと追い払われてしまう。


 食事は一緒にとってくれるけれど、その間もずっと無言だ。


 本人が何も喋らないのなら、周りに聞いてみよう。そう思って、使用人たちとも話をしてみた。あなたたちから見たヴィンセント様はどんな方なの、と尋ねてみたのだ。


 けれど彼らは口をそろえてこう返すばかりだった。自分のことについては何も話すなと、そうヴィンセント様から命じられておりますので。


 結局、こちらも空振りだった。


 何日かそんな風に過ごしたわたしは、ようやく悟った。これはもう、あきらめるしかないのだろうと。


 ヴィンセント様はわたしのことを拒んでいる。そのことを、ようやく思い知った。わたしは、ここにいてはいけないのかもしれない。


 彼は、いつでも離縁すると言った。いつでも好きな時に、実家に戻ればいいとも言っていた。


 きっとそうするのが正しいのだろう。でもわたしは、そうしたくなかった。


 政略結婚とはいえ、何やら良からぬ噂があるらしいとはいえ、それでもヴィンセント様に近づきたいと思わずにはいられなかった。彼のことを、もっと知りたいと思った。


 どうしてこんなにも強くそう思うのか、自分でもよく分からないけれど。


 でもこうもつれなくされては、どうしようもない。進むこともできず、戻ることもできず、わたしはただ一人ため息をついていた。


 使用人たちは口止めをされていること以外はとても親切で、暗い顔をしているわたしのことをとても気遣ってくれていた。


 それが申し訳なく思えてしまって、わたしは自然と自室にひきこもるようになっていた。


「みんな良くしてくれるし、居心地自体は悪くないのにな……」


 そんなことをつぶやきながら、窓の外をぼんやりと眺める。そこには、屋敷の裏手に広がる森が見えていた。生き生きとした緑は、わたしの寂しさをちょっぴり癒してくれるようだった。


「……ヴィンセント様……どうして、口もきいてくれないのかな……そんなにわたしのことが、嫌なのかな……」


 初めて会った時、彼は困ったような、苦しそうな顔をしていた。でも、わたしを忌み嫌っているような、そんな様子はなかった。少なくとも、わたしはそう思った。


 どうして彼があんな顔をしているのか、どうして彼がここまでして逃げ回っているのか、その理由を知りたかった。でも、それは難しいように思えた。


 泣きそうになって、あわてて首を横に振る。その時、窓の外、裏手の森の奥に何かおかしなものが見えた。


「今の……何かしら。真っ白くて大きな……」


 獣にしては白すぎるし、人間にしても何か様子が変だ。その何かが気になって、部屋を抜け出す。考えるより先に、体が動いていた。


 裏手の森は静かで落ち着いていて、人や大きな獣はやってこない。ヴィンセント様も、時折そこを散歩されているらしいと、そう使用人たちが教えてくれた。だったら、わたしが出かけても大丈夫だろう。


 足音を忍ばせながら裏庭を抜けて、その向こうの森の中へ進んでいく。森の中にある細い道を、転ばないよう気をつけながらせっせと歩く。


 あの白い何かがいたのは、こっちで合っていただろうか。そんなことを考えながら大きな木を回り込んだ、その時。


『ほう、こんなところに若い娘とはな。珍しい』


 突然、そんな声が聞こえてきた。若いような年を取っているような、何ともつかみどころのない男性の声だ。とても愉快そうに、くつくつと笑っている。


「誰か、いるんですか?」


『おっと、気づかれたか。まあ、姿を見せてみるのも面白いかもしれないな』


 そんな言葉と共に現れたのは、大きな大きな白い狼だった。屋敷にいる一番大きな馬よりも、さらに一回りは大きい。しかも狼にしてはやけに毛が長く、ふかふかだった。


 真っ白な毛に全身を包まれたその姿は、間違いなく狼なのに、何か違う生き物のようにも見えた。友人の屋敷で見た、ものすごく毛の長い猫に似ているかもしれない。


 さっき見た白い何かは、きっとこの狼なのだろう。それはそうとして、さっきの言葉はこの狼が喋ったのだろうか。そんなはずはない。でも、そうとしか考えようがない。


 この白い狼は、何もかもが普通の獣とは違うように見える。だったら人の言葉を話すなんてことも、あるかもしれない。


 そんなことを思ってしまったせいなのか、恐怖は感じなかった。


 代わりにわたしの胸を満たしていたのは、興味だった。できることなら、あのふかふかの毛並みに触ってみたいな。そんなとんでもないことすら考えてしまっていた。


 その場に立ち尽くしたまま、狼に見とれる。と、狼は大きく口を開けて笑った。


『……全然怖がらんな。変な女だ』


「わっ、やっぱり喋った!」


 驚いた勢いで、そんなことを叫んでしまう。その言葉に、狼が首をかしげる。特大の頭がぐりんと動いて、ふわっふわの毛が軽やかに揺れた。


『もしかして、おれの言葉を理解しているのか……?』


「は、はい。あなたの言葉、分かります」


『……変な女というより……かなりおかしな女だな。長く生きているが、おれと話せる人間なんて、初めて見たぞ』


 そう言って、狼はまた笑う。そのさまをぽかんと見つめてから、気を取り直してお辞儀した。


「あの、わたしはエリカです。そこの屋敷に住んでいます」


 今度は狼のほうがぽかんとする番だった。目を真ん丸にして、狼は呆然とつぶやく。


『……ごていねいに、どうも。おれはネージュ、今はこの森で暮らしている。おまえたち人間は、おれたちのことを幻獣と呼んでいるな』


「えっ、幻獣ですか! 生まれて初めて見ました……」


 幻獣とは、野の獣とも家畜とも違う、不思議な生き物だ。見た目も変わっているし、色んな不思議な力を持っている。とても珍しい存在で、一生に一度でも見られたら幸運だと言われている。


 そんな幻獣に、こんなところで出会えるなんて。ヴィンセント様との仲がうまくいかずに落ち込んでいたことも忘れそうになるくらい、わたしは舞い上がっていた。


「不思議な力を持つって聞いていましたけど、まさかお話できるなんて……」


『ああ、それはおれの力じゃないぞ。おまえが変わっているだけだ』


「変わっている、ですか? さっきから変だとかおかしいとか言われてますけど……わたし、普通だと思います……」


 今まで、わたしはごく普通の伯爵令嬢として生きてきた。変だとかなんだとか、そんなことを言われたことはない。納得がいかなくて思わずうつむくと、あわてたような声が上から降ってきた。


『おっと、済まん。悪く言うつもりではなかったんだ。頼むから、泣くな。ほら、おれの毛に触っていいぞ。わびの印だ』


 別に泣いてなどいなかったのだけれど、あのふわふわには触りたい。顔を上げて、ネージュさんのほうに一歩踏み出した。目の前に迫る白いふわふわに、両手を伸ばす。


「あっ、すごく柔らかい……ふわふわ……素敵……」


『そうだろう。おれの自慢の毛並みだぞ。あのヴィンセントも、時々世間話のついでに触っていく』


「ヴィンセント様が!?」


 ネージュさんの胸毛にすっぽりと埋まったまま、叫び声を上げる。


『まあな。だがそれ以上のことは、あいつの名誉のためにも内緒だ』


「……少しだけ、教えてもらえませんか?」


 大きく一歩下がって、ネージュさんの目をのぞきこむ。よく晴れた空のような、素晴らしく澄んだ青い目だった。


『駄目だ駄目だ。そもそもおまえ、何者だ? あいつの屋敷に住んでいるとか言ったが、使用人か?』


「わ、わたしは」


 ごくりとつばを飲み込んで、緊張しながら答える。


「わたしは、ヴィンセント様の、……妻、です。ですから……夫のことを知りたいと、そう思うのは当然ですよね」


『ああなるほど、おまえがあの、押しつけられたとかいう嫁か。あいつがあんなに嘆いていたから、いったいどんな恐ろしい女が来たのかと気になっていたんだが……なんだ、普通の可愛らしい女じゃないか』


 ネージュさんは楽しそうに笑いながら、そんなことを言っている。しかしわたしは、それどころではなかった。彼の胸毛をしっかりとつかんで、ぐいぐいと引っ張る。


「あの、お願いです、教えてください! ……ヴィンセント様は本当に、嘆いておられたんですか? その、どんなことを、言っていたのでしょう……」


 ヴィンセント様はわたしのことを拒んでいる。けれど、嫌われてはいないのだと感じていた。でも、彼が陰で嘆いていたことは、知らなかった。


 ずんと心が重くなり、顔を伏せる。頭上から、大いにあわてた声が降ってきた。


『あ、こらおい、泣くな! ……嘆くというか、愚痴っていたというか……ともかく、おれの口から言えるのはそこまでだ。気になるなら、本人に聞いてみろ』


「だって、ヴィンセント様はずっとわたしのことを避けていて、話すどころかあいさつだってできなくて、わたし、ヴィンセント様のこと、もっと知りたくて、なのに」


『だから泣くな、頼むから!』


 泣いているつもりはなかったのだけれど、気がつくと涙の粒が頬を転がり落ちていった。ここに嫁いできてからずっとこらえていたものが、ぽろぽろとあふれ出していく。


 最高にふわふわの白い毛をにぎりしめたまま、必死に声を殺して泣き続ける。ネージュさんは困っていたようだけれど、何も言わずにそこにいてくれた。




 そうして、わたしが泣き止んだ頃。


『まったく、嫁をここまで泣かせるとは……さすがに、見過ごせんな』


 ネージュさんが深々とため息をついた。とびきり大きなそのため息が、わたしの淡い金の髪をふわりとなびかせる。


『このままだとおまえ、泣きべそかいたまま実家に戻ってしまいそうだからな……おれとしても、話し相手がいなくなるのは面白くない』


「……ネージュさん?」


『少しだけ、手伝ってやる。ただおれはあくまでもきっかけを作るだけだ。そこから先は、自分でどうにかしろ。分かったな』


 いったい何をどうすればいいのかまったく分かっていなかったけれど、ひとまずこくりとうなずく。


『よし、ならばおまえに策をさずけてやろう。よく聞けよ……』


 さっきまで大泣きしていたことも忘れて、わたしはネージュさんの言葉にじっと耳を傾けた。

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