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13.わたしの思いを言葉に乗せて

「……そうだな。この機会に、話しておくか」


 そう言うと、ヴィンセント様はわたしを連れて歩き出す。そのまま、王宮の裏のほうに近づいていった。


 やがて、静かな中庭にたどり着く。そこでようやく、ヴィンセント様は足を止めた。それからゆっくりと、わたしに向き直る。


「俺は、剣の腕一つでここまでやってきた。ただの平民から騎士へ、そして爵位までいただいてしまった」


「それは、ヴィンセント様がこの国を守ってくださったからです。ですから、ごほうびをもらうのは当たり前だと」


「褒美、か。どれもこれも、俺には過ぎたものばかりだ」


 どこか自嘲するようにつぶやいて、ヴィンセント様は続ける。


「俺には剣しか取り柄がない。本来、こんなところにいる資格はないんだ」


 そんなこと、と言いかけたわたしを、ヴィンセント様は手で制する。彼はとても真剣な、それでいてひどく悲しそうな顔をしていた。


「俺の周りにはいつも、ああいった悪意がつきまとっている。陛下は俺のことを買ってくださっているし、共に戦う兵士たちとも、信頼関係が築けているとは思う。だが、貴族は……」


 苦しげに、彼は言葉を切った。


「……貴族たちは、俺のことを疎ましく思っている。先ほどのような丸聞こえの陰口など、いつものことだ」


 彼の言葉に、思い出す。彼のもとに嫁いでくる直前に届いた、友人たちからの手紙を。


 彼女たちはヴィンセント様のことを、あまり良く思っていないようだった。


 けれど、彼女たちはヴィンセント様に会ってはいない。だから彼女たちは、家族か友人か、そういった人間からヴィンセント様の噂を聞いたのだろう。


「だから、君は俺のそばにいないほうがいい。俺のそばにいれば、君は不幸になる。あんな噂はまだ可愛いものだ。いずれ様々な悪意が、いずれ君にも向けられる」


「そばにいないほうが、って……そんな、わたし……」


「……いい加減、はっきり言ったほうがいいのだろう。なし崩しに先延ばしになっていたが、今ここで君を離縁する、と」


 初めて会った時、ヴィンセント様はわたしを拒絶した。君を愛するつもりはない、と。


 でもあれから一生懸命頑張って、少しは彼に近づけたつもりでいたのに。いつか、もっと仲良くなれるかなって、ちゃんと夫婦になれるかなって、思い始めていたのに。


「だって、でも、帰ったら編み方を教えてくれる、って……」


「済まない。だがこれも、君のためだ。本当はもっと早くに、言っておくべきだった」


 静かなヴィンセント様の言葉に、胸がぎゅっと苦しくなる。目の前がぼやけたと思ったら、もう涙の粒が転がり落ちていた。


 最初は、不安だった。良い話を聞かない、見知らぬ男性にいきなり嫁ぐことになって。


 でもヴィンセント様に会ったら、そんな不安はどこかへ行ってしまった。この人は信頼できると、きっと無意識のうちにそう感じていたのだろう。


 それからは、彼に近づこうと必死になって。彼と話ができる、それだけのことが嬉しくて。けれどとうとう、彼に別れを告げられた。そうしたら、とっても悲しくなって。


『おい、あいつ離縁だなんて言い出したぞ。まったく、気遣いがおかしなほうにいっているな。馬鹿を言うなと、一発はたいてやろうか』


『しっ、気持ちは分かるが今は様子を見るのじゃ』


 中庭の隅のほうから、そんな声がする。けれどそれすらも気にならないくらいに、苦しかった。


 どうしてこんなに苦しいのだろう。今までだって、夫婦らしいことは何もなかった。


 離縁されてしまっても、友人として付き合っていくことならできるかもしれない。むしろそうなれば、ヴィンセント様もかたくなにわたしを拒まなくなるような気がする。


 でも、嫌だった。離縁されるなんて、絶対に嫌だった。ヴィンセント様の妻でなくなるなんて、嫌だった。


 その時、ふと気づいた。なんだ、そういうことだったのか、と。止まらない涙が頬を濡らしていくのを感じながら、ゆっくりと口を開く。


「お願いです。離縁しないでください」


「君の不利益にならないよう、最大限手を尽くす。だから、後のことは心配しなくていい」


 ヴィンセント様は苦しげに目をそらして、押し殺したような声でそんなことを言い続けている。


 わたしを拒む言葉、でもそこに冷たさはなかった。そのことに背を押されるようにして、言葉を続ける。


「そうじゃないんです!」


 自分でもびっくりするほど、大きな声が出た。ヴィンセント様も目を見張って、こちらを見ている。


「わたし、ヴィンセント様のことをもっと知りたい! あなたのそばにいたい! 陰口なんて、他の人がどう思うかなんて、どうでもいいんです!」


 ここは王宮で、むやみやたらと声を張り上げていい場所ではない。それは分かっていたけれど、もう止まれなかった。


「ヴィンセント様はちょっと不器用で、でもわたしのことを気遣ってくれる優しい人で! わたしの知らないことをたくさん知っていて! 平民とか貴族とか、そんなことに関係なく、立派で素敵な人です!」


 必死に言い立てると、ヴィンセント様の表情が変わった。驚きから戸惑いに、そして悲しげな顔に。


「わたしは、あなたの妻になれてよかったって、そう思っています! わたし、あなたのことが、好きなんです!! だから、離れたくない! わたしのことを思うのなら、どうか、離縁なんてしないでください!」


 そこまで言い切った時、ぐらりと世界が傾いた。どうしてだろうと思っていたら、血相を変えたヴィンセント様が走ってくるのが見えた。


「おい、エリカ! 大丈夫か!」


 すぐ近くで、ヴィンセント様が呼びかけてくる。気がつけばわたしは、ヴィンセント様にしっかりと抱き留められていた。


「大丈夫……です」


 どうやらわたしは、めまいを起こして倒れかけたようだった。そこをヴィンセント様が、すかさず支えてくれたのだ。


 彼はわたしの背に手を回したまま、わたしの無事を確かめるようにじっとこちらを見つめている。


「……ヴィンセント様が素早くて、びっくりしました」


「俺は騎士だ。いざという時に動けないようではどうしようもない」


「そうですよね。でもやっぱり、とても格好良かったです。助けてもらえて、嬉しかった」


 自然と笑みが浮かぶのを感じながら、すぐ近くにあるヴィンセント様の冬空色の目をのぞきこんだ。


 その目は、不安げに揺らいでいる。彼がこんな表情をしているのは、初めて見たかもしれない。


「……そう、か。君は……どうしてそこまで、俺のことを……」


「さっき話した通りです。わたしはあなたのそばにいたい。あなたのことをもっと知りたい。形だけのお飾りの妻じゃなくて、本当の奥さんになりたい」


 今度は優しい声で、もう一度思いを伝える。ヴィンセント様はじっとわたしの目を見たまま、微動だにしない。


 どうしたのかな、もっと何か話したほうがいいのかなと思い始めた頃、ヴィンセント様はわたしをそっと立たせて、視線をそらした。


「……少し、考えさせてくれ。ひとまず帰ろう、俺たちの家に」


 俺たちの家。ヴィンセント様はそう言った。わたしも、あの家に帰っていいのだ。よかった、ひとまず離縁されずに済んだ。


 ほっと胸をなでおろしながら、ヴィンセント様の後を追いかける。自分でもおかしくなるくらいに、軽やかな足取りで。


『一時はどうなることかと思ったが、何とかなりそうだな。やれやれだ』


『ほほ、だから言ったのじゃ。少し様子を見ろ、と』


 そんな楽しげな話し声が、わたしの後ろからついてくる。その声に、また笑みがこぼれた。


「ああ、そうだ」


 ふと、ヴィンセント様が振り返った。いつの間にかその手には、白いハンカチがにぎられている。


「……やはり、涙の跡が少し残っているな」


 そう言うなり、ヴィンセント様はわたしの顔を、そっとぬぐい始めた。


 突然のことに立ち尽くしているわたしの目元や頬を、柔らかなハンカチがなでていく。時折ヴィンセント様の指が頬に当たるのが、とてもくすぐったくて、とってもどきどきする。


「ほら、これでいい」


「あの……ありがとうございます」


 ぼうっとしながらお礼を言うと、ヴィンセント様は決まりが悪そうに視線をそらした。


「いや、礼には及ばない。……その、済まなかった」


 そうしてヴィンセント様はわたしに背を向けて、また歩き出した。まだ熱の残る頬をそっと押さえてから、わたしも歩き出した。彼の隣に並んで。

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― 新着の感想 ―
[一言] 貴族なんて気に入らないヤツにはなにがなんでも難癖付けたがる生き物だし(偏見)、 難癖ってヤツは非のないところにもくっつくものなんだから、気にしたら負け。 縁づいたからには、最期まで添い遂げ…
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