12.王宮に流れている噂
結局スリジエさんは、ネージュさんがねぐらにしている裏の森で暮らすことになった。
森そのものが気に入ったというのもあるようだったけれど、それ以上にヴィンセント様のことが気に入っているようだった。というより、彼が放っている香りが。
『それに、この二人の行く末を見届けたいしのう。どうせなら、心温まる幸せな結末がよい。そうなるよう、わらわも少々首を突っ込ませてもらおうと思うておる』
『だな。よかったなエリカ、こいつもおまえの力になってくれるんだと』
どうもスリジエさんも、わたしとヴィンセント様との間を取り持とうとしてくれているらしい。ありがたいけれど、ちょっぴり寂しくもあった。
わたしがヴィンセント様のところに嫁いできてから、二か月が経った。でもわたしたちの距離は、夫婦だとは思えないほど開いたままだった。
ネージュさんのおかげで、時々料理をふるまってもらえるようになった。
スリジエさんのおかげで、ほんの少し近づくことができた。あれからヴィンセント様は、わたしが近づきすぎても警戒しなくなった。
でも、それだけだ。愛されることはないのだろうと、もうあきらめた。でもせめて、同じ屋根の下で暮らす者同士、少しだけでも仲良くなりたい。
地道に頑張るしかないのかなあ。ため息を飲み込んで、白と桃色の二人に笑いかけた。
「エリカ、陛下が俺たちを呼んでおられる。済まないが、君も来てくれ」
ある日、ぎこちない会話が流れる食事の席で、ヴィンセント様が不意にそう言った。
「は、はい。……その、どういった用件、なのでしょうか?」
何の気なしにそう尋ねると、ヴィンセント様はむっつりと黙り込んだ。それから静かに、短く答える。
「俺たち夫婦がうまくやっているか、確認されたいのだそうだ」
その答えに、今度はわたしが黙り込む。うまくやっているかと言われると、自信はない。
ヴィンセント様はわたしを嫌ってはいない。けれどなぜか、わたしを妻として認めてもいない。
彼との間にたちはだかる壁をどうすれば越えられるのか分からなくて、毎日悪戦苦闘して。でもいつも空振りで、しょんぼりと一人眠りについて。今でもわたしは、そんな日々を繰り返していた。
「二人そろって顔を見せ、二、三当たりさわりのない受け答えを済ませれば、それで用事は片付くだろう。そう緊張しなくても大丈夫だ」
「分かりました」
わたしは、きっとこわばった顔をしていたのだろう。でもわたしは、緊張しているのではなかった。
陛下に会うことの緊張よりも、悲しみのほうが勝ってしまっていたのだ。
わたしたちは、陛下の前で普通の夫婦のふりをしなくてはいけない。胸を張って、わたしはヴィンセント様の妻として幸せに暮らしていますと言えたなら、どんなにか良かったか。
こっそりとため息を押し殺して、食事を終える。それからすぐに、旅の支度をするために自室に戻っていった。
それから二日後、わたしたちは馬車に乗って王都を目指していた。
「……ついて来ているな」
「来てますね」
二人一緒に、窓の外を見る。窓ガラスに映るわたしたちの顔は、何とも言えない微妙な表情を浮かべていた。
視線の先には、軽やかに駆ける桜色の馬。背中には、大きな翼が生えている。もちろん、スリジエさんだ。彼女は、わたしたちの馬車のすぐ横を走っているのだ。
たまには走らぬと、足がなまってしまうからのう。それに人里を訪ねてみるのも楽しそうじゃ。彼女はそんなことを言って、わたしたちの旅に同行することを決めてしまったのだ。
ちなみに、馬車を操っている御者はスリジエさんに気づいていない。
スリジエさんは特殊な霧をまとい、自分の姿を他者に認識させずに動き回ることができるのだそうだ。わたしとヴィンセント様には、特別に姿を見せてくれているらしい。
その特別な霧、スリジエさんが『見えずの霧』と呼んでいる霧は、そんな器用なこともできるのだそうだ。
ただそう言われても、いまいち納得がいかない。なにせわたしたちには、彼女の姿はばっちり見えている訳で。
「本当に、気づかれないんだろうな」
「たぶん……もし誰かに気づかれてしまっても、飛んで逃げれば大丈夫……ですよね」
「幻獣が、姿を隠して王都見物か……前代未聞だな」
「しかも、スリジエさんだけではないですし……」
「そうだな」
短く答えて、ヴィンセント様は馬車の空いた座席に手を伸ばす。そこには、大きな布袋が置かれていた。袋の中には、大きなお盆ほどもある鏡が入っているのだ。
スリジエだけついていくなんてずるい、おれもつれていけと大騒ぎされた結果、わたしたちがこの鏡を持っていくことで何とか折り合いをつけたのだ。
ならば見えずの霧に入って、スリジエと一緒に走ってきたらどうだとヴィンセント様が提案したのだけれど、どうやらそれは難しいらしい。
ネージュさんは大きすぎて、どうやっても霧からはみ出してしまうのだそうだ。
小さくなることはできるけれど、一日中小さいままというのは少々しんどいらしい。一日中片足歩きをしているような感じだな、とネージュさんは言っていた。
しかも体が小さくなると走る速度もそれに合わせて落ちてしまうし、スリジエさんの背中に乗せてもらおうにも、ネージュさんの前足ではスリジエさんの背中にしがみつくのも大変だ。
相談して決まった段取りが、こうだった。まずはわたしたちが鏡を運び、王宮に着いたらネージュさんがここから出てくる。
そこからは、ネージュさんはスリジエさんと一緒に見えずの霧にまぎれて行動する。これなら人目につくこともないし、全員楽に移動できる。
けれど、わざわざ鏡を運ぶ必要があるのだろうか。王宮には、たくさん鏡があるし、人気のないところを狙ってそこから出てくればいいのではないか。
そう言ったら、ネージュさんは首を横に振った。
『一度通ったか、あるいは目にしたことのある鏡であれば、それ以降は自由に移動できるんだが、おれはもちろん王宮に行ったことはない。王都にもな』
ネージュさんは眉間にしわを寄せ、自分の能力について説明してくれた。知らない場所にある鏡に飛ぼうとすると、違うところに出てしまう可能性が高いのだそうだ。
『つまり、おれが無理やり鏡を使って王宮に向かうと、どこから出てくるのか分からなくなるんだ。人間の集まっているところに出てしまったら、それこそ大騒ぎだろう』
そんなこんなで、ネージュさんは今いつもの森でのんびり待っている。わたしたちがいつ頃王宮に着くかは教えてあるので、頃合いを見てこの鏡から出てくる予定だ。
「……幻獣の能力というのは面白いな」
「そうですね。」
先日のネージュさんとの会話を思い出しながら、二人で布袋を見つめる。気づけば二人とも、苦笑を浮かべていた。
「それにしても、素敵な袋ですね。ふち飾りが、とっても綺麗……」
この布袋は、ヴィンセント様が用意したものだ。太めの糸を使った、素朴だけれど繊細なレース編みのふち飾りが縫いつけられていて、とても素敵だ。
わたしも編み物はするけれど、あれは見たことのない編み方だ。友人たちの作品にも、あんなものはなかった。
その時、ふと思った。もしかするとこの飾りは、ヴィンセント様の手によるものかもしれない、と。ネージュさんは、ヴィンセント様の趣味が料理と裁縫だと言っていたし。
「あの、ヴィンセント様、このふち飾りって、もしかして」
「……俺が作った。内密にしていてもらえると助かる」
「はい、もちろんです。ただ、その……もし、よければなんですけど」
ヴィンセント様は、ちょっとためらいつつもそう答えてくれた。それが嬉しくて、つい図々しくお願いしてしまう。
「その編み方、後で教えてもらえませんか……? 屋敷に戻ってからでも。とっても綺麗ですし、どうやって編むのか気になって」
「……ああ」
ヴィンセント様はそれだけしか答えてくれなかったけれど、その口元にかすかな笑みが浮かんでいるのが見えた。
断られなかった。それに、嫌がられてもいない。そのことにほっとして、息を吐く。
ふと窓に目をやると、スリジエさんの桜色がちらりと見えた。春の花のような彼女は、弾むような軽やかな足取りで駆けていた。
そんな風にのんびりと旅を続け、二日後にわたしたちは王宮に到着した。陛下のもとに向かうため、そのまま王宮に入る。
当然のような顔で、スリジエさんが王宮の中に足を踏み入れる。その背中には、小さくなったネージュさんが嬉しそうな顔で座っていた。
ここは門も扉も大きいゆえ、わらわでも楽に出入りできるのう、などと浮かれながら、彼女はわたしたちのすぐ後ろをついてくる。足音を殺しながら、そろそろと。忍び足の馬なんて、初めて見た。
陛下への謁見自体は、問題なく終わった。優しいおじいちゃんのような雰囲気の陛下は、それこそ親が息子を心配するような目で、ヴィンセント様にあれこれと尋ねていた。
何か困っていることはないか、手助けが必要なら言ってくれ、と。しかも陛下は、初対面のわたしにまでとても優しく声をかけてくれた。
そうして用事を終えたわたしたちは、またのんびりと王宮の廊下を歩いていた。もちろん、スリジエさんたちもついてきている。
二人はずっともの珍しそうな目をして、あちこちをきょろきょろと見渡し続けていた。というか二人とも、堂々と謁見の場までついてきていたのだ。陛下にばれなくてよかった。
そんなことを考えていた時、かすかな話し声が聞こえてきた。そちらをそっとうかがうと、廊下を行きかう貴族たちが、ちらちらとこちらを見ているのが目についた。
もしかしてスリジエさんたちのことがばれたのかと思ったが、どうもそうではないらしい。彼らは顔をしかめながら、主にヴィンセント様を見ていたのだ。
「まったく、身の程を知らぬやからだな……堂々と王宮を歩くなど、本来許される身ではないというのに」
「剣の腕が立つだけの、猛獣ふぜいが。ああ、血の臭いがぷんぷんするわ」
「隣にいるのが、いけにえ代わりに差し出されたとかいう娘か。まったく哀れだな、貴族の身でありながら平民に嫁がされるとは」
そんな言葉が、切れ切れに耳に飛び込んでくる。間違いない、あの貴族たちはわたしたちのことを噂しているのだ。
『おやまあ、何とも幼稚な陰口じゃのう。しかしあやつら、もうちょっと上品にやれぬものかのう。こちらまで丸聞こえじゃぞ。何とも下品というか、幼稚というか』
『人間ってのは、分からないな。おれが戦場でこいつと出会った時、こいつはやけに頼りにされてたぞ』
『ふむ、戦場とな。ならばこやつを頼っていたのは、平民の兵士じゃろう。で、あちらできゃあきゃあ騒いでおるのは、たぶん貴族じゃな。わらわにもよう分からんが、平民と貴族は見た目も考えもまるで違っておるようじゃからのう』
『確かにな。しかしヴィンセントは平民だったが、今は貴族なんだったか。まあ、どっちでもいいが。こいつはこいつだ。それに変わりはない』
スリジエさんとネージュさんも陰口に気づいたのか、小声でそんなことを言っている。
そろそろと視線を動かして、隣のヴィンセント様を見上げた。噂の中心であるはずの彼は、堂々と正面を見すえて、少しもひるむことなく歩き続けていた。
どうしよう。あの声が彼に聞こえていないはずはないのに。あなたが噂されていますよって、教えるべきなのだろうか。むしろそれは、余計なことのようにも思える。
戸惑い迷っていると、ヴィンセント様は前を向いたままぽつりとつぶやいた。
「気にしなくていい。いつものことだ」
「いつもの、こと……?」
思いもかけない返事に、わたしの足が止まる。進もうとするヴィンセント様の袖をつかんで、引き留めた。
「あの……どうか、説明していただけませんか」
こちらを見るヴィンセント様の青灰色の目は、優しくて、悲しかった。




