1.愛のない結婚
ある日、わたしは嫁ぐことが決まった。顔も見たことのない方のもとへ。
お相手は騎士であり、かつ男爵としての位も持っておられる方なのだそうだ。彼はとても武勇に優れ、いくつもの戦いで目ざましい功績を上げてきた。先だっての大きな戦いでも、やはり大いに活躍されたらしい。
その褒美として、陛下は彼に新たに伯爵の位を与えられた。両親は真剣な顔で、そんなことを説明したのだった。
「そこまでは分かりました。ですがどうして、わたしがその方のもとへ?」
わたしがそう尋ねると、両親は何とも言えない顔をした。誇らしさ半分、心配半分、でもそれだけではない。そこには、さらに何か別の感情がひとかけら混ざっているように思える。
「彼は、いまだに独り身なのだよ。この機会に、しかるべき妻をめとらせるのが良いだろうという話になったのだ」
「年頃の娘を持つ貴族たちで話し合って、そうしてあなたが選ばれたのよ、エリカ。国を守るあのお方を一番近くでお支えする、それはとても名誉なことなのよ」
「これからも彼は、我が国のために武功を上げ続ける。そんな彼と縁続きになれる、こんな喜ばしいことがあるだろうか」
両親は口々に、そんなことを言い合っている。それを聞いていて、ようやく分かった。
先ほど両親の顔に受かんでいたのは、打算の色だったのだ。わたしを介してその男性と縁続きになることで、我が家をますます繁栄させられる、という。
もっとも、別にそれは落胆すべきことではなかった。貴族の娘にとって、政略結婚など当たり前のことだ。わたしはそう教えられていたし、納得していたから。
だから黙ってうなずいた。さらに顔を輝かせる両親に一礼して、そっとその場を立ち去る。つい苦笑してしまったのを、見られないように。
わたしの夫となる男性の名前はヴィンセント。もう二十七歳になるが、婚約者も恋人もいない。それどころか、貴族たちの社交の場には一切顔を見せない。だからわたしも、彼の顔は知らない。
十も年上の男性に嫁ぐこと自体は、さほど気にならなかった。だが彼がどんな人なのかは、気になった。
だから日を改めて、両親に尋ねてみた。しかし二人とも、口をそろえて彼の武功をたたえるばかりで、どうやら彼の人となりについてはろくに知らないようだった。
せめて少しでも、彼について知っておきたいのに。ため息をついていたら、友人たちから手紙が届いた。ヴィンセント様と結婚するって本当なの、と。
『戦場でのあの方は、鬼神のようだったと聞いたわ』
『敵どころか味方さえ震え上がるほど、恐ろしかったとか』
『お父様は言葉を濁していたけれど、彼には何か秘密があるみたいよ。それも、あまりよくない秘密が』
『そもそも、彼は成り上がり……あらいけない、口が滑ったわ』
『ねえエリカ、今からでもその縁談、お断りできないの?』
彼女たちがつづるそんな言葉に、ずんと気分が重くなる。
政略結婚の道具となることは覚悟しているけれど、できるならどうか、よい人とめぐりあいたい。小さい頃からのわたしのそんな願いは、もうかなわないのかもしれないと思えてしまって。
けれど、逃げる訳にはいかない。そんなことをしたら、両親とヴィンセント様の顔をつぶしてしまう。ふうとため息をついて、手紙をひとまとめにしてしまいこんだ。
そしてあっという間に、わたしが嫁ぐ日がやってきた。ヴィンセント様の意向により、婚礼のたぐいは一切なし。花嫁衣装をまとったわたしが、嫁入り荷物と共にヴィンセント様の屋敷に行く。それだけ。
ちょっと拍子抜けだったけれど、同時にほっとしている自分もいた。
なぜならわたしは、この結婚を、ヴィンセント様のことをちょっぴり怖いと感じてしまっていたのだ。婚礼がないのであれば、ほんの少しだけ気楽にヴィンセント様のもとに行ける、そんな気がした。
そうしてわたしは、満面の笑みを浮かべた両親に見送られ、たった一人で馬車に乗り込んだ。胸の中に、どことなくもやもやしたものを抱えたまま。
あらかじめ手配された宿に泊まりながら、来る日も来る日も馬車に揺られる。連れてきていた使用人たちと話す気にもならなかったので、宿でもただぼうっと窓の外を眺めて過ごしていた。
丸三日旅を続けて、四日目の朝。わたしはメイドの手を借りて、豪華絢爛な花嫁衣裳に着替えた。金銀の糸でたっぷりと刺繍の施された白いドレスは、見た目よりずっと重かった。
その日の夕方、目的地にとうとうたどり着いた。質素で古い、背後の森に溶け込んでしまいそうな屋敷に、おそるおそる足を踏み入れる。
屋敷の中は、意外にも居心地がよさそうだった。やはり質素だけれど、よく掃除が行き届いているし、ちょっとした飾り物なども趣味がいい。
がちがちに緊張していた心が、少しだけほぐれるのを感じた。そうしていよいよ、ヴィンセント様が待つ応接間への扉をくぐる。
夕日の差し込む部屋の奥に静かにたたずむ、一つの人影。あれが、ヴィンセント様だ。
かぶっているヴェールが邪魔でよく見えないけれど、とても大きな人だということは分かった。がっしりしていて、確かに強そうだ。
ヴィンセント様は立ち尽くしたまま、何も言わない。仕方なく、彼のほうに近づいていく。花嫁衣裳のすそが立てるさらさらという音だけが、応接間に響いていた。
「止まれ」
不意に、ヴィンセント様が短く言う。低くどっしりとした、豊かな響きの声だ。手を伸ばしても届かないくらいの距離を開けて、わたしたちは向かい合う。
「俺は、君を妻とした。だが君を、愛するつもりはない」
突然の宣言に、わたしはぽかんとすることしかできなかった。
「離縁を望むなら、いつでもかなえる。君はいつでも、実家に帰ってくれていい」
「えっ、そんな、わたしは」
「……妻など不要だ」
あまりの言いように驚いて、大急ぎでヴェールを外す。いったい彼は、どんな表情でそんな言葉を口にしているのか。それが、気になって仕方がなかったから。
そうして目にしたヴィンセント様は、鋭さと強さを感じさせる、落ち着いた雰囲気の男性だった。
暗い灰色の髪はとてもつややかで、鋼の色を思わせた。こちらを見ている目は冬空のような明るい青灰色だ。がっしりとして男らしく、まるで大きな狼のようだとさえ思った。
彼は眉をひそめて、こちらをじっと見ている。ちょっとだけ怖いけれど、不思議と彼から目が離せない。わたしは何も言えずに、ヴィンセント様に見とれていた。
ヴィンセント様は苦しそうな顔のまま、無言でわたしを見つめていた。けれどやがて、彼はくるりとこちらに背を向けて、奥の扉から出ていってしまった。
わたしはただ、彼が去っていった扉を見つめ続けていた。さっきの彼の発言を、頭の中で繰り返しながら。
「ヴィンセント様は、わたしのことを、愛するつもりはない……」
わたしの独り言を聞くものはいない。それをいいことに、ひとりつぶやき続ける。
「……というか、妻は不要って……どういうことなのかな……」
愛のない政略結婚なんて、珍しくもない。けれどどうやら、事態はそれ以上にややこしいことになっているようだった。
先行きが不安だなと、深々とため息をつく。手にしたヴェールがやけに優雅に揺れているのが、どうにもこの場に似つかわしくないように思えてならなかった。




