前編
「あ、マジックタイム」
仕事を終えて外に出ると、昼間には大雨だったのが、嘘みたいに晴れていた。
夏の湿気を雨が洗い流し、この季節には珍しくカラッとした澄んだ空気。
日没後すぐの空は、どこか懐かしさを感じさせるような、優しい朱色と金色のグラデーションに染まっている。
「送迎を遠慮して正解だったわ。」
思わずひとりごち、ニンマリと笑う。
私は、この可愛い名前のついた時間帯の空が好きだ。
魔法のように素敵な写真が撮れる時間帯だからそう呼ばれているんだったかな。
冬であればあっと言う間に紺色に支配されてしまうのだけれど、夏は空色がゆっくりゆっくりと変わっていく。
紺色が増えていくグラデーションの変化もまた、すごく綺麗なのだ。
仕事柄、いつも決まった時間帯に終わるわけではないため、夏にマジックタイムに遭遇出来ると、なんだかご褒美をもらったような気持ちになる。
こんな日は、ソーダを飲みながら、どこか高いところに登って、暮れなずむ空を眺めるのだ。
そうだ、ここから歩いて10分くらいの場所にある公園に、ジャングルジムがあったっけ。
子供たちももう帰った頃だろうし、今日はあそこでマジックタイムを堪能しようっと。
ところで、この「懐かしい」って、特定の思い出があるわけでもないのに、どうして感じるんだろうね。
いつも不思議に思う。
そう言えば、昔見た映画に「懐かしい匂い」に大人達が夢中になるっていうものがあったな。
などとあちこちに思考を飛ばしながら、自販機で購入したソーダを片手に、公園に向かって歩いていると、視界の端で何かがチカチカとしたような気がした。
「??‥」
普段なら気に留めずに素通りしていたかもしれない小さな違和感だったのだけれど、今日はマジックタイムのおかげか、心がけっこうウェルカムな状態だったため、チカチカを感じた方に何となく近づいてみた。
「うーん?…なにかしらこれ?」
そこには、ミシン糸くらいの細い赤い糸が落ちていた。
視力には自信があるので、目を細めて、赤い糸が伸びている方向を見てみると、この先、2本目の角を右折するまでずっと伸びている。もしかすると右折した先にも伸びていそうだ。
購入したばかりのミシン糸を落として、それに気付かずに、コロコロと糸を引きずりながら歩いている、とか…?
「うん!たどってみよう!」
ちょっとした好奇心から、私のこの後の予定は、マジックタイムの観察から、赤い糸の行き先を探る旅へと変更となった。
マジックタイムの空の下、ちょっとした冒険に出かけるなんて、なかなか素敵じゃないか。
「あ、そうだ!!」
私は閃いたとばかりに、赤い糸を自分の左手の小指に巻いてみた。
「じゃーん、運命の赤い糸〜!」
我ながら、その思いつきに、ちょっとワクワクしてしまった。
あ、もちろん、周りに人がいないから、一人言つぶやいてニマニマしている危ないやつとは思われていないからご安心を!て、誰に言い訳しているんだか。
さてさて。
赤い糸をクルクル巻き取りながら、赤い糸の伸びる方へ歩き始めた。
まあね、糸の長さも有限だから、何処かに繋がっているというよりは、反対側の端っこが唐突に現れて、そこでこの旅は終わる。
オチなんてきっとそんなものだろうけれど、構わないのだ。
『ーーー終わりを気にして旅に出ないなんて、それは物語のページを捲らないのと同じだよ。』
byユウリちゃんでした〜!(笑)
名言風に言ってみたものの、別に上手い事言ったわけでもないな。
などと、一人心の中でワイワイしている自分は、我ながら、いつもより3割増しくらいのテンションの高さではないだろうか。
最初に右折した後、すぐ左折して、しばらく直進の後、また右折。
思ったより、糸は長く伸びている。
「あれ、この先って…」
奇しくも、赤い糸は、私が最初に向かっていた公園に続いていた。
「んふふん。」
いよいよもって、マジックタイムのくれた、赤い糸のお導きという感じがしてきたんじゃない?
ドキドキしながら、そのまま赤い糸を手繰り公園に突入していく。
「ん?」
公園に入って数本歩いたところで、赤い糸の巻き取りに、これまでにはなかった抵抗があっていったん足を止めた。そこからは、変な力を加えて誤って糸を切ってしまわないように慎重に、糸を張りながら進んでいく。
この先に何が待っているのかを楽しみに取っておくため、下を向いて糸だけを見て進む。
(わあ、やばい。ドキドキしてきた〜!!)
糸の感覚からゴールが近い事を感じながら、歩を進めていく。
突如(て、私が下ばかり見て歩いていたせいだけれどね)、目の前にジャングルジムが現れて足を止めた。
赤い糸は上に向かっている。
上、上、上…
「!!!」
そこには、私が近づいてきたことにも気づいていないのか、ぼんやりと空を眺めている男の人がいた。
私がやろうと思っていたマジックタイムの空の観察。
デジャヴのような感覚を覚えて、…て、他人なので、この表現は適さないのだけれど、でも、自分の半身を見ているような妙に落ち着かない、それでいてしっくりくるような、不思議な感覚にしばらく立ち尽くしていた。
「ああ、ちょうどソーダが飲みたいなと感じていたんだよねー。」
私がぼんやりしている間に、いつの間にか、ジャングルジムの上の彼が、こちら、というか、私の手にあるソーダを羨ましそうに見ていた。
「あ、赤い糸…」
その彼の左手の小指に、赤い糸が結ばれていた事に気付いて思わず声に出てしまった。
「おやや?」
私のつぶやきをひろうと、彼は、自分の左手の小指から伸びる赤い糸を引き、反対側が私の小指に繋がっている事を確かめると、ぴょんとジャングルジムから飛び降りて、私の前に立った。
「きみが、俺の赤い糸の相手なんだね。」
これが、私とヤヨイの出会いだった。
・
・
・
「まったくもう!信っじられない!!何なのっあの男はっ!!」
右に2歩行って、左に2歩行って、その場を行ったり来たりしながら、イライラを吐き出す。
思い出せば思い出すほど、わけがわからない気持ちでいっぱいになる。
「あああ〜〜〜も〜〜〜〜うっ!!!」
私は、全てを吐き出すように、拳をギュッと握り、天井を見上げて叫んだ。
「はい、カットォ!!
ユウリちゃん、良かったよー。」
私、西園寺侑梨は女優である。
まだ高校生だから、肩書としては、「学生」と言う方が正確だろうか。
あくまで経験のためにと通っているものなので、自分の中での比重は、とっくに「女優」なのだけれど。
今日はドラマの撮影だ。
オムニバス形式で進む、ペテン師が主役のドラマで、私はこの回のヒロインというか、騙される事で元気を取り戻していく女の子の役だ。
「ユウリちゃん、なんかリアルに怒りが爆発していたよー?もしかして、悪い男に騙された経験あり?」
ピクッ。
監督の言葉にちょっと反応してしまった。いけないいけない。
「え〜、そういう事言う監督に怒りなんですけどー。」
「うわわっ、女子高生、怖い怖〜い!」
ワハハハハと笑いながら去っていく監督をジト目で見送り、自分を落ち着かせるために、そっとため息を逃す。
その場をなんとか和やかにやり過ごして、控え室に入った。
演技の中で、わけがわからない怒りに翻弄されるという感情になったせいで、先日に会った、赤い糸の男の事を思い出してしまった。
あの男、「俺の赤い糸の相手」などと私の事を呼んで、甘く微笑んだかと思ったら、次の瞬間には、私にクリップボードに挟んだ紙と、鉛筆を握らせていた。
「???」
呆気にとられていた私に、ニコニコと説明を始めた。
「実は俺、リアル赤い糸の実験を行っていて。今日は初日だったんだけど、赤い糸を設置して待つこと、4時間くらいして、ようやく赤い糸を見つけてきてくれたのが貴女です!
ささっ、細部を忘れないうちに、こちらのレポートを記入してください。」
あまりの手際の良さに、思わず黙ってそのアンケートに協力してしまったのだった。
あれが壺を買わせる怪しい人だったらやばかったわ。いや、壺よりもっとタチが悪いよね。
ほら、「奴はとんでもないものを盗んでいきました。」って言うじゃない。
………は!!!
ちっが〜〜う!!私は盗まれていないわよ!例え話しなんだからね!!
「……ユウリ、さっきから何を一人で悶絶しているの?演技の練習?」
「わっ、ママ!!」
ふいに声をかけられて、驚いて顔を向けると、控え室のイスにママが座っていた。
私のママも女優だ。しかも、日本を代表する、演技派の女優だ。
そんなママがアメリカ人で俳優のパパと結婚して、生まれたのが私ってわけ。
でも、世間的には、私がママとパパの娘って事は秘密にしている。「七光り」なんていう売れ方はゴメンだからね!
だから私は、小さい頃から一人暮らし(お手伝いさんはいたけれど)で、たまの家族の時間は、お互いに変装して出かけるのだ。
今日だって、ママは知らないオバサンになっている。ママの変装は完璧だ。娘の私だからママだってわかるけど、他の人は、きっと、いや絶対にわからないはずだ。
「あれ、ママ今、アメリカじゃなかったっけ?どうしたの?」
「うん、ちょっと時間が出来たから来てみたのよ。
みどりさんから最近のユウリの様子を聞いてさ、ママね、ピーンときちゃったのよね〜!」
ママがニマニマ顔をして、ピッと私を指さす。
「ユウリ、あなた、ズバリ、恋をしちゃったわね!!」
「ん?…………………………はあああああああ!!?」
否定したけれど、ママのニヤニヤはおさまらない。
「だからね、違うんだってば!!」
そうして、ここ最近、思い出しては沸々としていたあの日の出来事を、ママに聞いてもらった。
「あらぁ〜!赤い糸なんてロマンチックじゃない!それで、それで!その彼の、名前くらいは聞いてきたのよね?」
「わけがわからずに流されちゃったから、それどころじゃなかったもん。…でも、落ち着いて考えてみたら、知っている人だった。」
「や〜ん!何それ!?本当に赤い糸が繋がっているんじゃない!」
「だから、そんなんじゃないってば!!!」
「はいはいは〜い。とりあえずわかったわ。じゃあ、ママ帰るわね。」
「え、もう帰るの?」
「うん、早く帰ってパパに報告してあげなくっちゃね〜。」
「もぉう!絶対に変な風に伝えないでよね!」
「わかっているわ。任せておいて!
じゃあ、続報を楽しみにしているわ。頑張ってね〜ん♪」
……嵐のような母だった。
最近、お手伝いのみどりさんから生温かい目を向けられている感じがしていたけど、ママとみどりさんとで、私が恋をしたに違いないって話しをして電話できゃっきゃっと盛り上がっていたらしい。
そして、いよいよ真相を確かめなければと、話しを聞くために乗り込んできたらしい。
普通、娘の恋バナを聞くためだけに、わざわざアメリカから来るか?
て、実際は違うわよ!!
だからっ!これは恋なんかじゃないの〜!!
(ちょこっと裏話^^)
赤い糸は、風に飛ばないように要所要所に石を乗せたり道に生えている雑草に絡めたりして、1時間くらいかけてヤヨイが仕込みをしました(笑)
勘のいいユウリなら人為的なものに気付きそうなものですが、実際途中でちょっとおやっという引っかかりを感じつつも、それを含めて何が待っているのかを確かめたい好奇心が勝ったようです。
この好奇心=恋の予感というところでしょうか。(今のユウリは認めないでしょうが)