野生 2
この数週間で起きた森の異変を感じ取らない動物はいなかった。人間が森を荒らし始めた、そういう噂が一部の動物の群れで広まり始めた。それは巣を追い出されたモグラから始まり、仲間を殺された鹿やウサギ、イノシシ、主に哺乳類の群れにはくまなく広まった。
(囲まれたね...。)
早朝、シャグラスは寝ているナオミの脳内に物騒なことを呟いた。眠い目を必死にこじ開けると、目の前に大きな男が二人、こちらを見ながら立っている。彼らは臨戦態勢というより、パーティの前のように談笑している。
「いやぁ。久しぶりに楽しめるぜ。ションベンくせえガキだがな。」
「おっと、目を覚ましたようだぜ。」
そう言うと、片方の男が刃物を取り出した。
「久しぶりの狸スープだ!」
(ひょえええ!)
シャグラスのひょうきんな悲鳴は、残念ながらナオミにしか届いていない。
(後ろにも二人いるよ!)
「了解!」
ナオミはシャグラスを地面に放すと、どこからともなく彼女の腕ほどの長さの金の刃物を取り出した。彼女に伸ばされた無数の手を転がりながら避けると、四人の男と向き合う形になった。
「なめやがってぇ!」
四人のうちナイフを持った一人が飛びかかってきた。少女は後ろに飛び退きながら、男の顔を刃先で優しくなでた。男の顔は、レモンの皮を潰したときのように霧のような血を勢い良く吹き出した。
「うぎゃあああああ!!!!」
「や、やべえぞこいつ!!」
残った三人の男たちは慌てて斧やらナタやらを取り出し、再び彼女に斬りかかった。まず彼女は、ナタを持った男に向かって、自分の持っていた剣を投げた。剣は両手を掲げて防御した男の右前腕にずぶりとささり、とっさに飛び込んだ彼女はその剣を両手で押し込んだ。今度は別の男が彼女の後ろに回って斧を振りかざしたので、山賊の脳まで到達した素早く抜き取り、斧を振り下ろす男の心臓に突き立てた。
「うぐぅ。」
「しまっ...。」
二人の男の悲鳴をほぼ同時に聞いたナオミであったが、もう一人動ける山賊がいることを考える余裕がなかった。
「くらえい!!!!!」
山賊は少女の脳天に向かってナタを力の限り振り下ろした。
「いでぇええええ!!!」
男がナタで叩きつけたのは、少女の背丈より少し高い、黄金の盾であった。少女は盾の後ろから男の脇腹に潜り込み、肋骨の間に思い切り剣を挿し込んだ。男はうめき声をあげ、間もなく地面に倒れた。
(生きてそうなのはとりあえず止め刺しといたよ。)
「ありがとう。」
(まだまだだね。ナオミは。)
「はあ...。」
シャグラスは、普段からナオミを襲いに来る山賊を皆殺しにしているのだが、あまりの山賊の多さに、ナオミに実践稽古をつけることに決めたのである。
(でもこのくらいスリルがある方が、旅も楽しいよね。)
「馬鹿なの?」
(あ、馬鹿って言ったほうが馬鹿なんだよ。)
「なにそれ。深い。」
(うるさいよ。ほら、またなにか近づいてくるよ。)
ナオミは一瞬首を傾げた。実はこういうことはよくある。シャグラスのみが何かの存在に気づき、ナオミは気づかない。これが狸と人間の差である。
「人?」
(いや、人じゃないよ。これは...、ウサギだ!ウサギの群れが近づいてくる!!)
100匹ほどのウサギが、二人を取り囲んだ。
「な、なにこれ。こんなに食べきれないよ。」
(ちょっと黙ってて。なんか話しかけてくる。)
ナオミにはウサギの話す言葉は聞こえなかったので、言われたとおり静かに状況を見守ることにした。
興奮したウサギの大群中で、一際大きな者が前に出てきた。
(貴様ら。何故に我らが神聖な森を荒らすか。)
(いや、食べ物がほしいだけだよ。)
(貴様...、狸だな。なぜ人間と生活を共にする。)
(命の恩人なんだ。危なくなったら共食いする野生動物の群れよりは信頼できるよ。)
ウサギの長と思しき者は、わなわなと震えた。
「かわいい。」
(ちょっと黙ってて。)
(貴様らに通達がある。貴様らは森の動物を一日に10匹も捕食している。その捕食を直ちにやめたまえ。さもなくば、この森全体と戦争になるぞ。)
(私達、冬を超すために南に旅してるんだ。放っておけばすぐいなくなるけど。)
(黙れ!南下などさせるか!南こそ我々の聖域なのだ。)
(それは、いくっきゃないよ。)
シャグラスはナオミに話しかけた。
(これは...。訓練しておいてよかったよ...。)
長ウサギは、一層激しくワナワナと震えた。
「かわいい。」
(貴様...。いいか、我々は通告したぞ。)
そう言うと、長と思しきウサギは金属の擦れ合う音にも似た鳴き声を上げた。するとそれに共鳴するように、次々とウサギの群れが金切り声を上げだした。
「うわ、何これ!」
(後悔し給え!!この森全体に楯突いたことを!)
そう言うと、ウサギたちは全員蜘蛛の子を散らすように去っていった。
「なんだって?」
(森の連中が戦争したいらしい。)
彼女は首を傾げた。
「へぇ...。」
(まああまり気にしないで。大したことにはならないよ。)
正直シャグラスは、食欲に任せて片っ端から捕食していたこと、それによってナオミに迷惑をかけてしまったことを少しだけ後悔していた。
小さな洞穴の中で、ウサギたちは行く末を案じていた。
(我らが長、アバス様。彼の者らに宣戦布告をして本当によかったのでしょうか。)
小さなウサギが長に問うた。長は噛みしめるように言った。
(これで良いのだ。これ以上仲間が殺されるのは見過ごせぬ。)
次は別のうさぎがこんなことを言った。
(しかし人間というのは、残虐非道な生き物。我々が戦って勝てる相手ではありませぬ。しかもあの狸、何か、どこか奇妙な面影がございました。)
すると、長はこう言った。
(なあに、我らが大森林の戦争、今まで見てきたであろう。いくら我々が草食動物であろうと、大型、中型、小型の動物が、あの矮小な強欲者どもに一斉に飛びかかるのだ。一溜まりもあるまい。)
確かにそうだ、という声がひと度上がると、洞窟内の士気は一挙に高まり、彼らは甲高い咆哮を上げた。
(猪の長、トクラ殿。)
ウサギは猪の群れに事情を伝えに来た。十匹ほどのイノシシの群れが
(......。戦争か...。)
(はっ。よくお分かりで。)
(当たり前だ。最近森に現れた不届き者め。噂を聞かぬ動物などいない。山賊五人でも、せいぜい一日に猪一匹で多いくらいなのだ。それを人間一人で一日十匹とは何事だ。)
(奴ら、南下するつもりだと申しておりました。)
(許せん。なんとしても食い止めねば。)
トクラは前足をグリグリと地面に擦り付けると、鼻息を荒げた。
一部の動物たちが戦争をするという噂も、またすぐに広まった。
とあるリスがもう一匹のリスに言った。
(戦争だって。ウサギさんたち。)
(ああ、仕方ないね。あれだけ森を荒らしたら。)
(行く?)
(いやぁ、やめとく。でも見に行こうかな。面白そうだし。)
(鳥さんも来るかな?)
(フクロウさんが来なければ行くかな。)
(そうだね。フクロウさん怖いね。)
(エサ集めなきゃ)
(そうそう。きのみ集めなきゃ冬越せない。)
(そういえば、さいきんドングリ多いね。)
(そう、ドングリ多い。イノシシさん少ないからかな?)
(そうかも、ドングリ多い。ドングリいっぱい集めよう。)
そういうと、二匹のリスたちはそそくさと木を降り、茂みの中に消えていったのであった。
朝日が登る。木々に遮られ、森林は未だ夜の暗さであった。
百羽のウサギたちは小さな巣の中でめらめらと士気をたぎらせていた。
(どの群れが来る?)
(当日、応じられるのはイノシシのみだそうです。あとは例のやつらにも呼びかけています。)
(リスやモグラはどうした。)
(彼らがは言うには、とてもじゃないが敵わないと。)
(ビビりおって。この森の明暗がかかっているというのに。)
アバスが歯ぎしりをした直後、伝達のために監視をしていたウサギが巣に駆け込んできた。伝達ウサギは両耳をピンと立てている。
(大変です!奴ら、なんだか変なもの作ってます!)
(なに?)
作る、という概念はそもそもウサギには存在しなかった。穴を掘る以外の技術は、ウサギを含めた四足歩行動物にとっては空想の世界なのである。
(構わぬ。我々には彼らがいるではないか。)