野生 1
森での生活は、人間のナオミにとってもなかなかに豊かなものであった。果実を食べたり、鳥を狩ったり。夜中などは寝床を探すのには苦労したが、大きな木の洞、もしくは洞窟などを探して寝泊まりしていた。
「大きくなったね。シャグラス。」
骨と皮だけだったシャグラスは驚くほど筋肉質になり、もう少しで脂肪もつくのではないかというところまで回復した。
彼女は、あと何十日もすればこの辺りが寒くなるのを知っていた。毎晩シャグラスを抱えて寝ている彼女も、流石にそれだけで冬は越すことはできない。
(とりあえず温かい方向に行きましょう。)
シャグラスとナオミは、狩りをしながら、太陽がある方向に歩き続けた。
明くる日の朝、茂みで獲物を待つシャグラスは二頭の蹄を持つ動物の足音を聞いた。
(鹿かな...。)
鹿はご馳走である。この狸は密かに、鹿を数等狩りナオミに分けることなくたらふく食べたいという妄想をするようになっていた。
蹄の足音が近づく...。狸は息を潜めてその時を待った。この狸は、射程以内ならどこでも黄金の槍を地面に生やすことができるので、茂みから眺めて、動物を仕留めるという手法をとっていた。
(馬車か...。)
このとき、英気を養ったシャグラスは、幾ばくか傲慢な性格になっていた。
(よし、馬を一匹頂こう。)
そう思った狸は、近づいてくる二頭の馬の前に、交差するように黄金の槍を生やした。
「何だこれは!」
と、御者は慌てふためく。馬は辛うじて槍の一寸先で止まった。
そこへ、
「こらー!」
シャグラスの狩りの様子を知ってか知らずか、ナオミが駆け寄ってきた。領主は槍は少女が張った罠だと思い込んでいるらしく、少女を怒鳴りつけた。狸は依然として茂みに隠れている。
「どういうことだ!こんなところに罠をはるなんて。」
「すみません!えっと...、この辺で狩りをして暮らしているんです!」
「すぐどかせるのか?」
「ど、どかせないです...」
「全く...。」
御者は手綱を持ったまま、恨めしそうにナオミを睨みながら押し黙った。
すると、馬車の中からきらびやかな服を着、白ひげをはやし、スラッとした男が出てきた。
「どうしたんだね。おやおや、小さな女の子じゃないか。」
男は少女を気遣うような口調であったが、顔は青ざめていた。
「すみません。罠をはって動物が来るのを待っていたんです。」
「困ったなぁ...。ん?この罠は何でできているんだね?」
「わかりません...。」
「ちょっと傷をつけてもいいかな?」
他人の持ち物に傷をつけたいとはなんと傲慢な人間だと思ったが、実際はそのようなもの、シャグラスがいくらでも作れるので、承諾することにした。
男は興奮した様子で足元にあった尖った石を拾うと、黄金の槍を擦った。すると、槍には傷がついたが、その傷口すら黄金に輝いているのである。
「これは...。金じゃないか!!こんな大量に!一体どこで手に入れたんだ!」
「た、たまたま拾ったんです。」
彼女はこれがあのとき両親に取りに行かされた金だということを、このとき初めて知った。そして、領主が必死にシャグラスをムチで拷問していたのは、シャグラスに金を出させるためだったことも。
「ほしいなら、これ、持って帰ってください。」
「え?」
「別に私はそんなものいらないです。何に使うかわからないし。」
そう話す少女の表情が暗くなったのを見て、男はため息をついた。
「盗らないよ。ただ、驚いただけさ。こんな使い道があったなんて。」
そう言うと、男は馬車の方へ向き直り、御者に話しかけた。
「もう引き返していいよ。これ以上は馬車は通れなさそうだからね。」
御者も金を前にして少し帰るのを渋ったが、男が金を渡すとすごすごと引き返していった。
馬車を引き換えさせたあと、男は申し訳無さそうな顔をして、ナオミにこう言った。
「動向をお願いしていいかな。あの山を越えて反対側の街に行きたいんだ。」
「その方角だったら...、私と同じですね。いいですよ。」
彼女は、断って困る男の姿は見たくなかったのである。男が身につけている高価なものも、森の中では全く役に立たない。
「まず洞窟を探しに行きましょう。」
今日は夕ご飯食べられないな...。などと思いながら、ナオミは言った。男の言う山は高度はないが非常に大きく、ナオミの経験では越えるのに丸二日はかかる。ましてや、山を歩きなれていない男と一緒では、なおのことである。
歩きながら男が聞いてきた。
「君は森の中に住んでいるの?」
「まあそんなものです。人里には戻りたくありません。」
「そっか。実はね。僕はもちょっとした街から来たんだが、どうも民衆が反乱をおこしてしまってね。もう一歩で殺されるところだったんだよ。」
「そうですか...。」
「僕にも山で暮らす勇気があればいいんだけどね。」
「ふうん...。」
どうせ何も変えなかったんだろう。と漠然と少女は思った。彼女は政治はわからなかったが、みすぼらしい彼女の家族と全く同じ生き物が、こうして高価なものを着て上品に生活しているというのは、何かがおかしいし、豊かな方が悪いのだと思い込んでいたのである。
中腹あたりに差し掛かると、岩肌が露出してきて、一歩一歩階段を登るように大きく歩かなければならなくなった。
「はぁ...。はぁ...。疲れたよ。」
男は既に音をあげ始めていた。日は沈みかけている。
「今晩はもう休みましょう。」
旅に出てから最初の数日こそ、ナオミも疲労困憊する日々を過ごしていたが、すぐに慣れた。改めてこうして大人が弱音を吐いているのを見ると、彼女はつくづく大人になりたくないと思うのであった。
山の中腹にある洞窟で一休みすると、ナオミはシャグラスの声を聞いた。
(ご飯おいておいてあげるから、食べてね。)
「ちょっと罠を見てきますね。そこで待っててください。」
「ああ。ありがとう。」
少女は男を洞窟の中で休ませて、シャグラスの置いた動物を探しに行った。
「全く。余裕なんだから。」
少女はシャグラスが姿を表さないことを心配していたが、それには及ばないと言わんがばかりに、洞窟の前には薪とウサギ、それから金の包丁とまな板、串が用意されていた。
人里で親のもとで手伝いをさせられていたナオミが、野宿を始めてから毎日使ってきたものである。これさえあれば、簡単に料理ができる。今日は道中で貴族に出会ったため、今まで運んでいた金は最後に使った場所に置いてきた。
捌いたウサギを焼いて待っていると、じゅうじゅうと音を立てていい匂いがしてきた。
「おお、うまそうだね。」
ナオミはぎょっとした。彼女が全く気づかないうちに、真後ろに男がいたのだ。
「全部金?すごいじゃないか。どこで手に入れたんだ?」
「持ってるんです...。」
彼女は金を男に見せないために、焼いた肉を葉に乗せて洞窟の中に運ぶ予定だった。まさかあれだけ疲れているように見えた男が出てくるとは、予想外だった。
「そうかそうか。いやぁ、感謝する。」
肉を渡すと、男はそれをかっ食らった。彼もかなり腹を空かせていたらしい。
「私は早めに寝ますね。」
「ああ。心配させてすまない。」
ナオミは、人里にいたときでは考えられないほど成熟した話術を発揮していた。それは交渉を進める類のものではないが、自分より目上の人間にそう思わせない貫禄を持ち合わせていたのだ。
彼女は体が冷えないように焚き火のすぐ横で目を瞑った。
どれだけ長く眠っていただろうか。もう太陽は山の頂上の真上まで登っていた。胸元には触りなれた、柔らかく温かい毛皮の感触があった。
(寝すぎだよ。)
「ごめん。シャグラス。」
(あの男、いなくなっちゃったよ。)
「本当だ。.」
焚き火の近くや洞窟を覗いてみても、男の姿はなかった。
(さがす?死んじゃうかもよ。)
「無理だよ。探してほしくなさそうだし。」
そういった彼女は、昨晩「包丁」、「まな板」、それから「串」があった場所を見つめていた。
(そっか。みんなあれがほしいんだね。)
「そうみたい...。」
男がいない分、山を下るのは楽だった。二人にとっては最早当たり前の光景である。シャグラスが夜中、山賊や猛獣などの対処をしてくれる分、シャグラスが疲れたら、抱えて歩いたりもする。
山を降りきったときふと、ナオミは森から少し出た草原の上に、異様な物体を見つけた。
「あんなところに寝て、どうしたんだろう。」
裸の男である。仰向けに寝ている。
(刺されてるよ。)
「うわ...。本当だ。」
その男はまさしく、あのとき彼女に案内を求めた者だった。仰向けの男は体の複数箇所から鮮血を溢れさせており、未だに血がほとんど凝固していないことから見ても、ほんの数時間前に襲われたようだ。あんぐりと開けた口周りがかすかに唾液で濡れており、大きく見開かれた目元にも涙を浮かべていた。
(山賊だよ。感謝しな。私がいなかったらナオミもひどい目にあってたかもしれないよ。)
「うるさい。」
埋葬しようと思ったが、足元には拳大の石がごろごろとしており、男一人分がすっぽりと入る穴を掘ることを考えると、彼女は深くため息を付いた。
「流石に無理か...。」
ナオミはゆっくりと視線を上げた。
草原の地平線に沿って、わずかに灰色の線が引いてあるのが見えた。
(町だ...。行ってみる?)
「いや、いいよ。人間はもう懲り懲り。」
(なんで?とても進歩した生き物だと思うけど。)
「シャグラスが一番わかってるじゃない。人間なんて所詮話せる動物だよ。」
(それは私のことを言ってるの?)
「あんたは狸でしょ。でも...、そういうことになるわね。」
ナオミはため息をついて、街とは逆方向へ歩き出した。