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写真嫌いの冴子と、写真を撮りたい遊里。

チェロの弦の替えを買いに行く冴子に付いていった遊里だが、思わず心の声を発してしまい冴子に呆れられ、バッティングセンターで球打ち50球の刑に処せられる。

その後は寄った喫茶店で冴子の機嫌をなんとか戻させることに成功。

その席で冴子には鬼門である、自身の写真についての話が出るのであった。


私は頬が緩んでいた。

いかん!と引き締めるけれどやはり少しすると頬が緩む。


やっぱり、冴子はいい。


と、心の中でガッツポーズを取る。

今は冴子と買い物と言う名のデート中。

チェロの弦が劣化、または切れてきているので補充も兼ねている。

私はいまだ楽器も、演奏の違いも分からないので冴子行きつけの楽器店に入っても珍しい楽器を見たりして冴子が買い物を終えるのを待っているのだれどあまりに待ち時間が長いと暇になる。

ふと店員と話す冴子は仕事をする時の顔だった。

髪は2ヶ月前くらいに切ってしまったので短くなってしまったけれど、姿勢のよさは変わらない。

そのままでもオーラを発しているようにも見える(贔屓目?)。

カメラがあれば・・・と思わなくもない、携帯は持っているけれどさすがにTPOが許さないだろう。

それに、無断で撮ったら冴子も怒るし。

私はグッと我慢して、自分の目に焼き付けることにした。

30分ばかり店員と長話して、冴子は私の方にやってきた。

「お待たせ、遊里。」

「終わった?」

「ええ、結構時間がかかってしまったわ。」

「いいよ、私もカメラ見るときはこれくらい掛かるし。」

お互い様。

「これからどうする?」

「ホテル。」

思わず口から出てしまった。

言ってしまってから、ハッとなり口を塞いだがもう遅い。

冴子が睨んでいるのが分かる。

「・・・・冗談、ゴメン。」

あらぬ方向を見て私は言った、今冴子の目なんか見られない。

最低、最悪と思ってるはず。

「なんで、日曜の朝からそんなことが口をつくのよ。」

口調が強い、お怒りのご様子。

でも、でもさーそう思ったんだから仕方がないじゃない?

人間の本能だし、理性があるとはいえ抑えられないものだってあるの。

手は出してないから、まだマシだと思うんだけど・・・・。

「つい・・・・」

「そんなに欲求不満なの?」

強烈な非難視線を感じる、表情が恐い。

「そうじゃないってば。」

「健全な人間なら朝からそんな事、言わないわよ。」

健全な人間ではないのかもしれない、普通に話しているだけの冴子に欲情するなんて。

呆れたように言い、冴子はスタスタ先に歩き出した。


冴子が向かったのは遊技場のバッティングセンターだった。

意外過ぎる場所で私はびっくりした、こんなところを知っている彼女にもだけれど。

「はい、コレ。」

おもむろに冴子にバッドを渡される。

「・・・・これ?」

「体力が有り余ってるなら発散したら? あそこに当てると豪華プレゼントがもらえるらしいからがんばって。」

中央の『ホームラン!!』という丸い表示をさす。

「冴子は?」

「私? 私にバットを持たせるの?」

「ま、あ・・・確かに。」

指を折る事はないと思うけど、チェリストにそんな事をさせるわけにもいかないか。

「じゃ、私は外で見てるから。ノルマは50球ね。」

「50球も?!」

多すぎじゃないの? 冴子って鬼?

「50でも少ないくらいでしょ、不埒な事を考えられないくらい身体を動かしたらいいわ。」

やっぱり冴子って鬼・・・。

「はいはい。」

かなり怒っているみたいだからしっかりやらないと納得しないようだった。

 

 はあ・・・なんであんなこと口走っちゃったんだろうなあ。


バッティングセンターなんて超久し振りだけど、カメラが持てなくなりそうな気がする。

しかたなく、BOXに入った。

速度は一番遅く80キロ、こちとら素人なのだ90キロだって早過ぎ。

当の冴子はベンチに座ってこっちを見ているし。

打てそうと思いながら、バットを振るもののなかなか当たらない。

大振り、大振りで結構汗をかいた。

もう、いい歳なのになんでこんな事を・・・(苦笑)。

結局、50球の終わりごろにはへとへとになった。

「あ、足・腰にきた・・・。」

ガランとバットをバット置き場に投げる。

「お疲れさま。」

私がBOXから出ると冴子が外で待っていて、声をかけてきた。

「もう、しばらくは野球も見たくないわね。」

「豪華商品、期待してたのに残念だったわ。」

「・・・前にも飛ばないのに、上に飛ぶわけないじゃないの。」

ズイっと出されたスポーツ飲料水を奪うように手に取った。

「ほら、まぐれってこともあるじゃない?」

「無理無理。」

絶対、無理。

私の手はカメラを持つものであってバットを持つものではないのだ。

「ま、少しはこれで変な事を考える余裕もなくなったでしょ。」

「動くのすら、おっくう。」

冴子は私がそう言うとクスッと小さく笑って言った。

「なかなか、いい運動だったみたいじゃない。」

「もう、3日間分くらい働いた感じ。」

「それは良かったわ、健全な精神は健全な肉体に宿るのよ。」

もうそんなに責めてくれなくてもいいじゃないの、冴子ってば。

反省してるんだし(泣)。

さすがに私は休憩を希望した。

冴子は呆れたけど、いったいいくつだと思ってるのよ。

そんな年でもないけど、そんなに若くもないのに(苦笑)。

「そこに公園があるわ。」

バッティングセンターを出て少し歩くと都会の中の小さなオアシス公園があった。

「甘いケーキが食べたい。」

「太るわよ。」

「太ってもいいから、糖分が欲しいの。」

甘いケーキに、香り高いコーヒー。

大人の贅沢よね。

ケーキ、ケーキと冴子の後ろからしつこく言うと冴子は立ち止まってため息をひとつ付いた。

お? 聞き入れてくれるかな?

「どこの子供よ。」

「糖分を補給しないとマジメにヤバイかも。」

よろけるように冴子に抱きついた。

「ちょっと・・・」

人通りは少ないし、私達に感心を寄せるような人間は歩いていないのを確認しているから確信的行為。

「ケーキとコーヒーが欲しいなぁ♪ 性欲は減退しても、食欲はあるのよ。」

耳元に寄せた私の顔を冴子は片手で遮る。

「本当はまだ、空振り足りないんじゃない?」

「まさか、まさか。もう結構。」

実際のところ、腕があんまり上がらなくなっていたりして。

「どこでもいいの?」

「この際、どこでも。」

「そこら辺はこだわらないのね。」

「もう、美味しいケーキとコーヒーが飲めればね。」

「・・・分かった、喫茶店に寄るわよ。」

渋々、冴子は折れてくれた。

キツイ事はいうけれどちゃんと折り合いはつけてくれるのでもある。


「何やってるのよ。」

嫌そうな顔で私を見る冴子。

「何って、撮ってる。」

私は携帯でココアを飲む冴子を撮っていた。

席が2Fの窓側の奥なのでまだあまり他のお客の邪魔にはならないだろうと思う。

携帯はシャッター音が大きいからちょっと困るけど、仕方が無い。

「お店の中よ?」

「営業妨害するくらい派手には撮ってない。」

よーく、狙ってパシャリ☆とな。

最近の携帯も性能が良くなってきているから、携帯でもすごくいいものが撮れる。

ただし、あとはセンスとモデルから引き出せるかくらい。

でも、私の場合は自分の満足用なのであまり気にせず、感覚的に撮っていた。

「迷惑でしょ。」

携帯をぐいっと机に押し当てられた。

「冴子が?」

「他のお客さんがよ。」

私はちょっと周りを見渡したけれど、2Fの禁煙席は客はまばらでこちらには関心が無いように思えた。

「気にはしてないみたいだけど。」

中堅カップルに、サラリーマン、おばさんたち・・・。

「TPO的にはNGでしょ。」

「冴子的には・・・の間違いじゃないの?」

私は笑って取り合わなかった、かといって間髪入れず撮らない。

矢継ぎ早に、パパラッチのごとく撮ると冴子の機嫌が悪くなる。

タイミングも重要なのだ。

「撮られるのは嫌いなの、知ってるでしょ?」

「私にでも?」

携帯をいじりながら冴子の本心を探る、今日の冴子は被写体としてかなりいい。

いつもはそんな風には思わないのに珍しいことだ。

髪を切った事も影響しているかもしれない、性格がさらにキツく強調されてしまうことを心配したがその反面、”小日向冴子”を引き立たせることにもなった。

以前も街を歩いていて注目を浴びる事はあったが、今は更に視線を浴びる。

「今更撮ってどうするのよ。」

「今更? 今の冴子を撮るんじゃない、今この瞬間のをね。」

パシャリ☆

あ。と冴子は言う。

これはちょっとまぬけだったかな(笑)。

私は仕事以外は商売道具は使用しない、冴子にも使わないんじゃなくてポリシーで。

今は巷では手軽な一丸レフが流行っているみたいだけれど。

「いつもそんな風に撮ってるの?」

「そんな風?」

「遊里の仕事をしてる姿ってあまり見ること無いし。」

バッティングすることは全然ないわね、ほとんど口実の付き添い写真家ってのはあったけど。

「今度、見に来る?」

「・・・別にいいわよ。」

興味がなさ気ではないような返事の冴子、気にはなるようだ。

正直、生きてく為に(笑)流れ仕事も時々あるけど中にはヒット!な仕事も稀にある。

そういう時は嬉しいし、ついがんばってしまう。

がんばり過ぎて墓穴を掘ることもあるのだけど作品が世に出ればそれも、いい思い出になる。

「まだ、写真集出す気ない?」

冴子は一瞬眉を寄せてから渋い顔をした。

「”無い”って言ったでしょ、まだ諦めてないの?」

一時上がったチェリスト小日向冴子の「写真集」。

もちろん本人はその気はなく、所属事務所から。

最初は事務所へ即断していた冴子だったけれど、あんまりしつこいので徐々に撮る方に折れかかっていた時期もあった。

でも、結局やっぱりNGって事になってお蔵入りになった経緯がある。

「もったいない。」

「アイドルじゃあるまいし、馬鹿じゃないの。」

馬鹿、と断言・・・キツイねえ。

この口が災いの元になるってのに、私相手では気にしないようだ。

「結構、いいの撮れているのがあるのに。」

「ウチにあるのはプライベートのでしょ、そんなのバラ撒かないで。」

「ファンが知りたいのはミステリアスな私生活だと思わない? 人気も急上昇。」

「軽蔑されるだけでしょ、私の本業は音楽家なのよ?」

それは過去の話じゃない? 今はそういう風潮はどこへやらよ。

アイドル並のルックスに実力もある若手も台頭してきてるし。

冴子って意外に古いタイプ?

カップを両手で持って窓を向いた。

 おお、いいね。

かしゃり★ ちょっと大きい音だったか、入ってきた新規の若いお嬢さんたちがこちらを見た。

「アイドル並に撮れているわよ。」

「好きなだけ撮ればいいわ。」

怒ってはいないようだけれどこっちを向く気もないらしい。

そう言われると不思議なもので激写は中止、身構えられると何だかね。

「撮らないの?」

「どうでもいいように構えられるとね。」

「お生憎様、サービスしないわよ。」

「どうしてそう冴子って、サービス精神がないかな。」

「する必要が?」

冷たく言い放たれる。

ちょっと凹むんだよね、冴子に言われると。

みんな私がカメラを構えるとポーズをとってくれたり、自分から撮って欲しいって言ってくるけど冴子はそうじゃない。

撮られるのがあまり好きじゃないということもあるとは思うけど、ほぼ拒否反応だし。

 ま、そこが冴子らしいっちゃらしいんだけど。

結局、その後お出かけ中は冴子ってば私に撮らせてくれる隙もなかった。

むー残念、写真集の道は険しいな。




私はその夜、家事を手早く終え仕事場に篭った。

冴子はチェロの弦を張り替えて珍しく練習も防音室で行っている。

互いに別々ってのも久しぶり。

冴子には内緒で、私は音楽機器で録音した彼女のCDを聞きながらトレース台に乗せられたネガを見ている。

仕事場に篭るとは言いながら仕事ではなく、過去に撮った冴子を引っ張り出して集めた。

乗せているものは殆どプライベートでの彼女で、外では絶対に見られないもの。

確かに、これはまずかろう・・・(爆)というのもあるけどそれらを省いても他にあるものがそれを補うにはあまりある。

出会った頃のもあった、高校生の冴子。

見ると、いかにも生意気そうな面構え。

でもちゃんと、笑っているのもあるし怒っているものもある。

 これなんか、いいのに。

ルーペレンズで覗き込むドレス姿の冴子。

確か、師事後の師匠来日時のコンサートだったっけ。

神経が図太そうな彼女でも緊張していたらしく、表情が硬かった。

冴子はもうこの頃から隠すのが上手で、このネガからは窺い知れない。

コンサート後の師匠を連れての夜の街歩きではさすがに砕けてたけど。

何だか色々思い出した、もうこれは冴子の成長記録のような気がする(笑)。

本人は知りもしないだろうけれど。

 そしてもう一つ・・・・私には別のコレクションがあるのだ。

これは絶対に出せない、私の手の内に永遠に置くもの。

自分が死ぬと分かった時は一番初めにこれから処分しないとならない。

冴子に見られた日には絶対、地獄に落とされると思うモノ。

これを見る事はなかなかない。

家に冴子が居ない時か、私が本当に見たいと思った時しか引っ張り出さないからだ。

モノがものだけに独り悦に入りニヤニヤ見ている時に仕事部屋に入られたら絶交されかねない。

「よく撮る気になったわよね、冴子。」

一枚、拾い上げて見ながらいう。

あとで聞くと本人は覚えていないと言った、お酒も入っていたわけじゃないのに。

珍しく、被写体になってくれている。

ポーズこそとってはいないものの、私のカメラにちゃんと視線を合わせてくれていた。

さすがに素っ裸はないけれどギリギリの肌の露出で。

今撮ろうとしたら蹴っ飛ばされそうな気がする。

とりあえず、来月の冴子の誕生日には成長記録としてアルバムにしてプレゼントしようか。

『なにこれ!?』と嫌な顔されそうだけど、もらって気分を害すものでもないだろう。

たぶん・・・・。

「お茶にしない?」

いきなり、私のヘッドホンが外されたと思うと冴子の声が耳に入ってきた。

「わぁっ!!」

いきなりの冴子の登場に、びっくりして本当に飛び上がった。

思わず飛びのいてなんとかトレース台をぎこちなくならないように隠す。

すぐ側に居て、私の落ちそうになったヘッドホンを持っている。

「いきなり、びっくりするじゃないの!」

「何度も言ったのに、遊里ってばヘッドホンしてるからでしょ。」

「あ、・・・ゴメン。」

そんなに聞こえないほど大音量じゃなかったんだけど、集中しすぎて気づかなかった。

「根つめてると疲れるから、お茶でもと思ったんだけど仕事の邪魔だった?」

「あ、うん。疲れたから私もそろそろ休憩しようかと思ってた。」

よりによってマズイネガがトレース台に乗っているときに来なくてもいいのに、冴子ってば。

私は背中に汗をかき、ヒヤヒヤしながら対応する。

「そう、じゃ適当なところで切り上げて来て。」

何の疑問も持たずに冴子は部屋から出て行った。

私は完全に扉が閉まったのを確認したあと、大きな安堵の息を吐いた。

まだドキドキしている、昔親に隠れて悪さしていたような感じ。

 よ、良かった~~怪しまれなくて・・・!!!

もう、さっさと片付ける。

証拠隠滅、やっぱり冴子の居ない時に改めて見よう。


「私のってこれ?」

ダイニングのテーブルの上にホットココア。

冴子もホットココアで、面倒くさいから同じのにしたんだろうな・・・。

私だったら別々なものにするけど、冴子の事だから仕方が無い。

しかも、甘々なのよね冴子の作るココアって(苦笑)。

「そう、嫌だった?」

「まさか、冴子様のお作りになった物ですから丁重に頂きます。」

私が言うと仰々しい、というような顔をした。

「どう、切りつけそう?」

「切り? ああ、作業ね。」

急いで片付けてきたからもうすることはないんだけど。

「集中してるところ、悪かったわ。」

そう謝られるとこっちが悪い気がする。

だって、仕事じゃないし、冴子には絶対話せない作業だったわけだし。

「別に大丈夫よ。」

「それならいいけど。」

めずらしく、自分でココアを作って飲むなんて冴子。

それに私のまで・・・何かあったのかしら、それとも天変地異の前触れ?

「そっちこそ、久々に部屋に篭ったじゃない、調子はどう?」

「まあまあ。」

普通の反応か。

「ねえ、遊里。」

「なに?」

「・・・私が写真を撮るのが嫌いなのは、カメラが向けられると強張っちゃうからなのよ。」

「分かってる。」

私も随分苦労したもの。

だから、冴子の写真を撮る時は注文はつけない。

自然体の冴子を撮ってるのよ、気づいてる?

「今日、何となく遊里と仕事をした人の気分を味わえたわ。あんな感じなのね。」

「?」

「ちょっと、気分が良かった。」

それは私に携帯で写真を撮られて、憎まれ口を言っていたのに心情は反対だったって事?

・・・まったく、素直じゃないんだから(苦笑)。

「仕事相手には嫌われたことのないのが自慢だからね。」

指で枠を作って冴子をフレームにおさめる。

「自惚でしょ。」

私を突き放す。

「いやいや、自信アリ。」

実績アリ、でもちょっと困ってるのが実情。

冴子も分かってると思うけど、自分で言うの変なんだけれど妙にモテる私。

こちらがあまり近寄らないようにすればするほど相手は寄って来る、邪険に扱えないのが悩ましいところ。

「そうだったわね。」

思い出したように冴子は言う。

「どうしたら、冴子がその気になって撮らせてくれる?」

ぜひ、撮りたい気が強い。

「強張る、って言ってるでしょ。」

「それも魅力でしょ? 冴子の。」

「本人にはプレッシャーになるのよ、例え遊里でも。」

じゃあ、以前のは?

以前撮らせてくれた写真はどうして?

「・・・あとは気分的なものかしら。」

「むらがあるものねぇ、冴子って。」

あの時は気分が良かったのか。

私がヨイショしてもその気になってもくれないのに・・・貴重な時間だったわけね。

「悪かったわね、気分屋で。」

ココアを飲み終えた冴子はごちそうさまと言って立ち上がった。

「私はもう少し篭るから先に寝てて。」

さらに練習? 珍しい。

仕事以外は滅多にチェロに触れない冴子なのに。

おかげで私はいつ練習しているのかいつも疑問に思っていた。

練習をしない演奏家など居ないと思っていたのを、冴子が覆してしまった。

本当に冴子は練習しないのだ(ただ、私の目の届く範囲ではかもしれないけれど)。

「それは私に布団を暖めておけと?」

「・・・任せるわ。」

私がそう言うと苦笑気味に笑って返された。

「疲れてるんでしょ? 遊里は早く寝たほうがいいわ。」

バッティングセンターで50球も打ったんだからと、付け加えられる。

た、確かに。

忘れてたけどがんばっちゃったのよね・・・50球も。

全然、前に飛ばなかったけど。

「了解。」

年寄りは早々に寝ますよ、はいはい。

「それと。」

冴子は言葉を強く切って止めた。

「私に見られたくない物を見るんだったら、鍵はかけておいたほうがいいわよ。」

「!?」

カップを流しに置きに行く途中なので背中しか見えない。

思わずカップを取り落としそうになった。

「さ、冴子?!」

「そういうこと。」


ば、バレてたってこと?!


ドッと汗が出てきた。

自分ではバレてはいないと思っていて安心していたら実は知られていたと分かった衝撃は羞恥の域を超え、さらにその上をゆく。

これは恐い。

表面上、穏やかな冴子だけど・・・内心を考えると『うっわー!』である。

布団を暖めて待つだなんて悠長なこと言ってられないじゃない。

早々に寝ちゃって、話を振られないようにするしかないじゃないのよ(焦)。

当の本人はさっさとカップを洗って部屋に戻っていく。

怒られた方がすっきりするのに、じりじりとまな板の鯉状態じゃない。

 私は、あるかもしれない冴子の反撃にビクビクするのだった。

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