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小日向冴子。

一番最初が遊里視点、終わりが冴子視点の話で完結となります。

二人が出会ってから、付き合うまでの話です。

「あ・・・」

私は古い楽譜を手に取った時、その間から何か落ちたので床に目をやった。

 写真?

それらしい、大きさ。

拾って見るとなるほど、写真だった。

それも、ずいぶんと前の写真。

思わず、苦笑いをしてしまう。

 こんなところに、こんな写真があるなんて。

それは私と、遊里が付き合って間もない頃の写真だった。



優勝。

それは私の悲願だった。

悲願、とはいっても私の中でであり周りでの期待ではない。

私の近しい人たちはもちろん、私の優勝を願ったが私自身はその思惑とは違った意味で優勝を望んでいた。

 写真を返してもらう(または削除してもらう)のが目的だったから。

もしかしたら、あの人は私をからかったのかもしれないが優勝を逃したくやしさもあったのでそれをぶつけることで優勝にもってゆこうと考えてがんばった。

 そして、再会することとなるーーー。



 優勝したのはいいけれど、よく考えると私はその人の名前を知らなかった。

 大バカ、自分に言ってみる。

知らないと取り返しにも行けないじゃない、間抜けすぎ。

ガックリくる、せっかく優勝したのに目的を達成できないなんてショック。

優勝して、留学は決まったというのに私の心は晴れない。

普通と真逆な私、本当なら優勝して留学を勝ち取ったのならそちらを喜ぶべきなのに。

 それならば、と留学準備をしながら私は自分で調べた。

有名ならすぐに見つかるのだろうけれど、その人はなかなか上がってこない。

よっぽど駆け出しなのか、じりじりとした日々が続いた。

私はもう少しで留学するというのに、早く見つけないとと焦った。

 よく考えれば、あの時本当にからかわれただけかもしれない。

「優勝したら返すわ」その言葉を信じて執着している自分には気づかなかった。

どうして、こんなにも執着しているのか。

 そうこうしているうちに音楽雑誌の依頼が学校に来た、留学前のインタビューらしい。

まだ、在学中だったので学校への依頼である。

 私は写真を撮られるのは嫌だったが、有名な雑誌であったし学校もかなり乗り気でいち学生である私個人が断れるものではなかった。

しぶしぶ、了承した。

「笑うとかわいいのに、あなたはいつも仏頂面で。今日はちゃんと笑って取材を受けなさいね。」

先生が言う。

私だって先生の意向に沿いたいけど、身体が言うことを聞かないんだからしょうがないじゃない。

昔からそうだった、撮られるのが嫌い。

カメラに向かって笑ったり、ポーズを取るのが嫌だった。

無理にそうすると、顔がひきつって残念な写真になるので遠ざけていた。

「こんにちは、よろしくおねがいします。」

応接室で先生と教頭先生と待っていると、取材者らしき人が入ってきた。

男女一人ずつ、2人。

そして、大きな機材を抱えたカメラマンの女性が1人。

『あ。』

私は心の中で叫んだ。

声に出さなかったのは日頃の練習の賜、ポーカーフェイス。

向こうは名前は聞いていたのか、チラリと私を見ていたずらそうな笑みを浮かべていた。

あの時の、私が探していた人だった。

あんなに探していたのに、こんなにあっさり見つかるなんて。

私はそれ以降、取材に集中できなかった。

見た目はきちんと対応していたけど、心ここにあらずという感じ。

でも、それを感じさせはしない。

大人への対応は経験から万全である、取材記者への受け答えはきちんとできていたと思う。

しかし、写真は・・・ポーズをとらなくてもいいとはいえ気になってしかたがない。

「カメラは気にしないで、カメラマンが自然に撮ってくれからね。」

そんな私を気にして男性の記者が言う。

「はあ・・・」

カメラマンが気になる上に、乗る気ではない状態で写真を撮られているので私はうんざりした。

早く終わらないかしら。

そんな思いで取材を受けた。

早く終えて、写真を取り返したい。

1時間くらいで取材は終了した、長かったのか短かったのか分からない。

とりあえず、苦痛の取材は終了したのだ。

記者が何かしゃべったが私はあいずちを打つだけでそちらには意識していなかった。

 すべての意識はあの人に。

にらんでいたかもしれない(苦笑)。

 取材者とあの人が出てから、私は先生と教頭先生を残して部屋を出た。

ずいぶんと歩くスピードが早い、駐車場でやっと捕まえられたくらい。

記者はどうでもいい、私の目的はあの人だ。

記者に目もくれず、私は彼女に声を掛けた。

「こんにちは、小日向さん。」

初対面のようにでもなく、知り合いでもないような返事だった。

「探したわ。」

「私を? 光栄だわ。」

にっこり、笑う。

「分かっているでしょ?」

グダグダ言わず、直入に。

「・・・単刀直入、相変わらずね。」

私は機材を掴んだ。

こっちはずっとそれを望んで、探していたのだ。

早く目的を達して、楽になりたい。

「残念ながら、あなたを撮ったデジカメ、今はないの。」

「じゃあ、約束して。今日家に帰ったら、消去すること。」

返事はすぐにはなかった。

それがどういう意味か、私に分かるはずはない。

「せっかくのいい写真なのに。」

「私は持ってないし、そんなもの残しておく気はないわ。」

「じゃあ、あげるわ。」

「いらない。消去して、お願い。」

じっと私を見て、息をひとつはいた。

「・・・分かったわ、消去する。」

私はほっと胸をなで下ろし、機材においた手を離した。

「じゃあ。」

用件は終わったので私はきびすを返し、校舎に向かおうとした。

「あなたは要らないと言ったけど、送らせてもらうわ。優勝した記念に。」

後ろから声がする。

「要らないと言ったでしょ。」

私は振り返った。

「届いて要らなかったら捨てて頂戴、小日向冴子さん。」

「なんでそんな無駄な事をするの?」

「無駄? 私は無駄だとは思わないわ、私がしたいからするのよ。要らないというのはあなたで、私じゃない。」

 その物言いにムッとする、私がいらないと言う物を送りつけるのか。

「それはいやがらせじゃないの?」

私は喧嘩腰で突っかかってしまう。

「変な写真じゃないわ、いい写真よ。」

やんわりと私のオーラを中和か、はたまた消滅させるかのような言い方で返された。

「私が要らないと言っているというのに。」

「だから、届いて要らないと思ったら捨ててと言っているの。見てからでもいいんじゃないのかしら?」

こちらが要らないと言っているのにどうしても送りたいらしい。

私にはどうしてそんな面倒をするのかよく分からない。

彼女の頭の中を理解するのは止めた。

「勝手にしたらいいわ。」

今度こそ本当に私は校舎へ向かい、振り向かなかった。

とりあえず、留学前の心残りは完全になくなった。

これで心おきなく、留学できるというもの。

私はそう思ってうなずいた。



···あれだけ要らないと言った写真が学校に届いた。

学校側から私へのファンレターだと思われ、私に届く。

過去何度か、そういうことがあったので封は切られずにそのまま私の手元にきた。

封を切られていたら恥ずかしすぎて死にたくなりそう。

中には数枚の写真と、カードが1枚。

[あなたは要らないと言ったけど、送ります。優勝おめでとう。]

一言と、綺麗な海と街の風景だった。


水の都ベネチアの風景。


自分で撮ったものなのか、用紙が市販のものだった。

律儀。としかいいようがない。

私よりは確実に年上で、小生意気な高校生を相手にするほど暇でもなさそうなのに。

写真はほとんどが私の意に添わないものだったが、1枚だけ取っておこうと思ったものがあった。

そんなものは生涯、これから数枚あるかないかかもしれない。

写真を撮らない私には。

差出人の名前を見る。

 津田遊里。

私的な意味合いがあるのか、肩書きは書いていなかった。

ツダ ユウリ・・・。

私は声に出していた。

”遊里”だなんて珍しい名前。

まあ、同級生にはおもしろい名前も、あきれたゴロ合わせ的な名前もたくさんあったけれどこの名前は私には違和感なく入り込んできた。

自分の写真はおいておいて、私はベネチアの写真をベッドに寝そべって見た。

いつか行ってみたいと思っている。

外国は残念ながら、昨今の海外旅行の低年齢化から漏れてしまい、まだ行ったことがなかった。

留学先はEU圏だから、行く機会もあるだろうと思う。

カードを見て、入っていた水色の封筒を見る。

色は水色だけれど、業務的な封筒。

まあ、写真を送るだけだから色だけでもと気にしたのかもしれない。

住所を確認すると横浜在住だった。

いいところに住んでいるんじゃない。

写真には少し感謝をしたが、私にはもう接点のない人になる。

しばらくすると私は興味が無くなり、ベッドの上に放って身を休めた。

留学に出発するまではいろいろと忙しく、大変だった。

休めるのは自分のベッドの上しかない、家の外では気が休む事がないし。

 はあー。

憂鬱と疲労のため息が出る。

制服のまま寝ているので皺になるとは思いながらも起き上がることができなかった。

目をつぶってこのまま寝られれば一時でも楽なのに。

私は多忙さの上に緊張や興奮が続いていて、睡眠不足も併発していた。

留学って色々大変なのね(苦笑)。

そう思いながら目をつぶった。




「冴子。」

私は後ろから声を掛けられた。

今日は日曜日、学校は休みでレッスンは・・・トンズラ。

「真菜。」

「ちゃんと来たな、よしよし。」

「この忙しいのに、呼び出すとはいい度胸じゃない。」

真菜は数少ない友人のうちの1人で、私の悪友とも例えられる。

「ほら、もう少しで留学じゃない? 少しは友達らしいことをしようかと思ってさ。」

「キモい。」

「・・・あのねぇ、どうしてそう口が悪いのよ。だから友達が少ないのよ冴子は。」

駅前で待ち合わせをし、横浜駅まで行く予定だった。

美術館で好きな特別展が開催中だったから、あまり乗り気でもなかった真菜の誘いに乗ったのだ。

「別にいいじゃない。」

「よくないわよ、行った先でもそんな感じ? 孤立するわよ、冴子。」

「程々にやるわ、ご心配なく。」

「まったく・・・」

苦笑する、真菜。

私の性格は変わらないと思っているのだろう、心配してくれるのはいいけど私は私で頑張れる自信はあった。

「それよりドイツ語はどうなのよ?」

「天才は天才であるのよ。」

「なにそれ?」

胡散臭そうに言う。

英語はわりかし得意、覚え方を覚えたらそれを他の語学に転用すればそんなに難しくない。(私には)

チェロを弾くより簡単だわ。

「ムカつくわ。」

「今はイタリア語も勉強中だけど。」

「マジ?!」

飛びつくように言う。

「・・・限りなくムカつくわね、冴子。」

「それ、誉めてるの? けなしてるわけ?」

「腹立たしいの半分、感嘆しているの半分。」

自分で言うのもなんだけれど、大体のことは難なくこなせた。

勉強も、運動もその他諸々。

自慢するようなことはあまりしないが、それが気に食わない人も居るようで良くは思われていないようだった。

 まあ、全般に好かれようと思ってもいないので私は別に気にしてはいない。

人の心を窺って生きるのは、私の性に合わない。

私は自分のしたいことをする。

もちろん、自分も社会の一部だから秩序とかしきたりとかは守るつもりだけど。

「脱帽よ。さすがよね、冴子。」

「今頃、気づいたの?」

「調子、乗りすぎ。」

私のスネに真菜のパンプスのつま先が当たる。

「痛いじゃないの。」

「全然、心配ないんだ。つまらない。」

悪友として心配してくれていたようである。

「心配ないわよ、私は私らしく生きるもの。」

真菜の肩を抱く。

もっと早く世に出る機会は何度かあった。

機会はあったけど、そうしなかったのは少ない友人たちと別れるのが少しばかり嫌だったから。

これは言わないけど(笑)。

「それなら、心配ないわね。日本人って主張とかできないし、譲りの性格だから外国に出たらなめられて侮られそうだけど冴子みたいな図太い性格なら大丈夫そうよね。」

随分な言われよう。

「ま、今日はせっかく横浜まで出たんだから楽しむわよ。」

私が住んで居るところは住むにはいいけれど、都会的とは言いがたい。

と、いうか田舎。

都会で行われた別のコンクールの時に、田舎くさいとか言われた事もあったけど気にしなかった。

実力は生活場所で決まるわけではない、努力と才能と根性なのだ。

そうこうしているうちに私たちは目的の場所に着いた。

さすが、日曜の横浜は人が多い。

色々行く場所にもよるのだろうが、私たちの目的は美術館。

わき目もふらず(私は)、一直線。

「帰りに寄ってよね。」

私についてきながら真菜は言う。

「どこにでも寄るわよ。」

楽しみは先、先。

先に決まってるじゃないの、文句を行っても行くわよ。

私は突き進むいのししのごとく、歩いた。

あ、美術館の建物が見えてきた!と言うときに私は服を掴まれた。

がくん、と後ろに引っ張られる。

「冴子、冴子ってば!」

「・・・ちょっと、何よ、もうすぐなのに。」

もうちょっとのところで、しかもいきなり引っ張られて私は不機嫌な声を出した。

「呼んでる。」

「呼んでる?」

横浜に知り合いなんかいないわよ。

真菜が視線を私を呼んでいるという方向に送る。

「いやー、●●っていう雑誌なんだけど今、ちまたのかわいい子に取材してるんだけどいいかなあー」

「・・・・・・」

私は顔をしかめた。

私の嫌いなタイプであり、もっとも嫌な取材でもある。

親しげに話かけてきて、若い女の子はすべてそういう風に対応すればいいとでも思っているのか。

真菜は私がかなり不機嫌になったのが分かったのか、しまったなあというような表情をしていた。

「いま、急いでいるんですけど。」

対応できる余裕なんてない、目の前に目的の美術があるのに。

「そんな事、言わないでさ。少しつきあって欲しいなぁ。君、美人だね。」

さっき、かわいい子を取材するとか言ってなかった?

矛盾している。

それに、私はかわいいだの、美人だのと言われるのは”大”が付くほど嫌い。

「他を当たってください、そんなものに付き合う暇はありません。失礼します。」

私はその場を離れようとしたけれどしつこく食い下がってくる。

「この雑誌は全国区なんだよ、これに載りたいって子はたくさん居るんだ。名誉なんだよ?」

頭が痛くなった、ともすれば殴りそうになった。

真菜も私が拳を握ったのを確認したので、視線で”止めろ”と言ってきた。

しかし・・・この状況なら、正当防衛にできそうな気がする。

「ちょっと、いい加減に・・・」

と言い掛けた時、男が私に伸ばした手を誰かがつかんで止めた。

「?」

「田島さん、強引な取材はダメですよ。その子、嫌がってるじゃないですか。」

「津田さん、しかしー・・・・」

「嫌がってる子を強引に撮っても、私でもいい写真は撮れません。」

またしても、津田遊里!

声には出さなかったけれど、びっくりした。

「津田さんでも口説けないですか?」

「無理ですよ、私の通用する相手と通用しない相手が居ますから。」

苦笑してそんなことを言う。

「美人なのにもったいない・・・・」

「人それぞれです。ごめんなさいね、手間をとらせてしまって。」

「い、いえっ。」

は?

私を押し退けて、真菜が言う。

お前が言う事じゃないだろ?

「ね、田島さん、こちらの子もかわいいじゃないですか。そちらがダメならあなたでもどう?」

「えっ、本当ですかーー?」

「うーん。そうだなあ。」

真菜のネコかぶりが始まった。

私は対象が私では無くなったのでどうでもいいけど。

視線を私に送る、はいはい、構わないわよ。

「いいんじゃない? 私はその間、美術館に居るから終わったら合流しようじゃない。」

私は言う、本当なら真菜の喜び方が普通なのだろう。

煩わしいことが目の前から無くなったということだけでほっとした。

さてと、やっと美術館に行くことができる。

少しばかり、ひっかかるような何かが胸の中に無きにしもあらずだけれど。

それはきっと、気のせいということにして急いだ。



真菜との合流には結構な時間がかかった。

何に手間取っていたのか、世間話をしていたのか。

色々、話してくれる。

美術館に併設しているカフェで、のどが渇くほどしゃべった。

「ふうんー。」

残念ながら私には興味の薄い話しばかり。

知らない名前の子を出されても知らないわよ、とりあえずは相打ちを打って話しに乗る。

それくらいはしないと真菜も怒るからなぁ。

「その人たち、今日1日そんな事してるの?」

「ですって、大変よね。」

かわいい子を選別するのが大変そうだけど、その基準ってあの男なのかしら?という疑問がわく。

大した趣味でもなさそうだけど。

かわいい子を、っていってるのに私に声をかけてくるし。

「冴子も、取材受ければ良かったのに。」

「真菜、私が嫌いなの知ってるじゃない。」

「そうだけど・・・冴子、だってそこら辺のに負けてないと思うんだけどな。」

容姿のコンプレックスなどないけれど、言われるのには抵抗感があった。

鳥肌が立つほどの嫌悪感すらある。

「その話しは終わり、手を掴まれそうになって気分が悪いのよ。」

「ああ、確かに。手をつかもうとするのは反則よね、私ひゃっとしたもの。」

冴子が反撃するんじゃないかと思って、と笑った。

前科がある私は、むつっりとする。

身体に触れるのは御法度だと思う、よけい警戒するわよあれじゃあ。

「でも、あのカメラマンのおかげで助かったね。女性のカメラマンだった。」

津田遊里さんね、心の中で言う。

知ってるわよ。

内心、横浜って聞いてちょっと気になった事は否定しない。

けど、まさか、ばったり会うとも思わなかった。

「それにさー、なんか安心できていい写真、一杯撮れた。」

「それは良かったわ。」

「落としの遊里さんって言うんだって、あの人。」

「落としの遊里?」

変なあだ名。

真菜は笑って思い出すように言う。

「冴子にはあの男の人が声をかけたけど、遊里さんが声をかけると、ほぼ90%の人が取材を受けてくれるんだって。残念だったねぇ、冴子。」

「何が残念なのよ。」

「遊里さんに、声をかけてもらったら雑誌に載ったかもよ?」

冗談、留学前にそんな面倒になりたくないわ。

自分の写真が全国区ってことでしょ? 恥ずかしすぎて絶対、イヤ。

「でも、ほんといい人だったよ。よく見るとあの人自身もかっこいいし。声のかけかたもスマートでのれちゃうんだよね。」

うっとり、というような表情。

真菜のこんな感じは珍しい、よほど印象が良かったらしい。

「で、いつ発売なの?」

「再来月だって。」

「どうせ、こんな小さい記事になるんでしょ?」

指で大きさを示す。

「まあ、そうよね。あまり期待しないでおく。」

彼女自身もそれをわかっているようで、苦笑した。

「あ、それと・・・冴子。」

改まって真菜が言った。

「なに?」

「怒らないで聞いてくれるといいんだけど・・・」

「怒らないで?」

身を縮めて、申し訳なさそうに。

何を言う気なのよ。

「あのさ、あの遊里さんって人が冴子の事撮りたいって言って・・・」

「私のこと? どうして?あの場で断ったじゃない。」

「あの雑誌じゃなくて、別の雑誌みたい。ちゃんとしたやつ。」

どんなものでも一緒よ、断る。

「冴子の携帯番号、教えちゃった・・・」

「はああああーーー?!」

カフェに私の声が響いて、店員や他のお客がこちらを何事かと振り向いた。

「ご、ごめん! ほんと申し訳ない、あの人に聞かれたら何でも答えちゃって・・・」

「あんたねー、聞かれたらそんな重要なものでも教えるの?!」

信じられない、超重要個人情報じゃない。

いたずら電話はかけてこないと思うけど、なによそれ。

「常識ある人だと思うから大丈夫だと思うけど。」

「当たり前よ、そうでないと困るわ。」

ついちょっと前に、写真を削除させたばかりなのに、今度は携帯の番号ですって?

なんでこんなのばっかり。

「ごめん。」

「女性だったからいいけど、男だったらぶん殴って、絶交だから。」

「ご、ごめん! ほんとごめん。」

慌てて真菜が謝る、平謝り。

ほんとにもう、なんだってそういうことになるの?

「・・・まあ、いいわ。その代わり、今日はおごりよね? 真菜の。」

私はニャリと笑って言った。

「う、っ・・・わ、わかった。」

真菜は仕方がないと、あきらめたようだ。

電話番号を聞いたらしいけど、絶対に撮らせてやらないんだから。

他に被写体はいくらでもいるだろうに。

そういうイヤな事は忘れるに限る。

私はその鬱憤をはらすかのように、休日を満喫することにした。




『飲み込みが早いね、脱帽だよ。』

私のイタリア語の家庭教師に来ている、ロッソは辞書を閉じて言った。

「そう? コツをつかめばそんなに難しくないわ。」

「そのコツが難しいんだよ、それに今度はフランス語だって?」

「とりあえず、覚えて行けるものは覚えていくつもり。向こうでしゃべれないと生活が難しいし。」

「かなり、前向きだな。サエコは。」

「昔の人に比べれば、私なんてまだいい方よ。」

「確かに、あのサコク時代に海外に何もしゃべれないで行った日本人はすごいよ。」

ぬるくなったカプチーノを飲み干して、ロッソは帰って行った。

その何時間後にはフランス語の家庭教師が来る、私は予習を始めた。

最初のうちは混乱したけれど、今はもう慣れた。

ドイツ語以外は日常会話程度できるように覚えて行きたい、あとは向こうで話すことでできるようになるだろうし。

留学まであと2ヶ月を切った、どれだけ覚えられるかとチェロの腕を怠けさせないか。

私は壁に立てかけてあるチェロケースを見た。

弾くのは好きだけど、私は練習が嫌い。

練習と上達は比例するのは分かっているけど、どうしてもやりたくない時もあった。

 やらないと。

向こうに行って、こんな実力しかないの?と思われるのも、言われるのも嫌だし。


PLLLLL。


突然、携帯が鳴った。

私はびくっとして、慌てて液晶画面を見る。

高浜先生・・・音楽の先生が夜に何の用よ・・・。

出ると、練習の話。

私が練習が嫌いなのは知っているから、言わないと怠けると思っての電話だった。

適当に相手をして、携帯を切る。


・・・なんだ、先生か。


そんな言葉とため息が出た。

想像もしていなかった言葉だったので、ハッと我に戻る。

「誰だと思っていたんだか・・・」

苦笑してイスの背もたれにもたれる。

携帯の番号を聞いたってのに、まったくかかってくる気配なし。

いやいや、かかって来ては困る。

断る気、満々なのに彼女からの電話を待っている節がある自分。

電話番号を知られたのは、以前に写真を撮られた時と同じようなくらい嫌だったけれど、そのあとはこんな変な感情がうずまいていた。

 顔を思い出す。

2度目の再会だから、もう覚えた。

名前もネットで出てきた、よく調べて見るとかなりのブログに名前が出ている。

そんなにメジャーじゃなさそうなアイドルから、モデルまでと幅広い。

特徴があるというなら、女性のブログに登場する事が多いということくらい。

 まあ、落としの遊里って言うくらいだから(笑)。

真菜も、あんな風に手懐けられていたし、手強いのではないかと思う。

こちらが感情的になると、やんわりと口調を変え、雰囲気も変えられて、この私がどうにもペースが狂ってしまった。

かといって、へりくだっているようにも見えない。

 不思議な感じだった。

無視したいのに”何か”が引っかかってすっきりせず、気持ちが悪い。

・・・なんなのかしら。

そんな思いを自問自答しながらフランス語のノートを読み直す。

 語学習は2日に1回、2語学んでいる。

毎日やらないと、難しいけどさすがにそれは私の方が無理ということでこのぺースになった。

詰め込みだけど、なんとかなりそうである。

『ぼんじゅーる、サエコ!』

微妙なフランス語のニュアンスで挨拶された。

「フランツ・・・」

私は振り返って、入ってきたフランス語の家庭教師のフランツを見た。

連れてきた母親はそそくさと私の部屋を後にする。

典型的な外国人恐怖症だ、父親はそうでもないのに。

「この間は、サエコがすすめてくれたジャポンアニメを見てきたよー」

「・・・・・・」

あれを見たのか(苦笑)。

私はからかってすすめたのに。

「すごく良かった、繊細で綺麗な映像!びゅーてぃほー」

私がフランツに進めたのは、アニメでもBLものだった。

日本人の男性だってあまり見ないし、抵抗感あるだろうに彼はそれを見て良かったと言う。

先進国のフランスだし、免疫はあるか・・・と納得する。

文句を言われるかと思った私は拍子抜けした。

「もっといいアニメないかな?」

フランツはアニメオタクでもある。

私もアニメは好きだ、アニソンは特に好き。

そういうところで私たちは意見が合っていた。

時々、いや・・・常々、フランツがアニメの話しで脱線するけれど。

「フランス語は?」

「まだ、時間あるよ。もっと知りたいなぁ。」

あなたは何しに来てるのよ。

確かに親しみやすいけど、勉強がなかなか進まないのが彼の欠点だった。

勉強時間の半分くらいがアニメの話ってどうなのよ?

ぼったくられてる気がする。

今日もまた、フランス語が進まないのかと思って私はため息をついた。



 ジャパンアニメオタクのフランツが帰り、夕飯を食べ、ゆっくりお風呂から出てきたら、部屋に入ったとたん携帯が鳴った。

いきなりの電話に驚いたので、相手が誰かだなんて詮索する余裕もない、そのまま私は出る。

「はい」

よろけて、つまずき、ベッドに倒れ込む。

「こんにちは。」

携帯の向こうで一瞬、聞き覚えのない声が聞こえる。

私は一旦、携帯を耳から離した。

「・・・・」

着信宛先を見ると、着信者不明。

いたずら電話かもと、思ったけれどすぐに思い直す。

これが男なら即、切るところだ。

待っていたのか、来て欲しくなかったのか分からない微妙な電話。

一息はいて、私は出た。

「私になんのご用でしょうか? 津田さん」

「・・・やっぱり、怒ってる?」

「なににでしょうか?」

私の携帯番号を真菜から聞きだしたから?

それもあるけど、私に構うのが許せないのかもしれない。

「写真、撮られるのが嫌いなのは初対面で分かったわ。」

「この間も断りましたし、今後もお引き受けしません。」

とりつく島もなく私は言う。

「どうしても?」

「”あなた”でも、”どなた”でもです。」

向こうで苦笑するのを感じる、強情だなとでも思っているのだろうか。

「どうしたら、あなたは撮らせてくれるのかしら?」

問うように言う。

私の方こそ聞きたい、なぜ私を撮りたいのか。

それそこ被写体ならいくらでもいるだろうに。

落としの遊里のあだ名にハクでも付けたいのか。

「あきらめてください。」

「困ったことに、諦められない。」

即、返ってきた。

ごく真面目にと思えつつ、笑いを含んだ言葉だった。

「私もこれまで師匠の元と、自立してからも写真は撮ってるけど、あなたはその中でも珍しい。」

珍しいって・・・人を珍獣扱い? 失礼な。

「断られても、こんな風に電話をかけて交渉する事なんて滅多にないわ。」

「・・・いつもそんな風に、口説いて”落として”るんですか?」

これが彼女の手口かと思う。

真菜みたいな女子高生ならイチコロで舞い上がるだろう。

でも、私は違う。

そんなものに惑わされない。

「そんなつもりはないんだけど・・・そう思う?」

交渉もある意味、口説くのと一緒のような気がする。

でも、交渉は見返り無しの物事の取り進め。

”口説き”は下心有りの取り進め方。

「思います。」

ハッキリ言ってやった。

すると笑い声が聞こえた。

「参ったわね、手強いわ小日向さん。」

「ですから私を撮ろうだなんて、やめた方がいいです。」

私も忙しい。

「そうしたいところなのだけど、できないのよね。」

「よほど暇なんですね、私だったらこんなことで時間を無駄にしない。」

嫌味を言ってやる。

「そうね、時間の無駄なのは知ってるわ。それでも撮りたい気持ちの方が強いの。」

・・・強情なのはこの人も一緒のようだ。

でも、折れてやらない。

嫌なものは嫌、これは一貫している。

「いつまで話しても平行線ですから、切ります。」

撮りたい、嫌、一向にくっつかない会話。

こんなことは無意味。

「また、明日かけるわ。」

「何度かけてきても一緒です、それに出ませんから。」

「私は、諦めが悪いことで有名なの。」

物腰が柔らかくも、食い下がる相手に私はイライラしてくる。

どなりつけてやりたいのをぐっと我慢した。

本来なら、もっと早くに爆発しているところ。

そうならない状態は私にしては珍しい。

「そうですか。」

そう言って問答無用に通話をブチ切った。

すぐにかけ直して来るかと思ったけれどそれはなかった。


・・・つかれた。


お風呂から出たばかりだというのに、怒りで熱くなって汗をかいてしまったじゃない。

そのままベッドに身を沈める。

私は、壁に貼り付けたポストカードに視線を向けた。

 群青な海と、海の上に立つ古い建物群は私を涼しくさせてくれるかと思ったけれどよけい私を暑くさせただけだった。



最初のアクセスはそれだけだったが、彼女はやはりその後に毎日電話をかけてきた。

あまり毎日来るので、着信拒否をしてやろうと思ったけれどなぜかそれは躊躇していた。

 着信拒否しても、出ないのと一緒だからあまり変わらない。

そんな理由をつけて、そのままに。

ロッソも、フランツもかかってくる携帯に『出ないの?』

と聞いたが「出ない」と私は答えた。

 それが留学1ヶ月を切ったところまで続く、さすがにこう毎日だと呆れるより気になってくる。

こちとら、留学の準備でいそがしいというのに。

今日は練習中にかかってきた、たまたま練習時間と重なったのだ。

私はもう苦笑して、チェロを抱えて携帯に出た。

しつこすぎ。

私も強情だけど、向こうはもっと粘り強いわ。

さすがの私もお手上げ状態。

「しつこすぎ。」

出た早々言う。

「出てくれたのね、ありがとう。」

「電話には出たけど、写真には撮られないわ。」

「気が変わったのではないの?」

「間違わないで、電話に出る気にはなったの。」

写真は今でも、今後でもずっとそうなる。

誰が撮っても一緒。

「でも、ちょっと進歩だわ。」

「あなたがしつこくかけてくるからよ、こっちは留学の準備で忙しいというのに。」

「そうだったわね、ごめんなさいね。」

本当にそう思ってるのか疑わしい(苦笑)。

「今は大丈夫なの?」

「だから出てるの、ちょうど練習が終わったところ。」

抱えたチェロを体から離し、携帯で話しながら片づける。

「チェリストだものね。」

「それで留学するんです。」

いまさら納得するように言うので私は笑ってしまう。

初対面で、私のファンになったって言ったじゃない。

チェリストだってのを忘れていたの? ひどいわね。

「その前に、と思って。」

「ですから、写真は撮られません。」

「そこを、曲げられない?」

「・・・信念とかじゃなくて、本当にダメなんです。」

「うーん」

向こうで唸る。

仕方がないじゃない、笑えないんだから。

写真でむっつり、しかめ顔ってのもないし。

「聞きたいんですけど、どうして津田さんは私を撮りたいんですか?」

撮りたい、撮りたいとは聞いた。

なぜ撮りたいかは聞かなかった、撮りたい理由が「撮りたい」に含まれていて隠れてしまっているから。

「初対面の時と一緒よ、あの時撮ったのはあなたに惹かれたから。」

その後で、すぐに『あ、誤解しないでね別に変な意味はないの』と付け加えた。

落としの遊里、本領発揮かと思うような台詞。

この私すら、ドキッっとさせられたくらいだから。

「あなた、世間では間違った自分の姿で思われているから誰かがあなたの本当の姿を紹介しなきゃと思ったの。」

別に、紹介しなくてもいい。

津田さんの好意はありがたかったが、世間から注目をあびるのはあまり好きではなかった。

そんなわがままは、チェリストとしては失格なのだろうけれど。

「私は口コミで広がってゆけばいい。」

「B級グルメと一緒でいいの?」

「他はほかで、私は私の考えがありますから。」

「強情なのねぇ。」

「性格なので。」

「・・・じゃあ、一歩譲って、お友達はどうかしら?」

は?

一歩譲って・・・・って。

話が全然違う方に。

「なにを言ってるのか全然、分からないんですけど。」

写真を撮る話から一転、友達? なにそれ。

「少し、親しくなれば写真が撮れるようになるかと思う考えなんだけど。」

・・・そういうこと。

考えが薄すぎ、そんな簡単に撮れるのなら真菜だって私の写真を撮ってるわ。

「あなたが考える程、そんなに簡単じゃない。それに私には時間がない。」

留学まであと1ヶ月、準備もまだ色々あって忙しいのにその期間で親しくなれるとは思えない。

 交差した時間は初対面の時と、雑誌の撮影とキャッチもどきの雑誌の撮影交渉と短い時間。

「その時は、ドイツまで行くわ。」

私はその言葉に呆れた。

ドイツまで来る? 普通、そこまでしない。

「その執着はどこから来るんですか、まったく。」

言葉がこれ以上繋げない。

「あなたへの興味ね、容姿もさることながら性格が面白い。媚びないし。私が撮った子たちは皆大体大人に媚びるの、自分をどん欲にアピールするのにあなたはそうしない。」

媚びるなんて性格上、絶対できない。

はたから見ていたら吐き気すらする。

「異端なのは自覚してます。」

輪に簡単にはとけ込めない自分。

なじめない、人間関係。

今までそんな音楽環境の中で生きてきた、これからも変わらないんだろうなと思う。

変わろうとも思ってないし。

「だから、あなたをもっと撮りたいの。」

もっと、って無許可写真数枚撮っただけじゃない(笑)。

「あなたを知りたいわ。」


・・・・なんだか、微妙な台詞。


言った本人は気がつかなかったのだろうか、これじゃあまるで・・・さっき言われた言葉が思い出される。


 あなたに惹かれたの。


これは好意?

写真を撮るという行為に隠された好意なの?と察する。

男性に言い寄られたことも、告白されたことも何度もある。

でもさすがに女性はない(苦笑)。

思いもよらないじゃない。

けど、口に出して言われたわけではないのでそうかどうかは確認できない。

 違うかもしれない。

「・・・そんなに執着されたのは初めてですよ。」

「こんなに執着したのは私も初めてよ。」

通話が一時止まる。

たぶん、私も彼女も同じ事を思っていたのではないか。

「撮らせて欲しいの。」

もう一度言われた。

「撮ってもガッカリするだけです。」

「どうして? まだ撮ってもいないのに。」

「誰でも一緒ですから。」

「そう? 私でも?」

自信、その自信ってどこからくるの?

あだ名の自負?

こうなるとまた、問答になってしまう。

会話を終わらせるのはまたしても私の、ブツ切りしかないのか。

「考えておいて、またかけるから。」

また、電話がかかってくるのか。

うんざりした。

津田さんの話口は嫌いじゃないけど、撮られたくない写真の話をするのはもうたくさん。

「もう、かけてこないで。」

私は言った。

「留学に集中させてください、お願いですから。」

私にしては勢いのない言葉だったと思う。

これが写真の話ではなければ、もっと話がはずんだと思うのに。

「···ごめんなさい、ずけずけと話をしてしまったのね。」

「いえ。」

「迷惑をかけてしまったわ、本当にごめんなさい。」

落ち込んだ声に、情けを掛けてはいかん!と思う。

作戦じゃないにしても、できないことは了承しかねる。

「じゃ。」

今度はぶっつり切ることはしなかった。

ゆっくり切る。

またもや出るのはため息、この間もため息で今日もため息。

この人に関しては私はため息しか出てこないのか。

これでかかってこなければ、留学に支障が出ることもない。

しまいかけたチェロを見ながら、私は複雑な気分だった。



電話は来なくなった。

あの人はちゃんと約束を守ってくれたようだ。

イタリア語はほぼマスター、難しいフランス語もあのフランツ相手に8割方上出来の仕上がり。

手応えもあった。

「天才は天才って、いつか言ったわね。」

真菜が私に言う、とある日の学校の帰り道。

「言ったっけ?」

「言ったわよ、フランス語までマスターだって?」

「まだ足りないわ、ラテン語、オランダ語、チェコ語、ロシア語だってある。」

「うへー、そんなに話せてどうするのよ。」

「留学先は民族のるつぼよ、話せないより話せる方がいいじゃない。」

まあ、そうだけど・・・と真菜は言う。

「普通一般は、英語だけでも大変なのにさ。」

「役立つことはしておく、準備ぬかりなし。」

「パーフェクツ、ですな。小日向冴子殿は。」

呆れられたらしい、首を振ってちゃかされた。

「あ。」

「なによ、びっくりした。」

いきなり、声を上げる真菜。

「私、用事を思い出した。」

「用事? 帰るとき聞いたら無いって・・・」

「え、あ、そんなこと言ったっけ?」

あわてる。

言ったわよ、聞いたんだから。

それになにか、挙動不審な態度になる。

「・・・ちょっと、何か私に隠してない?」

私から離れようとした真菜の腕をつかむ。

「ごめん、急ぐから!」

「なにを、そんなに慌てているの?」

これは何かあると、直感的に感じた。

「あーっと、用事がー・・・」

「ほんとはないんでしょ? なにを隠してるの、言いなさいよッ。」

「あーほんとに、なにもないって!」

私の腕の中で暴れる。

「こんにちは。」

ふと声が割り込んできた。

その声に、ざわりとする。

「あ、助かった。」

真菜が声に出す。

私の腕がゆるんだ隙に真菜は抜け出した。

「ちょっと・・・!」

「ごめん、冴子。勘弁~~~」


逃げた、あいつ(まな)!


まさかと思うけど、目の前に居るこの人を呼んだのは真菜?

「・・・今度はなんですか?」

私は髪をかきあげながら、うんざりしたように言った。

今日はカメラは持っていない、カメラマンの津田さん。

「彼女を責めないであげて、私が頼んだの。」

「電話はかけないでとは言いましたけど、その代わりがこれですか?」

「ごめん。」

目の前で謝られても。

「一応、私は学生ですから付きまといは犯罪ですよ。」

訴える気はないけど、これくらい言わないと引いてくれそうにもない。

「そうなのは分かってるんだけどね。」

「・・・・」

感触でこれは引きそうにもないと分かる。

こんなにしつこい人は男女ともに初めてだわ。

しかも、悪そうに見えない感じの津田さんだけにたちが悪い。

「どうしたら分かっていただけるんでしょうか?」

私は津田さんを見る。

「会って、少しは・・・と思ったんだけどやっぱり無理そうね。」

「無理、と言ってるじゃないですか。誰に言われても私はNOと答えます。」

顔を合わせたからといって、真菜じゃあるまいしころっと変わるなんてことはありえない。

「・・・どうしても、ダメ?」

「・・・・・・・・」


年上のくせに、この人ーーーー。


私がぐっと、詰まる。

真菜がころっときたのとは別なアプローチで来た。

天然なのか、計算なのかは表情からは全く読めない。

大概、大人という生き物は欲のかたまりで接してくるのにこの人にはそれが見つからなかった。

 て、手強すぎる・・・。

それが最終的な印象になった。

しかも、それが”かわいい”と思ってしまうなんてどうかしたとしか思えない。

私は頭を抱えた。

いかん、この人と居ると自分が崩れてくるような気がする。

さっきまでの怒りですら、あっという間にどこかへ行ってしまった。

「とにかく、逆立ちしたって無理!そんな顔しても無理!」

そんな態度に負けないように私は声を上げる。

もう、外見とかは気にしない。

雰囲気に飲まれないようにするしかなかった。

「美人さんなのに、もったいないー」

「そう言うことを言われるのが、私は嫌いなのよ。」

さっきまで、諦めるかと思う態度を取っていたのになんだか持ち直したわね。

「どうしてかな、誉め言葉なのに。」

「人にどうこう言われるのがムカつくのよ!」

ふふっと、笑われた。

さらにそれが私のカンにさわる。

「なに笑ってるのよ、こっちは怒ってるのよ?!」

「ごめん。でも、小日向さんって誉められると照れ隠しに怒るタイプ?」

ガンと頭を殴られたような衝撃が来た。

誰も言わなかったのに、それを言うか!?みたいな。

自覚はしてたわよ、自覚は。

でも、それを認めるのが嫌だったのに。

この人は!!

なんでそう、ズケズケと人の中に入ってくるのか。

「いい加減にしたら!? そこら辺のストーカーと変わらないわ、警察呼ぶわよ。」

キレた。

キレたわよ、私。

人の神経を逆撫でする人には久しぶりに出会ったわ。

ちなみに叫んだのも。

「そんなことはしないわね、小日向さんは。」

いつ動いたのか、津田さんが私の前に立っていた。

ちょっと目を離しただけで。

笑ってる。

余裕なのか、はったりなのか。

「なんでそんなことが分かるわけ?」

「うーん、何となく勘で。」

勘ー? そんな不確かな理由で?

「本当のこと、言ってしまおうかな。」

「は?」

また、この人は雰囲気を変えてしまう。

にっこり笑って、この人はとんでもないことを言った。

「正直に話すとね、写真はどうでもいいの。」

「はっ?」

「ごめんね、もっと直接的に言えばよかった。」

なにを・・・?

「これを、あなたに。」

どこからか、どこに持っていたのか、小さい花束が私の目の前に出された。

「これって・・・」

「プレゼント、あなたに。」

「それは見れば分かるわよ。」

私も混乱で、タメ口になっているのには気づかなかった。

「そして、私の気持ちかな。」

一瞬、思考が停止した・・・ような気がする。

ちょ、ちょっと待った。

なんか、今すごく変な事聞いた気がするんだけど・・・。

津田さんは私が見ると肩をすくめ、苦笑した。

「・・・マジメに?」

「うん。」


うん、って大の大人が、うんって頷くなぁーーー!


いやいや、だいぶ混乱している自分。

衝撃が大きすぎてすぐに正気に戻れなかった。

確かに、電話や態度でそんな感じを醸し出していた。(疑問に思ったのは最近だけど)

「決定的な障害があるわ。」

「性別は気にしないタイプなんだけど、私。」

・・・でしょうね(呆)。

でも、私は気にする! 一緒にするなっーのよ!!

とは、声に出さないで溜め込んだ。


と、とりあえず落ち着け、私。


相変わらず、目の前ではにこにこと無害そうに笑ってる、津田さん。

「聞かなかったことにする。」

「今、ばっちり聞いたでしょ?」

「いや、いや、幻聴よ、幻聴!!」

「ちゃんと、言わないとダメかな?」

「言わなくても、いい!」

激しく拒絶、いきなりの急展開だわ。

くらくらする、私の写真を撮る話から変な方向に話が逸れて行ってるし。

「私ね、女の子から言い寄られることの方が多いの。どうして私に?って思ってたけど今はその子たちの気持ちが分かるわ。」

そういうわけか(苦笑)、今にして思えば、そんな雰囲気があった。

『落としの遊里』だなんてのも例えて妙。

「分からなくていいわ、留学前に変な事を言わないで。」

「変?」

「変でしょうが、私は女であなたも女。」

指でさす。

昔、遠い昔だけど母親に人を指差すなとは言われたけど今は忘却!

「まあ、確かに。」

津田さんは私にそう言われてもまったくの動揺なしで、『ああ、そうね』のノリだった。

「ありえない組み合わせでもないでしょ?」

「どんだけ前向きなのよ!」

「・・・あんまり怒ると、貧血で倒れるわ。」

プッ。

本日、二度目のキレた。

あー、もうなんでこう、私の神経を逆撫でするようなことを・・・!

「ーーーとにかく、この際、写真も今言ったことも出会った事も白紙!」

「出会った事も?」

「そう、私は留学してリセットするのよ。」

津田さんは少し表情を変えた。

つい直前まで、私が読めないほんわか表情だったのに。

「それはちょっと悲しいかな。」

「別に私は構わない。」

そう言い放ったのに、津田さんの表情に私の方がズキリと痛む。


い、いかん、いかん、絶対にダメ!

流されるのはマズイ。


皮膚が感覚でそう感じる。

これ以上、物理的に精神的にも近づいたら引きずられてしまう。

「帰る。」

ぶっきらぼうに言い、私はあとずさった。

邁進を旨とする私が、後ろに下がったのは後にも先にもこれだけ。

くやしいけど敗退に近い、逃げるのと同じだから。

「待って。」

ところが、敗退の状況に追い討ちをかけるかのように私は服の上から腕を掴まれた。

「離して!」


ざわり。


肌に直接触れられていないのに、鳥肌が立つ。

忘れていた記憶が、片隅に残っていたものがフラッシュバックする。

なにもこんな時に、思い出さなくてもいいのに。

「うっ・・・」

私は何かがお腹から喉に逆流するのを感じて口を押さえてその場に崩れ落ちる。

「小日向さん?!」

津田さんは慌てて私を抱えた。

ここで醜態を晒すのは絶対にしたくなかったので、私は必死に押さえ込む。

気を抜けば吐きそうだった。

それでも、私の強固なプライドが勝り、じきに私は落ち着きを取り戻した。

あの男の記者に腕を掴まれそうになった時にはこんな風にはならなかったのに・・・。

私は彼女に支えられて息を吐いた。

「もう、大丈夫・・・」

もたれていたのに気づいて、私は彼女の身体を押しかえす。

「本当に?」

「大丈夫です。」

そう言いながら、力が入らなかった。

さっきまでの威勢がどこへやら、情けない。

「···私のせい?」

「違います。」

それは違う、直接的な原因じゃない。

「つらいなら、送るわ。」

彼女はそう言った。

私は断ろうとしたけれど、家までの距離を考えてやはり送ってもらうことにした。

話が途中で途切れたので、これはこれで良かったのかも知れない。



「大丈夫?」

津田さんは心配そうに運転しながら何回も聞く。

私は要所で道を言いながら、彼女の車の助手席でぐったりしていた。

大丈夫とはいいながら、気分がものすごく悪い。

悪態すらつけない状態。

「・・・・」

まずいことに途中でもう、話す事も出来なくなった。

そういうことになってしまったので車は予定を変更して、コンビニの駐車場の端に止まる。

「熱、じゃないわよね?」

私のおでこに恐る恐る触れて聞いた。

さっき、私の腕をつかんでから悪い状態に陥ったからだと思う。

「・・・少し休めば、直りますから・・・」

かすかに、手が震えている。

吐くのを押さえ込んだ私だけれど、さすがに震えまでは押さえ切れない。

「寒いの?」

私は首を振る。

寒さじゃない、私は私自身を知っている。

私は稀に時々、こんな状態に陥った。

嫌になる。

私の場合は、意図を持って触れられた時に起こる。

それも、誰も彼もではなく、そして予見できない。

過去に受けた事の後遺症だった。

「参ったわね、こんな事になるなんて・・・」

「ごめんなさい」

「あなたが謝る事なんてないわ、私が悪いのよ。」

シートを倒し、身体を楽にさせてくれた。

「嫌だと言っているのに、あなたに私自身を押し付けてしまった。」

「・・・・・」

「実はね、落とせると思ってたの。あなたの事。」

津田さんも、運転席のシートを倒して私の目線位置に。

「でも、難しいわね。上手くいかない。」

弱く笑った。

「こんな時に言うのは反則よね。」

「・・・反則です。」

「やっぱり甘くないか、くすぐれないかと思ったんだけど。」

車はどうやら外車で、座席もそれ専用ではなくオーダーのようだった。

身体が固く当たらないので、しっくりする。

「でも、やっぱり言いたい。」

「玉砕ですよ? 言わぬが花ってものです。」

「言うわね、落ち着いた?」

「少し。」

それでも少しだるくて、身体が重い。

津田さんが手を伸ばして来た。

びくり、と私の身体が反応する。

その様子を見て、津田さんは悲しそうな表情をした。

この人のせいではないのに、と思う。

それでも、どうしても触れたい気持ちの方が大きかったのか私の髪に触れた。

私は目をつぶる。

完全に心を許したわけではなかったけれど、信じることはできた。

「いいの? 私にこんな風にさせて。」

「津田さんは、弱ってる私を襲うなんて卑怯なマネはしませんよ。」

「クギを刺されちゃったわね。」

気分は最悪だけれど、会話が心地いいだなんて初めてだった。

それに髪を撫でられ、すかれていると不思議と落ち着いた。

「あなたが好きよ。」

ふいに耳に入って来た。

「聞きませんから。」

「・・・しっかり、聞こえてるんじゃないの。」

「心まで届きませんので。」

ぷっと笑う。

「届けば、答えてくれる?」

「黙秘します。」

「初めて会った時から・・・ずっと気になってた。」

その割には、再会するのが遅いんじゃないの?と文句を言いたくなる。

「私は全然ですけど。」

「そうみたいね、ちょっと悲しかったなぁ。」

はははと、今度は乾いた笑い。

「音楽雑誌の仕事は、最初乗る気はなかったけど、相手があなただって聞いてすぐに受けたの。」

「写真、バシバシ撮られるのが嫌だったヤツ・・・」

思い出した。

消去する写真の事もあったから、その上、気もそぞろだったんだっけ。

「ホントに嫌そうにしてたわね、撮っていていいのがなくて困ったわ。」

サービスはしませんので。

「いつもは私が追いかけられる方なのに、逆に追いかけるなんて思わなかった。」

「追いかけられるのは男女ともに?」

「いいトコ付くわね。んーどちらかといえば、残念な事に女の子が大半。」

残念とは言いながら、全然残念そうに思えない言い方に苦笑する。

この人には本当にあまり性別は関係ないようだった。

私の周りには居ない、まあ普通に居ないことの方が多いか。

「大勢の女の子に言い寄られるより、あなたと言い合いしている方がいい。」

「・・・私のどこが気に入ったんですか?」

「その、他の人と距離を置いているところ。一匹狼的なところかな。」

一匹狼って・・・小さく笑う。

「ただの一匹狼じゃないのよ? 気高くて、容易に触れられない。 」

「言い過ぎじゃないですか、それ。」

「ううん、言い過ぎじゃない。異端と言われても頑として自分を変えない姿に、少なくとも私にはそう思える。」

くすぐったい言い方。

いつもなら素直に言葉を受けないこの私が反論しなかった。

意識が薄れてゆく。

いけないと思いながらも身体がいうことをきかなかった。

「少し、寝る・・・」

津田さんのことは信用していたので、私はしばらく意識を手放す事にした。

普段の私としては考えられない事だ。

遠くのほうで津田さんの声が聞こえたけれど闇に引き込まれ、すぐに掻き消えた。



どれくらい寝ていたのか分からないけれど、私はある時点で起きた。

気分は爽快ではないが、倒れた時よりはだいぶいい。

「?」

目を覚まして、ふと思う。

私は車の助手席に寝ていたのではなかったか?と。

車の助手席にしては、身体の自由がきいてゆったり手足が伸ばせた・・・。

「?!」

起き上がって確認する。

私が寝ていたのはベッドだった、思わず着ているものを確認してしまう。

ブレザーの上着は脱いでいたが、ちゃんと制服だった。

 ここは・・・?

見慣れない部屋。

私の部屋でもない、意識を失う前は車の助手席だったのに。

 津田さん・・・?

私はベッドから降り、壁に掛けてあった上着を取って部屋を出た。

部屋を出ると津田さんとばったり会う。

「起きたの? 大丈夫?」

「ええ、だいぶマシにはなりました。ありがとうございます。」

きちんとお礼は言うわよ?

「あのままで居たかったんだけど、あなたがあまりいい状態じゃなかったから場所を変えたの。私はあなたの家は知らないから、ここに運んでしまったのだけれど。」

「すみません、手間を取らせてしまって。」

「いいのよ、別に。」

そう言うときびすを返して津田さんは移動した。

「送っていくから少しソファーに座って待っていてくれる?」

「はい。」

私はこころならずも彼女の家に入っていたようだ。

まさかこうなるとは夢にも思わなかった。

ソファーに座ったけれど、私はすることが無く手持ちぶさたでいる。

じろじろ見るのは失礼かと思ったけれど、することが無く、座りながら視線を送ってしまう。

「でも、家・・・?」

思い出した、住んでいるところって横浜って聞いたけど・・・。

まさか、横浜?!

窓に近づいて、カーテンを開けた。

眼下には見慣れない風景が広がっている、ランドマークらしきものも見当たらないので場所の特定ができない、そして私の近所でもなかった。

 どこよ、ここ?!

「準備できたわ、どうしたの?」

「ここは?」

私は振り返って聞く。

「ここ? 私の別宅。」

そう言って、津田さんはいたずらそうに笑う。

「別宅?」

「そう、親の持ち物でいろんなところに点在してるの。処分すればお金がかからなくていいんだけど便利だから処分しないで使ってるのよ。」

別宅が点在って・・・どんな親なのよ、それをお金をかけて使ってる津田さんも普通じゃない。

「どこなんです、ここ。」

「あなたが気分が悪くなったところからひと街離れたところかな、近くにあってよかったわ。さすがにホテルへは行けないもの。」

「津田さんって、お金持ちな人なんですか?」

「お金持ちは親で、私じゃないわ。それにコレは遺産のひとつ。」

「遺産?」

「親はもう居ないの。」

「あ、ごめんなさい。」

「随分前の話だから別に構わないわ、それより準備はいい?」

「はい。」

私達はマンションらしき場所から出た。

こういうのが全国に点在しているのだろうか、人ってわからない。

「おうちに電話した方がいいんじゃないかしら?」

津田さんがそう言うので時計を見た。

帰宅時間が3・4時間ずれている、門限はないけれど遅くなる時は必ず電話はしていたので連絡が無いので心配しているかも知れない。

電話をするとすぐに母親が出た、やっぱり心配していた。

もっと心配すると困るので事の次第は言わなかったけれど、もう少しで帰ることを伝えた。

ぷち、携帯を切ると深く息を吐く。

「大丈夫だった?」

「なんとか。」

「1時間はかかってしまうわね、申し訳ないけど。」

別に構わないと言い、私は少し薄暗くなった窓の外を見た。

そんな私に気を使ってか、津田さんは何も言わずに車を走らせた。

 ・・・今日は帰宅途中から、ひどい事がありすぎた。

ひどいことは、気分が悪くなった事も入るけれど津田さんに告白された事も入る。

何を好き好んで同性の私に告白するんだか、分からない。

正直とまどっていた、嫌だといって、突き放せない自分に。

落としの遊里・・・あながち、というより全然嘘じゃないわね(苦笑)。

意識していなかったのに、好きだと言われると意識してしまうのは私だけじゃないはず。

でも、まだ未確定な気持ちだから早って”はい”とは言えない。

それに、留学するまで間もないし、私は留学のためにドイツへ行ってしまうのに。

 準備に準備を重ね、気を楽にして留学に行けるかと思ったのに直前で頭をかかえる問題に突き当たってしまい私は頭が痛くなった。



頭をかかえつつ、留学の日はついに来た。

学校から数人見送りをすると言われたがあまりにも恥ずかしいので止めてもらった。

万歳三唱でもされたら困るし(爆)。

ステイ先までは、留学の手続きをしてくれた協会の人が同行してくれる予定だし何も問題はない。

父親は仕事で来ず、見送りは母親と真菜他2・3人くらい。

友人は少ないのは自覚しているし、別に構わない。

「冴子なら絶対、ビックになるわ。」

真菜は力説する。

「当たり前じゃない、何言ってるのよ。そのつもりで行くんじゃないの、普通のチェリストなら日本で十分でしょ。」

「・・・相変わらずね、その感じならホームシックとかならなさそう。」

「ならないわよ。」

そんな弱気にもなるつもりもない。

勝負しに行くんだから、強気でいかなきゃ。

「じゃあ、小日向さん、行きましょうか。」

同行してくれる女性の斉藤さんが言う。

「はい。」

これでしばらく日本とはサヨナラになる、不安も吹き飛ばして望みたい。

もう一度だけ振り返って、私は決心を固めようとした。

「?!」

ヨシ、と思ったのもつかの間、私は目を凝らす。

「真菜。」

私は真菜を呼ぶ。

「言ったの?」

「あ、・・・うん、ゴメン。またしてもつい・・・」

こいつは・・・彼女の手先ではないのだろうかと思う。

津田さんは遠くから気づいた私に軽く手を振るだけで近寄っても、声をかけることもしない。

「”一緒に”って言ったんだけど津田さん、遠くからでいいって。」

私は結局あの人に返事をしなかった。

自分の中で答えがはっきり出ていなかったから。

そして、いつはっきりするかも分からなかった。

ま、いいか。

あの人、気が長そうだし(笑)。

私の留学中、気が変わったらそれはそれでいい。

元の鞘に戻るというもの。

私は笑って、搭乗口に向かった。






「ミス、サエ子。」

「ヤー。」

私は名前を呼ばれて、廊下で大量の楽譜を抱えながら振り返った。

「君にお客さんだよ。」

学務員のヘルツさんが通り過ぎた部屋の窓から顔を出している。

「私に?」

「そう、ジャポネーゼ。途中でミスターに会ったから彼が部屋に連れて行ったよ。」

師匠が?

これからレッスンだったけど、連れて行くというのが解せない。

いつもなら、邪魔だと追い出しそうなのに。

私はいそいで、楽譜を持ってレッスン室へ向かった。

「失礼します、入ります。」

今から3時間ほど、師事した先生からレッスンを受ける。

「お、緑茶を出してくれないかな、サエコ。」

入るなりお茶を出せと言われる。

「何度も言ってますけど、私は先生の助手やメイドじゃないんですよ。」

ドン、端の方に置いている机に楽譜を乗せる。

「私よりは美味く出せるだろう? 日本人なんだから。」

インスタントなのでそれはもう、完璧に。

それくらいは自分でして欲しいところ、確かに私はレッスンを受ける側の人間ですが。

「それなら、今日はちゃんとレッスンしてください。いつもいつも日本についての話しかしなくて私は半年も居るのにきちんとしたレッスンを受けていないんですから。」

私は言った。

「まあ、気長に行こう。そんなに急いでも仕方があるまい?」

・・・・・気長、とは(呆)。

他の生徒はどんどん、レッスンを受けて上達しているというのに。

中にはもう、コンクールに出ている生徒も居る。

私はいまだ、師匠の世話係みたいなポジションだった。

「で、私にお客だって聞いたんですが。」

「そうそう、日本の話を聞こうと思ってな。」

「・・・私のレッスンはどうするんですか。」

「明日もあるだろう? ご友人は今日しか居ないらしいから今日はゆっくりしようじゃないか。」

「先生がそれを言いますか?」

「まあ、まあ。あせらない、あせらない。」

毎度、このペース。

とても世界のチェリスト5人に入る人とは思えない。

「君の後ろに居るよ。」

「えっ?」

そういわれて私は振り返った。

「こんにちは。」

そのひとは相変わらず、にっこり笑って佇んでいる。

「ええっーーー?!」

一瞬、思考が停止してしまった。

混乱する、ここに居ることが信じられなかったからだ。

「どうして、ここに!」

「私に聞かれても知らんよ、サエコの友人だろう?」

思わず本人にではなく、師匠に聞いてしまったじゃない。

「とうとう、こんなとこにまで・・・」

「随分な言われよう。」

「だってそうじゃない、こんなドイツくんだりまで・・・」

「残念ながら、ついでよ。あなたに会いに来たのは。」

「ついでだそうだぞ。」

師匠・・・国外に出るのは嫌なくせに日本語は堪能なんだから。

「ついでなら、別に会いに来なくてもいいのに。」

私はボソリと言う。

わざわざ、”ついで”と言う理由がある?

まるで当て付けみたいに。

そりゃあ、津田さんからは手紙は来ても返さずに無視してたけど。

嬉しくなかったわけじゃなくて、返すのが恥ずかしかったから出せなかったのよ。

「どうですか、彼女筋は?」

あなたが聞くな!

「うーむ、なかなか筋はいい。」

師匠も”うむ”と、腕を組んで頷く。

・・・よく言う、全然レッスンをしてくれないくせに。

「じゃあ、師匠と弟子ってことでお写真を1枚よろしいですか?」

手に持っているカメラを見せた。

「ちょ・・・! 止めて、何するのよ。」

私が写真を撮られるのは嫌いなの知ってるのに。

「いいじゃないか、一枚くらい。知らない人間に撮られるわけでもあるまい?」

「嫌です、絶対に。」

師匠はオーノーというようなジェスチャーをする。

「サエコはなあ、こんなに美人なのに写真を撮る時はいつも仏頂面。大体いつも嫌だと言って逃げるんだ。」

「わかります、まあ、雑誌に乗せるわけでもないですから仏頂面でも構いませんので。」

にっこり、津田さん。

「ちょっと・・・!」

「ほらほら、来い。」

腕を掴まれて寄せられる。

それを見て津田さんはハッとしたけれど、以前津田さんの時に出た現象は起きなかった。

「笑いませんから。」

「別に笑わんでいい。」

カシャッ☆

「・・・ほんとに笑ってないのね、それにレンズも見てないし。」

苦笑して津田さんは言う。

「幾ら言っても聞かん、ま、それもサエコらしいが。どちらにお泊りかな?」

「公園近くのホテルです。」

「ああ、あそこか。うちにも近いな、サエコの下宿アパートにも。」

「どうするんですか?」

嫌な予感がする。

「せっかく尋ねて来られたのだからな、もてなしくらいしよう。どうかね?」

「でも・・・」

津田さんは私を見る。

ずかずか尋ねて来たってのに、今更私の顔を覗うかな。

師匠は私と津田さんを見て、キッパリ言った。

「では、決まりだ。君を夕飯に招待する、もちろんサエコは同席。欠席は許可しない、いいな?」

「・・・はい。」

超強権発動。

私には拒否する力は無く、頷くしかなかった。




「用意できました?」

「うん、出来たけどほんとに普通の服でいいの?」

服装を気にしているようだ。

「大丈夫ですよ、ホテルのレストランに行くわけじゃないので。ラフな格好で。」

私もワンピースだし。

「あのミスターの家?」

「いいえ、ごく普通の大衆レストランです。着飾ったのはあまり好きではない方なので。」

お店はホテルから歩いて5分くらいのところだった。

予約を入れていたから一番場所の席。

席料を取られるところじゃないけれど、人の行き来が少なく落ち着いて食事ができる席。

なんといっても大衆レストランなので、騒がしい事この上ない。

「いらっしゃい。師匠、先来てるよ。」

「ありがとう。」

入るとこの道、25年のウエイターが声を掛けてくれた。

ここ半年、通っているようなものなので気安い。

「すまんな、先やっている。」

席に着くと、すでに師匠はビールジョッキ片手に1杯。

「いいですけど、飲みすぎには注意してください。それでなくてもお医者さんに注意されているんですから。」

私達も座る。

「ドイツといったらビールだが、ビールと言っても種類は多い。あなたの好きなビールはなにかね?」

「あまり気にして飲んだ事は無いので・・・」

「では、私のおススメを飲んで頂こう。」

ウエイターを呼び、料理とビールを頼む。

「私はミネラルウォーターで。」

「許可するぞ、サエコ。」

「一応、飲めますけど仕事がありますので遠慮します。」

津田さんがこちらを向いたので説明する。

「ドイツの法律だと、16歳からアルコールは解禁なのよ。」

それでいうと私は飲めるということになるけれど、あまり美味しいと感じたことはなかったので普段も飲まなかった。

「そうなの、でも仕事って・・・」

「師匠のレッスンだけじゃ勉強にならなくて外でも勉強なの。」

「勉強はどこでもできる、教室の中ででは得られないものが外にはある。」

・・・そう言って、全然教室でレッスンしてくれないだけど、師匠は。

「いい生徒ですか?」

「もちろん、緑茶を入れるのが上手いしな。」

インスタントだってば、ゴホン。

さっそくビールとドイツの家庭料理が出てきた。

「おいしそうですね。」

「いずれもビールに合う料理だ、ぜひ食べて行って欲しい。」

高カロリーだけど(笑)。

そう思いながら私は、お皿に料理を取り分ける。

「ありがとう。」

「いえ。」

不思議な感じ。

今、一緒のテーブルに居るのが。

ここは日本じゃなくて、ドイツなのに。

「慣れた?」

食べながら聞いてきたので私は頷く。

「手紙、読んでくれた?」

そう言われて、手紙の侘びを言っていなかったのを思い出す。

「読んだけど、ごめんなさい、返事しなくて・・・」

「読んでくれたのならいいわ、捨てられちゃったのかと思って心配してたの。」

「それはないわ、ちゃんと読んだし取ってあるもの。」

返事は書きかけて、手をつけてないけど。

「元気ならいいわ。今日は元気かな、って顔を見に来ただけだから。」

わざわざ、ドイツに? それもついでで?(笑)。

素直に本当は私の顔を見に来たって言ったらいいのに。

私は笑った。

「惜しいかな。」

「え?」

ポテトを食べようとした手が止まる。

「そういう、表情が撮りたいんだけどな。」

ああ、写真の話。

こういう時でも写真の話をするのね、まったく。


でも、津田さんの納得できる私の写真が撮れた時はどうなるの?


「・・・ご飯がまずくなるじゃない。」

「ごめん。」

「その、写真から離れられないの? 津田さん。」

私は肘をテーブルに付いて、フォークで添えのクレソンをつつく。

「ごめんなさい・・・気分を悪くしたみたいね。」

「夕飯は楽しく食べたいのよ、1日の最後だし。」

「行儀が悪いなサエコ。」

師匠が声をかけてきた。

「分かってます。それとも”写真”が無いと私と会話が出来ないとか?」

津田さんを見る。

「そんな事は・・・」

「なら、写真の話はしないで、今後一切。」

「・・・・・」

「そのほかの話なら、相手をするわ。」

「サエコ。」

「分かってます、先生。」

私はきちんと背を伸ばし、席に座った。


 夕食の時間が半分くらい過ぎた頃、私は立ち上がった。

お店にはたくさん来客しており、熱気で窓ガラスが曇るくらい。

私が立ち上がると、大半の人が期待を込めた目で私を見る。

「どうぞ、レディ。」

「ありがとう。」

「小日向さん?」

彼女は私を見上げる。

この中で唯一、そのイベントを知らない人。

「これから、イベントが始まるんだよ。」

師匠が声を掛けたので私は導かれ、小さなスペースに向かった。

そこにはピアノとチェロが置いてある。

練習といえば、教室よりこのお店でした回数の方が多いと思う。

これも実地訓練といえるのかもしれない。

「レディス&ジェントルマン! 今宵もまた極上な音楽を奏でてくれるミス・サエコ・コヒナタが登場だーーー!」

毎回思うのだけれど、まるでプロレスラーが登場するかのような紹介はやめて欲しい(苦笑)。

お店の中に拍手が響く。

椅子に座り、調弦を始めた。

緊張はなく、慣れたものですぐに演奏をはじめられた。

上達の程は分からないけれど、多少は良くなったと師匠には言って欲しい。

今日は津田さんも来ている。

誰かの為に・・・とは私らしくないのでしたくないけれど、せっかくなので成長を見て行ってもらいたい。

そのために、特別な日であって、特別な日ではない今夜の演奏はがんばらないとならなかった。



「じゃ、先生気をつけて帰ってくださいね。そこら辺で寝転んでいないように。」

先生はよほど気分が良かったようで、いつもよりビールを飲んだ。

もう歳なので、タクシーで帰ってくださいというのに歩いて帰ると言う。

まったく、強情なんだから。

よろけて、転んでしまい、頭を打って路上で亡くなっていただなんてシャレにならないんだから。

「わかっとる、わかっとる。」

本当かなぁ、流すように言うから信じられない。

これがドイツを代表する大チェリストとは到底、思いずらい。

姿を見送ってから、私は溜息をはいた。

近くにもうひとりくらい男性の弟子を置けばいいのに、それに雑用をこなさせれば私が心配しなくてもよいのだけれど。

「面白い先生ね。」

溜息をつく私をよそに津田さんは笑って言う。

「ハタから見たらですけど。」

「いいんじゃないのかしら? 合うんじゃない? あなたとあの先生。」

異端ってところで?

「帰りましょう、送っていきます。」

「いつもあそこで演奏を?」

「ええ、教室じゃしないのに。」

「ハイ、サエコ。」

私達の間に声が割り込んできた。

「ブルック。」

確か、よく買いに行く肉屋の青年。

「今日も聞いたよ、さすがだね。」

「そう?」

「君がスターになるのは少し困るな、みんな気軽に声をかけられなくなる。」

「そんな事無いわよ、あの師匠が許さないわ。」

「ミスターか。あ、それよりコレ、君に。」

1本のバラの花。

「私に? 彼女にもあげてないんでしょ?」

「いいんだよ、サエコは特別。じゃ、気をつけて。」

ウインクをして離れて行った。

「・・・でも、ファンは増えたわね。」

笑ってバラの匂いをかぐ。

まだ宵の口だから、観光客や地元のひとたちが石畳の道路を歩いている。

照明はやんわり、ほんのり温かい電灯。

「津田さんは、お仕事はいい調子?」

「おかげさまで。」

「こうしてドイツに来たって事は、私のことあきらめてないの?」

歩きながら聞いた、顔は見ないで。

「まだ半年しか経っていないわ。」

「半年もあれば、心変わりだってするじゃない。」

「変わらなかったし、変わらないわ。」

「ずっと、その調子でいるつもり?」

そうして私は顔を合わせた。

「私が振り向くまで、待ってるつもりなの?」

感情的にならないように、考えていた言葉を口に出す。

「・・・・・・」

「いつになるか分からないわよ? それに今みたいな男性が現れないとも限らないし。」

この半年、そういうことはあった。

毛色の変わった、日本人が珍しいのか。

でも、いまいちフィーリングも合わなかったし留学の身なので断っていた。

「まるであなたの方が年上みたい。」

津田さんは苦笑して言う。

「津田さんの精神年齢が若いんじゃない? あまり年齢を感じさせないし、子供っぽい。」

あ、いい意味で言ったんだからとフォローする。

「迷惑? 私に想われて?」

「・・・その質問には答えずらい、明確な答えが出てないの。」

「それはまだ、余地はあるという事と受け取ってもいいのかしら?」

「どうなのかな、よく分からない。」

本当に、自分がどうなのか分からなかった。

好き、嫌いは、はっきりしている自分なのにこの人に関しては灰色だった。

嫌なら、嫌いだからもう近寄らないでと言って遠ざければいい。

津田さんなら、そうするだろう。

それも踏み切れていない。

中途半端で、とてもひどい事をしているというのは十分承知してはいるのだけれど。

「前にも言ったとおり、私はあなたが好きよ。それは変わっていない。」

「どうして私なんです?」

以前と同じような事を聞いてしまう。

「他に居るじゃない、なぜ私なの?」

「・・・それはもう、”感覚的なもの”としか言い現せないわ。」

感覚的なもの、直感と言ってもいい。

皮膚で、心で瞬間的に感じるもの。

そんな相手に、想われたら本当に突き放すしかない。

友達とかというそんな単純な関係にはなれない、たとえなったとしても時間はかなりかかる。

結局、私が決断しないといけないのだ。

逃げていてはどうにもならない。

そうこうしているうちにホテルに着いた。

「おやすみなさい、よい夜を。」

「夜道は大丈夫?」

「フランスやイタリアよりはまだ安全。それに護身術を習ったの、大丈夫よ。」

またもや結果を出せないまま、私達は分かれることになった。




それから、2年あまり経過した。

その間には色々あった。

師匠はやる気を起こし、私にレッスンをつけてくれるようになりコンクールにも出られるまでになった。

2回目に出場したコンクールで最上位を取り私はプロの仲間入りする。

日本で話題になったようだったけれど私は日本に帰らなかった。

凱旋コンサートも企画されたけど、それも断った。

留学を推し進めてくれた協会には悪かったけれど、帰ってちやほやされるのは嫌いだったし近づいてくる大人たちが嫌だったからだ。

そこは師匠が、なんとか取り成してくれ悪い印象にならないようにしてくれたので助かった。

「ワシにも限度というものがある。」

「そうですか? 大先生にもそんなものがありますか?」

私は今日も緑茶を先生に作っていた。

先生の奥さんは既に亡くなっていたので身の回りの世話を私がやっている。

苦でもないので、楽しく。

「サエコに色々依頼が来ているぞ、特に日本から。」

「ああー」

「ああ、じゃないだろう。せっかくプロになったと言うのにこんなところでワシの世話なんぞしていていいわけがないだろうが。」

「まあ、おいおいにとは思ってますけど。」

「プロになって名を売っておかないとな、新しい芽は次から次へと出てくるのだぞ。そんなのほほんとしていてはダメだ。ワシのピーク時には他人を追いやって頂点に立とうとしたやつが一杯だった。」

貪欲さがないと言うのか。

「先生は私を追い出したいんですか?」

「あのな、誰が追い出すか。ただな、プロとして独り立ちしろと発破をかけているのだ。自信が無いわけではあるまい?」

「ありますよ。」

ないわけはない、実感している。

ここ(ヨーロッパ)でプロの洗礼を受けた、厳しい世界だというのはひしひしと感じたけど、自分が世界に通用するという事も感じていた。

日本のレコード会社数社の人間が私を訪ねて来て、名刺を置いていったから日本での就職先は困らないだろうと思う。

「なら、行け。こんなところでぐずぐずしているな、弟子の活躍を楽しみにするのが師匠としての楽しみなんだぞ。」

「先生、ありがとう。」

「・・・サエコ、照れることをするな。心臓に悪い。」

私は抱きついた先生にそう言われて笑った。



 情報と言うのはどこから漏れるのだろうか(汗)。

数人しか知らないと思っていた帰国と、凱旋コンサートの予定が私が空港に足を着けた日にニュースとして配信されたのだ。

契約会社は一番条件がいいところとしたかったけれど、中堅とした。

大手はすでに名前が売れている演奏者が所属しているので、かち合わないようにしたかったし。

私自身、あまり協調性も無いので(自分で言うのもなんなのだけれど)。

帰国した途端、私は忙しくなった。

親や真菜や学校の人間に帰国の挨拶もできず、入ってくる仕事の予定の打ち合わせに連れまわされた。

自分がこんなに注目されているとは露にも思わなかった。

どうせ、一時的かと思ったのだけど付いたマネージャーは言う。

「皆、待ってたんですよ。久しぶりのチェロ奏者の最高位、それなのに全然ドイツから出られなくて・・・」

興奮しすぎて咳き込んでいた。

私と世間のギャップが激しくて戸惑う事も多い。

会社から与えられたマンションに帰り着く頃には、消耗してベッドに倒れこむことが多かった。

 まさかこんなに大変だとは・・・自由時間もないし。

最初のコンサートまで2週間もない、チケットはほぼ完売だという。

コンサート最高位効果なのかしら?

ぼーっとする頭で考えた。

 そういえば。

むっくり起きる。

私の話題がこれだけ上っているのだ、津田さんが知らないわけはない。


連絡ないな、気を使って連絡をくれないのか。

それとも、心変わりしたかな。


こちらから連絡するまでもないか、恋人といたらまずいだろうし(笑)。

私は取った携帯を再び置いた。

けれど置いてすぐ、携帯が鳴った。

時計を見ると23時過ぎ、夜分じゃないの。

今しがた自分が連絡しようと思っていたのを忘れて思った。

着信者を見る。


”津田遊里”と出た、ビンゴね。


苦笑して、私はゆっくり出た。

「もしもし? 今何時だと?」

「良かった、元気なのね。」

数秒時間があって、彼女の声が聞こえた。

「元気じゃないわ、へとへとよ。」

「そうみたいね、でもこの時間くらいじゃないと捕まらないと思って。」

「ナイスタイミングだったわ。」

「ナイスタイミング?」

「私も携帯を持ったところまでいったの。」

シンクロしたみたいに電話をかけた私たち。

「私に電話をくれるつもりだったの?」

「でも、恋人と一緒だったらと思って遠慮したのよ。」

また、無通話時間が発生する。

「もしかして図星とか?」

冗談で言ってみた。

「・・・そうだったら電話してないわ。」

「そう、残念。」

良かったのか、悪かったのか。

「で、ご用件は?」

「・・・会いたい。」

「は?」

「会いたいの、あなたに。」

向こうで絞るような声が聞こえた。

さすがの彼女の真剣な声に、おちゃらけた気分が吹き飛ぶ。

「こんな時間に?」

無茶を言う人ではないというのは分かっている。

そんな人が言うセリフではなかった。

「無茶なのは分かってるわ、でも・・・」

「そうね、あの事をはっきりさせないといけないわね。」

彼女のハッとする気配が伝わる。

ここが潮時かもしれない、ここで決めないとずっとズルズルいってしまう。

私は疲れていたけれど、津田さんの真剣さに折れる事にした。

「迎に来てくれるなら会うわ。」

「・・・分かったわ、少し時間がかかるかも。」

「なるべく早く、明日も結構仕事があるので。」

横浜からだと結構かかるかな・・・私は寝不足を覚悟した。


携帯が鳴った。

1時間弱、早すぎる。

横浜から幾ら急いだってこんな早く着くというのはおかしい。

けれど、着信は津田さんだった。

高速すっ飛ばしてきたのかしら?

「随分、早くない?」

「あなたが、なるべく早くと言ったから吹っ飛んできたわ。」

冗談なのか、笑いを含んでいる言い方。

さっきの真剣さとは違い、随分と楽になった感じだった。

私の近くに来たからかしらね。

部屋から、下をのぞくとなるほど停車のハザードを出している車が居る。

「今から降りるわ。」

「待ってる。」

携帯を切る。

外出は制限されていないから大丈夫だろう、異性でもないし。

少し話をするだけ。

そう言い聞かせ、私は部屋を出た。

マンションの前に止まっていた車は前に覚えていた車と違っている。

暗いとはいえ、私にも分かる。

止まっている車は1台しかいないので、津田さんの車に間違いはないのだけれど。

近づくとリアウインドウが開いた。

出て来た顔は、やはり津田さん。

あまり変わってはいない、相変わらず人懐っこい表情。

「久しぶりね、無理を言ってごめんなさい。」

「いいですよ、でも早くないですか? 警察に捕まらずによくここまで来れましたね。」

「・・・別宅に居たの、私。」

「別宅、ああ点在しているというご両親の遺産。」

思い出した、私が気分が悪く倒れた時運ばれたのがそのひとつだった。

なら、この程遠くない場所に別宅があるのか。

さらに何個あるのか、大いに気になったが私は早々に助手席に乗り込んだ。

「ここ、マンションの前で警察が来てしまうので移動してください。」

「どこに?」

「話ができればどこでも。」

場所は選ばない、後は寝るだけだし。

「分かったわ。」

津田さんはうなづいて車を発進させた。

15分くらい走らせて、高台の公園の駐車場に止めた。

外に出ると眼下に街の明かりが綺麗に見えた。

寒空の中、途中で買った缶の温かい飲み物を飲む。

「TVの番組も、雑誌の取材も見たわ。」

「どうでした? あの狂乱振り。まったくあの盛り上がり、良く分からないわ。」

「本人は冷静なのね。」

「予想はしてたけど、これほどとは・・・さすがに辟易する。···で、私に会いたいという理由は?」

「会いたいのに理由が必要?」

返されてしまった。

「ふうむ、確かに。では、”もう会わない”という理由は言わないといけないわね。」

ハッとする津田さん。

私は用意した言葉を言った。

「これ以上、いたずらにあなたの心を乱すのは良くないと思ったの。私達はもう会わないほうがいい。」

「・・・それがあなたの考えなのね?」

「接点があるから、津田さんは他が見られないのよ。距離を置くんじゃなくて縁を切った方がすっぱり忘れられるわ。」

友人同士だったらいい関係だったかもしれないのに。

私はここで変に優しくしない、ここでそれをやってしまうと今言ったことが無駄になってしまうから。

「残念だけど、それが一番いい方法なのよ。」

念を押して言った。

「じゃあ、嫌いと言って。顔をも見たくないと言ってくれれば私は・・・。」

「嫌いじゃないのに、言えないわ。」

ほんとに嫌いなら、こうして同じ空間に居ない。

「ひどいのね。」

「でしょ? だから、私なんか好きにならない方がいいのよ。」

嫌ってくれればいいのに。

そうしたら、すぐ解決するのに。

「無理よ。」

「無理でも、そうして。」

私は引かない。

「・・・・・」

「帰りましょ、いつまでもこうしていても埒があかない。結論は”会わない”これで決まり。」

私と彼女のどちらかが、言わないとこの場を動きそうもなかったので私が言った。

車に向かう。

「待って。」

その言葉とともに、後ろから私は抱きしめられた。

津田さんが行動を起こしたのはこれが初めてだった。

驚きはなかった、いつか行動を起こすとは思っていたから。

「無理よ、あなたを諦めるなんて出来ない。」

「いつまでも待つのよ?」

「それでもいい、それでも・・・私はあなたが好き。」

「困ったわね。」

素直に諦めてくれるわけも無いか・・・。

私は溜息を吐く。

「私を受け入れてくれないのなら、手酷く突き離してくれた方がずっといい。」

さらに強く抱きしめられ、彼女の吐息を感じる。

こうなっても私の心はまだ不確定で、こたえられなかった。

本当に、こうしたいのか? どうなのか? 自問する。

出会ってから、今に至る経緯を思った。

ずっと一途に私を想ってくれている。

だからといって、情けで付き合うのは彼女をバカにする事になる。

「嫌いじゃないのに、突き放せるわけないじゃない。」

「どうして、決めてくれないのよ。」

震える声で言う。

「嫌いじゃないからよ。」

「・・・それは”好き”って言うんじゃないの?」

「分からないわ、自覚がないんだもの。」

私は腕からするりと逃げた、彼女の力がほんの少し弱まったから。

「気にした? ちょっと嬉しい?」

「本当なら・・・ね。」

「ねえ、もしもよ? 付き合ったら、私のことは大事にしてくれる?」

重い雰囲気は嫌い。

「するわ。」

「即答ね、私って付き合い難いわよ? 我侭だし、きっと思うままにならない。」

苦労するわよ、と私は笑う。

多分、男でも。

私をうわべだけで見てると、痛い目を見る。

私が求めるのは私のすべてを受け入れてくれる人(我侭も含め・笑)だもの。

「前向きに検討してくれるの?」

「聞いてみただけよ、期待した?」

「ひどいわ。」

「それが私だもの、それが嫌だと思うなら他を当たった方がいいわ。」

「・・・・・」

「こういうのが、毎日続くのよ? 我慢できるの? 津田さん。」

出来ないでしょうね、普通。

私はわざと意地悪く言う。

 これは私の試験、さっきの言葉の真意を確かめる。

それでも、私を嫌いにならなかったらその時は決めるつもりでいた。

「できるわ。」

「・・・上出来。」

まったく、迷いも何も無いんだもの。

脱帽だわ、何年越しよ。

いい加減、片想いも度を越すと一途というよりは偏執に近いのではないかと思う。

「あなたと付き合うわ。」

それを聞いた津田さん、一瞬ぽけっとしてゆっくり言った。

「・・・同情なの?」

「怒るわよ。」

同情で付き合うとでも? この私が? それも同性と?!

「ごめん・・・」

「分かればいいわ。私と付き合うと大変よ? 後悔しても責任は持たないんだから。」

私は笑って車の助手席に向かう。

「まったりしたいところだけど私、明日・・・もう今日だけど仕事があるの。」

「送るわ。」

「最後まで責任は持ってもらわないと、私を呼び出したのは津田さんなのだし。」

そう言うと津田さんは苦笑いをして、車のキーロックを外した。




「もう少し、笑ってくれてもいいんじゃないのかなあー」

遊里は言った。

笑えるわけ無いじゃないの、嫌いだって言ってるのに!

今日は遊里きってのお願いでデート中、私はあまり乗る気じゃないなのに遊里は断然乗り気。

子供より、はしゃいでるってどうなのよ。

仕事に使っているカメラじゃなく、デジカメで片手を伸ばし自分と私を撮ろうとしている所。

私がごみごみしているところは嫌いだと言ったので、海辺のマリーナ近くの人口公園に来ていた。

ヨットが多数係留され、沖にも帆を張った船が何艘も居る。

「無駄に笑わないわよ。」

「にへら、でいいから。ほら。」

むにゆっと頬をつねられる。

「痛いわね!」

私はもう遊里にはタメ口をきくようになっていた。

彼女も怒らないからいいのだろうと勝手に思っている。

津田さん、って言いずらいからタメ口と一緒に”遊里”と呼ぶようにした。

「冴子、1枚くらいは一緒に撮って欲しいな、私と。」

「~~~~~~~」

おねだりか、この・・・おねだり上手。

本人は無自覚・無意識っていうのが、憎い。

そんなおねだりに、詰まってしまう私も変わったと思う。

以前なら、無視してしまうのに。

「わ、わかったわよ、言っとくけど一瞬しかカメラ向かないから!」

有名なタワーを背に、恋人よろしく遊里はカメラを構えてシャッターを切った。

「お、さすが私。ブレてない、そして冴子もよく撮れた。」

自分で自分を褒める遊里。

「ほら、冴子が協力的だったから貴重な写真撮れた。」

見せようとするので私はカメラを追いやる。

「別にいいわよ、興味ないから。」

「よく撮れてるのに?」

「撮れたのは良かったわ、遊里だけ満足していればいいわ。」

「嬉しくないの?」

顔が近づく。

近いわよ、顔が。

「撮ったら終わりよ、それで。私は家に帰ってあとでにやにやして見る気にはならない。」

遊里の身体を押しやる。

「残念、いい写真なのに。」

「額にでも飾っておく?」

「意地悪ね、冴子は。」

「ちょっと・・・!」

遊里はひと目も気にせず、私を身体ごと抱えた。

くやしいかな、彼女の方が力が強くて私は逃げられない。

「キスしていい?」

はあ?!

私は内心で叫ぶ。

この状況で、そういう事を言う?! 

「冗談でしょ。」

「真面目に。この間は逃げられたから、今日こそはキスしたい。」

「時と場所があるでしょうが!」

「誰も見てないから。」

いや、見ない振りしてるだけに決まってるじゃない(汗)。

「いい加減にしなさいよ!」

ボスッ。

私は加減をして遊里のお腹を叩いた。

「い、痛っーー!」

お腹を押さえて前かがみになる。

「いい気味だわ、しばらくそうしていたら?」

まったく。

付き合いはじめたら、バリバリあんな感じで。

もう、こっちが照れるくらいの態度。

あんな人だとは思わなかったわ(苦笑)。

歩きながら思う。

付き合ってからの生活が意外と楽しいというのは本人は言わないでおく。

「冴子。」

すぐ後ろに声がした、もう追いついたのね。

「ゴメン、謝る。やりすぎた。」

いつも謝るのは遊里の方、私が悪くても謝ることは滅多に無い。

もちろん、重要な事ならさすがに謝るけど。

日常の些細な事は、遊里は大目に見てくれた。

無視して歩く。

今日は天気がよく、風も心地よくて散歩にはいい日だった。

遊里のごり押しデートだけど。

しばらく歩いて私は振り返る。

「気が済んだ?」

振り返った私に遊里は言う。

「後ろからそろそろついて来られたら、気になるじゃない。」

「だって、デートだし。」

「デートなら隣りに来れば? 何遠慮してるの?」

「怒ってるじゃない。」

「怒ってないわよ。」

遊里の方が年上なのに、子供みたい。

心の中で笑う。

彼女はやさしいし、私を尊重してくれる。

今の状態は悪くは無いかも。

キスはまだ許してないけど、いずれ、気が向いた時に(笑)。

私は手をつなぐために、遊里に手を伸ばした。



ずっと写真を見ているわけにもいかないので机の上に置いた。

けれど少し考えて、画鋲を探す。

探し物は容易に見つかり、私はその写真を壁に貼った。

遊里に見つかったら冷やかされるかもしれない。

写真なんか気にしないのに、って。

でも、これだけは見えるところに貼っておこうと思う。

かなり前から楽譜の中に忘れていて、あまり良く映ってないけど。

ドアがノックされた。

「冴子、お茶にしない?」

声がドア越しに遊里の声が聞こえる。

「今行くわ。」

視線は壁の写真に向けたままで返事をした。

過去はあまり振り返らない私だけれど、ちょっとの間感傷に浸る。

あんなこともあったわね・・・などと思いながら、色々な場面での遊里との思い出を。

これからも、このまま彼女と共に歩んでゆければと思う。


もちろん、今後も私はそんな事は口に出すつもりもないけれど(笑)。

終わりまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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