仕事なし(笑)の冴子は家に、遊里は仕事で沖縄に行く。
久しぶりにチェロを練習する冴子(笑)
時々、描かないと彼女がチェリストということを忘れてしまいますね。
しゃべらなければ、美人なのに・・・と常々思う私。
小日向冴子は美貌のチェリストである。
一部の人に言わせれば、わがまま傍若無人のチェリストとも。
でも、わがままと言っても、周囲の人が困るようなわがままを言うような人物ではない。
確かに気は強いし、言いたいことははっきり言うけれど。
負けん気が強いとも言える。
そして、ツンデレだ(笑)。
「シジミ無いの?」
語気を強めて冴子が私に言った。
冴子はシジミ汁が事のほか大好きである、よって毎日飲むのだが今朝は切らしてしまっていた。
インスタントもである。
何かしらあれば機嫌が悪くなる事もないのだろうけれど。
「ゴメン、夜には買ってくるから今朝は我慢して頂戴。」
私は謝る。
ここのところ、忙しくて買うのをすっかり忘れてしまっていた私が悪いのだ。
むすっとした表情で食卓に座る。
シジミ汁以外の味噌汁なら作れるのだけれど、飲んでくれるかどうか・・・。
「その他の味噌汁を飲む?」
「・・・仕方がないもの。」
すこし考えて応える、冴子。
「良かった、今作るわ。仕事帰りに買ってくるから夜には飲めるわよ。」
「そうして。」
そっけないわね。
まあ、一緒に住んでいてもいつもこんな感じなのだけれど。
気心知れても絶対に甘えない、甘える事をしにくい性格なのだと分かる。
多分、プライドが邪魔して私に素直に甘えられないのだ。
そこのところがかわいいと、私は思うこともある。
声に出して言ってしまうと彼女は機嫌を悪くするので言わないことにしている。
「あ、明後日から撮影で沖縄に行くから冴子、その間は自分の事は自分でしてね。」
「聞いてないわよ、その話。」
「言ったわ、ちょっと前に。」
大事なことだし、ちゃんと言った。
「そうだっけ?」
「そうよ、言いました。」
ワカメと豆腐のお味噌汁を出す。
言わないともっとうるさくなるし。
「言った?」
「・・・言ったって、言ってるでしょ? 聞いてなかったのは冴子の方。」
味噌汁を飲みながら首をかしげる。
まだ、疑うか(苦笑)。
「ゆっくりしなさいよ、仕事無いんでしょ?」
「止してよ、そういう言い方は。ぷー太郎みたいじゃない。」
「仕事、入ってないんでしょう?」
私は言い換えた。
「まあね、そうするわ。」
用意したお味噌汁を平らげて冴子はリビングにTVを見に行った。
彼女はしばらくは仕事が入っていないようで家に居る、別に仕事はないというわけでは無いようだけれど。
さて、と私は女王さまに食事を与えたから片付けて仕事に行くとしようか。
マズイ。
自分の服についた匂いをかぐ、ほのかだが香水の香りが移っていた。
私は溜息をつく。
今日の撮影モデル抱きつかれた時についたに違いない、機材を扱っていた時なので避けることが出来なかった。
まったくの不可抗力。
でも、冴子にはどんなに言っても素直に聞いてくれる性格でもないし。
私は泣きたくなった。
なんだって、私は男性にではなく女性にモテるのだろうか(苦笑)。
かといって、シャワーなんか浴びて帰ると変に勘ぐられるからもっとマズイなあ。
気が重いながら、一応シジミを買って帰る。
シジミがあれば少しは機嫌も悪くなくなるだろう、もしかしたら浮かれて気づかないかもしれない。
・・・そんなことは無いか。
「ただいま。」
午後10時過ぎ、帰宅。
私の帰宅時間としたら早い方だった。
返事がなかったのでリビングに向かう、しかしリビングには冴子は居なかった。
キッチンにも居ず、寝室にも居なかった。
残るは・・・防音完備の練習室。
滅多に練習をしない冴子だけど、入っているかしら?
小窓から中を覗く。
すぐ見える場所に、冴子は居なかったが視界に背中が見えた、何をやっているのだろうか。
「冴子?」
ドアを少し開け、声を掛ける。
中からはチェロの音は聞こえて来ない。
足を踏み入れ、見ると防音室内の簡易机に突っ伏して寝ていた。
「冴子・・・」
譜面に何かを書き込んでいる途中で力尽きたのか、手には鉛筆が握られている。
珍しすぎる冴子にちょっと見入ってしまったが時間が時間だし、起こして寝かせることにした。
「冴子、起きて。こんな所に寝てると風邪をひくわよ?」
肩をゆすって起こす。
何度かゆすったら、むっくりと起き上がった。
「遊里・・・」
「珍しく楽譜と向かい合ってるみたいだけど、眠たいなら寝た方がいいわ。」
「寝てしまったのね、私。」
元の長さに戻った髪をかき上げる。
「シジミは買ってきたけど、もう遅いから明日にしようか。」
「そうする。」
しばしぼーっとしてから、ゆっくり立ち上がる。
けれど、そのままよろけて転びそうになった。
「危ない。」
「ごめん。」
起きたばかりだからか、まだ身体が睡眠から覚めていないようである。
「ちょっと、大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫・・・」
そのわりによろよろと壁に手を着いてバスルームに冴子は向かって行った。
私はその様子を安堵と溜息をついて見送る。
とりあえず、詮索はされないようだった。
「・・・・・」
2時間弱経過。
バスルームに向かった冴子が帰ってこない。
私は機材の手入れや片づけで追われていたので放っておいたが、さすがに気になる時間である。
キッチンで明日の朝食を考えながらコーヒーを飲んでいた私。
まさか、お風呂で寝てるんじゃないんでしょうね?
部屋を出て行った様子から、それも有り得た。
私は急ぎ足で、バスルームに向かう。
扉の外からスリガラス越しに中の様子を覗うが動いている様子は無い。
頭を押さえて、扉を開けた。
「冴子・・・」
案の定、冴子は浴槽の淵に両腕を置いて寝ていた。
風邪を引くって言ってるのに、まったく。
「冴子、ってば! 何で寝てるのよ。」
靴下を脱いで浴室に入る。
またもや私は彼女を揺すって起こすことに。
「起きなさいって。」
子供かつーの、ホントに。
私は明後日から沖縄だってのに大丈夫なのかしらと少し不安になる。
「む、むむむ・・・」
気持ちのいいところを起こされて、少々表情が険しい。
けれど、風邪をひくのよりはマシだと思うのだ。
逆に感謝して欲しいものである。
「ここ、お風呂場。分かる?」
私を見上げ、睨みつける冴子に言い聞かすように言う。
「・・・分かってるわよ。」
そう言いながらも立ち上がる気配も無い。
「寝るなら、ベッドで寝る。」
「分かってるって言ってるじゃないの。」
「だったら、早く出てベッドに行く。2時間近くもこんな風にしてたなんて風邪をひくわ。」
親指で出口を示した。
冴子は渋々立ち上がって出口へ向かう。
時々こんな重たい小日向冴子が出来上がる、なんにもしたくないというような感じの。
あとは寝るだけだっていうのになんであんな風になるのか(苦笑)。
これじゃあ、ベッドで素直に横になるまで目が離せない。
子供のお守りじゃないの。
まあ、冴子の世話を焼くのは嫌いじゃない。
けれど時々、苦笑することはある・・・かな。
心配だったので私自身がお風呂に入る前に、冴子がちゃんとベッドに寝たかどうか確認してからにしようと思った。
「何よ。」
私が寝室に向かうと冴子が機嫌悪そうに言った。
寝たかどうか確認に来た私が気に入らないようである。
「なんでも。ちゃんとお布団を掛けて寝るのよ。」
「・・・私を子供か何かだと思ってるの?」
「思ってないわよ。」
寝る前の言い合いは嫌だったし、私だって疲れているのでその場からサッと言い逃げた。
今日の冴子はあまり機嫌がよくないようだった。
こんな日ばかりでもないけれど、つっけんどんな態度の冴子を相手をしているとこっちが疲れてくる。
けれど、これも”小日向冴子”であるのだから私は受け入れる。
なんだか今日は私も疲れた・・・移り香に心配して、撮影中も神経すり減らしてと色々大変なのだ。
ゆっくりお風呂につかり、温まってほこほこして寝たい。
さすがに、機嫌の悪い冴子を抱いて寝たいとは思わないわね。
さらに輪をかけて不機嫌になりかねないし、取り扱い要注意人物なのだ。
歩きながら腕を伸ばし、背伸びをした。
出張当日。
沖縄、とりあえず国内。
出発場所も、行く場所も晴天との天気予報。
現地で集合なので少し遅めの便で、昼過ぎ到着する飛行機に乗ればよかった。
またもや珍しく、冴子は朝から防音室に入って練習をしていた。
公演もないし、先月は忙しすぎたから仕事も少し減らしていた冴子なのに。
練習を滅多にしない冴子なので、練習をするところを見ると変に感心してしまう。
一応、私は昼食まで作って出かけることにした。
彼女は何もできないわけでもなかったけれど、自分の生活は意外とショートカットしてしまうので私が気にしないとならない。
ホントは私のこと、うざったく思っているのかも知れない(苦笑)。
色々、うるさいくらいに世話を焼くし。
「冴子、私はもう行くわ。」
出かける前に、声をかける。
「もう、そんな時間なの?」
冴子は私に振り向くように椅子に座わり、楽譜に鉛筆で何かを書き込んでいた。
練習じゃなくて作曲?
「いい時間。ギリギリだと危ないじゃない。」
「それはそうね。」
フッと笑って、立ち上がる。
「見送くらなくていいわ。練習中断させて悪かった、続けて。」
「どうせ休憩よ、見送りがないと寂しいでしょ? 遊里。」
慌てて言った私に、近づいて来て玄関に一緒に向かう。
2週間の予定。
私達はそんなにベタベタする関係ではなかった。
どちらも普段はドライ。
けれど、気持ちが近づいた時には激しく求め合う恋人同士でもある。
「冴子・・・」
「なに?」
玄関の扉の前で、私の鎖骨近くに紅い跡を付け終わった冴子は身体を離した。
少し熱っぽいキスでお見送りは終わったと思っていた私は、愕然としたものだ。
両手は機材でふさがっているから身体を押し返すことも出来なかった。
意地悪そうに笑っている目の前の冴子。
「なんで、行き際、こんな事するかなー」
「見えないわよ。」
「見えるわよ、まったく。」
「見えても結構。いや、見えた方がいいわね。」
本人はどこ吹く風。
「絆創膏ある?」
「いいじゃない、そのままで行ったら?」
ひどいわね、何かの罰ゲーム?
トホホホ・・・人の視線が痛そうだわ。
「大人なら見てみぬ振りしてくれるわよ、それに寄っても来ないし戒めにもなるでしょ?」
「首輪、つけたような感じだわ。」
「質量がない首輪ね。」
今度は自然な笑いで応える冴子。
ヒヤリと指が鎖骨、首筋に触れた。
「飼い主は誰だか、覚えてるでしょ?」
「ひどいわね、イヌ扱い?」
「イヌはキスなんてしないわよ。」
そう言って、冴子は私にもう一度キスをした。
軽く触れるだけのキスで、すぐに離れてしまう。
「行ってらっしゃい、遊里。」
「行ってきます。」
久しぶりのお見送りだわ。
大体、見送るなんて性格じゃないのに冴子ってば。
いつも私に追いたてられて家を出るかしてるのに。
私も負けじと軽い方の手を何とか前に出して、冴子を引き寄せた。
「行かないの?」
また至近距離で顔が近づいている。
よくよく見ても整っている、顔のパーツひとつひとつが個性を持って彼女を形成していた。
ああ、なんだって今日に限ってこんな気分に・・・(爆)。
「去りがたいの。」
「乗り遅れるわよ。」
「キスだけ。」
「今、したじゃー・・・」
そう言う冴子の唇を塞ぐ。
また少し長く口づける。
ヤバイ、ヤバイ、止められなくなってしまう。
疼いてきた。
「いい加減に、行けっーの。」
さすがに冴子は私の腕を身体から外した。
「冴子ー。」
「冴子ー、じゃないでしょうが。」
ハイハイ、分かりました。
でもね、最初は冴子が仕掛けてきたんじゃないの。
「2週間したら帰ってくるから。」
「適当に過ごしてるから心配しなくても大丈夫よ。」
あっさりと言う(笑)。
「そ・・・切ないわ、その物言い。」
「仕方が無いじゃない、そういう性格なんだもの。キスできただけヨシとしないと。」
それはそうよね、最初はキスしてくれるとは思ってもいなかったし。
後ろ髪を引かれながら私は出張に向かった。
沖縄での2週間は撮影に没頭する、電話やメールは冴子には送らない。
よそに心が飛んでいてはいい仕事ができないと思っている。
しかし、ね。
夏じゃなくても、暖かい所で、綺麗な海があると人間って自由奔放になるのか今度の仕事の対象アイドルたちはある意味、凄まじかった。
10人も相手にすると、しかも2週間。
こっちが生気を吸い取られそうな勢いで、さすがに疲れた。
いつもみたいに迫られる事はなかったけれど、冴子の毒が懐かしかった。
空いた時間にすることがないので、色々声をかけてくる。
私はさすがに全部を相手にできないのでテキトーに対応した。
「年収ってどれくらいなんですかー?」
「風景画とかも撮るんですかー?」
「恋人はー?」
とかとか、色々。
頼むから、集中させてくださいよ、お嬢さんたち。
最終日になってやっと落ち着けたくらい。
でも、帰りの飛行機でも元気一杯で、ジェネレーションギャップを感じたわ。
もう若くないのかな、自分。
早く家に帰りついて、心静かに休みたいわ(苦笑)。
はあ・・・。
玄関の前に来て、やっと安堵の溜息をついた。
インターフォンを押す。
「・・・・・」
出てこないな、冴子。居ないのかしら。
何度も押すのはしつこいので自分でカギを開けた。
電気は付いている。
でも、気配は近くに無い。
「冴子、居るの?」
歩きながら探す、荷物は自分の部屋に置いてお土産だけリビングに置く。
「冴子ー。」
探すと、練習部屋に居た。
今日はまた楽譜を前に、チェロを弾いていた。
防音部屋なので音は聞こえないが、久しぶりに見る練習風景だった。
今日の夜か、明日の朝に顔を合わせればいいわね。どうせ一緒にいるんだし。
私は邪魔するのは悪いと思い、部屋を離れる。
私はシャワーを浴び、さっぱりして倒れこむようにベッドに入った。
よーく、ぐっすり寝込んだ私が目を覚ましたのは何時だったのか・・・。
寝るとき閉めたカーテンで暗くなった部屋と同じくらい薄暗い中だったけれど、眩しそうな光がカーテンの隙間から差し込んでいるのを見た。
手を枕の下に差し入れて携帯を探す。
まだ、起きてすぐなので状況が把握できない。
動きも鈍いし。
冴子よりは寝起きはいいはずなんだけど・・・。
それに、なによりも背中が暑い。
・・・とりあえず、携帯で時間を把握した。
AM:8:00過ぎ、まあまあな時間。
疲れていても正確な規則正しい体内時計である(笑)。
時間を知りそうしてやっと、私は背中の暑さの原因を知る。
ゆっくり振り返ると、冴子が寝て居た。
いつ潜り込んで来たのか分からなかった、完全に熟睡していたらしい。
しかも、何も着てないし。
いくら暑さが苦手っていってもなにも着ないのはまずいだろう、しかも私が居ないとクーラーをかけっぱなしで寝るし。
ぐっすり寝ているようなので私は起こさないように起きた。
「お腹空いた。」
独り言のように言い、キッチンに向かう。
同じ日本とはいえ、食べ物が向こうっぽくって参った。
普通の日本食を食べたい・・・。
よく見るとジャーにはご飯がある、冷蔵庫には明太子が。
よしよし。
日本的な朝ごはんを食べられる。
今朝ほどシジミ汁が合うとは思わない日は無かった。
二日酔いじゃないけど、元気が戻ってくるようだわ。
てきぱきと用意して、もしかして冴子も起きてくるかも知れないので彼女の分も用意する。
向こうと温湿度が違い、少し過ごしやすい。
「いただきまーす。」
目の前には理想的な朝ごはんが。
ホテルのバイキングやら、郷土料理やら、うるさい子達も居ない。
やっぱり、家がいいわね。
ほこほこと落ち着いてご飯を食べ始めた。
カタリ、音が背後でした。
「起きたの、冴子?」
私はもう、食べ終わって洗物の最中。
「・・・早いわね、遊里。」
あくびをしながら、裸足で歩いてくる冴子。
さすがに上にはガウンを羽織っていた。
「そう? ご飯、食べる?」
「シジミ汁だけでいい。」
「分かった。」
さすがに何年も一緒に居るので帰ってきたからいちいち、お帰りなさいなど言わない。
黙って座り、シジミ汁が出されるのを待つ。
「昨日、いつ帰ってきたのよ。」
「ゴメン、時間は覚えてないんだど冴子が部屋で練習している時。」
「そうか・・・だから、気づかなかったのね。」
「別にいいわよ、私疲れていてシャワーを浴びてそのままバタンキューだったから。」
「よほど疲れていたみたいね、私が側に行っても起きなかったもの、遊里。」
「ハハハハ。」
また温めたシジミ汁を出す。
洗物は終わったので手を拭いて冴子の前に座った。
「冴子はずっと、練習してたの?」
「ずっとじゃないけど。今度師匠の現役45周年コンサートがあるからそれの為のヤツ。」
「じゃあ、大きいイベントになるのね。」
「既存の曲と、オリジナル曲があるから大変。」
ああ、だから作曲と楽譜への書き込み。
「大変だ、がんばりなさいよ。」
「他人事ね。」
「他人事だもの。でも、応援してる。」
にっこり。
私が笑うと、ぐっと詰まり、気まづい顔をしてまたシジミ汁を飲む。
「・・・ねえ。」
「なに?」
それでも、会話は続く。
2週間ぶりの会話なのだ、昨日は話せなかったからこういう時に話そう。
「そのコンサートには遊里も一緒に来てくれない?」
「私も?」
少し、驚く。
今まで、冴子が私の随行を望むことは無かったから。
「そう、どう?」
「どう、って・・・いつなのよ、その日。」
まさか日本じゃないから、ドイツよね・・・海外か。
「来月末、現地時間で29・30の2日間。」
「どうして今回、一緒希望なの?」
「嫌なの?」
「嫌じゃなくてよ、いつも言わなくて今回でしょ?」
一緒に来てって言われて、断ることはないけど気にはなるじゃない。
「そう思ったから。」
ぶっきらぼうに、照れたように言った。
私はその様子に私は笑みを浮かべてしまう。
かわいいじゃないの。
言うと怒るから言わなかった。
幸い、何も仕事ははいっていない。
その日は、仕事は入れないようにしようと思った。
「いいわよ、”付いて行ってあげる”。」
「・・・その言い方、気にくわない。」
「だって、そっちの申し出でしょ?」
それはそうだけど・・・ぶつぶつ言う。
「外国へ一緒に行くのは初めてよね。」
「そう。」
”初めて一緒”と言うと、冴子の表情は柔らかくなった。
「滞在を少し伸ばそうか?」
「伸ばす?」
「コンサート為だけ、ってのは味気ないじゃない。少し離れるけど前に言っていたイタリアへ足を伸ばさない?」
何度か行きたいと言っていた、イタリア。
冴子ひとりなら何度も行っていたけど、私とはまだだった。
「仕事は大丈夫なの?」
意外そうに聞き返してきた。
さっきの私とは反対に、私の申し出に驚いているようだ。
「だから言ってるのよ。」
せっかくの機会だもの。
「・・それらなら嬉しい。」
「じゃあ、決まりね。」
あっさり決まった、ずっと実現しなかった事が。
ふとこうやって決まるものなのね、と思った。
「ごちそうさま、遊里。」
寝起きの悪い冴子も、今の話で完全に起きたようだ。
「練習するの?」
「まだよ、そんなにせっぱつまってないもの。」
余裕じゃない。
まあ、いいわ。
師匠の方がメインなんだからそっちに力を入れてくれて、終わったらお楽しみの旅行ってことで。
ご褒美みたいなものかな。
私は冴子の飲み終わったお椀を引き上げる。
冴子はよほど嬉しかったのか、その日はずっと機嫌がよく笑顔だった。
いつもこれくらい、笑顔の安売りしてくれれば好感度も上がるのに・・・と思った私だった(苦笑)。




