女王様の帰還。
この回から、カメラマンの津田遊里と美人チェリスト 小日向冴子の話が始まります。
楽しんで頂ければと思います。
「答えて、遊里。」
私は彼女に冷たい目で見られて恐縮していた。
イタリアから帰ってきた彼女は、夜遅くにも関わらず迎えに来いと命令調。
仕事があったら断るところなのだけれど、生憎仕事は入っていなかった。
眠い目を擦りながら空港へ迎えに行ったものだから、車内の細かいところには目が行かなかった。
マンションに帰り、荷物を置いて着ていたコートを脱いでの彼女の一言で私は頭が完全に冴えたのだ。
『車に、女の子を乗せたの?』
そう言われて、ずっと証拠を消そうとしていた事を忘れていたのを思い出す。
・・・カマかけていないとは言い切れない。
一応、調べたけど何も落ちてはいなかった。
だけど、彼女の勘はあなどれない。
そう考えたのは一瞬で、ちょっとのつかえで疑いが更に増す。
一気にまくし立てられて怒られるのなら本当の事を話したほうがいい、別に悪い事はしていないのだ私は。
「うん、乗せた。撮影で出かけることになったから。」
彼女の表情が少し変わる。
でも、普通の人が見たら変化は無いように見えると思うくらい微かな変化。
「そう。」
「そんなに了見の狭い人間じゃなくて良かった、冴子。」
「無理やり、納得してるのよ。」
玄関でそんなやり取りをしたあとにツンとそっぽを向いて服を脱ぎ出す。
相変わらず、クールビューティで意外にツンデレの気あり。
「ちょっと・・・!」
そのままバスルームへ歩く。
毎回思うのだけれど、美人なのにこういうところがあるのがどうかと思う。
床に捨て置かれた服を拾いながら私は彼女に付いて行く。
「ずっとこんな調子だったの? 向こうでも?」
「面倒くさいし、遊里は居ないしで散らかりっぱなしかしら。」
「・・・ホテル、出る時はちゃんと片付けてきたんでしょうね?」
バスルームの一歩手前で立ち止まって向かい合う。
以前、新しい服を買ってそれまで着ていた服を脱ぎ散らしたまま帰ってきた伝説がある、小日向冴子だ。
とても日本を代表するチェリストの実体とは思えない。
ファンが見たらさぞかし幻滅するだろうと思いながら私は言う。
「多分。」
「多分ってねえ・・・それってすごく重大なことじゃない、もしそうだったら今度からそこのホテル使えないわよ?」
「・・・うるさいわね、遊里は。」
冴子はうるさそうに言い、私を押して出してバスルームの扉を閉め切った。
私はため息を付いてしばらくそのままでいた。
よくこんな面倒くさがりな人間が日常生活をして、音楽家などやっているものだ。
・・・意外と、私が気を揉んでいるだけで本人は快適に過ごしているのかもしれない。
天才とは常に平凡(普通)と対極にある。
「もう寝るから、オヤスミ。」
シャワーの流れる音に消されて聞こえないかもしれないと思いながら言う。
彼女の帰国を待っていたとはいえ、彼女の帰国は嵐が舞い戻ってきたように感じた。
次の日は夜の撮影だったので遅く家を出る予定だった。
一人で居た時はご飯など食べずとも良かったのだけれど、冴子が帰ってきたので私が作らなければならなかった。
はっきり言って、彼女に料理を期待するのは無理。
ホテルでも殆ど、ルームサービスで外食ばかり。
手がよごれるだの、何だのとわがままを言い放題の女王様。
冴子といえば長旅の疲れもみせず、9時くらいに起きてきた。
どっかりとイタリア製の牛革ソファーに座って久しぶりの日本の新聞を読んでいる。
もちろん、朝食待ちの状態なのだ。
面倒なのでお粥にした、冷蔵庫に漬物が入っていたので細かく刻んで塩味の足しにさせる。
別途、お味噌汁も作る。
彼女が唯一好きなシジミの味噌汁、シジミだったらお吸い物でも可らしい。
「出来た、冴子。」
「ん。」
聞いてるんだか、聞いていないんだかな返事が帰ってきた。
まあいいか、私は仕事に出かけないといけない。
彼女のスケジュールは彼女が自己管理していて私は知らない、彼女も私のスケジュールは知らないので用事があるとき以外は聞きあわなかった。
「出かけるの?」
玄関を出ようとしてつかまる、珍しくこんなところまで来た彼女。
「そ、仕事よ。夕飯は外で食べて、さすがに夕飯は作れないから。」
「”恋人”がイタリアから帰って来たっていうのに?」
「・・・そんなことは思ってもいないんでしょ? 本当は。」
私がそう言うとフッと笑う。
「構ってくれないからちょっと言ってみただけ。」
「昨日は構う暇も無かったじゃないの。」
あんなつっけんどんな態度で。
「女の子なんか乗せるからよ。」
彼女の指先が胸を小突いた。
「仕事で使ったのよ、それ以外に使うわけ無いじゃない。」
「本当に?」
「疑り深いわね、私が嘘を言っているとでも?」
出発時間がどんどん無くなってゆく、かといってこのやりとりをもう少し楽しみたいという気もある。
久しぶりに緊張する冴子との駆け引き。
「信じるわ。」
別に信じていなかったわけではなく、ただ言いたかっただけなのだと思う。
私が裏切らない事は分かっているだろうし、そういうことはしないということも分かっているはず。
「良かった、じゃあ行ってくるわね。」
「行ってらっしゃい。」
今日は腕を組んで小さく素直に手を振ってくれる、表情は通常通りポーカーフェイスだったけれど彼女にしてみたらそれは本当に珍しい事だった。
仕事は屋外で、天候に左右され終了予定時間を大幅に過ぎてしまった。
雨は人の気分を憂鬱にさせ、機材の調子も悪くさせる。
天候の為に何テイクも撮って、機嫌が悪くなったモデル。
みんないいものを撮りたいのだ、我慢して欲しいもの。
今一番人気で大物との交友関係でわがまま言いたい放題、ある意味冴子とタメ張りだなと思う(笑)。
「すみません、すみません。」
とかわいそうにマネージャーが頭を下げて歩く。
さすがに冴子は私にあんなことはさせないけど。
機材をさっさと片付けて早くマンションに帰ろう、身体も冷えてしまったし。
「おつかれさまです。」
現場に居る他の人たちに声をかけてから必要機材を持って駐車場に移動した。
今から帰ると午前様ね・・・そう思いながら車に近づくと影が一つ。
「?」
姿を確認して厄介な人物が居るなと舌打ちした。
子供は家に帰って寝る時間だ! どこかのアニメキャラクターが言ったセリフを言いたくなる。
「どうもー」
夜遅いというのに、若者はテンションが高い(私も若いけど、彼女達に比べればそうも言えない)。
「どうしたの、帰らないの? 木内さん。」
今日のモデルの木内ナナだ、子供のお守はごめんなのに。
「まだ早くないですか、夜?」
と言って、私の腕に自分の腕を絡めてくる。
両手に機材を持っている私は振りほどけない、近づくなー!と心の中で叫ぶ。
それでなくても鼻に付くような香水がキツイのに、服に付いてしまう。
「そう? 私は明日仕事だから付き合えないわ、残念ながら。」
「ちょっとだけでも?」
しなったって無駄、色気も何も感じないわよ。
同じ我がままな人間を相手にしていても、この子と冴子はまったく違う。
相手が全般なのと、私にだけ我がままという点。
わがままにしたってそんなにひどくない、私が困る程度だ。
「どうしても遊びたいなら、司さんたちは?」
広告プランナーの司さん、今回の撮影はシリーズの何枚か。
司さんなら夜の街に詳しいし(笑)、お金も持ってるだろうし。
男の人だし、そんなに色目を使う気があるのなら対男性だろう。
「だって、司さんはちょっと・・・それに遊里さんの方がいい。」
・・・・ご指名?! なんだかこういう展開が多い気が。
冴子が帰っている(マンションに居る)時に限って!
「気持ちは嬉しいけど、ほんとに朝早い仕事だから・・・」
「えー」
「ナナ、言っただろう津田さんも明日忙しいんだ今日は大人しく帰ろう。」
横からマネージャーさんが声をかけてきた、別れて帰ったんじゃないんだ。
「ちょっと、まだ居たの?」
彼女の声が高くなる、まずいかも。
「君が家に帰るのを見届けないと僕が怒られるんだよ。」
「そんなの関係ないわよ、仕事は終わったんだから放っておいてよ!」
「そうはいかないんだよ、社長から自重させるように言われてるんだから。」
「なんですって!」
あーあー、耳元でギャンギャンと・・・。
「ハイ、そこまで。」
私は二人の間に割って入った。
「遊里さん。」
「夜も遅いんだから怒鳴らないの、とにかく私は行けないから。他を当たってもらえるかしら?」
「・・・私の事、嫌いなんですか?」
なんでそうなるのよ・・・私はうんざりする。
まあ、半分くらい厄介だなとは思ってるけど(笑)。
「もう少し、我がままをおさえた方が可愛いわよ。」
顔を寄せて、にっこり忠告。
コレが効かないようだったら長続きしないわね、この仕事も。
「じゃあね、危ないからどいて頂戴。」
私は機材をサクサク積み込み、こんなところから退散した。
意外なことに冴子は朝着ていたものをそのまま着ていた。
朝、新聞を読んでいたソファーに座ってワインを飲み、音楽を聴いていた。
「アニソン・・・・」
私はあまりにも似合わない組み合わせに声を落とす。
「あら、いい趣味でしょ?」
「本気でそう思ってる?」
「最近はオケを使った音楽をBGMにするアニメもあるそうじゃない。」
「だけどね。」
そう反論し、重たくなった機材を仕事部屋に置きにいった。
「さすがに普通のアニソンはオケで聞くことも無いけど。」
「それより、ずっとその調子?」
「時差ぼけで1日中こんな調子ね。」
「仕事は?」
人間張りがないとだらしない、仕事があればしゃきっとして呆れることも無いかな。
「来週末にあるかしら? オケじゃないから明日あたり連絡が来ると思うけど。」
「そっ、なら大丈夫ね。いつまでもだらだらしていたら愛想尽かすところだわ。」
「遊里。」
バスルームへ行こうとした私は冴子に呼び止められた。
声に咎める調子がある、まずいかも・・・。
「変なにおいが混じってる。」
「さすが、鼻がいい。」
こんなに離れた距離で、嗅ぎ分けるのは至難の業だと思うのだけれど。
「さっきまで仕事だったの、帰るま際にちょっとね。」
「どうせ、モデルの子にでも迫られたんでしょ?」
ご明察(汗)。
「いつものことだしね、遊里。」
「焼いてる?」
「さほどには。」
そう言う割りには私を手招きしてるじゃないの。
近づいて冴子を見ると、床に瓶が数本・・・よくこれだけ飲めたもの。
しかも、酔ってないっていうのが恐ろしい。
「好みだった?」
「全然、我ままなところは冴子と一緒だったけど。」
「へえ、我がままなのは私で慣れてると思ったのに。」
「・・・好みじゃないって言ったでしょ。」
ワインのせいじゃないと思うけれど、冴子のくちびるが赤い。
赤く濡れて私を誘った。
唇を寄せると途中で私の唇に彼女の手が当たる。
「ひどいじゃない。」
「ひどいのはどっちよ、早くお風呂に入ってその下品な匂い落としてきて。」
下品って・・・私だって言わなかったのに(苦笑)
はっきり言うなあ、冴子ってば。
「はいはい。」
その気も半減しちゃった、もうー。
しぶしぶ私はバスルームへ向かった。
どうも私の周りには我侭な人が多く集まる、それに私も隷属体質(爆)なのか
嫌とあまり思わないことも多かった。
さすがに度を越した我がまま人間には嫌気はさすけれど。
冴子は今でこそ少し丸くなったけれど出会った頃はもっと人当たりが悪かった。
まさに世の中を斜に構えている感じで、信じるのは自分だけで他人はあまり信用していないような人間だった。
生意気すぎて方々から反感をかい、誹謗・中傷も日々の常だったらしい。
(残念ながら世界が違うので冴子が居る世界のことは詳しくは知らなかった、時々話題に上るワイドショー的な記事で確認しただけ)
音楽界は彼女の天才的な才能を無視できない。
世に楽器を演奏できる人間は幾らでもいるけれど、世界を相手にできる人間は限られるのだ。
初対面の時を思い出して、ぷっと吹き出した。
あの時は、まさかこんな状況になるとは思ってもいなかったわね。
冴子はまだ高校生だった。
仕事ではなく、友人と軽い気持ちで見に行った国内の有名コンクールに彼女は出ていた。
友人も冴子には一目おいていたみたいだけれど、やはりその性格が障壁になって好印象は持っていないようだった。
ひと目見てなんとなく一般の人が抱くイメージに納得した。
同時に、それは一部その容姿からの嫉妬から来るものだとは本人も思っていないだろうと思ったものだ。
結局、コンクールは他の人が優勝した。
音楽的なことは分からないのでどこが違ったとか思うことも無く興味は優勝した人よりも結果を聞く彼女に向く。
多分、会場の半分以上は私と同じ意地悪な好奇の視線を投げていたと思う。
じっと前を向いていた彼女には表情が無かった、その頃は私はもうカメラマンのアシスタントをしてしばらく経っていたので人間の表情は少し分かっていたと思っていたけれど彼女の気分を読み取る事は適わなかった。
「トイレに行ってくるわね。」
「うん。」
友人は行列が出来ているトイレに向かい、しばらくかかりそうなので私は中庭が見渡せる休憩場所に移動した。
ぼーっと緑の木々を見ているとザカザカと中庭を横切る少女が居る。
「・・・・あっちは何も無いのに。」
と一瞬思うものの、次の瞬間には体が動いていた。
真一文字に口をつぐみ、前を向いてザカザカあるく様子に私は興味を惹かれたのだ。
面白い。
参加者や、見学者達は反対のロビーや正面玄関に向かっているというのに彼女はただひとり何を考えているのか分からない無表情で雑木林の方に向かう。
なれない、道とは思えない道を歩いて踏み分けると木々の間にぽっかり開いた場所があった。
そこに、彼女は草むらに身を横たえて天を見上げていた。
「誰?」
誰何する声が彼女の口から発せられる。
その割りに、起き上がる気配は無かった。
「こんにちは。」
私は律儀にも挨拶をする、とりあえず不審者だと思われないように。
「・・・今、人と話したくないの。あっち行ってくれない?」
あららら・・・声からしてかなり不機嫌な様子。
私は師匠からキツク当たられるのに慣れているのでこの程度にはへこたれない、ゆっくりと近づいて彼女を覗き込んだ。
表情は泣いているかと思ったら普通でこっちが驚いたくらい。
「あっちへ行って、って言っているでしょう。」
頭上斜めにある太陽の眩しさに手で覆って彼女は言った。
「小日向冴子さんだっけ?」
プログラムと番号で覚えた名前を口に出す。
「アナタ、私を笑いに来たの?」
彼女はゆっくりと上体を起した、険しくなった表情に警戒されたかなと思う。
「なぜ?」
「皆、私が優勝できなくてざまーみろと思っているんでしょ。」
ひねくれてるな・・・まあ、そう思える雰囲気もなきにしもあらずだけど。
「さあ? 皆がどう思っているか分からないけど私には興味の無い話だわ。」
演奏の上手い下手は素人の私には全く分からないし、誰が優勝しても私に利益があるわけじゃない(笑)。
「変な人、不審者なの?」
不審者なの?って聞かれるとは思わなかったのでぷっと笑ってしまった。
「何がおかしいのよ。」
「人に不審者なの?って普通、聞かないわよ。」
「・・・聞き方を変えるわ、記者の人?」
「一人でインタビューするの?」
「じゃあ、なんでここに居るのよ、アナタ。」
じゃーん、と私はジーンズの後ろからデジカメを取り出した。
「写真、1枚取らせて欲しいんだけどね。」
「はあっ?」
彼女の表情が初めて崩れる、私はその瞬間を逃さなかった。
「あっ!」
なんだか、パパラッチのような撮影だったけれどなかなかいい映像が撮れたと思う。
「どうも。」
「ちょっ・・・と!」
「普段も、今みたいにくだけた表情をしてると人が寄ってくると思うのにな。」
「なんで愛想笑いみたいなこと、しないといけないのよ。」
「生きてゆくのに必要な偽の笑いも必要じゃない?」
「そんな労力、使いたくないわ!」
・・・労力って、そんなに疲れることするわけじゃないでしょうに。
彼女、かなりの人付き合いが苦手な人間か、”媚びる”を勘違いしている人間か、よね。
「それ。」
カシャ。
シャッター音が響く。
「いい加減にして。」
「怒った顔もかわいいって言われない?」
私はデジカメを奪い取ろうとした彼女からひらりと逃げる、自慢ではないけれど俊敏性は助手の中で一番だったりする。
「言われないわよ! 肖像権侵害!」
「返してあげるわ、次のコンクールで優勝したらね。」
「なに、言って・・・」
「まだ、来年あるんでしょ? その他にもあるみたいだけど雪辱を晴らしてみせて。」
「アナタ、なんなの?!」
訝しげに聞いてくる。
さて、何なのかしら?(笑) 自分でも分からなくなったかも。
「そうね、貴女のフアンかな。ただし、今日からだけど。」
カシャリ。
また、一枚GET。
おやおや、3枚目でため息をついている。
ちょっと警戒を解いてくれた?
「変な人ね。」
「そう? 貴女も変わってる、わざわざ茨の道を進むこと無いのに。ちょっと生き方を変えれば人生楽しいわよ?」
「・・・それが分からないから、もがいてるんじゃない・・・」
下を向いて聞き取れないくらいぼそりとしゃべる。
彼女の本音。
多分、誰も聞いた事のない心の声。
「まずは、笑うことから努力ね。それができたらどうしたら相手と衝突しないか回避パターンを考えるの。」
「笑う?」
「最初は”にへら”でもいいんじゃない? でも貴女の場合、美人だから”にへら”に見えないかもしれないけど。」
そんなやりとりをしているとスマホが鳴った。
あ、ヤバイ・・・友人をトイレに見送ったままだったっけ。
「時間切れね。」
「本当に返してくれるんでしょうね?」
「嘘は言わないわよ、貴女も実力はあるんでしょうから次までに精進したらいいわ。」
ワザとプライドを刺激するような事を言う。
「見てなさいよッ。」
「はいはい、じゃ私は収穫物を持って帰るわ。貴女はゆっくりしていて。」
「言われなくてもそうするわ。」
また再びむっつりとした表情になった。
けれど、その表情に先ほどとは違ったものがまじっているのに私は気付く。
世の中渡り上手とは言い難い性格は大変だと思うけれど、まだ若いんだからいくらでも軌道修正がきくだろう。
私はその僅かな変化に、彼女の近い未来を考えた。
ひたっ。
バスルームから外に出るとひんやりとした空気が肌に触れた。
ちょっと過去を振り返りすぎて長居しすぎた感がある、喉が渇いたかも。
あれからちょっとだけ人付き合いが出来るようになった冴子はなんとか、他人との衝突も回避できるようになった。
いまだ苦手な人は居るみたいだけれど、万人を敵に回すよりマシかと思う。
「まだ、起きてたの?」
相変わらず、アニソンが流れるリビング。
チェロ弾きならクラシックを聞け。
でも、そう言うと『偏見ね』と抗議してくるので実際は言わないでおく。
「ちゃんと落としてきた? 下品なにおい。」
「一応、名前はあるみたいだけどね。」
「名前なんてあったの? 初耳、そんな香水の存在すら知らなかったわ。」
毒舌、炸裂・・・冴子。
「そんなにけなすこともないでしょうに。」
「匂いに苛立つのよ。」
私は冷蔵庫を開け、スポーツ飲料水を取り出して一口飲んだ。
「それって、”嫉妬”だって自覚してる?」
「私が?」
まったく、素直じゃな無いんだから(苦笑)。
分かっているから認めなくてもいいけどね。
「私、疲れたから寝るわよ。今日は我がままJrのせいでしんどかったわ。」
「もう、年寄りね。」
「年寄りと思うならもうちょっと、少しはいたわって頂戴。」
その、キツさはひそめたとはいえ、時々グサッとくる言葉を投げかけるのは止めて欲しい。
お風呂に長居したせいか、全身に血がめぐって足がおぼつかない。
早く別途にたどり着いて、フカフカな羽毛にダイブしたいところ。
残念ながらベットは別々。
私は冷たいベッドが好きなのだ、二人だと二人分の範囲に熱がこもりつめたい範囲が少なくなる。
例えるなら夏場のベッド、寝ていた場所は体温で熱くなり、冷たい所へ移動したいような感じ。
それが私は通年なのだ。
「ほうー」
明日は仕事、と言ったものの実際は朝から仕事は無く雑用しかない。
嘘も方便、オトナになると色々大変なのである。
肌触りの良い羽毛にダイブすると、あまりの気持ち良さにすぐに眠くなった。
「だらしない。」
後ろから冴子の声がする。
「いいの、今日の仕事は終わったんだから好きにさせて。」
「ほんとに終わり?」
ずしりと背中が重くなった。
私の耳元に彼女の唇が近づくのを感じる。
「義務はどうするのよ。」
「それはオトコの仕事、私の仕事じゃないわよ。」
くすぐったい。
「待ってたのに。」
「心にも無い事を。」
「ホントにそう思う?」
「半分、くらい?」
「ホントに恋人なの、遊里?!」
冴子は私から身体を離し、ぺしっと背中を叩いた。
「痛いわね、疲れてるて言ってるじゃないの。」
「私は1ヶ月も我慢したのよ?!」
逆切れしなさんなって、私だって同じでしょうに。
「それはお互いサマ。」
「・・・・!!」
「げっ。」
冴子に勢いよく枕を投げつけられた、至近距離だったのでかなり痛い。
疲れている上に、この仕打ち・・・ひどい。
冴子こそ、本当に私の恋人なのか疑ってしまう。
「一生、寝てればいいわ。」
フンと、捨て台詞を私に投げて隣りのベッドに寝てしまった。
分かってる、分かってるんだけど・・・今日はあまりにも疲れすぎたのよ(笑)。
昨日は車に女の子を乗せたって冴子が怒るし、今日は私が仕事で疲れて動けないしで、いつになったら再会を喜ぶ日が来るのかちょっと不安になった。
けれど、やっぱり身体が訴える事には抗えず私は睡魔に誘われて意識を手放した。