冴子、浮気を申告する。
事はスイスでの音楽祭のデジカメ画像のまとめを冴子が遊里に頼んだことから始まる。
滅多に笑わない、写真を撮られる事が嫌いな冴子が何枚か自然に笑っている画像を残していたのだ。まとめの際に遊里は削除させられたが納得いかなかった、『何故、消してしまうものを撮っていたのか』と。
「なにやってるのよ。」
ぼーっとソファーでDVDを見ていたら冴子がジュースを持ってきてくれた。
「DVDを見てたんだけどね・・・」
つまらなくて、借りてきたものが失敗と思う。
折角のレンタル料が。
「飽きたわけね。」
「ご明察。休日なのはいいけど暇なのは困るわね。」
仕事のある日はバリバリ働いて休む事も気にならないのに。
することがないと、張りがなくてだらけてしまう。
「じゃあ、写真をまとめてよ。暇なんでしょ?」
「写真?」
「この間行った、スイスの写真がまだメモリの中なのよ。」
スイスの音楽祭に参加した、チェリストの小日向冴子。
面倒な事は自分でせずに、私に押し付ける。
まあ、私も嫌いじゃないんだけど(笑)。
「細かい事、好きでしょ? 遊里。」
「・・・・」
私は、ジュース1本で引き受けることにした。
仕事部屋に入る。
デジカメ映像だから現像とかはしなくてもいいけれど、まず日にち。
そして映っている対象を分ける。
人に整理させるくせに、枚数は多いんだから冴子ってば。
パソコンに向かう私の横で、椅子を持ってきて私に指示をする。
「3日間ね、日ごとにするよね。」
「大分類はスイス音楽祭、第1日、第2日・・・その中で建物、食べ物等を分類して。」
細かい、細かい、指示が細かいよ。
でもね、コレが意外とこうしている時間がとても楽しいのだ。
一緒には行けなかったけれど、写真を一緒に見て冴子が何を見て何をして何を感じたのか分かるから。
「はい、はい。」
パソコンで取り込んだ画像には歴史的な建物がずらりと並ぶ、しかも角度を変えて何枚も取ってある。
「この寺院、バロック式ですごく良かったのよ。」
「確かに。」
枚数がある。
「ここのパイプオルガンが19世紀製で、音に鳥肌が立ったわ。」
ぽんぽん、解説と感動付きの冴子。
サクサクと振り分け、いらないものは削除してゆく。
冴子は印刷はせず、アルバムを作らない。
見たい時はパソコン内のフォルダーにしまっておくか、メディアに保存しておいた。
冴子分のフォルダーには結構、画像のフォルダーが分岐してかなり置いてある。
私は一枚の画像を見とめた。
「これは?」
「どれ?」
あの写真に撮られることが嫌いな冴子が写真に笑顔で映っている。
この後ろの建物がよっぽど良くて、一緒に映りたかったのか?
「ああ、これね。」
冴子の様子が少し変わった。
苦笑している。
「私の好きな音楽家の生家よ。」
「ミーハーだねぇ、冴子も。」
「そう? これ、消して。」
「え、なんで?! 撮りたくて撮ったんでしょ?」
悪くないじゃない、変な顔してるわけでもなし。
ぼやけてるわけでもないし。
「いいのよ。」
もう一度言って、私の顔を見る。
「馬鹿なことしたわ。」
「消したら、元に戻らないわよ。」
「いいの、しつこいわよ。」
ジュースの容器を片手でもて遊びながら。
私は肩をすくめてゴミ箱に放り込んだ。
その後も何枚か、冴子の映っている画像があったけれどそれをみんな、削除させた。
なんで消すものを撮ったのだろうという疑問が残る。
画像の冴子は満面の笑顔ではないけれど笑っている、その時は写真に残したいとい気分だったのだろうに。
計8枚、笑っている冴子の画像を削除した。
本人が削除していいと言っているのだから、しかたがない。
私は止めたんだけれど。
デジカメのメモリ整理は1時間くらいで終了した。
私も仕事以外でよく写真は撮るけれど、冴子も負けてはいなかった。
休暇も終わって、バリバリ仕事を始めると仕事に没頭する。
もちろん、家事もあるけど手は抜かない。
私自身が決めたことだ、冴子の世話もあるしね。
ある日、私の方が早く家に帰ってきた。
お風呂を湧かし、夕飯の準備をしてから自分の仕事にとりかかる。
これなら、冴子が帰ってきてからすぐにお風呂&食事を済ませることができて私も楽だった。
部屋に戻ろうとして郵便受けに入っていたものを玄関に忘れていたことを思い出す。
玄関に行って確認する、A5サイズのエアメールが冴子宛に届いていた。
差出国はアメリカだった。
アメリカ・・・随分馴染みの無い国から。
意外にアメリカには冴子は行っていない、嫌いとかではなくまだ縁が無いのよと言っていた。
差出人はメアリ・ハーボット?
辛うじて読めた英語の筆記体の人物に、私に思い当たる節も無くそのまま汚れないようにリビングの机の上に置いた。
それをまた忘れた頃に冴子は帰ってきた。
「ただいまー、もう疲れた!」
今日は疲労度ピークのようだ、声を上げるくらいだから。
「お帰り、お風呂やってあるわよ。」
「助かるわ、遊里。」
早々に荷物を置き、私にキスをしてお風呂に向かう。
「今日は、混ぜご飯とほうれん草のおひたしと厚揚げよ。」
「それは美味しそうね、楽しみだわ」
それから2時間近く長湯を楽しんで冴子は出てきた、仕事のあとの1杯をお風呂上りに飲む。
キンキンに冷えたビール。
疲れていればなお、美味しいわね。
「他人に気を使うのって大変よね、つくづくそう思うわ。」
ビールを飲みながら、珍しく愚痴を言う。
「冴子も少しは大人になったじゃない、以前は気はあまり使わなかったでしょ?」
「少しはね。」
「良い傾向だわ、人に嫌われていたら仕事も出来ないわよ。」
「それは遊里に感謝してるわ。」
改めて言われるとこっちが照れるわね。
「ありがと。」
「別にいいわよ。混ぜご飯、冷めちゃうわよ。」
「そうね、頂くわ。」
ご飯に箸をつける冴子を見た。
毎日見慣れてるけれど、見飽きない。
好きという感情はその度に湧き上がってきて、私は改めて彼女の事が好きなんだと自覚する。
わがままだし、文句は言うし、感情の変化は激しいし・・・手に負えない人間だけどその負の部分を払拭するくらいの魅力が冴子にはあると思う。
「なによ。」
私はじっと見ているので気になったのか冴子が聞いてきた。
「冴子は美人さんだな、と思って見とれてたのよ。」
「・・・気持悪いわね。」
そうくるか、褒めているのに逆の意味にとるか?(笑)
「私が出会った中では一番よ。」
「酔ってるんじゃない? 飲んでないのに。」
「酔ってないわよ。真面目に言ってるのにどうして喜べないのかな、冴子って。」
お味噌汁を飲みながら言う、今日はシジミじゃなくてアサリにしてみたんだけど。
「私ね、かわいいとか、美人とか言われるのが嫌いなのよ。」
「なんでよ、褒めてるんじゃないの。」
「褒められてるのは分かるんだけど、何だか腹が立つの。」
「・・・よく分からないわ。」
「とにかく、褒めるのは厳禁なのよ私は。」
Mなの? 褒めて欲しくないなんて冴子(苦笑)。
「じゃあ、不細工ね冴子。」
ドカッ。
「いたっ!」
脛を蹴られた、すごく痛い。
「なによ、褒めるのが嫌だっていうから逆に言ったのに。」
「わざわざ、不細工だなんて言うのはどうかと思うわよ。」
すまして答える。
もう、一体どうすればいいのよまったく。
「そういえば、冴子宛にエアメールが届いていたわよ。」
「エアメール? どこから?」
顔を上げて私を見た。
「アメリカから、リビングの机の上に置いておいた。」
「・・・そう、ありがとう。」
「どうしたの?」
表情がこわばったように見えたのは気のせいだろうか。
「なんでもないわ、あとで見るから。」
そう言うと再びご飯を食べ始めた。
私が夕飯の片づけをし、お風呂から出てきたらもうリビングには冴子は居なかった。
そこら辺を探しても居なかったので寝室に行ったのだろう。
今日は疲れたと言っていたし。
私も少し疲労感を感じたので早めに休もうと思い、各所の電気を消して寝室に行った。
いつものようにドアを開けると、紙の音がして冴子が背筋を伸ばしてこっちを向いた。
「冴子?」
驚いた様子だったけれど、すぐに表情はいつもの彼女に戻る。
けれど、私から隠すようにした”それは”問うことを無視できるものではなかった。
が、私も大人だ。
幾ら恋人同士でも、見られたくない物はある。
適度な距離を保つことも大事だし、私は見なかったことにすることにした。
「疲れたんでしょ、寝たほうがいいわよ。」
「うん。」
ベッドによいしょと入り込む、中はひんやりしていた。
すぐに冴子が入ってくる。
しばらく暗闇の中、御互い無言でいたけれど冴子がテーブルのランプを付けた。
一瞬眩しくて目を瞑ったけれど、すぐ慣れた。
「どうしたのよ?」
「遊里。」
一度、テーブルの上に置いたエアメールを手にとって私に渡す。
「冴子に来たものでしょ?」
頷く冴子。
「見て、それから感想を言って。」
「感想? なんの・・・」
「いいから。」
私は再び起き、ベッドの上で冴子と向き合いながら会話をする。
訳がわからないまでも私は中身を取り出した。
手紙は掴んだけれど、それと一緒に入っていたものは取り落としてしまった。
私は落ちた物を拾って、視線を向ける。
冴子の写真だった。
微かに笑っている横顔の冴子、私だってそう滅多に撮れないショット。
後ろに見える建物に覚えがある、スイスの町並み。
この間、整理した映像と同時期に撮られたものと想像できた。
「どう?」
「どうって・・・」
なんと言えばいいのか、すぐには言葉に出来ない。
普通の人が見たならば、ごく普通の写真でしかない。
でも、私にはー
「何か感じる? カメラマンとして。」
試しているのだろうか、冴子は。
この写真の冴子は微かに笑っているだけだけど、かなりリラックスしているのが分かる。
滅多に他人には心を許さない冴子だけに意外だった。
意外というより・・・
「何か言わないとダメ?」
私は逃げた。
多分、言うと喧嘩になってしまうのを感じていたから。
「もう、分かってるんでしょ?」
「何が?」
「・・・怒らないの?」
「なぜ? 写真1枚でなぜ私が怒るの?」
私も強情だった。
怒ってどうするのよ、非難して欲しいの?
そんな体力使うことはしたくないし、1ヶ月前の事を蒸し返したくはない。
その、メアリ何とかという人間と冴子の間で”何かが”あったのは分かった。
けれど、それが私を苦しめる程のような事ではないのも感じたので、写真について議論する気も無い。
「遊里は、いつもそうよね。」
怒らせようとしているのかと思うほど挑発的な物言い。
私は喧嘩なんてしたくないのに。
目をつぶって、見過ごそうとしているのに。
私はため息を付いた。
「喧嘩なんてしたくないわ、だから聞かない。」
「遊里。」
「もう寝たら? 疲れてるんでしょ。」
そこで話を私の方から打ち切った。
本気の浮気なら、冴子の性格上隠し切れはしない。
軽いものであれば、私には彼女を許すくらいの度量はあった。
次の日の朝は昨晩の事を引きずって、私たちはギクシャクした。
それに会話も少ない。
「行ってくるわ、今日は遅くなるから夜はコンビニで何か買ってきて。」
私はまだぐずぐずとキッチンのテーブルに居た冴子に言う。
寝起きのパジャマ姿で、髪の毛すらとかしていない。
ファンが見たら幻滅するような姿。
「分かったわ。」
私を見ないで言う。
「・・・いい加減にしないと、本当に怒るわよ? ワザと怒らせるなんて子供染みたことは止めなさい。」
反応が無い。
「私は些細な事なら怒らないわ、私が人に無い何かを持っているのだとすれば、それは”許す”事が出来るということだわ。他の人には理解できない事かもしれないけど。」
冴子にも。
すっかり忘れていたということは、冴子にとってはそんなに重要な出来事ではなかったということだ。
その時だけの事で終わっているものを指摘して、問い詰めるなんて私にはできない。
「帰ってくるまでにいつもの冴子に戻ってないと、シジミ汁は作ってあげないわよ?」
私はそう言って、マンションを出た。
まったくもう、なんだって今更こんな事がふって湧いてくるのよ。
冴子が浮気だなんて、90%くらいは信じられないけど0%というのも断言できない。
私が心静かにいられるのは、浮気と言ってもそう深くはないと確信しているから。
確かにあの写真では冴子は相手に対して、心を開いて打ち解けているのを感じる。
感じたくも無い、写真を撮った人間の思いも感じ取れる。
けれど、私にとって気にするほどの事ではなかった。
それくらい冴子が自分に惚れているという自信があるからだった。
「こっちに視線を向けてね。」
「はい。」
既製品ではない制服を着た少女が撮影ブースの中でポーズをとっている。
私はタイミングを計ってカメラのシャッターを切った。
何度か眩しいフラッシュがたかれた。
ポーズを変え、何枚か撮ったあとに休憩に入ることになった。
本日の仕事の一つはあと2人、同じようなことをしないといけない。
モデルは休憩できるが、私は次の子の撮影の準備があったので休まず動いていた。
一人の子が私に近づいてきた。
いつもの事なので私は軽くあしらう準備をする、邪険に対応すると撮影に支障をきたすから程々が難しい。
彼女はカメラを見る、珍しい。
大概は私の方に興味があるのだろうけれど。
「興味がある?」
私は手を動かしながら聞いた。
「普段は撮られていますけど、カメラは好きで撮ってるんです。それに機械とかが好きで。」
失礼だけれど、見た目からはカメラ女子は窺い知れない。
でも、最近は一眼レフで写真を撮る子も増えているから、珍しくも無いのかもしれない。
「カメラマンさんも色々で観察していて楽しいです、使ってる機材も人それぞれで。」
「そうね、自分に合ったものとかあるし。」
「私、ドラマとか映画も出るんですけど撮影する機材やスタッフさんの方に注目しちゃいますね。」
面白い機材とか見れますし、と言いながら彼女は私の作業を興味深そうにずっと見ていた。
その仕事をお昼までかかって終え、次の仕事場へ車で移動する。
アイドルの後はモデルか、長引かない事を祈った。
モデルは私にとって鬼門でもあったからだ。
バタン。
機材の一式をトランクに詰め込むと、ため息が出た。
色々ありすぎてのことだ。
なんでこう疲れることばかり、多いのだろう。
冴子の話しから始まって、今日の仕事つながりで。
いかん、いかん、落ち込んでたら心まで荒んでくる。
ゆとりを持たないと。
「ただいま。」
部屋が真っ暗だった。
まだ帰って来ていないのか、もう不貞寝してしまったのか冴子。
顔を合わせなくてホッとした自分を感じて、思わず苦笑してしまったけれど。
しかし、私は電気をつけてびっくりした。
ソファーで冴子が寝ていたからだ。
しかも、テーブルの上には夕飯と思わしい食べ散らかしたゴミ、缶ビールがある。
片付けなさいよ、まったく・・・
これじゃあ、百年の恋も冷めるというもの。
ずぼらもいいところよ。
「冴子、起きなさい、風邪引くわよ?」
私は身体を揺すった。
お風呂はどうやら入ったようだったから、あとはベッドへ行かせるだけのようだ。
「冴子ってば。」
ベシッ。
私は叩いた、優しくして起きないのなら少しくらい痛くても構わないだろう。
風邪をひいて仕事を落とすよりはましだわ。
「・・・・痛いわね。」
冴子はのっそり起き上がった、不機嫌そうな態度で。
変な格好で寝ていたから、身体の節々を動かす。
「風邪を引くわよ。寝るなら、ベッドに行って寝て頂戴。」
「今、何時?」
「25時45分。」
私は冴子が起きたのでゴミを片付けてゆく。
色々食べたわね、食べすぎじゃないのと思うくらい。
まあ、これで太らないんだから私はうらやましいと常々思っている。
「1時?」
「そうね、いつから寝てるか分からないけど何も掛けないで寝るのはやめなさいよ。」
「うるさいわね。」
寝起きはキツさも増す冴子。
私は慣れたものだけど、あまりいい気分でもない。
無視して片付けと明日の準備。
朝の準備、ご飯を炊いておく。
それが終わったらお風呂に入って明日は朝から仕事部屋に篭城か。
冴子は渋々寝室に向かった。
朝、冴子の朝食の用意をしてから私は部屋に篭った。
冴子の写真を撮ったであろう人間は気にはなったけれど調べるのは少し、腹がたった。
なんだか負けたような気がするからだ。
私はそんな思いを吹き飛ばすように撮った写真の選定する。
しかし、若い子は毎日が楽しそうでいいわねと思うくらい現場で笑っている。
仕事でそういう現場が多いからかもしれないけれど。
水着とかだと仕事とはいえ、選定作業はドキドキする。
いきなり冴子が入ってくるんじゃないかとか思いながら。
・・・でも、まったくそんなことはなくて私がやましいことをしている時にだけ計ったようにやってくるのだ。
私もただモデルの子達と話すだけなら楽しいし、若返る気分にもなる。
ただそれが一歩、私のエリアに踏み込まれるとややこしい話になるから困りものなのだ。
仲良く話しているだけじゃ嫌になり、中には大胆に迫ってくる子も中にはいた。
そこら辺が、私がモデルの子達を相手にする時に苦労している点だ。
「・・・・・・・」
ギッ。
私は椅子に身体を投げた。
集中できない。
仕事をしようとする努力はするのだけれど、どうにも気が散ってしまう。
理由は明白、気にならないと思っていても心の中では気になっているのだ。
冴子の言いたかった事を聞いてやればよかった・・・喧嘩をしても許すのだからその時に解決しておけばよかったのかもしれない。
生憎と今日は冴子は仕事だった。
今、聞こうにも居ないのでは聞けない。
今日1日、ずっとこんな気分のまま過ごすしかなかった。
「・・・遊里?」
夜遅く帰ってきて冴子が言った一言。
私を探しての一言ではなく、家中に漂う甘い香りに私を重ねたのだろう。
甘い香りの原因を作ったであろう、私を。
「おかえり、冴子。」
「何作ってるのよ? こんな夜遅くに。」
「チョコレートケーキと、クッキー。」
こんなにいい香りだってのに、冴子ってば眉を潜めてるし。
「見れば分かるわ、おやつに作るにはちょっと時間がズレてない?」
「まあ、作り始めたのが遅くて・・・こんな時間に。」
チョコレートケーキはホールになってるし、デコレーションも綺麗に出来た。
クッキーは家にあったものを色々乗せてみたりした。
「仕事してたんじゃないの?」
「してたけど、今日は手が付かなかったからコレばっかり。」
「することがなかったわけね。」
「そういうことになるかしら? 冴子、食べる?」
「・・・夜ご飯にケーキはやめておくわ。食べてきたし。」
「じゃあ、コレは今日以降に食べましょうか。」
そうして、と言うと冴子はお風呂に入りに行ってしまった。
折角作ったケーキはほどよい大きさの容器に入れ、冷蔵庫にしまう。
クッキーは冴子の食べる分を残して、現場に持っていくために何個か小分けにした。
とりあえず帰ってきたので聞ける。
今夜はとことん聞いてやろうと思う、私には問い詰める権利があるのだ。
身に覚えが無いのにいつも問い詰められているし(苦笑)。
ポン、ポン。
私は掛け布団を叩いた。
「?」
お風呂上りの冴子は私の行動にはてなマークを浮かべた。
「早く、ここに座って。」
「なによ。」
「頭、拭いてあげるわ。」
「・・・いいわよ、自分でできるから。」
気味悪そうに言う。
そういうことは私からは滅多にしないから何か感じたらしい。
「冴子に聞きたい事があるのよ。」
「聞きたいこと?」
「そう、この間の事。」
「聞きたくないんじゃないの? あの時そう言ったじゃない、遊里。」
この間の事、と私が言うと冴子の表情が変わった。
怒るのは分かるわ、今聞くタイミングじゃないって事も。
それは私が悪いんだけれど。
「この間は悪かったわ、ごめん。」
「今更なの?」
そう聞く冴子の声は尖っている。
それでも聞かないと納得しないから私は答える。
「うん。」
「・・・まあ、いいわ。決着は着いていなかったし。」
私が聞かないで終わってしまったので、許されたのか許されなかったのか分からなかったらしい。
図太い神経の持ち主なら、ヤッタ!浮気したけど許された!って思ってそのまま平気でいるのだろうけれど冴子はそういう人間ではなかった。
大人しく、私が叩いた布団の上に座った。
「で、どこから知りたいの?」
「冴子が話したいところからで。」
「・・・ちょっと魔が差したのよ、魔が。」
ぽつりと言う。
「魔が?」
「いつもならなんとも思わないわ、男でも当たり前だけど女でも。」
冴子の髪をゆっくりタオルで拭き、水気を切る。
「そんな余裕もないし、ただ・・・遊里に似てたのよね。そこら辺で少し気も緩んだのかもしれない。」
「私に似てる?」
外国人で私に似てるって、あまり想像できなかった。
「顔とか身体つきってわけじゃないのよ、あるでしょ?雰囲気が似てるっていう人が。」
「そんなに寂しかったの?」
軽く笑う。
「違うわよ。すんなり私のエリアに入ってきたわ、私も最初は警戒してたけど話し始めると警戒は解けていった。それに、その人は遊里と同業者なのよ。」
「ふうん、で、あの写真ね。」
確かに、一瞬を捉えていた。
「でも、したのはキスだけよ。」
「キスはしたのね。」
「・・・・した。」
ぶっきらぼうにうなづく。
「外国人だからディープなやつだったのかしら? どんな風だったの?」
興味はあるわね。
「・・・言わなきゃダメ?」
「申し訳ないと思ってるなら、言ってほしいわね。」
怒ってはいない、どうだったのか聞きたいだけ。
冴子が私に対して悪いと思っているなら、もう過去の事なのだ。
「もう、思い出したくないんだけど。」
「嫌だった?」
「勘弁して、もうー」
「私以外の人とキスした罰よ、冴子。」
私はドライヤーを引っ張ってきて、乾かし始めた。
「ごめんなさい。」
ドライヤーの音に消されるように冴子の声が混じる。
「後悔してる?」
「反省じゃなくて?」
「反省より、後悔の方が私はいいわ。」
「”した”から、今後もうしませんより、してしまって私に申し訳なかったって思っている冴子なら許しやすいもの。」
「なんで怒らないのよ、遊里ってば。」
逆に怒るような口調の冴子。
「仕方が無いじゃない、怒ろうという気がないんだもの。」
私を怒らせるのはなかなか難しいわよ? 冴子は簡単に怒りそうだけど。
「彼女とのキスが良かったって言っても?」
「言うわね、言っちゃったわね、冴子。」
グリグリとドライヤーをタオル越しに頭に押し当ててやった。
「熱いわよ!」
「言っちゃあならないことよ、それは。」
「怒った?」
「怒ってないわよ、テクニシャンに当たってしまったってわけよね、冴子ってば。」
「本心を言いなさいよ、怒ってるんでしょ!? 遊里。」
二人でもみ合いになる、ドライヤーは音を立てながらベッドに落ちた。
「怒ってないって言ってるでしょ、そんなに私に怒って欲しいの?」
「怒らないから、懺悔も出来ないじゃない!」
もみ合った末に、冴子が私の両手をベッドに押え付けるような格好になった。
「冴子が悪い事をした、って思ってるのが私には分かるからもう怒れないのよ。」
やさしく言う。
「・・・・・」
何か言いたそうだったけれど、冴子の口から言葉は出なかった。
「もう、この話は終わり。経緯も聞けたし、冴子も後悔してるんでしょう?なら、もう私が怒る理由なんてないわ。」
押さえつけている手が緩んだ。
「・・・それとも、この件の代わりに私がモデルの子とキスしても構わないとか?」
「ダメよ!」
私の言葉に即座に反応したわね。
「それは冴子に殺されそうだから、やめとくわ。」
力の緩んだ手から抜け出て、私は笑ったまま手を冴子の頬に当てる。
「仲直りしましょう? ね?」
「・・・ずるいわ。」
「どうして?」
「いつも、そうやって何でも私の事は許して・・・」
「許すのがどうして悪いのよ?」
「・・・それは・・・・」
なんとなく言いたいことが分かった。
途中で口をつぐんだのも、冴子自身が言ってはいけないと思ったからだ。
確かに、私はズルイのかもしれない。
でも、私はこういう風にしか出来なかった。
多分それは冴子だけでなく、接する者は皆同じく。
「じゃあ、どうしたいの? 私に怒鳴って欲しいの? 叩かれたいの?」
したくないことを、あえてするのは不毛だと思う。
冴子からは答えが出なかった。
「わかったわ。」
私はベッドから上体を起こした。
「歯を食いしばってちょうだい。」
「え?」
「言っとくけど、加減しないわよ?」
目の前で呆けている冴子に、にっこり笑って言った。
「ゆう・・り?」
まだ、何が起こるか分からない顔している冴子に私は手を上げた。
パンっ。
すごい音が響いた。
この部屋に響いたことの無い音。
思いっきり叩いちゃったから、痕にはなるわね。
すぐに冷やせば大丈夫だと思うけど。
「どう? 一応、少しばかり私の中にあった怒りみたいなものも込めてみたからその分、重いわよ?」
頬を押さえたままの冴子。
「多分、私を怒らせるところまで行ったらもうその時は私達は終わりなのよ。それと冴子に私以外の好きな人ができた時ね。」
そう言う私は言葉に感情が入っていなかったと思う。
それくらい恐ろしく冷めた言葉で、いままで言った事のない言葉でもあった。
自分の言った言葉をすぐに頭から押しやって、私はベッドから降りて歩き出した。
部屋を出てゆくのではなくて、冷蔵庫へ氷を取りに行くためだ。
もしかしたら冴子は私が出てゆくと思うかもしれない(苦笑)。
透明ビニール袋に氷を詰めて私はまた寝室へ戻った。
案の定、私の顔を見て、なんとも言えない顔の冴子が迎える。
「はい、氷よ。冷やさないと腫れるでしょ?」
私は涙は見ない振りをした、そういうことを指摘されたり揶揄されるのは嫌いな冴子だから。
「ちゃんと冷やしなさいよ、思いっきり叩いちゃったんだから。」
冴子の肩を抱いて、ベッドの上に座る。
「・・・私を怒らせるのは末期だと思いなさいよ、冴子。」
無言でうなづく冴子。
私の隠されていた片鱗が少しばかり出たようだった。
「だから許されている時はまだ、大丈夫だということよ。でも、だからってキスしていいって訳じゃないのよ?」
釘を刺す、もうしないと思うけど(笑)。
また、うなづく。
かろうじて泣き出さないのは小日向冴子の矜持なのか。
「じゃあ、仲直りするわね?」
頷いて冴子は、私を見た。
ちょっと、叩きすぎたかな・・・と押さえている方の頬を見て思った私だった。
「大丈夫?」
朝、起きると私は冴子に聞いた。
「・・・自分では分からないわね、痛みはもう無いけど。どう?」
私は冴子をベッドに座らせて、正面から見た。
昨晩は氷をもう1度くらいかえて、押さえたので何とか不自然に変にはならずにはすんだようだった。
「気がつく人は気がつくかもしれないわね、写真とかTVの収録とかある?」
「今日は無いわ。」
ホッと私は胸を撫で下ろした。
今、考えると私のした行動は向こう見ずだったかもしれなかった。
冴子が顔出しの仕事だったらとんでもないところだったのに。
「冴子、ごめん。」
「・・・なんで遊里が謝るのよ。」
「だって。」
「私が怒ったらって言ったのに。」
御互い無言の時間が少し流れる。
しばらくして冴子が私の手に触れた。
「遊里が怒るとどうなるのか少しわかったわ。」
「あまり怒った事がないから、自分でも分からないのよ・・・どうなるのか。」
私に寄ってくる。
「怒らせたかったのかも。」
「むやみに怒らせるのはやめてよ。」
「・・・身に染みたわ。」
そのまま目をつぶって冴子は唇を寄せてきた。
昨晩はあのまま肩を抱いてずっといて、寝たのは落ち着いてから。
キスするのは喧嘩してから2日振り。
「仕・・・事は?」
冴子は本格的にキスをし始めた頃に聞いてきた。
「あるけど、自宅でー・・・」
朝から私達は火が着いてしまった。
せっかく起きたベッドに抱き合いながら、また転がってしまう。
「じゃあ、いいわよね?」
なにがいいのよ、仕事はあるって言ってるのに。
「・・・冴子の方はどうなのよ?」
「あるわよ、仕事。」
「なら、こんな事している場合じゃないじゃないの。」
「・・・遊里は頭が固すぎよ、もう少し柔らかくしたら?」
「ちょっ・・・」
「こういう気分なの、遊里・・・」
冴子のくぐもった声が耳に入ってくる。
「こういう気分って・・・」
冴子の手を押さえるのだけれど、その手をかいくぐってくる。
「遊里、いいでしょ?」
私は抵抗も空しく、冴子にされるがままになった。
と、とりあえずめでたし?めでたし?