時事:クリスマス。
クリスマス時期の話があったのでいつもの上旬の次話投稿ではなく、この時期にしました。
その割りにあまりクリスマスって感じはないのですが(笑)
ザカザカ、街を歩く。
ちょっとの用事で家の外に出てきたってのに、何よこの街の様子は(怒)。
右を見ても左を見てもカップルって。
だからイベント週間に街に出るのは嫌なのよ、コンサートも無いのに。
CDショップもクリスマスソングをバーンと出してるし、私の欲しいCDすら見つかりずらい。(私はアナログ派なのだ、ネット配信というものはあまり興味がない)
もう一軒寄ってなかったら諦めよう、CDよりもこんな景色を見させられる方が嫌。
「冴子さん。」
ザカザカ歩いていると後ろから声がした。
冴子さん。
私の事を名前で呼ぶのは誰よ。
滅多に呼ばれることの無い名前で呼ぶのは、しかも男って。
思い当たらなかったので振り向かなかった。
申し訳ないけど、無視・無視。
それでも『冴子さん』と呼ぶ声は止まない。
しつこい!
あまりにもしつこいのでさすがの私も振り返った、表情は険しかったと思う。
私の表情に少しびびったようで上体がのけぞっているかも、相手。
・・・インプットされた脳から、目の前の人間のデータを引きずり出す。
「こ、こんにちは。冴子さん。」
「・・・・・・・」
名前で呼ばれるほど、親密でもない。
確か、ビオラ演奏者の但馬左間之輔とかいう昔の名前の若者だった。
私より3歳くらい違う。
名前が面白いけど興味は湧かなかった。
「こんにちは、但馬くん。」
一応、営業・社交スマイルで応じる。
私の外面に気を許したのかにへらと笑って気安く話しかけてきた。
「後ろから見て、冴子さんだと思ったんです。」
無視してくれても良かったのに。
私は再び歩き出しながら程ほどに対応する。
「お買い物ですか? お友達とか?」
「見れば分かるでしょ、一人よ。今から家に帰るところ。」
「お一人なんですか?」
・・・そんなに驚かなくてもいいじゃない。
確かに、この街の様子で一人は浮くわね。
「あなたは?」
「僕もです、友人と用事があったんですけど中止になってしまって・・・」
「そう。」
さっさと離れてくれないかしら。
そう思いながら足を速める。
「も、もし良かったらなんですけど・・・!」
「ごめんなさい、用事があるの。」
「あ・・・」
考える暇も無く、答えてしまった。
まあ、彼に好かれたいとは思うわけではないので印象はどうでもいい。
彼には悪いとは思うけど。
何も好き好んで攻めずらい女を選ばなくてもいいのに(笑)。
実力と程ほどの人気がある彼ならナンパしても成功率は高いと思うのに世の中うまくいかないものね。
「冴子。」
また呼ばれた、今度は呼び捨て。
でも、私を呼び捨てにするのは(出来るのは)師匠と彼女しかいない。
「遊里。」
私は振り返った。
遊里が仕事に乗って行ったアウディを路肩に止めて私を呼んでいる。
こちらに歩いてくる、あの様子だと仕事は終わったみたい。
私は彼を振りほどこうとして通り過ぎてしまったようだ。
「見つけてちょうど良かったわ。」
「私もよ、この景色にはうんざり。さっさと家に帰りたかったの。」
私は遊里の腕に身を寄せた。
「こんにちは。」
にっこりと遊里は彼に挨拶をする。
彼女の笑顔は本物だ、私のように作ってるわけじゃない。
「こ、こんにちは。但馬佐間之輔です。」
「さまのすけ?」
案の定、名前を繰り返して小さく噴出す遊里。
「ご、ごめんね、つい。」
「いえ、慣れてますから・・・」
「冴子のお仕事関係の人?」
「あ、ビオラを演奏してます。」
「ビオラ? ああ、ヴァイオリンより少し小さい楽器ね。」
ふむふむと頷く。
「帰るわよ。」
私は、今にも話出しそうな二人を遮って車に向かった。
「ちょっと、冴子! ・・・もう、ごめんなさいねあんなヤツで。」
聞こえてるわよ、あんなヤツって何よ。
「い、いえ慣れてますから大丈夫です。」
「アレに慣れるのも大変ね、私もいつもため息をつくのよ。」
「はあ。」
「じゃあ、ごめん失礼するわね。」
「は、はいっ」
やっと開放された私だった。
「カワイイ子だったじゃない。」
アウディを少し走らせてから遊里は言った。
私といえば身をシートに沈めている、歩き疲れたので。
「遊里ってば、ああゆうのが好みなの?」
「違うわよ、冴子に声をかけてくるなんて随分勇気があるなと思って。」
「どういう意味よ。」
軽くパンチをお見舞いする。
「言葉通り、私が彼だったら声掛けないけど。」
「ひどいわね、私に言うセリフじゃないわよ。」
「それにしてもクリスマス一色、この時期はそういう仕事ばっかりよ。」
「でしょうね、私には関係ないけど。」
「ちょっと、一応は乙女でしょ?まだ。」
呆れたように言う。
「浮かれる歳でもないでしょうにって事。」
「ドライよね・・・冴子って。」
「遊里はああいうのがいいの?」
ウインドウの外に目をやって言う。
外ではカップルというカップルが身を寄せ合って歩いている。
別に歩いている分にはいいけれど中には度を越したカップルも居るのでそういうのを見ると気分が悪くなってくる。
本人達は悪気が無かったり、まったく意識していなかったりするとなお悪い。
「まあ、希望はね。」
希望とはいいながら半分以上諦めた言い方に苦笑する。
「私を好きになったのが運のツキね。」
「そうそう、まあそんな冴子が好きなんだからいいけどね。」
右手が伸びてきて私の手を包んだ。
私は手を逆手にして応える。
手、くらいは動かさせるかな。
「ケーキ買ってないけど。」
「別に普通どおりでいいわ、シジミのお味噌汁で。」
「はいはい。」
車はクリスマスイルミネーションの中を通って行った。
ぎしっ。
ソファーが軋む音がする。
夕飯前に遊里はクリスマスプレゼントをくれた、化粧品。
手が荒れて困ってる私に色々詰め合わせ。
私といえばすっかり忘れてしまっていて、何も用意してない。
だから、ね。
「冴子。」
遊里の声色から、私を見る視線から、情欲を感じ取る。
そんなに欲しいの? 昨日も私を抱いたのに。
「ありがちだけど。」
私は遊里の両足を跨いで座る。
すでに服は脱いでいて、キャミソール姿だった。
「ありがちだけど、嬉しいかな。」
そう言って私の腰を引き寄せた。
「服を脱がすのって、プレゼントの包みを開けるのに似てる。」
「一枚、一枚ね。」
私は唇を寄せて遊里の額にキスをする。
親愛のキス。
好きだけど、言葉にしない。
照れるから。
だから言葉じゃなくて、動作で。
「これだけでも幸せ。」
引き寄せた私の身体に顔を埋めて言った。
「じゃあ、このままでいい?」
「それは、困る・・・ん・・・っ」
私は遊里の顔を持ち上げて唇を塞いだ。
彼女の手が私の身体をゆっくりと這い出すのを感じた。
ゆっくり、撫でられて身体のうちからすでにじんわりとしたものが溢れてくる。
キスをしながら心身とも熱くなる。
キャミとブラジャーがもどかしげに脱がされる。
「・・・っ」
「冴子」
キスしながら、私の身体を愛撫しながら熱に浮かされたように私の名前を呼ぶ。
「ここに、居るじゃないー」
私には答えず、さらに動きが激しくなる。
ソファーの上なので意外と不安定、落ちないようにしがみ付いた。
「・・・ちょっとジェラシー、感じてるんだけど」
唇を這わせながら遊里はふいに言った。
ジェラシー? 何に?
「さまのすけ?」
「そう、面白い名前の子。」
クスリと笑う、余程心に残った名前なのだろう。
「こっちは、眼中無いのに。」
「そう言ってもね、正直遠目見ただけでドキリとした。」
上を向いた遊里と下を覗き込んだ視線が合う。
私は軽く笑おうとしたけれど遊里が笑えるような表情ではなかったので笑わなかった。
「お互い感じることは同じよ、私も遊里にはヒヤヒヤしてるし。」
「ヒヤヒヤ?」
「ドキドキじゃなくて、ヒヤヒヤよ。付いていくか分からないんだもの。」
「私が付いていくんだ?」
苦笑する遊里。
遊里から誘ったらもう、その時は私との関係がかなり悪くなっている時だ。
”付いていく”場合は仕方が無いかどうしようもない場合。
こちらの方は遊里の意思ではなく、他人の思惑が作用する場合が多い。
「かわいい子には弱いでしょ、遊里。」
「最近は厳しくしてるんだけど・・・心を鬼にして。」
「どうだか。」
「本当だってば、冴子。」
私が疑う素振りをするとあわてて否定する。
素振りよ、素振り。
そんなに焦らなくてもいいじゃないの。
「ふふふ。」
「・・・からかった?」
「遊里ってば・・・だから好きよ。」
「からかわれたわけね。」
「あと、からかわれてもムキになって怒らないから好き。」
遊里は息を一つ吐いた。
「好かれていればいいか。」
「ベッドに行かない?」
私は言った。
バランスをとる体勢がちょっとキツイかも。
腕が痛いのはちょっとね・・・鍛えてはいるけど、ひっついているのが大変なの。
「同感、私も今そう思ってた。」
肌に口付けて、遊里が笑いながら言った。
イブの夜は結局、何も食べなかった。
食欲も湧かなかったし、ベッドから出るのが面倒くさかったというものある(笑)。
前日もあんなにしたのに昨日も同じくらいに愛し合った。
何も無い夜の方が最近は多いような気がする。
ストレスが溜まってるのかしら? 遊里ってば。
次の日の朝になって、空腹を激しく主張する身体に叩き起こされるように私は起きた。
何か作らなくても電器ポットがあって、お湯が出来ていればインスタントのシジミ汁は飲める。
私の身体に巻かれた腕を、遊里を起こさないように静かに外してベッドを出た。
珍しく遊里は起きなかった、頬にキスをしても起きなかったから昨晩は疲れたのかなと思う。
窓からはカーテン越しに日の光が寝室以外の部屋にそそいでいた。
今日は晴天ね。
インスタントのシジミ汁をカップに入れ、電気ポットで熱湯を注いだ。
即席とはいえ、香りがいい。
もちろん、品質もいいから味もいい。
2分少々待って、私はカップに口をつけた。
美味しい、やっぱりシジミ汁は。
寝起きだから他の物だとお腹に入らないけど、これならスッと入る。
ダシもきいているからなおさらね。
TVのスイッチを付けてニュースを見る、昨日の夜の混雑模様や天気が主。
あまり興味のある話題は無いようなので、だらだらと垂れ流すように点けている。
画面をボーっと見ながらやっぱり遊里にも形に残るプレゼントをと、漠然と考えていた。
何がいいかしら。
考えてみるものの、あまり思い浮かばない。
何が欲しいって遊里は滅多に言わない、殆ど自分で買えちゃうし。
でも、そういえば・・・と思い出す。
最近、流行っているらしいデジタルフォトはどうだろうか?
普通の写真立ては貼ったものしか見られないけど、デジタルフォトならメモリカードで何枚でもスライドショーできるみたいだし。
私の写真ばかりだとちょっと困るけど、これはいいかもしれない。
名案、名案。
私は、今日は家電量販店へ出かけることにした。
遊里には内緒なので黙って行こう。
デジタルフォトは色々あってこれだっていうのを決めるのに時間が掛かった。
予算はいいのだけれど、多々ある機能に迷う。
時計機能付きか、メモリカードも対応に色々ある。
おかげで1時間くらいデジタルフォトの売り場に居た。
予習くらいして行ってもよかったかもしれない(苦笑)。
迷いに迷って、メタルグリーンのデジタルフォトにした。
大きさはポストカードより少し大きいくらい、音は出ないヤツ。
自宅の仕事場でも使えるように時計機能は付いている。
1日遅れだけれど、ラッピングもしてもらった。
余ったとかでついでに紅いバラも1本もらってしまった、でも、プレゼントに添える花が出来て少し嬉しい気がする。
遊里、喜んでくれればいいんだけど。
揚々と量販店を出ると、バックの中から携帯の着信音が聞こえた。
誰からかは予測はつくけど。
着信者をみればやっぱり遊里、やっと起きたのかしら。
人ごみを避けて、道路の柵に寄りかかりながら携帯に出た。
「もしもし、起きたの?」
『起きたよ、起きたら冴子ってば居ないんだもの・・・どこに居るの?』
「起きなかったから、そのままにして出てきたのよ。寝ているのに起こすのもどうかと思って。」
『起こしてよーもう。』
・・・・・こちとら、遊里の為にと思って起こさなかったのにこの言われようは何よ。
「何か用事があったの?」
『無いけど。』
「無いならいいじゃないの。遊里は働きすぎ、私がベッドから起き出ても気づかないくらい寝てたんだから疲れてるのよ。」
『違うわよ、冴子としたからよ。』
「・・・どっちでもいいわ。」
言うじゃない、私として疲れたなんて。
疲れるほどするもんじゃないわよ、Hなんて。
昨晩は程々で、そんなに激しくなかった(笑)。
『迎えに行くから、場所は?』
「いいわよ、迎えに来なくても。」
プレゼントを持ってるのに、バレちゃうじゃない。
驚かすからいいのよ、面白みもなくなるし。
『冴子、冷たい・・・』
「大人なのよ、構わなくてもいいわ。迎えが欲しかったら電話掛けるし。」
向こうで遊里がしくしくと嘘泣きをした。
なんでここで、嘘泣きなのよ。
「帰ったらお昼ご飯を食べるから、そっちの方を遊里にはお願いするわ。」
『・・・・・・』
向こうからしばらく反応はなかったけど、了解と小さな声が帰ってきたので私は携帯を切った。
ふう・・・手間のかかる。
年上が年下の私に甘えるのってどうなの?
それともまだ、寝ぼけてるのかしら。
私は遊里のそんな様子を想像して少し微笑んだ。
周りからは変な目で見られたかもしれないけれど。
「ただいま。」
玄関を入るといい匂いが鼻に。
昨日の夜は食べなかったから今日のお昼に奮発してくれたのかもしれない。
「お帰り、外は寒かった?」
「ううん、あまりね。夜ほどじゃないわ。」
遊里はまだキッチンで作業中なのでプレゼントは見られることはなかった。
私はコートをかけてソファーに座って、昼食の準備が出来るのを待つ。
家に居る時はキッチンで作業するのは遊里の役目で、役立たずの私が立とうとするといつも私は怒られた。
仕方が無いので朝は見なかった新聞を広げる。
紙面は無くならない政治家の不明使途金の話やら、強盗の話やら気の重くなるような話が多い。
せっかくのクリスマスだってのに、現実がこんなのばかりだとめげてしまう。
救いはカラーページのクリスマスイルミネーション、さすがにこのページを見ると癒される。
「お待たせ、出来たよ。」
キッチンから声がした。
「ありがとう。」
読みかけた新聞をテーブルに投げて、私は移動した。
テーブルには昼食には豪華なメニューが並んでいる、夜に力を入れて作ってくれても良かったのに・・・と思わなくも無い。
「昨日の夜食べなかったから、お腹空いていると思って。」
「作ってくれたのはうれしいけど・・・これじゃあ、夜食べられないじゃない。」
「せっかく作ったのに、出てくるのは文句なの?」
苦笑して言う。
「文句じゃないけど、ディナーメニューじゃない。」
出ているのは、昨晩食べるはずだった料理の数々。
チキンやら、サラダやらグラタンやらワインやら・・・。
「途中まで作ってそのままだったのよ、時間を置くと困るからと思って。」
「・・・食べるわ、お腹空いてるし。」
お腹時計が狂わなきゃいいけど(苦笑)。
「そういえば、どこ行ってたのよ。」
遊里がワインを注ぎながら言った。
「忘れた、買い物。」
「昨日買い忘れたの?」
「そう。」
プレゼントはまだ、あげない。
「味はどう?」
「遊里が作るんだもの、美味しくないわけないじゃない。」
「まあ、そうなんだけど・・・もうちょっと何か欲しいなあ。」
「?」
褒め言葉のつもりだったんだけど、不満?
「最高の褒め言葉だったんだけど・・・これ以上褒めるとわざとらしくなるけどいいの?」
「ああ、そう。」
少し、残念そうに言う。
もっと褒めてもらいたかったらしい、遊里。
感嘆の声とか上げた方がよかった?と思う。
でも、私のキャラじゃないし。
「じゃあ、今度はもっと表現するようにするわ。」
「別にいいわよ、気を使わなくても。」
今度は照れたように言う遊里。
一体どっちがいいのよ、もう。
だけど、美味しいのは事実で外で食べるより家で落ち着いて遊里の料理を食べていた方がいい。
遊里はカメラマンよりお店を開いた方がいい気がする(笑)。
「経済的なのか、不経済的なのか、わからないわね。」
「こんな、豪華なのはイベント時だけよ。」
「そうだけど。」
イベントは大事にする遊里、私なんか一人だったら何もしないわね。
普通どおりで。
おかげで四季の美味しい料理も食べられるしで、いい身分な私。
「ねえ、冴子。」
「なに?」
サラダに手を伸ばしている時に改まったように言われた。
「おねだりしてもいい?」
「珍しいわね、遊里が私に。」
めずらしいけど、あまり驚かない。
遊里からの頼みなんて度は越えるような事じゃないのは分かってるし。
「で、私へのおねだりって?」
「私のために何か弾いてよ。」
少し考える。
即答出来たけど、少し考えて思う。
今まで全然気づかなかったけど遊里のために弾いた事はなかった。
「でも、なんで今なの? 遊里。」
「うーん、あまり意味は無いけど・・・なんとなくかな。」
「いいわ。夜、遊里のために弾くわ。」
普段世話になっている身としては断る理由もない、もちろん心を込めて弾かせて頂きますとも。
「名チェリストの演奏を独り占めできるなんて役得よね。」
「遊里だけよ。」
「ありがと。」
お礼はまだだけどね、まずは目の前の料理を食べないと。
でも、量が半端無いので気合入れて食べないと食べきれないかもしれなかった。
さすがに夜は、お腹一杯で夕飯は食べられなかった。
お昼がお昼だけに。
早めにお風呂に入って準備万端、弾ききったら寝られるように(笑)
昨日は寝たの遅かったし、夜更かしは美容に悪いのよ。
夜はプレゼントとチェロ演奏の2弾攻撃を遊里にお見舞い。
「デジタルフォトフレーム?」
「そう。遊里、知らないの?」
「知ってるけど、実際はじめて見る。」
遊里は興味深そうに、プレゼントの包みを開けた。
色は5種類くらいあってブラックだとシックでありきたりすぎるし、ホワイトだとイメージじゃない。
「メモリカードは余ってるって言ったでしょ? 後ろに書いてあるタイプのカードなら全部使えるらしいわ。」
「ふむふむ、なるほど。」
ぐるぐると回して、調べる。
「時計機能もついてるから仕事場に置いておいても大丈夫でしょ?」
「ありがと、冴子。」
「好きな映像をメモリに入れて使って頂戴。」
私はチェロの準備に移動した。
「ちょい、待ち。」
「なによ。」
ぐいっと引き止められる。
そのまま、腰を引き寄せられた。
「冴子の写真を入れとく。」
「・・・それはいいけど、あんまり変なのはやめてよ。」
「変なのって?」
「分かってるでしょ? この間、独りでにやにやしながら見てヤツよ。」
「・・・・・・・」
私がそう言うと遊里は困ったような顔をした。
「ま、仕事場なら入る人は限定されるからいいけど。」
「まだ怒ってる?」
「怒ってないわよ、男の人がエロ本を隠れて見ているのと同じ状況でしょ?」
エロ本って・・・耳元で呟く。
「とにかく、本人が見るのが一番恥ずかしいんだから節度は守ってって事。」
私は遊里の腕を解き、彼女の頬にキスをしてから離れた。
うちはコンサート会場じゃないのでかしこまって弾かないし、かしこまって聞かない。
遊里はリビングから椅子を持ってきてワインと共にくつろぎ、私も弾く前に少し相伴に預かる。
防音設備のある部屋なので近所迷惑にもならない。
かなりリラックスして弾くことが出来るのでストレスも無かった。
「じゃあ、遊里のリクエストで私の弾きたい曲を弾くわ。」
「よろしく。」
遊里の前で弾くのは初めて。
彼女が何回かコンサートに来たことはあるけど目の前は今回が初めてだった。
ちょっとしんみり気分になる。
上手に弾こうという気はないけれど、とりあえず自然体で弾く事にした。
弓を弦に付け、弾き始めると私は集中する。
遊里だろうが師匠だろうが目の前に居る人間に気にならなくなる。
あとは最後まで一気に駆け抜けるだけ、誰にも止められない。
ソロはいいけど初めの頃は、コンチェルトやオケとの競演だと飛び出てしまって怒られもしたけれど今は何とか改善された。
経験は大事よね、やっぱり。
ちょっとお酒が入ってるもんだから、気分もいい。
一度、師匠のいるドイツに行って初日はドレスを着て5ツ星ホテルのレストランで演奏&食事、次の日は大衆レストランで軽装で演奏&食事をした事があった。
『サエコはどっちが良かった?』
タクシーでの帰り道、師匠が私に聞いた。
『せっかくの師匠のセッティングですけど、後者ですね。』
『ワシもだ、ホテルの方は偉い方のセッティングでな。今日はワシのセッティングだ。』
そう言って笑う師匠。
『型にはまらないのも面白ろかろう? 音楽は誰にも楽しめるが、常に大衆に支えられる音楽こそ後世に残る。』
『相変わらず即興とは・・・意地悪ですよ、先生。』
『即興? あんなものはノリと楽しけりゃいいんだ、多少間違えたって誰も怒りゃせんって。』
その時は楽しかったことと、ソーセージとビールが美味しかったのをすごく覚えていた。
今もその時と同じ、弾くのが楽しいと思える時間。
弦楽器の音はいい。
自分で弾くのもいいけれど、聞くのも好きだ。
あの温かみのある音は私を落ち着かせる、CDでも聞けるけれどやはりLiveが一番いい。
コンサートはあまり行けないので、聞ける機会が少ないのが難点だけれど。
ぱちぱち。
曲を弾き終わって、弓を下げると遊里の拍手が耳に入ってきた。
「お見事。」
「どうも。」
遊里はワインを差し出す。
喉が渇いていた私は一気に煽った。
「いい飲みっぷり。いい弾きっぷりでもあったけど。」
「弾きっぷり? そんなのあるの?」
「私の造語。演奏、良かったわ。」
「ほんとに?」
「私の場合は一般人の耳で聞くから、評価はできないけど。」
部屋のソファーの淵に腰掛けた。
「コンクールの審査員なんかクソ喰らえよ。」
「・・・冴子ってば、口が悪いわよ、酔ってるの?」
たしなめる様に遊里は言う。
「どうかしらね。」
「プレゼントもありがとう、大事にする。」
「どういたしまして。昨日は遅かったから今日は早く寝るわ、いい気分のまま。」
すぐに座ったソファーの淵から立ち上がる私。
「私も行くわ。」
「・・・来なくてもいいわよ。」
「拒否?」
「だって、するんでしょ? その様子だと。」
「なんで分かるのよ。」
「何年一緒に居ると思ってるのよ、お見通しよ。」
「はははは。」
ははははって・・・誤魔化し笑い。
まあ、私も遊里に迫られて押し返すほど嫌じゃないけど。
「先、行ってるわ。」
フッと笑って防音室から出た。
すぐさま遊里が追ってくるのが分かったけれど、最後は何だか鬼ごっこのようになってしまい、
部屋中を子供のように駆け回る事になった。
ベッドにたどり着いた時はお互い半ば、息を切らした状態。
私の美容に良くない日々は続くようだった。