冴子、雨に八つ当たり。
遊里が昨晩、帰ってこなかった。
いつもくれる連絡も無し、だから冴子は昼頃までふて寝する。 外は雨でイライラはさらに募るのだった・・・
しとしとと雨が降っている音がする。
雨粒が窓に当たってその音も私を憂鬱にさせた。
私は布団にくるまって、耳を塞いだ。
雨音のせいで眠れないじゃない。
この呟きは自分に言い聞かせた事。
雨のせいにすることで私は八つ当たりしている。
昨日、遊里は帰ってこなかった。
いつもはちゃんと連絡をくれるのに、メールも電話も無い。
何かあったのか心配するじゃない、以前の事で浮気は懲りたと思うからしないと思うのだけれど。
連絡をくれない遊里に怒り心頭。
のこのこ帰って来ても、やさしくしてやらないんだから。
「ただいま。」
髪に何か触れたと思ったら声が耳に入った。
眠れない、眠れないって言っていたのにどうやら寝てしまったみたいだった。
「・・・・今、何時だと思うのよ。」
帰って来たのは分かった、顔を覗き込まれて髪にキスされる。
「ごめん、ごめん。撮影が延びちゃって。」
笑って言うものの、『PM:13時過ぎ。寝すぎよ、冴子』と忠告してきた。
「することがないから寝てたのよ。」
「まあ、雨だしね。疲れたからすぐ寝るわ。」
私のセリフにつっ込むこともせずに遊里は言い、布団に入ってくる。
いつの間にか帰って来て、お風呂に入りご飯も食べたようだ。
「ちょっと! 自分の布団に入ればいいじゃない。」
「私の布団、冷たいから。」
人の布団をはがす。
「あのね、都合がよすぎるわよ。」
「ホッとするなぁ。」
ざかざかと強引に、すっぽりと布団に収まる。
「聞いてるの?!」
「聞いてる、そんなに目くじら立てなくてもいいじゃない。」
のほほんと言って、私を抱きしめる。
遊里のペースには巻き込まれないわよ、私は怒ってるんだから。
両手で遊里の身体を押し返す。
「お、反抗期?」
「誰が。さっさと隣りのベッドに行きなさいよ。」
「オシゴトから疲れて帰ってきた私を、冴子は追い出すわけだ?」
「仕事かどうかも怪しいところだわ。」
「・・・ちょっと、疑ってるの?」
参ったなという表情で苦笑する遊里。
「連絡もくれなかったじゃない。」
疑ってはないけど、抗議のために言う。
「むー、確かに・・・仕事終わってから気づいたしねぇ。」
「一度あることは二度あるっていうでしょ?」
私も意地悪(笑)。
もうしないって誓った(誓わせた?)遊里をいじめてしまう。
「冴子ってば、もう勘弁してって。」
私の身体をもっと強く抱きしめる。
「冗談よ。」
泣きそうに言うから私は遊里の耳元で言った。
「・・・ほんとに?」
「でも、きちんと連絡は欲しいわ。」
心配してるんだから、私だって以前骨折したこともあるし。
人間自分の身にいつ何が起きるかわからないんだから。
「今回は連絡する暇もなかったのよ。」
「わかったわ。」
「本当なんだから。まったく、夜遅くなるとモデルは駄々を捏ねるし。眠たいし、疲れるし散々だった。」
めずらしく遊里から、ため息が出る。
よほど疲れたらしい。
「でも、冴子を抱きしめてると落ち着く。」
「そう?」
「うん。かわいい子や美人はそこら辺にいるけど、冴子は特別。」
「何も出ないわよ。」
耳に遊里のくちびるが触れた。
「なぜかな。」
「私が知るわけないでしょ、遊里のことなのに。」
でも、そう言われて嬉しいのは確か。
くやしいけど、普段からモテる遊里。
いつも女性から熱視線を受けるのに、本人は至って頓着。
天然?!と、いつも私は思ってしまう。
そんな遊里が惑わされないで、私の事を特別と言ってくれるのは嬉しいし、優越感もある。
「そうだよねぇ。」
「疲れてるならもう、寝たら?」
「もちろん、寝るつもり。」
力がゆるむ。
顔を合わせて遊里は言った。
「キスしてもいい?」
律儀に聞いてくる。
「いやだって言ってもするんでしょ?」
私も笑って顔を寄せる。
「そう、絶対する。」
そう言ってから遊里は、唇を重ねた。
雨音はまだ窓をたたいていたけれど、不思議と気にならなくなった。
あんなにイライラする雨音だったのに。
遊里が側に居るから?
静かな情熱が含くまれたキスをしながら私はそう思った。
雨は夕方には止んで、空に虹を作った。
窓から見る虹も意外と綺麗に見える。
私はリビングのTVでレンタルしてきた映画を見つつ、窓の外の虹を見ていた。
好みはアクション系、ホラーと恋愛映画はパス。
アニメもいいけど、メインは音楽なのであまり借りない。
手に持つマグカップの中身はやっぱり、インスタントのシジミ汁(笑)。
遊里はまだベッドで爆睡中、私が離れても起きないので疲労は余程の事らしい。
ま、いつも夜遅くまで仕事してるんだから休息は必要よね。
「・・・・・・」
映画を見てるつもりがつい、遊里の事を考えてしまう。
毎日いつも考えているわけじゃないのに、どういうわけかこういう時に考える。
普通は側に居ないからその人の事を考えると思うのだけれど、私は近くにいてその人が自分に意識が向いていない時に考える。
やっぱり、天邪鬼なのかしら。
ブツツ。
やっぱり集中できないので映画を止めた。
ソファーで体を伸ばす、何もすることがないのはちょっと退屈。
忙しいもの考えものだけど、暇ですることがないというのも贅沢な悩みか。
だらしなく身体を横たえてると携帯が鳴った。
滅多に鳴らない携帯だけに、誰か気になる。
面倒くさいので着信は皆同じ、遊里には変えたら?と言われるけど面倒くさい。
別に誰から来たっていいじゃない、登録番号を見ると本当に稀な人からだった。
「グーデン、ターク。サー。」
ドイツ語とイタリア語はできる、英語も少々、フランス語は英語に比べてビミョーだけど。
寝ながら携帯に出ているとは思わないだろうな、師匠も(笑)。
もっとも、ワシを敬え・尊敬しろとは言わない人なのであまり気にしないかもしれない。
『元気にしとるか?』
齢とは思えないほど声に張りがある。
「元気ですよ、今こっちは雨なので気分は憂鬱ですけど。」
『どうせ、仕事が無い時はだらだらしてるのだろうが。』
「否定はしませんけど。」
弟子のことなどお見通しなので、私も言い訳はしない。
「珍しいですね、お電話だなんて。何かありました? また来日するとかですか?」
『サエコはワシが国から出るのは好きじゃないと知ってるだろうが。』
「知ってますけど、普段かかって来ない人から来るとそうかな?って思うじゃないですか。」
『今度、そっちにワルマーが行くからよろしく頼む。」
私は名前を聞いて顔をしかめた。
「何しにですか?」
思い出すのも嫌な人物だ。
『けんもほろろだな。』
向こうで師匠が笑っているのが分かる。
「私を経由しなくてもいい人物じゃないですか、彼1人でだって行動できますよ。」
もっぱら有名なチェリスト。
私より世界での知名度は高いのではないかと思う。
・・・そんなことはどうでもいいけれど、私には。
『まあ、そうだがな。ヤツがワシに相談してきた。』
「案内はしませんから、お断りします。」
『・・・言うと思ったわ。』
ドイツに行った時に何度か顔を合わせたけど、普通。
確かに演奏は抜群だったけど、お酒が入るといきなり人としての印象が最悪になる人物だった。
本人は覚えていないみたいだけど、あまりの態度に私は1度彼を叩いたことがある。
もちろん、人の居ない場所で。
本当は殴りたかったけど、さすがにそれは止めておいた。
でも、2度目には本当に殴る予定(爆)。
『サエコが気に入らんのは分かる、アレも酒癖さえなければいい音楽家なんだかな。』
「お酒が入って無くても、失礼な男ですけど。」
セクハラまがいの言葉を吐くし、身体に触るし、プライドが高いで、私の嫌いな人間の部類に入る。
まだ、イタリア男性の方が上品でフェミニスト。
『やはり、ダメか?』
「ダメです。」
ここは師匠でも譲れない。
『分かった、アイツには他を探せと言っておこう。』
師匠が笑いながら言う。
「助かります、他のご相談でしたら乗りますので。」
『じゃあ、また来い。待ってるぞ。』
師匠には子供が居ない、弟子はたくさんいるのに。
奥様も数十年前に亡くなってしまっていた。
「そうですねぇ、師匠のところへ行くとVIP待遇なので考えておきます。」
国の誇りともされているくらい超有名人なので国賓クラスの待遇の師匠で、初めは私の方が驚いたくらい。
『あと、ちゃんと練習は欠かさないようにな。』
最後に痛いところを・・・・思わず汗が出た。
「はい、分かってます。」
そう答えて通話を切る。
最後の最後で、だらっとしていた自分に喝を入れられた感じだった。
私の場合”自主的に”というのはあまり無い、コンサートが近い時は集中的に練習するけれど。
それではダメだと思うのだが、気分が乗らないときにはいくら練習しても集中できなかった。
ついさっきめずらしく師匠に喝を入れられたので練習する気が起きた。
商売道具のチェロを引き出して練習を始める。
私のチェロは貸与物で、所有者はギリシャの富豪らしい。
顔は一度か二度しか合わせていないが、私に貸してくれるなんて先見の明があるわねと遊里に言われた。
どういう意味よ、まったく。
練習をしていると防音室のドアが軽く叩かれた。
手を止めてドアの方を向く。
「練習なんて、珍しいじゃない。」
遊里がひょっこり顔を出した。
「まだ、始めたところ。」
「じゃあ、お茶はまだ先ね。」
「と、いうよりお夕飯でしょ。」
寝て起きたのが夕方だもの。
なんだか時間の概念がごちゃ混ぜになっている気がする。
「そうだっけ?」
「遊里の生活の影響せいで、私も昼夜が分からなくなってきたわ。」
「ごめん、切りがいいところで切り上げて来て。」
「わかったわ。」
ドアが閉められて、私は再びチェロと向かい合った。
2時間ほど練習していた。
私には長い時間だ、本当はもっと練習して腕を磨かないといけないのだけれど私の集中力が持たない。
もともと、私は注意散漫な性格なのでこれ以上は無理。
自分で限界が分かるのはいいことだ、諦めもつく。
「お疲れ。」
私がリビングに行くと遊里がソファーから声をかける。
TVを見ていたようだ、ネイチャーの外国番組。
「お夕飯って何?」
「今晩は私特製の簡単シチュー、いいでしょ?」
「ホワイトソース?」
「そうそう、冴子の好きなヤツね。」
「楽しみだわ。」
ふと、リビングの窓を見る。
私が窓を見たので遊里が補足した。
「ああ、また雨が降ってきたみたいよ。」
「また? 夕方、虹を見たのに・・・」
防音室にいたせいか、雨が降ってきた音に気づかなかった。
雨か・・・。
「何?」
「何でも。先にお風呂に入ってくるわ。」
こんな日はゆっくりお風呂に入って温まるのがいい。
今晩は遊里が居るのだ、雨音がしてもイラつくこともない。
「一緒に入ろうか?」
「・・・結構よ。」
調子に乗るわね、遊里。
「残念、拒否されちゃったわ。」
「するでしょ、普通。」
「恋人同士なら入るんじゃないの、普通。」
「そんなの、バカップルだけよ。」
バッサリ、切って捨てる。
大体、一緒に入ってどうするのよ。
そりゃあ、帰国して疲れ切っている時には遊里のお世話になることはあるけど普段は入らない。
「厳しいわね。」
「ゆっくりお風呂に浸かりたいだけよ、私は。」
「分かったわ、ごゆっくり。」
遊里は早々に諦めたようで手をひらひら振って私を送り出した。
イタズラにのぼせるのは防がれたように思う。
おかげでゆっくりと身体をあたためられ、熱々のシューを食べることができた。
シチューは熱いほうがいいものね。
しかし、夜はどうもお昼まで不貞寝していたので眠くなくなってしまっていた。
それも、これもよく考えれば遊里のせいのような気がしてきた。
思わず、ベシッと頭を叩いてしまう。
「なに!?」
理由も分からずに叩かれた遊里は驚いて言う。
遊里はまたもや、自分のベッドには入らずに私のベッドにもぐりこんで来た。
「別に。」
「別にって・・・理由も無く叩いたの?」
「ちょっとムカッとして。」
「まだ、連絡してなかったの怒ってるの?」
「色々あって、怒りが再燃してるのよ。この雨音も。」
ぐいっと遊里の身体を押し返す。
「気分がころころ変わるよね、冴子って。」
「仕方が無いじゃない、性格なんだもの。」
「今度は何に怒ってるのよ。」
「夜寝られないのが遊里のせいだってこと。」
遊里ははあ?って顔をし、それからプッと笑う。
「寝られないのが?」
「昼まで寝ちゃったじゃない、それって遊里を待っててそのまま不貞寝してたからよ。」
「それが私のせいだって?」
「そうよ。」
断言する。
電話1本くれれば安心して寝ていられたのに、連絡くれなかった遊里が悪いんじゃない。
「じゃあ、寝られるようにする?」
「どう・・・するのよ。」
「こうするのよ。」
嫌な予感はした。
かなり当たってる予感だった、遊里の顔が笑ってたし。
次の瞬間、私は手首を押さえつけられた。
「少し、運動すれば眠くもなるわ。」
「結局、ソレなの?」
「これしか思い浮かばないんだもの、冴子だって嫌いじゃないでしょ?」
「雨音が嫌。」
「じゃあ、雨音に負けないくらい冴子を鳴かせればいいわけね。」
遊里は視線を逸らさずに言う。
「・・・・・っ」
私が圧されていた。
私のわがままは大概は彼女に通る、否定されることは稀。
だけど、それは彼女の余裕で、許容される範囲にあるわがままだから。
「雨音なんてすぐに気にならなくなるわよ。」
遊里は私をベッドに組み敷いた。
「自分の声で。あ、でもそんな事も思わなくもなるかな。」
ふふんと笑う。
「ちょっと・・・」
「私は冴子のイク時の声が、すごく好きなんだけど。」
「声が枯れちゃうわ。」
「それはその時。枯れるくらい反応したって事でしょ?」
首筋に遊里の唇が触れる、私は首をすぼめた。
雨音は耳に入ってくるけれど、その音は遊里が言うように次第に遠くなって気にならなくなった。
遊里の言うとおりになるのは悔しかったけれど。
結局、私は遊里に対して表面上ガーッと言うことは出来ているけど、子供のように扱われているのかもしれない。