#5再現
『…たすけてっ!…まーくん!』
自分の口からか弱い声がでた。
気持ち悪い…が、気にしている暇はない。
『…みーちゃん!逃げて!!』
タケルが合わせてセリフを叫び、殺人鬼の前に立ちはだかった。
ピクリ、と殺人鬼が反応した。
いける。とタケルとアイコンタクトを交わす。
私たちは再現しなければいけない。
あのフリーゲームの物語を。
殺人鬼が反応したところによると正しいらしい。
次のセリフは、
『まーくんを置いていけないよ!』
リアは顔を歪める。
『行って、みーちゃん。僕は大丈夫』
タケルが覚悟を決めた顔で振り返る。
『そんな!…やだよ!まーくんが一緒じゃなきゃやだ!』
私は我儘を言うように首を振る。
『そんなことしたら二人ともやられちゃうよ!』
タケルが必死に叫ぶ。
『ごめんね、みーちゃん。みーちゃんは僕が守るから』
タケルは弱く微笑んで殺人鬼に向き直る。
切られるー
その途端、からん、とリアの指先に硬いものが触れる。
(シナリオどうりだ)
リアはそれを汗ばんだ手で引っ掴むと、しっかりと握って殺人鬼に向けて構えた。
『っやぁぁぁぁぁ!』
がむしゃらに突っ込んで手に掴んだ鉄パイプをぶん投げる。
案の定避けられるが、それは計算のうちだ。
『まーくん走って!』
リアは叫んで走り出す。
『っわかった!あっちに行こう!』
タケルはリアの手を取って駆け出す。
走りながらリアはこの先の事を考ていた。
実は、フリーゲームの中にあるような、廃校が、この街にもあるのだ。
シナリオ通りなら、あそこに行かねばならない。
(問題はこの先…)
そう、廃校に入った少年少女たちは殺人鬼に切られて終わっていた。
そこをどう切り抜けるかでエンドは変わる。
バッドエンドかハッピーエンドかは私達の行動次第だ。
走っているリアとタケルの後から陽炎はやってくる。
揺らめきながら恐ろしい形相で追いかけてくる。
転んだりすれば終わりだ。
ここはゲームじゃない。
切られたら終わりなんだ。
ゾッとする想像を頭から振り払ってひたすら走る。
目的地はもうすぐそこだ。
***
「はっ…はっ…」
普段運動してないぶん辛い。
足がもつれる。
視界が霞む。
「リア!!もう少しだ!!走れリア!」
タケルが応援する声が聞こえる。
(頑張らないと…もう少し…)
廃校の校門が見えてきた。
先にタケルが門の上に飛び乗り、私を引き上げて一緒に降りる。
「で、どうする?」
肩で息をしながらタケルが視線を送る。
「…体育館はダメだと思う。あそこは切られちゃうから」
しかし話している最中に殺人鬼は迫ってきた。
「もう追ってきた!」
「まずい!走ろう!」
二人は下駄箱のある玄関に向かって走った。
運良く鍵は開いていて、二人は靴も脱がずに廊下を走った。
どこまでもどこまでも殺人鬼は追いかけてくる。
「…はぁっ…はぁっ…この先は屋上しかないよ!」
「…追いつめられたか…」
タケルは歩みを止めず、階段を駆け上がった。
続いてリアも駆け上がる。
殺人鬼は影のように階段を上がって追いかけてきた。
タケルが屋上の扉を開けて入る。
ざあっとした風が胸に飛び込んで来た。
殺人鬼が上がって来る。
急いで屋上の柵ぎりぎりまで下がる。
タケルが庇うようにリアを後ろに追いやった。
「っタケル!」
「…リアは、俺が守るから」
タケルは振り向かずに言った。
リアは何も言い返せず項垂れる。
殺人鬼はゆらゆらと揺らめいていた。
切ることしか目的がないのか、まっすぐタケル達の方へ向かってくる。
あと一メートル。
その時だった。
突然黒い靄が屋上のタイルの隙間から染み出し、ぐにゃぐにゃと形を成した。
きらきらと太陽に反射して透けている部分が見える。
てっぺんには白く丸い目のようなものがあってパチパチと瞬きしている。
大きさは殺人鬼もろとも飲み込める程の巨体。
「…なんだ、あれ…」
震えた声が自分の口からでた。
怖い…あれに飲み込まれたら、きっと存在すら消えてしまう。
そんな気がした。
殺人鬼も少し動揺したように眉根を寄せている。
靄の形成があらかた終わったのか、白い目が二回瞬いて手のようなものが生える。
「…キッモ」
ぼそりと呟くタケルの声が聞こえた。
私もそう思う。
靄は一回バネのように身を縮めると、反動で前へ飛び出し、その身体を大きく広げた。
ハッとして息を飲んだその瞬間、殺人鬼が一瞬かがんだのが見えた。
(…え?)
何かがひゅっと鋭い音を立てたと思うと、靄が大きく斜めに切り裂かれる。
ちゃき、とサバイバルナイフが音を立てた。
切ったんだ…あれを。
そう理解したその瞬間、靄は即座に再生し、無駄だというように目を細めた。
殺人鬼がまたもや眉をひそめる。
おそらく何度切っても再生するだろう。
切り続けたとしても時間稼ぎがやっとだ。
(…あ!)
リアは声を出さずにそっと目を見張った。
サバイバルナイフの先が、黒い霧となって少し空気に溶けた。
存在事態が消える。
その勘は当たっていた。
ナイフの先を見て殺人鬼が微妙に渋い顔をした気がした。
殺人鬼もわかってるんだ…結構マズイって。
タケルとリアはごくりと喉を鳴らした。
靄は御構い無しに次の攻撃に移った。
咄嗟にタケルが身構える。
「…っ」
しかし、思うような衝撃はやって来ず、そっと目を見開いた先には、驚くような光景が広がっていた。
殺人鬼が攻撃を受け止めたのである。
鎌のようになった靄の手が、サバイバルナイフと十字型に重なる。
きぃん!と鋭い音がした。
(…あれ…なんだろう…あの人…なんだか守ってくれてるような気が…)
リアがそう思ったその時、靄に触れていたナイフの部分が、さらさらと霧のように消え出した。
あのままじゃもう少しで切られる!!
じわじわと侵食する靄は遂にナイフを切ってしまった。
「うわぁぁぁぁ!」
すると突然タケルががむしゃらに走り出した。
手には先ほど拾った鉄パイプが握られている。
「タケル!!行くな駄目だ!」
リアの声にも意思は揺らがず、タケルは突っ込んで行った。
「あ」
タケルが後方へ吹っ飛ぶ。
空いていた靄の別の手が、鎌となってタケルを切り裂いたのだ。
「…や…嫌…いやだぁぁぁぁ!!」
悲鳴をあげてリアはタケルの元へ走る。
タケルは気絶したまま横たわっていた。
「タケ…ル…死んじゃ駄目だ…死ん駄目だよ…タケルぅぅぅぅ!!」
嗚咽を飲み込みひゃっくりのようになって泣きじゃくるリアの背後に黒い靄がたった。
自分の影を飲み込む大きな黒い影に、リアはゆっくりと振り返る。
「…たす…けて…」
震える体で、涙を流しながら、リアは最後に殺人鬼の方を見た。
「!!」
リアが目を瞑って衝撃に備える。
だが、またしてもリアの思う衝撃はやって来なかった。
「…え」
リアは自分に覆いかぶさる大きな身体の体温に気づいた。
そこには、殺人鬼がリアを守るように抱きしめていた。
「…あ…どうして…」
目を見開き、疑問と放心する心に揺らがされながらぽたぽたと瞳から涙を流す。
横たわる殺人鬼の瞳は、うっすらと開いたまま、濁った。
最後にリアには少しだけ笑ったように見えた。
まるで愛する者を見るような目だった。
「ごめんなさい…ありがとう…」
リアは目を閉じてその瞬間を待った。
背後に伸びる影は、望み通り彼女を切り裂いたのだった。