峡谷
魔王軍が逃げ込んだ先は、自然の峡谷であった。
数キロメートルに渡る峡谷は、天然の要塞であった。
「・・・面倒な場所に逃げ込みおって」
夜叉王は、陣の中心にある天幕の中で歯噛みをしていた。
自軍の内40万の軍を率い、逃げる魔王軍に追撃を行ったものの、敵の奸計にかかり初動が一日近く遅れたこともあり、結局魔王軍に追いつけず、まんまと峡谷へと逃げ込まれたのだ。
そもそも40万の軍といえば、都市が移動するようなものである追撃するには数が多すぎる。
それは夜叉王もわかっていたが、これ以上少なかったり、軍を分け先行部隊を出した場合には、敵に待ち伏せされ各個撃破される可能性生じるため仕方がない所であった。
また夜叉王の想定外だったのが、魔王軍も25万という大軍のくせに、妙に士気が高くよどみない行動をする為、進軍速度が異常なほど早かったことである。
魔王軍=魔王たんファンクラブであり、士気メーターがあらぬ方向のレベルで振り切っていることを夜叉王は知らなかった。
一体感が半端ないんだよ魔王軍。
夜叉王の軍は峡谷の入り口に着くまで一週間かかったが、魔王軍はたった三日で到達している。
すでに峡谷の入り口や中は堀と柵でがっちりと塞がれており、やすやすとは入り込めないような仕掛け施されてある。
迂闊に峡谷に攻め込もうものなら、谷の上に陣取っている竜王や蟲王から苛烈な攻撃を受けるだろう。
夜叉王は数度に渡り峡谷に対し威力偵察を行っているが、場所の不利もあり敵に手ひどく反撃され、思うような結果を出せていない。
魔王軍と人族の軍が峡谷で合流しているらしいということが分かる程度で、相手の総数すら読めない状態である。
状況は悪かった。
しかも敵に攻撃を先回りをされ、待ち伏せを受けている感がある。
「どこからか、情報がもれておるのか?」
夜叉王は自軍の誰かが情報をもらしているのかと疑心暗鬼になっていた。
実際には、蟲王バイラが虫を使って夜叉王の軍の動きを監視していたのだが、そこまでは判りようがない。
「ちょっとした用事で、近くに来たから寄ったんだが、面白いことになってるな。夜叉王」
夜叉王の傍には、美しい男が立っていた。
背は高く、無駄のない均整の取れた体格で、長い黒髪を後ろで束ねている。
気品のある美しい顔立ちだが、目つきは野獣のごとく鋭く、獰猛な笑みを浮かべている。
天龍八部衆の一人修羅王である。
「・・・」
夜叉王は見るだけで人が死にそうな剣呑な目つきで修羅王をギロリと睨む。
「なんなら、俺が手伝ってやろうか?」
そんな夜叉王をみながら、修羅王が口角をあげニヤリと笑う。
「黙れ修羅王!お前の力なぞ借りぬ、ここから疾くと去れ」
夜叉王は、その美しい顔を歪ましながら吐き捨てる。
「そうかい、泣いても助けてやらないぜ?うははははははは」
修羅王は笑いながら、夜叉王のいる場所から去っていった。
「くっ・・・修羅王めが」
夜叉王は、自分の目の前に立ちはだかる巨大な峡谷を忌々しそうに見つめていた。
これまでの数々の失態を、夜叉王はここで挽回せねばならなかった。




