表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雨月物語  作者: 晶
7/10

茶屋にて

「いやー、本当に良い男だったね。ほむらは」

 食堂は、焔の話で持ちきりだった。椿つばきも例にもれず、うっとりとした表情で口を開く。

「女の扱いが上手いっていうか優しいっていうか……また来てくれないかなぁ~」

 ずずっと茶を啜った椿は、紫陽しようを見て「あら?」と首を傾げた。そしてにやりと口元を歪める。

「ねぇ、首筋のこれ、雨月うげつさんの?」

「ええ……」

 触れると微かにぷっくりと腫れている。

「意外と激しかったり……ってこっち、大丈夫?」

 深く噛まれた方は、少しえぐれたようになっていた。

「大丈夫よ」

「雨月さんって意外と変な趣向があったり……?」

「まあそうかも」

 苦笑しながら紫陽は答える。流石に吸血鬼だからとは言えない。

「顔は良いのにねぇ。残念」

「顔と性癖はまともなのがいいねぇと、椿は溜息を吐き出す。紫陽はそんな椿を見て微笑むと、箸を置き手を合わす。

「ごちそうさまです」

「じゃ、またね紫陽。今夜も頑張ろうね~」

 くわえ箸でひらひらと手を振る椿に軽く手を振り返し、紫陽は部屋へと戻った。


 昼までにはまだ時間がある。しかし眠りにつくには短い。さてどうしようかと紫陽は鏡台に向かう。鏡台の上にはかんざしが転がっている。そのうちの一本、銀の簪を手に取り、胸元に忍ばせた。硬くて冷たい感触。それを着物の上から確かめ、紫陽は目を閉じる。

 雨月は何故罪を犯すに至ったのか。紫陽は、死体の首筋に噛みつく雨月を想像してみた。

 想像の雨月は泣いていた。


「待ってたよ、紫陽花ちゃん」

 茶屋の暖簾のれんをくぐった紫陽を見つけ、焔が手を振る。普通の茶屋ならばこの時間帯は繁盛しているのだろうが、ここでは隅の方で間夫まぶと逢引きしている遊女ぐらいしかおらず、閑散としている。

「約束よ。教えて」

 卓に着くなり、紫陽は身を乗り出した。

「分かった。でもその前に……」

 焔は手を上げ店員を呼ぶと、茶と団子、そして酒を注文する。

「昨夜もそうだけど、吸血鬼は血しか口にしないんじないの?」

「液体だったら飲めるよ。全く酔わないし、味もしないけど」

 卓の上に注文した品が並ぶ。焔は盃に酒を注ぐと一息にに飲んで続ける。

「まあ片牙になったら飲めなくなる。血も飲めないのにねぇ」

「どうぞ」と焔は茶と団子をすすめるが、紫陽はどちらも手を付けずに口を開く。

「早く教えて」

「……どうしてそんなに知りたいの?」

「え? どうしてって……」

 だって雨月は吸血鬼なのに血が吸えなくて……嫌な客から助けてくれて……色々浮かぶが、どうしても確固とした理由とは思えなかった。そんな中で自然と口をついて出てきた言葉。

「寂しくて悲しそうだったから」

「雨月が?」

「ええ」と紫陽は首を振る。

「心から笑った顔が見たいわ」

 焔は紫陽の顔をじっと見つめた後、目を伏せて笑む。

「雨月の笑顔か……さて、牙の話に戻そうか」

 ぱっと顔を上げ、明るい声で焔は話を切り替えた。

「僕が実際に見たわけじゃないから真実かどうかは分からないけど……愛していた女の為らしいよ」

 焔は酒を一口飲み、唇を湿らせる。

「何年前だろう。雨月は腕を買われてとある商家の用心棒をしていた。で、どうやらそこの奥方と恋仲になったそうだよ」

「良くある話だよね」と焔は言う。しかし小さい時から遊郭ゆうかくにいる紫陽には分からない。ただ酷く胸が痛む。

「しかしある日、賊が侵入した。ちょうど雨月は旦那様の言いつけで屋敷から離れていた。用事を済ませ雨月が戻ると、屋敷は血の海だった」

 その中に奥方は横たわっていた。ばっさりと袈裟斬りにされ、息絶えている。しかし雨月は彼女を抱き上げ、その首筋に牙を立てた……

「きっとその奥方は『番い(つがい』だったんだろうね。だから血を吸い尽くせば生き返ると思ったのかもしれない」

 しかしすでに死んでいた彼女を吸血したことにより、雨月は片牙を失った……

 紫陽はぎゅっと胸を押さえる。それとともに、噛み跡もずくずくと疼き出す。

「あれ? 大丈夫?」

 紫陽の異変に気付いた焔が顔を寄せてきた。心配しているというよりは笑みを感じさせる表情。紫陽は顔を逸らす。

「もしかして胸が痛む?」

 焔の口角がにいっと上がる。

「遊女が恋するなんて不毛なんじゃなかったっけ? しかももう雨月は死を待つだけで、子すら持てない」

 焔の瞳が紅く輝く。

「だから僕にしなよ」

「いやっ……!」

 紫陽は胸元に忍ばせていた簪を取り出し、焔に突き付けた。しかし焔も団子の串で、器用に簪の先端を防いでいる。

「へぇ……銀の簪か。特注だね。これ、どうしたの?」

「どうでもいいでしょう」

「雨月から……って事は無いか。ねぇ、誰から貰ったの?」

 焔の顔から笑みが消えた。途端に、空気までも温度が下がったように感じられる。

「銀だったら何だっていうの? 遊女が誰から簪を貰おうがいいじゃないの」

 焔がくるりと串を回したかと思うと、銀の簪はあっけなく紫陽の手から離れた。音を立てて卓の上に転がる。紫陽は手を伸ばすが、だんっと団子串が突き刺さりそれを遮る。

「僕たちは銀を受け入れない。それを知っているのは限られた人だけだ」

「さあ言え」と焔が詰め寄る。

「先にちゃんとした理由を言ってくれたら答えるわ」

 ひるむ事無く、紫陽は焔を見つめた。これが焔を止める手立てになるかもしない。

 ふいに焔がくすりと笑んだ。

「紫陽ちゃんは少しの間に強くなったね」

「誤魔化さないで」

 きっと睨むと、焔は降参というように両手を上げ首を横に振る。

「分かったよ。これは輝夜かぐやから直々に注意を受けたからね」

 聴き慣れない名前が出てきた。しかし話の腰を折るまいと、紫陽はじっと耳を澄ます。

「吸血鬼は首を切り離される、片牙になる、心臓を一突きにされると死ぬ。決して不老不死というわけじゃない。まぁそれ以外の傷はすぐに治るけど……」

 焔は眉間に皺をよせ、銀の簪を見る。

「銀でつけられた傷は癒えない」

 とっさに紫陽の手が伸びる。それより一瞬早く焔が簪を掴んだ。

「さぁ、次は紫陽の番だよ。誰から?」

 簪を握る指の関節が白くなっている。表面上ではそう見えないが、内面は穏やかではないのだろう。それはそうだ。自らの生死がかかっているのだから。紫陽は逡巡する。あきらだと告げるべきかどうか。

「……その人を知ってどうするの?」

「殺すかな」

 少しの躊躇いも無く、焔は言い放つ。

「なら言えないわ」

「約束を破るの? 遊女なのに?」

「遊女だから、簡単に破るのです」

 返して下さいと差し出したあじさの掌に、簪を握る手が重ねられ……いきなり掴まれ、引っ張られた紫陽は、卓の上に倒れ込む。

 がちゃんと湯呑が倒れ、みたらしのたれが飛び散る。

「な、何を……!」

 紫陽が顔を上げた時だった。ちくりと手首に痛みが走る。そしてぢゅるりという音。

 白い手首に、焔の牙が食い込んでいた。啜れなかった血が、筋となって零れる。

「別に首だけってわけじゃないんだよ。無理やりは好みじゃないけど、このまま吸い尽くして吸血鬼にしてあげる」

 噛まれている箇所から熱が広がっていく。指先を動かそうとするが、痺れるような痛みがそれを阻む。

「ま、遊女だったら餌に困らないしね」

 くらりと紫陽の視界が歪む。貧血など起こして気を失えば、間違いなく吸い尽くされてしまう。

「雨月……っ」

「無駄だよ。こんな真昼間に外なんか出れない」

 段々と意識が白く塗りつぶされていき……

「そこまでです。この化け物が」

 聴き慣れた声が冷たく言い放つ。それとともに、紫陽の手首から牙が抜かれる。

「あんたは?」

 紫陽はぼんやりと霞む視界で彼の姿を認めると、掠れた声で名を呼んだ。

「明さん……」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ