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moderato.  作者: 奏多
6/56

#6 名前

「はい、次はあなたの番ですよ〜」



彼が名乗ったら自分も名乗ると言い出したのは、私だ。


仕方ない。



「………黒沢です」


「黒沢なにさん?」



何の悪気もなく聞いてくる。



まぁ、普通は自分の名前を名乗るくらい、何でもないことなんだろうけど。




「…………」


「?」


「………………香帆…です」



下を向き、できるだけ小さく言った。



しかし二人以外には誰もいない店内で、しかも耳がいいだろう音大生の彼が、聞き落とすはずがない。




「香帆さん?かわいい名前〜!」


「………私、この名前、すっごいコンプレックスなの」



そう、自他共に認める《頭脳明晰》《品行方正》《容姿端麗》………。そんな私の唯一といっていいコンプレックスは………




この、『香帆』って名前。




「え、コンプレックスなんですか?何で?」


「………私には、似合わない。こんな女の子らしい名前、合わないの。………ずっとこの名前が、嫌いだった」



『貴子』とか『麻美』とか、そういうデキる女風の名前に憧れてた。



『香帆』なんて名前じゃ、仕事がデキる風に聞こえない。



名乗ったときだって、印象が変わる。




エリートになりたかった私にすれば、大きな大きなコンプレックスだった。






「……そっかな?俺は、黒沢さんにすっげー似合うと思いますよ」


「……うそ…」



いつの間にか興奮して目が潤んでいた私に、彼は優しく微笑んだ。



「本当です。外見はデキる人みたいに見えますけど、実は中身は女の子らしい一面とかありそうですもん」


「………」


「店の内装とか見るの、好きでしょ」


「………うん」


「ここの店に入ったとき、思ったんだ。『あ、この人インテリアとか好きなんかな』って。この店にもたまにキツそうなOLさん来るけど、カウンターの形とか、気にも留めないよ」



私がカウンターとかに目を向けてるのを見て、そう感じる人もいたんだ………。



「……それ、なぐさめてんの?(笑)」


「そのつもりだったけど、実は自分で何が言いたいかわからなくなった(笑)でも、つまりさ、『名前嫌い』なんて言っちゃ、ダメですよ」



こんな人、初めてだ……。



今まで私の名前の悩みを聞いても、テキトーに私に合わせて頷く人ばっかりだった。



変なバーテンダー……。




「………変な人」



そう言って笑った私に、微笑んで新しいカクテルをつくってくれた。

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