#55 春
季節は変わり、優也は4回生になり、私も新しい部下の指導に忙しくなった。
私が大学生だった頃は、4回生といえばもう回りの大多数が就職の内定をもらってて、例に漏れず私も黒いリクルートスーツとパンプスで勝ち得た憧れの会社での新しい生活に、思いを馳せていた。
たしか内定もらってからも、のんびりしていればよいものを、語学を磨くために外国一人旅とかいろいろ忙しくしてたっけ。
しかしやっぱり音大だからなのか、優也だけに限らずどこかのほほんとした空気を保っていた。
相変わらず仕事の帰りに優也の店に行き、閉店までしゃべる。
前と違うのは、そのあと手を繋いで私の家まで送ってもらうようになったこと。
「香帆、最近忙しそうだね。ちゃんと寝れてる?」
付き合うようになってから、優也は私のことを『香帆』と呼ぶようになった。
呼び捨てで呼ばれるたびに、ひそかに胸がドキドキしてるの、気づいてないでしょ。
「ん〜……今新入社員の指導が大変なんだよねー。仕事自体はそこまでなんだけど」
「そっか。香帆はすぐ無理するんだから、たまにはしっかり休まないとダメだよ?」
「うぅ〜……でもなぁー…」
「……香帆に何かあったら、俺が困る」
一気に顔が火照るのがわかった。
甘い言葉をかけられると、どうしていいのかわからなくなっちゃう。
たぶん優也のことだから、無意識に言ってるんだろうけど……。
「ゆっ、優也こそ、ちゃんとピアノ弾いてる?」
話を無理矢理変えると、それに気づいているのかいないのか、のほほんとした笑顔で答える。
「まぁ、相変わらずかな〜。大悟と泉は就職希望だから、音楽事務所とかレコード会社とか回って内定もらってるみたいだけどね。圭佑は実家の楽器会社に永久就職内定してるし、遥はピアノの先生やるんだってさ」
やっぱり音大出だとそういう就職先になるんだ。
なんか未知の世界。
でも………優也は?
「優也は、どうするの?」
「え?………うーん……まだ考え中、かな」
「えっ、そうなの?早めに決めないと、あとで困っちゃうよ」
「うん…………そだね」
このとき、私はこれからも当然優也はずっと私のそばにいると、信じて疑わなかった。
優也がこのとき何を考えていたのか、頭の固い私には全く予想だにできなかった―――…。




