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moderato.  作者: 奏多
46/56

#46 断念

会社に戻り、デスクにコーヒーを持ってきてもらって、溜め息をつく。




正直なところ……。




私が聞くには、重い話だった。










「実は……優也、指揮科の進学希望だったんです」


「指揮、科?ピアノ科じゃなくて?」


「はい……まぁいろいろあって、どうしてもピアノしか出来なくなって」



どこか悔しそうな、悲しそうな、そんな微笑みを浮かべながら、矢野くんは空いた皿を見つめていた。




「優也が、シューマンの幻想小曲集とか弾くの、聞いたことあります?」


「え、ないけど……」


「また聞いてみてください。………あいつ、ピアノだけじゃ本当はダメなんです。表現したいことが、ピアノだけじゃおさまらなくて………」


「…それは、指揮志望だったから?」


「というより、優也は天性っていうか、音楽の才能みたいなのが人よりすごくあって」




それはわかる。




優也の演奏は、どれも他の人とは比べものにならないほど素晴らしい。




むしろ、『素晴らしい』なんて言葉じゃ表せないくらい、彼のピアノには訴えかけてくるものがあるのだ。




「…俺が指揮科に進むことになったとき、一番行くべきなのはあいつだったのに、そんなこと何も言わないで応援してくれて。………けど、優也がどれだけ行きたがってたか知ってるのに、俺なんかが行ってていいのかな、なんて実は未だに思うんですよね」




こんなこと話したら、逆に泉とか遥に締め上げられますから、内緒ですけど、と矢野くんは笑った。




過去に優也に何があったのかは知らない。




けど、優也も本当は、指揮者になることを諦められないんだよね。




だから、スコアだって指揮棒だって捨てないで置いてあるんだ。




オーケストラのコンサートだって、もしかしたら舞台の指揮者に自分を重ねて見てたのかもしれない。




私、何も知らずにコンサートに誘ったりしてた。




それがもしかしたら、優也にとって辛いことだったかもしれないのに……………。




「…香帆さんには優也と指揮のこと、知っておいてほしくて。何でかは自分でもよくわからないんですけど…………あなたのこと、優也は本気だと思うんで」









そこで回想は終了した。




『あなたのこと、優也は本気だと思うんで』




矢野くんが変なこと言うから、優也のことを考えるたびなんかおかしくなってしまう。




そして、今私の手にはチケットが2枚。






「実は、今度指揮科の催しとして、チャイコの弦楽セレナーデを俺が振ることになって。……俺からだと誘いにくいんで、香帆さんから優也に渡してください」




あんな話聞いたあとじゃ、いくら私でも渡しにくいから〜っ(泣)




………『いろいろあって』って、何があったんだろう…。

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