#46 断念
会社に戻り、デスクにコーヒーを持ってきてもらって、溜め息をつく。
正直なところ……。
私が聞くには、重い話だった。
「実は……優也、指揮科の進学希望だったんです」
「指揮、科?ピアノ科じゃなくて?」
「はい……まぁいろいろあって、どうしてもピアノしか出来なくなって」
どこか悔しそうな、悲しそうな、そんな微笑みを浮かべながら、矢野くんは空いた皿を見つめていた。
「優也が、シューマンの幻想小曲集とか弾くの、聞いたことあります?」
「え、ないけど……」
「また聞いてみてください。………あいつ、ピアノだけじゃ本当はダメなんです。表現したいことが、ピアノだけじゃおさまらなくて………」
「…それは、指揮志望だったから?」
「というより、優也は天性っていうか、音楽の才能みたいなのが人よりすごくあって」
それはわかる。
優也の演奏は、どれも他の人とは比べものにならないほど素晴らしい。
むしろ、『素晴らしい』なんて言葉じゃ表せないくらい、彼のピアノには訴えかけてくるものがあるのだ。
「…俺が指揮科に進むことになったとき、一番行くべきなのはあいつだったのに、そんなこと何も言わないで応援してくれて。………けど、優也がどれだけ行きたがってたか知ってるのに、俺なんかが行ってていいのかな、なんて実は未だに思うんですよね」
こんなこと話したら、逆に泉とか遥に締め上げられますから、内緒ですけど、と矢野くんは笑った。
過去に優也に何があったのかは知らない。
けど、優也も本当は、指揮者になることを諦められないんだよね。
だから、スコアだって指揮棒だって捨てないで置いてあるんだ。
オーケストラのコンサートだって、もしかしたら舞台の指揮者に自分を重ねて見てたのかもしれない。
私、何も知らずにコンサートに誘ったりしてた。
それがもしかしたら、優也にとって辛いことだったかもしれないのに……………。
「…香帆さんには優也と指揮のこと、知っておいてほしくて。何でかは自分でもよくわからないんですけど…………あなたのこと、優也は本気だと思うんで」
そこで回想は終了した。
『あなたのこと、優也は本気だと思うんで』
矢野くんが変なこと言うから、優也のことを考えるたびなんかおかしくなってしまう。
そして、今私の手にはチケットが2枚。
「実は、今度指揮科の催しとして、チャイコの弦楽セレナーデを俺が振ることになって。……俺からだと誘いにくいんで、香帆さんから優也に渡してください」
あんな話聞いたあとじゃ、いくら私でも渡しにくいから〜っ(泣)
………『いろいろあって』って、何があったんだろう…。




