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moderato.  作者: 奏多
31/56

#31 葵

†優也side†



部屋の中に入り、電気もつけずに冷蔵庫に向かう。



この部屋は日当たりがいいから、電気なんかつけなくても昼間は暖かい。




さっきまで香帆さんがいたこの部屋も、彼女の存在を察知できなくなると、急に味気ないものになるらしい。



冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを飲みながら、ふとカレンダーに目をやる。




あ、今日は夕方に病院だった。



じゃああんまりピアノ弾けないな。






そんなことを思いながらピアノの蓋をあけ、課題曲の譜面を取り出す。




と、インターホンが鳴った。




インターホンが聞こえなかったときのために、誰かが来ると壁が青く点滅する。



そんな仕掛け、以前はただうっとうしいだけだったのに、最近よく役に立つ。




「………はい」



重い腰をあげ、玄関に向かう。




ドアを開けると、そこにいたのは………




「…………葵………」



「久しぶり、兄さん」







「へぇ〜、こんないい部屋に住んでんだ。これも父さんの金?」



ドアの向こうに立っていたのは、6年弱ぶりに会った、弟だった。



「…………何しにきたんだ」


「べつに、どうしてるかなって。あ、これグランドピアノじゃん!うわ、難しそうな楽譜だね〜」


「………おまえ、医大に受かったんだってな」




わざと話を変えた。



俺は、過去に俺自身がした行為に、多少なりと罪悪感を感じていて、あまり音楽にかかわる話題に触れたくなかった。




「まぁね。これで俺も、父さんの役に立てるよ」



葵は、俺が全てを押し付けて家を出たことを、まだ恨んでいるのだろうか。



朝とは打って変わって、何ともいえない気まずい空気が、部屋中に漂う。




「今日は、少し様子を見に来たんだ。一度、こっちに帰ってこないか?」


「帰らないと、何度も言ってるはずだ」


「わかってるって〜。ただ、父さんも母さんも、兄さんに会いたがってるよ」


「…………」



過去の記憶が、脳裏に蘇る。



俺が黙り込むと、葵はあきらめたように言った。



「まぁ、父さんの病院は俺が継ぐから、兄さんは音楽をやっていればいいよ」


「………わるいな」


「なんで?俺は全然苦じゃないよ。永久就職決定だしね!ま、また気が向いたら顔だしにくれば?」


「………あぁ、そうする」




俺の返事をきいて、じゃ、と言うと部屋を出ていった。




苦じゃない、か。




それは、葵の本心でもあり、偽りでもあるだろう。




俺が過去にした行為は、今も葵を拘束している。



俺の今の生活は、葵の自由を代償に成り立っているのだ。




「………………」




また人気のなくなったこの部屋。




自分に纏わり付く何かを振り払うように、無我夢中でピアノを叩いた。




休むことなく指を鍵盤に叩きつけた。




乱暴に弾くことで鬱憤を取り除こうとする俺は、あのときと少しも変わっていなかった。

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